第10話 闇の吐息

「ギャロッド殿」

 背後から声をかけられて、ギャロッドはゆくりなく振り返った。早朝の澄み切った空気の中、険しい顔で近づいてきたのはケレナウスという一人の青年だった。

 屋敷外の警備を任されているギャロッドの、補佐をしてくれる男だ。小柄ではあるがどんな雑用でもこなす、有能な技使いである。体格のためか最小限の武具しか身につけていないが、実力試験でも好成績を収めていた。

「ケレナウスか」

 額当てに軽く指先で触れ、ギャロッドは相槌を打った。塀に沿って歩いてくるケレナウスの後ろには、先ほどまでいた若者がいない。そのため砂利を踏みしめるかすかな音だけが、朝方の空気に染み入った。

「遺体の処理は終わりました」

「そうか。任せてすまなかったな」

「いえ、慣れていますで」

 ねぎらいの言葉に、ケレナウスは苦笑する。癖のある黒い髪に灰色の瞳と、どこにでもいそうな護衛のように見える男だが、しかし彼も長年技使いとして様々な依頼を引き受けてきた者の一人である。そのような経験は数え切れないほどあるのだろう。

 魔物絡みとなるとどうしても死人が増える。逃げ出す者も増える。そうするとどうしても残された者にそうした仕事が回ってくる。死体を見るのは趣味ではないが、傷から相手の能力を推し量ることも時には必要だ。

「むごたらしい傷でしたので、二人ですませてきました。若者の士気を落としても仕方ないですしね。相手はかなりの手練れのようです」

 そう口にするケレナウス自身も随分と若く見えるが、それなりの年齢なのだろうか。ギャロッドは肩をすくめながらもう一度『現場』へと目を向けた。

 護衛が一人殺されているという報告を受けたのは、日が昇る直前のことだった。屋敷の外にある見張り小屋で仮眠をとっていたギャロッドは、早朝に飛び起きる羽目になった。

 殺されていたのは中年の男だった。致命傷となったのは胸にぽっかりとあいた穴のようだが、おそらく技によるものだろう。これだけ大きな穴を人間の体にあけることは、通常の武器では不可能だ。

「そうか。やはり魔物の仕業なのか」

 ギャロッドは歯噛みしながら、血を吸った砂利を見下ろした。見張りを配置していた塀のすぐ傍の一帯が、赤黒く色を変えている。

 即死であればいい、苦しまずに死んだのならばと、つい願ってしまう。闇に紛れて魔物が動く時は、時間をかけないことが多い。一方、人目のある場所で斬殺する場合は、まるで弄ぶように命を奪うこともあった。

 あれを目にすると、魔物と相対する気が失せる。絶望した技使いたちが逃げ出す様を、ギャロッドは何度も見て来た。

「そうでしょうか。昨夜の見張りは、確か第二部隊ですよね?」

 つとケレナウスがギャロッドの横に並んだ。その声がいつになく硬いことに気づき、ギャロッドは瞳をすがめる。ケレナウスの気に含まれているのは、魔物に対する恐怖ではない。

「ああ、そうだ。殺された男も第二部隊だった」

「つまりアース殿の部隊ですね」

「ケレナウス、何が言いたい?」

 当たりの空気が突として張り詰めた。ケレナウスへと一瞥をくれ、ギャロッドはあえて尋ねる。ケレナウスが何を言わんとしているのかには気づいていた。ギャロッドとしては、あまり耳にしたくない考えだ。

「彼を警戒した方がよいと思います」

 ギャロッドを見上げてくるケレナウスの双眸には、鋭い光が宿っていた。本気でそう考えている者の目だ。ギャロッドはため息を吐きたくなるのを堪え、片眉を跳ね上げる。

「本気で言っているのか? これを、彼がやったと?」

「可能性がないとは言えません。アース殿の実力ならば」

 そう言われて、ギャロッドはもう一度血だまりだった場所へ視線を落とす。殺された護衛は中年の男一人。そのことに気づいて知らせてきたのは、男と組んでいた青年だった。

 確かに、魔物が技使いを一人だけ殺していくのは不自然だ。同じ時間、他の場所で見張りをしていた護衛も無事であった。皆、魔物の襲撃には気づかなかったという。

 犯人が魔物であれば、もう屋敷に侵入されている可能性もある。しかし先ほど確認にいかせたところ、テキアもゼジッテリカも無事とのことだ。少なくとも現時点で被害に遭っているのは中年の男のみだった。

「彼ならば誰にも気づかれずに動くことも可能です。違いますか?」

 ケレナウスの声がさらに険しくなる。不可能か可能かと言われたら、可能かもしれない。しかしそうする理由がギャロッドには思いつかなかった。アースが魔物であったら? いや、そうだとしてもこの襲撃は奇妙だ。

「不可能ではないだろうが」

「ええ、しかも彼でしたら護衛の配置も知っています」

 まるでケレナウスは、アースが犯人だと思い込んでいるかのようだ。今から詰問しに行こうと言い出しかねない様子だった。

 ギャロッドはどう答えたものかと思案する。疑心だけで動くのはまずい。しかもそういった態度はすぐに他の護衛にも伝わってしまう。何せ、誰もが技使いだ。気から感情など筒抜けだった。

 見知らぬ者たちの集団において、それは一番厄介な状況だ。できる限りは避けたい。

「ケレナウス、ずいぶんあいつを疑ってるな」

「あまりにも強すぎるんですよ、彼は。あの性格ですし」

「実力があるだけに怪しい、か。だが強すぎるだけなら他にも該当者がいるだろう」

 苦笑するケレナウスへと、ギャロッドは顔を向けた。真面目なケレナウスと傍若無人なアースが合わないのは容易く予想できた。しかし曇った目でくだす判断は、命取りにもなりかねない。

「他にも?」

「たとえば……そうだな、バン殿やシィラ殿だな」

 率直に問いかけられ、ギャロッドは天を見上げた。爽やかな早朝を象徴するような見事な晴天に、うっすらとだけ雲がかかっている。夜の奇襲が嘘のように晴れやかだ。この会話とも相容れない。

 実力だけで考えれば、直接護衛の二人ならまず可能だろう。実力試験でバンやアースが本気を出していないのは明らかだったが、昨日の様子をみると、シィラもまだまだ実力は隠しているようだった。

 そうなると、試験で一桁に入っている技使いたちは誰もが怪しく思えてくる。つまり、ギャロッドも疑われてしかるべきということだ。可能かどうかだけを考えるならそうなる。

「バン殿がまさかそんな……。それにシィラというのは、あのゼジッテリカ様の直接護衛の方ですよね? あの可愛らしい」

 するとケレナウスが怪訝そうに首を横に振る気配がした。その仕草に何か引っ掛かるものがあり、ギャロッドはケレナウスの方へと向き直る。

 先ほどとは打って変わり、ケレナウスはどこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。その頬が若干赤いような気がして、ギャロッドは愕然とする。

「可愛らしい……確かに、見た目はそうだが。彼女は強いぞ、ケレナウス」

 ギャロッドは頭を抱えたくなった。ケレナウスの様子には見覚えがある。振り返ってみると、昔にもこうした問題が生じたことがあった。

 むさくるしい仲間たちに囲まれて仕事をするのが当たり前になってきたところに、たまにあるのだ。見目麗しい女性が加わることが。

 体力や筋力での不利を覆すほどの実力者なのだから、当然その女性もかなり強い技使いなのだが。しかし年若い男たちの目には、どうしてもそう映らないらしい。結果、仕事とは全く関係ないところでの争いが起きる。こればかりは実力の有無ではどうにもならないところであった。

「か弱そうに見えるが気の察知に長けているし、疑えと言わんばかりの態度を取りつつも牽制してくる、強者だぞ。あれは一種の誘いだ」

 そわそわしたままのケレナウスに耐えかねて、ギャロッドはついに嘆息した。誠実そうに見えるケレナウスでこれとなると、彼女は別の意味で問題を引き起こす類の人間かもしれない。これは厄介だ。

「誘い? え、ギャロッド殿、誘われたんですか?」

「違う、そういう意味ではない。大体、我々は護衛中だぞ」

 がくりとうなだれ、ギャロッドは額当てを手のひらで押さえた。だがここで憤怒しても仕方がないのはわかっている。緊張感が大きくなればなるほど、人はどこかに癒しを求めるものだ。

 そもそも見知らぬ者だらけの中、この人数を束ねなければならないのだから。どう転んだところで諍いだけは避けなければ。だがこれをどう穏便にまとめたらよいのだろう。ギャロッドに良案は浮かばなかった。

「す、すみません。しかし彼女に微笑まれると、ね。屋敷内の若者たちも彼女のことを噂していますよ。意味ありげな笑顔を向けてくるとか」

 ぼそぼそと言い訳するようにケレナウスは述べる。アースのように愛想がないのも問題だが、良すぎるのも問題だったとは。ギャロッドとしては新発見だった。

「わかった。だがまあ、ここにいる技使いは実力者ばかりだし、役職付ならまず間違いなく強い。それを忘れないでくれ」

 そうギャロッドが忠告した時だった。砂利を踏みしめるゆったりとした靴音が、背後から聞こえてきた。耳をすませばその主が複数であることがわかる。ギャロッドがやおら振り返ると、思わぬ人物の姿が目に飛び込んできた。

「テキア殿」

 一人は、黒いコートを羽織ったテキアだ。その背後にいるのは、妙な長衣を着た男性――バンだった。体をすっぽり覆うような衣服に、小さめの眼鏡が特徴的な男だ。

 どちらかと言えば裕福な内に入るこの星でも、眼鏡を手に入れることは容易くはない。そのためバンの一つの目印ともなっているが、この男の風貌が怪しいのはそれだけではなかった。

 長い墨色の髪をその時々によって奇妙に結わえているのも珍妙だが、何より緑の瞳に宿る光が妖艶なのだ。あの双眸に見据えられると、まるで蛇にでも睨まれたような心地になる。

 光靱のバンと呼ばれ出したのがいつからなのか、ギャロッドは知らない。今では物知りな子どもならすぐに気づいてしまうほどに、その容姿は有名になっている。若くも見え年老いても見える不思議な男で、年齢は不詳だった。

「ご苦労様です、ギャロッド殿」

 足を止めたテキアに声を掛けられ、ギャロッドは軽く一礼した。慌てたケレナウスはギャロッドの後方へと下がり、かしこまった様子で頭を下げる。

 テキアの来訪は予想外だったが、空気が変わったのは助かった。ギャロッドは内心で胸を撫で下ろしつつも、湧き上がった疑問を舌に乗せる。

「いえ、仕事ですから。しかしテキア殿、わざわざこんなところへ顔を出されるなど、危険なのでは?」

 頭をもたげたギャロッドは、わずかに肩をすくめた。昨日、危険な行動を避けるようにと言われたばかりのはずだ。テキアという男もなかなかに自由な人間らしい。

「大丈夫です、今日はバン殿が一緒ですからね。私もバン殿もその場を見てみたいという意見が一致しまして」

 薄く微笑んだテキアは、バンの方へと一瞥をくれた。だがバンは不敵に口の端を上げただけで、何も口にしなかった。もっとも、その妖艶な瞳は相変わらずで、ギャロッドはひっそりと固唾を呑む。

 何か企んでいる。そういう目だ。いや、単に何かを楽しんでいるのかもしれない。この男は好奇心で生き物をなぶる子どものようなところがあるから、要注意だ。

「護衛が一人、殺されたそうですね」

 どう答えたらよいかと思っていたところで、テキアが即座に切り込んできた。ギャロッドはちらと後ろを見遣りながら、沈鬱に首を縦に振る。血の臭いなど何度も経験していることだが、何度嗅いだところで気持ちの良いものではない。テキアは大丈夫だろうか。

「はい、おそらく技によるものでしょう。胸に大きな穴が一つ。それに手足にも鋭い傷が数か所見られました。そのどれも、通常の武器によるものではあり得ません」

 淡々と報告するよう努めたが、苦い感情が滲むことだけは止められなかった。そもそもテキアも技使いなのだから、隠そうとしたところで無駄だろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る