第8話 疑念のあわいに

 室内に静寂が満ちると、ギャロッドは肩の力を抜いた。やはり子どもがいるというのは気を使う。話が物騒なだけに余計そうだった。

「すみませんね、ギャロッド殿。ゼジッテリカをのけ者にするわけにはいかないので」

 すると、まるで心中を見透かすようテキアが苦笑をこぼした。慌てたギャロッドは、つい額当てに手を伸ばしかけるのをすんでのところで堪える。まさか罪悪感が気で伝わったわけではないはずだが、その可能性を疑ってしまうような言動だ。

「いえ、こちらこそあんな発言を。すみません」

 すぐさま頭を下げたギャロッドは、先ほどのテキアの言葉を振り返った。ファミィール家の当主代理は、魔物が忍び込む可能性を考えながらもこれだけの護衛を雇った。その底にある思いは一体何であろう。

「ギャロッド殿が謝ることではないです。誰もが考えることでしょう」

 テキアの声にはやはり狼狽の欠片も滲んでいない。ゆくりなく顔を上げたギャロッドは、ついと背筋を正した。

 これからの護衛の動きを考える上で、一つ確認しておかなければならないことがある。ギャロッドは軽く額当てに指先で触れると、テキアの切れ長の瞳を見据えた。

「そうですね。テキア殿は、本当に彼女を信頼しているのですか?」

 尋ねる自身の声が強ばっていないことに、ギャロッドはひっそり安堵した。ゼジッテリカにはシィラが、テキアにはバンがほぼ一日中付き添っていることになる。二人きりの時もある。最も警戒しなければならない相手であることは間違いない。

 ではそれを前提とした警備にすべきなのか? そうなるとテキアやゼジッテリカの行動を束縛する結果になる。テキアにはファミィール家の当主代理としての執務もあるから、難しいところだろう。

「ああ、そうですねぇ」

 テキアはわずかに肩をすくめると、短い髪を撫でつけた。その黒い双眸には不思議な光が宿っているように見えた。胸の内を容易にはうかがわせない深い色の奥に、何かがある。

「信頼はしていません。ですが頼りにはしています」

 言葉を選ぶよう視線を彷徨わせてから、テキアはそう答えた。彼の真意を掴み損ねたギャロッドは、思わず片眉を跳ね上げる。

「頼りに?」

「彼女がゼジッテリカに危害を加えるつもりがないのは、わかっていますから」

 そうはっきり言い切ったテキアは、そのまま傍にある机へと視線を落とした。そしてその上に放られている書類を一つ取り上げる。かさりと、かすかに紙のこすれる音がした。

 ギャロッドは呆然とその横顔を眺めた。テキアがそう確信する理由が不明だ。肝心なところが説明されていない。

「それは、まさか、気で?」

 思い当たる点があるとすれば『気』だった。悪意があれば、害意があれば、気でわかる。何か押し隠そうとすれば、よどみが生まれる。確かにシィラの気は驚くほど真っ直ぐで、涼やかで、澄んでいた。しかしそれだけの理由で断言するというのも危険な話だ。

「ええ。彼女がゼジッテリカに向ける気は、実に純度が高い。少なくとも今の彼女は、ゼジッテリカを傷つけません」

 首肯するテキアには迷い一つ見られない。その揺るぎなさに、ギャロッドは当惑した。それは気の感知能力への自信の表れでもあった。

「ですから我々は今後互いの気に注意を払わなければなりません」

 そうテキアが付言した瞬間だった。背後の扉を叩く音と共に、若い男の声がした。どことなく上品な響きをともなったこの声は、屋敷内警備のシェルダのものだ。

 振り返りつつ気を探ってみれば、彼の他にもう一人技使いがいることに気づく。何かあったのかと、ギャロッドは眉をひそめた。

「はい、どうぞ。開いていますよ」

 テキアがそう返事をすると同時に、静かに戸が開いた。重たげな木の扉の向こうから音もなく入室してきたのは、シェルダとマラーヤだ。動作は機敏だが、その眼差しは若干の焦りをはらんでいる。

「シェルダ殿にマラーヤ殿、どうかしましたか?」

 書類を再び机に置いて、テキアが首を捻った。不穏な会話などなかったかのような温和な声音は、人当たりの良さを求められるファミィール家の人間ならではのものか。

「お話の途中で失礼いたします。少し、屋敷内警備のことでご相談が。その、ゼジッテリカ様がまた廊下を歩いていらっしゃったので」

 ギャロッドへ一瞥をくれたシェルダは、何か言いたげな口調で怖々とそう告げた。なるほど、部屋を出て行ったゼジッテリカたちを偶然見かけてしまったのか。屋敷内を見張る者としては困惑しているに違いない。

「ああ、そのことですか。気にしないでください」

「気にしないでって……しかし……」

「今そういった話をしていたところです。ゼジッテリカが人目のあるところで動いている方が、安全ではないかという考え方もあります」

 戸惑うシェルダたちに、テキアは深々と相槌を打った。何が「そういった話」だったのかわからず、ギャロッドは首を傾ける。

「それはどういう意味ですか?」

 困惑の空気が広がる中、率直に尋ねたのはマラーヤだった。彼女は顔合わせの時にも率先して発言していた。正義感の強い、真っ直ぐな性格なのだろう。テキアは彼女へと向き直ると、ほんのわずかに瞳を細める。

「魔物がどういった方法で我々への接触を試みてくるのかわかりません。護衛になりすまそうとする者もいるかもしれませんから、直接護衛といえども、二人きりという状況はできる限り避けるべきかもしれないという話です」

 室内の空気が一気に凍り付いた。淡々とした物言いなだけに、テキアの言葉は重かった。シェルダやマラーヤの顔が一気に青ざめるのが、ギャロッドの目でも捉えられる。

「それはつまり、全ての護衛が対象ということですか」

 言外に自分もそうなのかと問うよう、シェルダが確認した。ギャロッドよりも細く、まだ若者のように見受けられるが、シェルダの面持ちには幾つもの戦いを切り抜けてきた者特有の鋭さがある。もっとも、シェルダの実年齢は推し量ることも難しいが。

「はい、そうですね」

「なるほど。そうなると一番怪しむべきは彼女ということになりますね。だから人目に触れさせておいた方がよいと? 確かに彼女は実力者の割に知り合いもいませんし、どの星や国でも噂にもなっていなかった」

 シェルダは深々と相槌を打った。その点に関してはギャロッドも同意見だ。よほど遠い星であればともかく、ある程度の実力者が全く噂にもなっていないというのは腑に落ちない。

 依頼を受けながら生活する流れの技使いであれば、効率の良い仕事を選ぶのが当然だ。そうなると、どこかで見かけたことがあるといった者はどうしても増えていく。

 誰とも知り合わず、小さな依頼だけを受けていく者も皆無ではないが、それでは依頼金が少額となってしまう。武器一つ満足に買えない。それでは魔物を相手取るのは困難だろう。

「まあ、そりゃそうだけどさー。でもその辺は男とは事情が違うから、もしかしたらいつもはひっそりしてるのかもよ」

 そこで異を唱えたのはマラーヤだった。何か思い出したのかうんざりとした面持ちになった彼女は、赤髪をがしがしと掻きながら小さく嘆息する。そして隣にいるシェルダへとうろんげな眼差しを向けた。

 そんな彼女の様子に、テキアが瞳をすがめたのが目に入った。ギャロッドは内心で慌てるが、知ってか知らでか彼女の口は止まらない。

「女が目立つとろくなことないのよね。それが中途半端な目立ち方だと特に、やっかみとか小競り合いが増えて仕事やりにくくなるばっかりだし。だから男の振りしたり、子どもの振りしたり、はたまたささやかな依頼ばっかり受けてみたり。あたしは貴族付きになったからまあいいんだけどさー」

 不満が一気に噴き出したように、マラーヤはまくし立てた。しかしそう言われるとギャロッドにも反論の言葉が浮かばなかった。そんな場合があるとは考えてもみなかった。名声を得れば得るだけよい仕事にありつけるものだとばかり思っていた。

「あの、マラーヤさん、テキア様の前ですよ」

 さらに愚痴が続きそうになるところを、かろうじてシェルダが制した。はっとしたマラーヤはテキアへ顔を向けると、ぺこぺこと頭を下げる。悪い人間ではないのだろうが、迂闊な性格だ。よく貴族付きが務まるなと、正直なところ思ってしまう。

 それにしても、既に貴族付きとなっている技使いまで来ていたとは。常識的には忌避すべき事態だが、ファミィール家と何らかの関係があるから許されたのだろうか。つまり、それだけ今回の件を誰もが重く受け止めているのだろう。

「いえ、それも大事な情報です。それぞれ事情がありますからね。今までどういった仕事を選んできたのかは個々人によって違うでしょう。そういったものを度外視しても、意味があると思っていただけるような条件で募集しましたので、当然のことです」

 と、テキアがわずかに顔をほころばせた。その様子を見るに、単にマラーヤをかばうためだけの意図ではないのだろう。

 魔物が入り込む危険を冒しても、なお強い技使いを求めているのか。何故そこまで踏み切ったのか。ギャロッドが肩をすくめると、触れ合った防具がかすかな音を立てた。

「ですからシェルダ殿、ゼジッテリカが屋敷内のどこにいてもいいよう、護衛を配置してください」

「そ、そうですか。わかりました」

 ついでテキアにそう言い切られ、シェルダは当惑顔で頷いた。無理難題を押しつけられたも同然な話だった。いや、そもそも魔物を相手取ることが無茶なのかもしれない。魔物に無残にも殺された技使いたちを、ギャロッドは何度も見て来た。

 魔物の力は未知数だ。技の精度も、体力も、人間の比ではない。加えて、魔物は自由に姿を変えられる。どこまで人を真似ることができるのかは、ギャロッドにも判然としなかった。

 ただし、魔物が一体何を目的としているのかも不明だ。ただ無差別に人を襲っているわけではない、ということがわかる程度か。

「ですがテキア様」

「何でしょう?」

「そうなりますと、あなた自身ももう少し警戒してください。先ほどバンさんに会いましたが、戦闘の跡を見てくるとか。それでは直接護衛の意味がありませんから」

 それでもシェルダは釘を刺すのを忘れなかった。テキアはほんのわずかだけばつが悪そうに、それでいて苦笑を飲み込むような顔で曖昧に首を縦に振る。

「ええ、わかっています。ただ、ずっと誰かと一緒にいるというのは息が詰まりますので」

 テキアはつと視線を外して頭を傾けた。言葉を濁してはいるが、相手がバンだから少しでも離れたいのだろうというのはギャロッドにも推測できる。

 バンは光靱などという異名を持つ強者だが、かなり癖のある男だ。正直なところ、ギャロッドも一日中彼と一緒にいろと言われたら疲弊しきってしまうかもしれない。

 魔物にはあの奇人の振りはできまいと思わせるほどに、風変わりな男なのだ。共に仕事をしたのは一度だけだが、思い出したくない過去になっている。

「ではマラーヤ殿、バン殿を呼び戻してきてください。シェルダ殿は護衛の配置の方をよろしくお願いします。それで、ギャロッド殿は――」

 それでもテキアは諦めたらしい。何かを決意するようこちらへと双眸を向けた彼は、ふっと口元を緩めた。気に、にわかに鋭さが満ちた。思わず息を呑んだギャロッドは続く言葉を待つ。

「屋敷外の護衛から情報収集も徹底し、情報担当の方に集めてください。魔物の容姿、交わしていた言葉、何でもよいので、できるだけ詳しく。次に彼らがどう出てくるのか考える上で、何より情報が必要です」

 芯の通った声だった。テキアの才覚を目の当たりにしたような心地になり、ギャロッドは瞠目する。自分の命が狙われている状況で、それでも先手を打とうとするこの男の精神力はすさまじい。

「はい」

 無謀な賭けだが、勝つしかない。その思いを新たに、ギャロッドは首肯した。まだまだ魔物との攻防は始まったばかりであった。

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