第7話 大人の諍い

 テキアへと一通りの報告を終えたギャロッドは、少しばかり肩の力を抜いた。テキアは依然として難しい顔をしている。自分の目で見たことをただ素直に口にしただけだが、それでも信じてもらえる自信がギャロッドにはなかった。

 つい視線を逸らすと、落ち着いた色合いの調度品が目に飛び込んでくる。ファミィール家と聞くと華美な装飾品の数々が脳裏をよぎるが、テキアが利用しているこの部屋には最低限の物しか置かれていなかった。

 テキアの趣味なのだろうか? 生成色を基調とした壁も、天井の明かりも、他の部屋のように煌びやかではない。ただ質の良いものを使っていることは、ギャロッドの目でもわかった。

「そうでしたか、報告ありがとうございます」

 落ち着いたテキアの声が、ギャロッドの思考を現実へと引き戻した。机を背にして腕組みをしたテキアからは、ファミィール家をまとめんとする人間の持つ威厳が滲み出ている。

 おそらく、テキアはまだ若いはずだ。当主であったサキロイカが四十歳であったから、まだ三十代だろう。テキアが当主代理として動き始めたのがいつ頃なのかは知らなかったが、苦労は多かったはずだと想像できる。

「アース殿は想像以上の強者ですね。やはり、実力試験では本気を出していなかったんですね」

 独りごちるテキアに、ギャロッドは相槌を打った。アースが一人で魔物三匹を葬ってしまったことにも、テキアは疑問を持たなかったらしい。

「嘘だと仰られなくてほっとしました」

「気で大体のことはわかりますから」

「ああ、テキア殿は気の察知も得意でいらっしゃるんですね」

 ギャロッドは思わず苦笑する。気でそれだけのことが読み取れるとは、やはりテキアもそれなりの力を持っているようだ。

 他のファミィール家の人間が次々と殺される中、彼だけが生き残っている理由はそこだろう。ゼジッテリカが無事なのは、屋敷を出ていないからだろうが。

「ところで、直接護衛のバン殿は?」

「先ほど部屋を出ていきましたよ。戦場を見てみたいと」

「はぁ……」

 そこで最も気になっている点について確認してみると、思わぬ答えが返ってきた。いくらテキアが技使いとはいえ、直接護衛がそう簡単に離れてよいとも思えないのだが。テキアもバンも何を考えているのかと、ギャロッドは頭を抱えたくなる。

「魔物の今後の動きを予測したいのでしょう。やはり、情報は必要ですから」

 そう付言したテキアが顔を上げた、次の瞬間だった。控えめながらもしっかりと戸を叩く音が、部屋の中に響いた。扉の外にある気は二つだ。屋敷内の護衛の者だろうか?

「どうぞ、開いています」

 逡巡するギャロッドよりも先に、テキアがそう声をかけた。ゆっくりと開く扉から、まず見えたのは女性だった。穏やかで美しい面差しだが、特に黒い凛とした双眸が目を引く女だ。

「テキア叔父様!」

 ついで、その下から声がした。部屋の中に飛び出してきたのは、金髪を揺らしながら顔を輝かせたゼジッテリカだった。ギャロッドは息を呑む。

 何故ゼジッテリカがこんなところにいるのだろう。屋敷外、内の確認が全て終わるまでは、部屋にいることになっているはずだ。

「ゼジッテリカ、無事だったようだな。よかった」

「うん、叔父様も」

 走り寄るゼジッテリカを、テキアは腰をかがめつつ迎え入れる。ここだけ切り取れば心温まる光景だ。

 瞳をすがめたテキアは、その手で恐々とゼジッテリカの頭を撫でた。慣れていないことは傍目にも明らかだったが、ゼジッテリカは嬉しそうに頬を緩める。

 二人のやりとりを半分訝しげに、半分は微笑ましく見守っていると、背後から誰かが近づいてくる気配があった。ちらと肩越しに振り返れば、先ほどの女性が笑顔でたたずんでいるのが見える。

 そうか、彼女がゼジッテリカの直接護衛か。若者たちが噂していたのを、ギャロッドはすぐに思い出す。実力はあるが、ずいぶんと風変わりな護衛のようだ。しかし戦闘が終わったばかりの状況で部屋の外へ連れ出すとは、さすがに軽率すぎる。

「しかし怖かっただろう?」

「ううん。シィラがいたから大丈夫」

 ゼジッテリカの嬉々とした声につられて、皆の視線がその直接護衛に集まった。

 シィラと名乗るこの技使いの話を、ギャロッドは今まで聞いたことがなかった。それだけの実力者であれば風の噂で耳にすることもあるはずだ。特に女性であればなおさらだろう。だからこそ彼女は怪しい。

「そうか」

 背を正したテキアも、おもむろにシィラの方へと目を向けた。テキアはこの女性をどう思っているのか。これだけ気の察知に優れた技使いであるから、何も感じていないはずはないとギャロッドは確信していた。

 その点に関してはアースも同様に怪しい。魔物を物ともせず、空中戦もこなす技使いが無名であるのは奇怪だ。

「ありがとうございます、シィラ殿。しかし今、屋敷の中は大変なことになっているのでは?」

 ゼジッテリカの肩をぽんと軽く叩き、テキアは頭を傾ける。彼が何を言わんとしているのか、ギャロッドには掴みかねた。それはシィラも同様だったのか、曖昧な微笑を浮かべながら「はぁ」と気のない声を漏らしている。

「魔物の到来、その後の初勝利で、皆は浮足立っていることでしょう」

「ああ、それはそうですね。使用人の方たちも、どうしたらいいのか困惑しているようでした」

 そう言われて、ギャロッドも思い返す。屋敷外からテキアが執務室として使用しているこの部屋に辿り着くまで、多くの護衛たちとすれ違った。持ち場についているとは思えない行動をしていた。やはり統率が甘いのだ。

 そのせいなのか、使用人たちは困惑していた。おそらく、まだ隠れているべきなのか、通常通りの仕事をしてよいのか判断できなかったのだろう。そろそろ食事の支度が始まっても不思議ではない時間だ。

「ええ、そういう時が危険なのです。ギャロッド殿も、どうか肝に銘じていてください」

 そこで突然自分の名を口にされ、ギャロッドは固唾を呑んだ。テキアの声は穏やかで優しいからこそ、得体の知れぬ威圧感を纏っている。

「はい、何でしょう。テキア殿」

「我々を狙っているのは魔物です」

「そう、ですね」

 テキアの淡々とした言葉に、じわりと背に汗が滲んだ。まだ何も指摘されていないというのに、自分の浅はかさが見透かされたような心地になる。

 ギャロッドはついシィラへと一瞥をくれた。彼女は先ほどと変わらぬ表情で、動じた様子もなくテキアの発言を待っている。

「彼らの力は、人間の常識の範囲を超えています。だから注意が必要なんです。彼らが護衛に紛れていないとは、誰も言い切れません」

 テキアがそう告げると、ゼジッテリカがあからさまに体を強張らせたのがわかった。ギャロッドの目からでも明らかだから、傍にいるテキアにも当然伝わっていることだろう。

 それでもテキアはこの話を止めるつもりがないようだった。一体どういうつもりなのか。

「そ、それは、当然そうですね」

「はい。この部屋にだって潜んでいるかもしれませんよ」

 一瞬ふわりと微笑んだテキアの意図は、ますますわからなくなった。冗談にしては質が悪いし、牽制にしては率直すぎだ。戸惑ったギャロッドは口元をゆがめる。

「つまり、その、テキア殿は、オレも疑っていると?」

 こうなっては、こちらもどちら着かずの返答をするしかない。これだけの護衛を集めて大丈夫なのかとひっそり案じてはいたが、テキアには見破れる自信でもあるのかもしれない。

「いえ、その可能性があるというだけです。彼らの能力については私たちもよく知りませんので。ですからいつの間にか入れ替わってしまった、ということも考えられるんです。だから気を付けてくださいと。ただそれだけです」

 流暢に告げながら、テキアは軽くゼジッテリカの背を押した。はっとしたゼジッテリカは、ぱたぱたとシィラのもとに走り寄る。ここに長居をすべきではないという合図だろうか。しかし今の忠告を考えれば、シィラの傍も安全とは言い難いはずだ。

「ならば、一番注意しなくてはいけないのは、直接護衛の方では?」

 ゼジッテリカを抱き留めたシィラを、ギャロッドは見遣った。魔物の立場から考えれば、一番確実なのは直接護衛に成りすますことだ。その機会を狙っていたとしても不思議ではない。

 ゼジッテリカがますます肩を縮ませたが、この流れでその指摘をしないのは不公平であろう。テキアがその可能性を考えていないとは思わないが、ここで口にしておくことには意味がある。それこそ牽制だ。

「私を疑っておいでですか? ギャロッドさん」

 テキアよりも先に、シィラ自身が口を開いた。破顔したまま一欠片も動じる素振り見せずに、彼女はギャロッドへと視線を向けてくる。深い黒い双眸からも、彼女の気からも、これといった負の感情は読み取れなかった。それがギャロッドにはいっそう恐ろしく感じられる。

「いえ、そういうわけでは。ただ狙う側の立場に立てば、あなたと入れ替わるのが最も確実で有効な手かと思いまして」

 ギャロッドが肩をすくめると、銀の防具が触れ合いかすかな音を立てた。

 他の誰にも知られていない技使いならば、本物と違った点があっても、どうとでも周囲を言いくるめられてしまう。そこがギャロッドたちと彼女の大きな違いだ。もっとも、ちょっとした顔見知り程度であれば、記憶違い勘違いですましてしまう可能性もあるが。

「確かにそうですね。ですが、もし既に私が魔物と入れ替わっているのであれば、もうリカ様の命はありませんよ。もちろん、あなた方のも」

 ゼジッテリカの頭を軽く撫で、シィラは頷いた。発言は不穏そのものだった。

 しかし彼女の指摘も当然のことだ。もし彼女が魔物であれば、テキアやゼジッテリカは無論のこと、この場でこんな話題を口にしたギャロッドも惨殺されていることだろう。

 それだけの力が、魔物にはある。あのアースのような者が例外なだけだ。

「それもそうですね。すみません、試すような発言をしまして」

 だからギャロッドはすぐに引き下がった。本気でシィラのことを疑っているわけではないし、できるならば疑いたくはない。魔物がこの屋敷のどこかにもう潜伏しているのならば、終わりも同然だ。

「いいえ、それくらいの方が頼もしいです。でもこの手の話は、リカ様の前では控えた方がいいかもしれませんね」

 するとくすりと笑い声を漏らしたシィラは、そのままゼジッテリカを抱え上げた。あっと言う間のことに、ゼジッテリカもぽかんとしていた。予想外だったのはテキアも同じらしく、珍しくも目を見開いているのが視界の隅に映る。

「ごめんなさいね、リカ様。怖い話をして。でも必要なことなんです。私たちはお互いのことを何も知りませんから、事実確認はしておかないと」

 よどみなく紡がれるシィラの声は、張り詰めていた室内の空気に別の色を与えた。ここに子どもがいたことを思い出させるような、それでいて現実の重さを突き付けるような、穏やかで芯の通った声だ。

 いや、声よりも彼女の気がそうさせるのかもしれない。これほど透き通った気の持ち主にギャロッドは会ったことがない。彼女が魔物だと信じたくない理由もそこにある。

「それではリカ様、部屋に戻りましょうか。それともそろそろお食事の時間ですか?」

「あ、えーっと、食事の時間かもしれないけど。できてるかどうかわからないから、確認しにいこう?」

 戸惑っていたゼジッテリカは、不安な表情を浮かべながらもシィラの首にしがみついた。ずいぶんと不思議な光景だ。ファミィール家の令嬢と護衛とは思えない。

「はい、わかりました。それではまず使用人の誰かに聞いてみましょう」

 微笑みを絶やさず答えるシィラは、護衛としては異質だった。小さな子どもを抱き上げることができるのは、防具一つ身につけていないからだ。よほど自分の技に自信がなければできないことだった。ちらりと見かけた光靱のバンもそうであったから、同じ部類の人間とも言える。

「それではテキア様、ギャロッドさん、これで失礼しますね」

「あ……はい。気をつけて。ゼジッテリカをお願いします」

 閉口していたテキアも、そこでようやく声を発した。いまだ呆気にとられた様子なのは、よほどシィラの言動が意外だったのだろう。

 先ほどゼジッテリカの頭を撫でたテキアの手つきを、ギャロッドは思い出す。どうもテキアは子どもの扱いには慣れていないようだ。子どもというのは子ども扱いされるのも嫌がるが、かといって理解できない話ばかりされるとむくれる、厄介な生き物でもある。

「それでは」

 颯爽と扉の向こうへ去って行くシィラの後ろ姿を見送り、ギャロッドはため息を飲み込んだ。故郷へ残した息子のことが、ちらと脳裏をよぎるのを止められなかった。

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