第2話 ファミィール家の護衛

「会議が長すぎるんだって」

 煌びやかな廊下を歩きながら、マラーヤは思わず悪態を吐いた。長々とした話し合いが終了したのは先ほどのことだ。

 屋敷内警備の副隊長になど選ばれてしまったがために、あんなくだらぬ会議にまで参加する羽目になった。自慢の赤毛を掻きむしりたくなるのはどうにか堪えて、彼女は大仰に嘆息する。

 前を行く若者の一人がちらと肩越しに振り返ったが、彼女はあえて無視した。会議に出ていた顔ぶれではないから、こちらより強いということもないだろう。直接文句をつけてこないなら、それまでの人間ということだ。彼女はブーツをわざとらしく鳴らしながら、手にした名簿へと目を落とす。

「くせ者揃いよねぇ」

 破格の依頼料につられて申し込んできた技使いは大勢いた。そんな血気盛んな者たちを実力試験というふるいにかけたあのテキアという男は、見かけによらず豪胆だ。星々を流れてさすらう技使いの中には、残忍な者もいるという噂なのに。

「まあ、お金もらえなきゃ損するだけだけどさ」

 もっとも、誰であれ金銭を必要としているのに変わりはない。魔物を相手取るような危険な任務もこなすならば、それ相応の武具も必要だ。そう考えると、つい腰からぶら下げた短剣に指先で触れたくなる。

 マラーヤがやっとの思いで手に入れたこの短剣は、何十回分の依頼料を一気に霧散させた。これでも魔物に効果のある武器の中では掘り出し物の方だった。そもそも扱っていない店も多い。

「ん?」

 そこでマラーヤはおもむろに足を止める。こちらへ視線を寄越していた先ほどの若者も、戸惑ったように立ち止まっていた。理由は明白で、その前方で何やら騒ぎが起きているからだ。いや、正確に言えばそれは粉かけだ。

「正気? こんなところで……」

 思わずうんざりとした声が出る。黒く長い髪を緩く結わえた華奢な女性に、鳶色の髪の男が何やら話しかけている様子だ。「ここは危ない」だの「使用人ではないようだけれど」だのと、しきりに口を動かしている。

「うるさい奴」

 マラーヤは舌打ちした。会議でのもどかしさに場違いな男への苛立ちが加わり、機嫌は最悪だった。大袈裟にため息を吐いた彼女は、ついでつかつかと足を進め出す。気の弱そうな先ほどの若者は、慌てたように脇へと退けた。

「ああ、私のような者が話しかけてはまずかったかな?」

 前方にいる二人は、マラーヤの方など見もしない。つと軽薄な男の手が、黒髪の女性の肩を掴んだ。言葉とは裏腹な態度に、女性は困惑している様子だ。

 この際、相手が誰であろうと、不満のぶつけどころとしては問題なかった。マラーヤはすっと息を吸う。

「そこのあんた」

 あえて低い声を発してみたが、それは予想していたよりも威圧的だった。びくりと体を震わせた軽薄な男が、こちらへと顔を向ける。

 手入れの行き届いた艶やかな髪に甘い顔立ちと、なかなかの美男子だ。その自覚があるらしく、彼の『気』には自信が満ち溢れていた。

「仕事中に女の子を口説いてどうするの」

 女性の正体がどうであれ、男が護衛の一人であることは間違いなかった。彼の気の強さは技使いのものだ。防具と長剣を身につけているところからしても間違いないだろう。

「え、いや、私は――」

「こんなところで何やってんだか。仕事中に色恋云々やってる奴は、あたし大嫌いでね」

「き、君の好き嫌いは聞いていない」

「うるさい。仕事の邪魔だって言ってるの。こんなことしてる場合じゃないでしょう? あんただって護衛なんだから」

 たじろぐ男に畳みかけてやれば、ばつが悪いと思ったのか、じりじりと後退っていった。そして小さく舌打ちすると、そそくさと立ち去る。少しだけ苛立ちが和らぐのを感じつつ、マラーヤは満足して首を縦に振った。

「うん、これでよし。すっきりしたー」

 腰に手を当てたマラーヤは、ちらと隣の女性を見遣った。あの男が声を掛けたくなるのもわかる、美しい女性だ。いや、少女と言っても差し支えないかもしれない。白い肌に黒い大きな瞳が目立つ、幼さを残す顔立ちだった。

 長身のマラーヤと比べるとずいぶんと背が低いように見えるし、防具の類も身につけていない。短剣をぶら下げてもいなかった。羽織った上着は戦闘でもあればあっさり汚れてしまいそうな白で、合わせの部分だけ黒く縁取りされている風変わりなものだ。どう考えても護衛には見えない。

 しかし使用人にしては妙だし、かといって客人にも見えなかった。ファミィール家を訪れるような高貴な女性であれば、まず間違いなくそれ相応のドレスを身に纏っていることだろう。

 要するに、彼女はこの場には似つかわしくなかった。

「ありがとうございます」

「いいって。ああいうの嫌いなだけだから。で、あんた、もしかして護衛?」

 だがマラーヤの中には確信があった。女性の気は、技使いのものだ。技使いにしか感じ取れぬ気と呼ばれる不思議な感覚は、個々人によって強さが違うし個性がある。また、そこには感情も反映される。今目の前にいる女性は、それ相応の強さの気を放っていた。

「はい、そうです」

「やっぱり」

 こくりと頷く女性を、マラーヤは半眼になって見つめる。こんな姿をしているが、あの実力試験をくぐり抜けたということはそれなりの強者なのだろう。女性を多く雇いたかったとテキアは言っていたから、それで合格したのかもしれないが。

「でもあんたも気をつけなよ。ああいうのはどこにでも湧いて出てくるもんだから」

「ご忠告ありがとうございます、マラーヤさん」

 にこりと女性は微笑んだ。同時にマラーヤは喉を引き攣らせた。ごく当たり前のようにさらりと口にされた自分の名に、鼓動が跳ねる。

「……え?」

「お名前、違いましたか? その名簿を持っていらっしゃるということは、役職付の方ですよね? 女性で役職付となると、屋敷内護衛の副隊長さんか、情報担当の方かなと思ったんですが」

 白くて細い指が、マラーヤの持つ紙を指し示す。この名簿が渡されているのは役職付の人間だけだ。その存在を知っているということは、彼女も役職付ということになる。情報担当はマラーヤの旧知の人間だったが、もう一人だけ、女性はいた。ゼジッテリカの直接護衛だ。

「ってことは……あんたが!?」

「すみません、名乗っていませんでしたね。私はシィラ。ゼジッテリカ様の直接護衛に選ばれた者です。ゼジッテリカ様にお会いするために、ちょっと身体検査がありまして。そのせいで会議に参加できませんでした」

 ふわりと顔をほころばせた女性――シィラを、マラーヤはまじまじと見つめた。何度確認してもとても戦えそうな容姿ではないが、直接護衛に選ばれているということは、女性の中では最も強い技使いということになる。

「し、身体検査なんてあるんだ……」

 狼狽からどうでもいいところに食いついてしまう。眉根を寄せたマラーヤは、首の後ろを掻いた。屋敷に入る前にも一通り検査されたが、そもそも護衛なのだから武器を取り上げるわけにもいかない。何のためなのかはマラーヤにもよくわからなかった。

「はい、念のため。ほら、毒針など仕込まれていては困るでしょう? この通り、私は武器など身につけていませんが」

 ふわふわとした微笑をたたえたまま、シィラは軽く両手を振った。突然恐ろしいことを口にする女性だと、マラーヤは閉口する。

 大体、人間であるマラーヤたちがファミィール家の人間を狙って何になるというのか。今や商業だけではなくあらゆる活動の中心に君臨しているような一家だ。彼らの財と権力が消え失せてしまえば、待っているのは混沌だった。ファミィール家に取って代わろうとしている者たちならともかく、雇われの身であるマラーヤたちには、何の得もない。

「怖いのは魔物だけではありませんしね。私は光靱《こうじん》のバンさんとは違って、名が通っているわけではないですし。念入りでした」

 ふむふむと相槌を打ったところで、マラーヤは首を捻った。光靱のバンという異名を知らぬ技使いはいないだろう。星々を渡っては難しい依頼をこなす、流れの技使いの一人だ。

「え……光靱のバン?」

「はい。ほら、テキア様の直接護衛に、バン=リョウ=サミーという方がいらっしゃるでしょう? 彼が噂の光靱のバンさんですよ」

 のほほんとした声音で、シィラはそう告げた。マラーヤはつい目を見開き、畳もうとしていた紙を食い入るように見つめた。確かに、その名はテキアの直接護衛として書かれている。彼も先ほどの会議は欠席だったが、もしや身体検査を受けていたのか。

「嘘でしょう!?」

 異名持ちの技使いまでも雇ってしまうのかと、マラーヤは息を呑んだ。ファミィール家はこの依頼に一体どれだけのお金を掛けているのか。――それだけ、今回の件を重く受け止めているのだろうか。

「本人らしいですよ。テキア様から聞きました。私たちも、彼の足を引っ張らないよう気をつけないといけませんね」

 先ほどと変わらぬ笑顔でシィラは続ける。光靱のバンがこの屋敷にいるのならば、もう事件は解決したも同然ではないかと思えてきた。なるほど、それを知っているならば、話し合いに熱が入らなくなるのも当然だ。

「なーんだ、気合い入れて損した感じ」

「あら、マラーヤさんは呑気ですね。相手は魔物ですよ? 油断すれば何があるかわかりません。彼らは、人間とは違う生き物なんですから」

 手をひらひらと振るマラーヤへと、今度はシィラが忠告してくる。生真面目な優等生らしい言葉だ。マラーヤは肩を落として右の口の端を上げた。

「はいはい、ご立派なことで」

「それに護衛だってどんな人がいるのかわかりません。このファミィール家を恨んでいる人間もいるでしょうし、そういった人たちに依頼された技使いがいてもおかしくはないです。警戒する相手が魔物だけとは限りませんよ?」

 話を切り上げようとしたところで、シィラはさらりと恐ろしいことを口にした。再びマラーヤの鼓動は跳ねる。その可能性は考えていなかった。確かに、この混乱に乗じて暗殺を企てる商売敵がいても不思議はない。

「……それって、あんたかもしれないって話よね」

「ええ、そうです。だからこその身体検査なんでしょう。隅々まで調べられましたからね。まあ、害意があるかどうかは、テキア様には気でわかってしまいますが」

 まるで世間話でもするようにころころと笑うシィラが、なんだか恐ろしい人間のように見えてきた。どっと疲れを覚えたマラーヤは長く息を吐く。やはりこの女性もくせ者だ。それ相応の実力者の性格がまっとうであるはずがなかった。

「それではマラーヤさん、私はこれで。この後ゼジッテリカ様の部屋に行かなければいけないので」

「――マラン」

 背を向けかけたシィラへと、慌ててマラーヤは声を掛けた。呼び止める理由は何でもよかったが、咄嗟に出たのがその一言だった。

 肩越しに振り返ったシィラはぱちりと大きく瞬きをする。何を言われたのかわからなかったのだろう。実のところ、マラーヤ自身も戸惑っていた。おそらく口癖のようなものだったせいだ。

「マランって呼んで。あたしはその方が好きなの」

 会話を長引かせ、意表を突く言葉で相手の反応や気を探る。流れの技使いならば誰もが身につけている術だ。気には多くの情報が含まれている。これを偽ることだけは不可能だと言われていた。

「そうですか。わかりました、よろしくお願いしますねマランさん」

 一瞬きょとりと目を丸くしてから、シィラはまた破顔した。その声にも気にも、特段怪しいところは見受けられなかった。シィラの気はまるで透き通るように真っ直ぐで、濁りがない。悪意を持って誰かに接する時の気ではなかった。

「あ、うん。よろしく」

 つい腰の短剣に指先で触れつつ、マラーヤは頷いた。気苦労の多い日々が始まろうとしていることに、この時ようやく彼女は気がついた。

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