第13話

「俺は女の子としては他人にうらやましがられる存在だった。ブロンドの長い髪は母親がトリートメントに気を使って、カーリーにしているのに枝毛が一本もなく、自分でもうっとりするような自慢のものだった。フリフリのついたピンクのワンピースを着せられるとまるでフランス人形のようだった。でも、心の中に何か壁のようなものをいつも感じていた。それが何なのかなかなかわからず、俺は親の言うなり、するなりに従順にするしかなかった。中学に進学した時、回りの女子たちは思春期を迎え、男性アイドルや、サッカーで活躍している先輩の話でいつも持ちきりだった。俺はそんな輪の中に加わることができず、悶々としていた。ある時、ひとりの男子から手紙をもらった。ラブレターってヤツだな。俺の美少女レベルは群を抜いていたので、これは当然のことだった。そこには『君のことが好きです。』と一言しかなかった。俺はそいつのことに恋愛感情などなかったが、逆にどうしてそいつが俺のことを好きなんだろうということを考えてみた。『好き』とは何か?男子と女子が二次性徴を迎え、からだつきや容姿、声が大きく変化している。自分と違うものへの憧れということなのか?それはすべて表面に出ているものだ。確かに食べ物や音楽、絵画などすべて目に見えたり、聞えたり、味わったりして好みが発生している。五感ってやつだな。その感覚が研ぎ澄まされてくるのが思春期なんだろうか?そういう考えになってきた。でも親、兄弟への愛情というものも『好き』という感情に属するぞ。これはいったいなんだろう?別に血のつながった親族に対しては、ルックスなんて関係ない。母親がキレーであれば父兄参観日に自慢ができる程度の話だ。これは内面、心の問題だ。生まれた時から親の愛情で育てられた。親が自分のことを愛するからこそ、俺も親に応えている。相手が自分を愛しているからこそ、自分も同じように思うもの。しかし片思いといのもある。これはどう解釈すべきなのか。心を好きになるというのはどういうことだ。俺はわからなくなった。俺には好きな人がいるのか。あるいは好きな人が必要なのか。それが理解できなかった。こうしてその男子からの告白を受け入れしなかった俺。しばらくして、また手紙が来た。女子からだった。隣の席に座っている娘。いつも俺に親切にしてくれていた。今度はなんとなく安心できた。安心だと?気持ちが安らいでいるというわけだ。俺は女子だ。女子のからだや顔を見てときめくことはないはず。でもなんだか感情が高ぶっている。いままでは何とも思っていなかったのに、相手からのアクションがあって初めて感じた何か。その女子と一緒にいたいと思ってしまう。もっと深く知りたいと考えてしまう。女なのに、女の子を想う。これが恋なのか。その時俺は自分が男だと認識してしまった。いや、もともと男だったことにようやく気付いたのだ。そし長い髪もバッサリ切った。」

((そういうことどすか。それでどうしてジバクになったんどす?))

「俺は自分が男だと思ってからは心のもやもやが晴れた。一応思春期だ。恋をした。」

((さっきの女子どすな。))

「その通り。その娘がくれた手紙には交際したいとかではなく、『友達』になりたいということが書かれてあった。俺はショックだった。だが、そんなことをその娘に言うことはなかった。とりあえず、普通の女の子同士で付きあって、何かチャンスがあれば自分の気持ちを伝えようと心に決めた。そしてしばらく『友達』としてつきあった。これはこれで楽しかった。それまで俺には友達らしい友達はいなかったからな。その娘のそれは同じだったようだ。そういうつきあいが深まれば深まるほど、俺は恋と友情のジレンマに悩ませられることになった。だんだんその娘のことが欲しいと思うようになってきた。いよいよ告白するしかないというところまで追い込まれてしまった。そして自分の腹を決めたその日に事件が起こった。橋の向こうで待ってもらうことになった。突然地震が発生し、橋が落ちた。待ち合わせの場所に俺が到着することはなかった。」

((その娘のことが気がかりでジバクになりはったということどすか。))

「そうだな。つまらない人生だったが、これからというところだったが。」

((つまらないという意味ではうちも同じどす。))

「どういうことだ?」

((うちの実家は紅葉院企業グループどす。))

「なんだと?あの有名な仏壇仏具メーカーの?」

((そうどす。))

「すげえ、お嬢様じゃないか。」

((そんなことないどす。実家には兄たちがいて、うちはおまけの娘でしたどす。欲しいものに不足はなかった。))

「それだけで十分だろう。」

((でもそんなことないどす。人としての満足はモノじゃないんどす。心どす。))

「そうではない。やはりからだも必要だ。からだと心は一体だ。だから俺は性転換手術を受けようと真剣に悩んでそうしようと思っていたところで死んでしまった。」

((そんな部分だけ変えても仕方ないどす。人間はすべてが揃って初めて人間となれるんどす。よくその胸に手を当てて考えてみるどす。その胸は男子にはありまへんえ。))

「そ、そんなことはわかってる。じゃ、じゃまなだけだ。」

((本当にそう思ってるんどすか。それがなくなれば女じゃなくなるんどす?人間ってそんな簡単なものどす?))

「そうだよ。胸がなくなればもはや男だ。」

((でも、男の子にはアレがあるどす。))

「な、なんだアレって?」

((それを言わせるんどす?))

「い、いや。アレはアレ。ソレはソレ。コレはコレ。」

((どれどす?))

「ええい!みなまで言わすな!」

((そこどす!))

「はあ?」

((言えないことこそ、倉井はんが女である証拠どす。))

「それは違う。放送禁止用語だからだ。」

((そういうことを言ってるんではないどす。つまり、乙女としての恥じらいがあるということどす。))

「お、乙女?この俺のどこが?」

((全部どす。))

「わからねえ。」

((それは倉井はんが乙女だからどす。))

「だからそうでないと言ってるだろう。」

((それが乙女。男だったら、何にも反応しないどす。当たり前のことには反応しない。それが男どす。今のやりとり、すべて倉井はんは何らかのアクションがありました。それは心が女だからどす。心は健全な肉体に宿るもの。からだは文句なしに女どす。うちの生徒会の由○はんに比べたらはるかに女どすえ。))

「ちょ、ちょっと待ってよ。どうしてあたしがそこに登場するのよ。今はあたしの方が豊満なんだけど。」

((あれ?失礼しましたどす。こんな妖怪ぬりかべのからだで失礼したどす。))

「待ってよ。そのナイスバディのどこかぬりかべ?なのよ。高尾山も真っ青な急峻な起伏の流線型になにを言うのよ。」

 さっきはチョモランマとか言っていた由梨。東京都の山じゃ大幅にスケールダウンしている。

「おい、あいつはなぜ動かないんだ。ってか、眠っているのか。」

 倉井は都に気付いたのだ。

((あの子は日乃本都はんどす。この生徒会会長にして、閻魔大王光後継者候補見習いどす。))

「生徒会長?そんな風情は感じられない。それに閻魔大王後継者候補見習いだと?変なヤツがいるものだな。でもルックスはお前たちよりずっといいように見えるぞ。あっ、これは男目線だからな。おいしそうだな。ジュル。」

 倉井は自分の本性の赴くままのようだ。すっかり目を細めて都を見つめている。

((倉井はん、間違うてはいけまへん。その子はあんたはんの嫌いな男子どす。))

「な、なんだと!それは本当か。」

 倉井は血相を変えて、絵里華の胸倉をつかみかかった。

((ゴホッ、ゴホッ、手を放してくれまへんか。苦しうおます。))

 苦しいのは本体だが、語るのはあくまでアルテミス。

 絵里華はやっとのことで、倉井の手を振りほどいた。

「おい、紅葉院。あいつを俺にしょ、しょうかィ・・・。」

((えっ。今何と言いはりました?))

「しょうかい・・・」

 強気な倉井が口ごもる。

((もう一度はっきりと話してくれまへんか。))

「ええい。じれったい。紹介してくれってんだよ。紹介、紹介、紹介。何度でも言うぜ。」

((いきなりどうしたんどす?))

「鈍い女だな。俺はアイツに惚れてしまったんだよ。」

「「「「ええええええええええええ~!!!!!!!!!!!!!」」」」

 四人が一斉に両手をほほに当てて絶叫。目は垂直。

「あいつは俺の仲間だ。外見は女、それもとびっきりの美少女。これぞ、自分が求めていた人。惚れた。」

「「「「ほ、ほ、ほ、ホレたああああああ~!!!!!!!!」」」」

 頬に手のひらを当てて、眼はベクトルマークを継続する四人。

 倉井はビューと音を立てて、疾風のごとく、オレへダッシュ。

「俺とつきあってくれ!」

「・・・。」

 オレは無反応。

「おい、なんとか言ってくれ。」

「・・・。」

「ダメなのか?」

「・・・。」

「ダメだから黙ってるのか?」

「・・・。」

「そうなのか?」

「・・・。」

 倉井は肩を落として、大きく息を吐いた。

((諦めはったんどすな。))

 絵里華は心なしか、笑みを浮かべたように見えた。他の3人も同様のようだ。

「ならばこうしてくれる!」

 倉井は背筋を伸ばして、反り返るようなポーズを取ったかと思うと、顔を前に突き出してきた。

『チュパー!チュパー!チュパー!』

 倉井はいきなりオレに喰らいついた、いや濃厚キスの三連発!

「「「「ぎゃあああああ!!!!!」」」」

 四人は再び絶叫。さきほどよりもはるかに高音がプールの水を波立てた。

 倉井がオレに飛びついたのはプールサイド。オレは目を閉じたまま、からだはクラゲのようにあてどなくふらふらしていたので、いつの間にか、そのような場所に移動していたのだ。

『ザバーン!』

 長年連れ添った奥さんに離婚宣告をされた中年サラリーマンが崖から飛び降りるように、オレはひとりプールに転落した。ひとりで落ちたのは、倉井がすでにこの世界から消滅してしたからである。オレはブクブクと泡を立てながら力なく水底に沈んでいく。

((都はん!))

 いちばん近くにいた絵里華がまっさきにプールに飛び込んだ。絵里華は幼い頃から水泳も習っていたので、泳ぎは達者である。すぐにオレに到達し、首のあたりを掴んで、水面に引きあげた。

((都はん、頑張って。しっかりしいや。))

 絵里華は喋ることはできないが、心の中で唱えては、倒れているオレを元気づけていた。

 溺れた人間はひどく重く感じるものであるが、絵里華は見た目以上にパワーがあり、ズダ袋を運ぶように、なんとかプールサイドまで都を引っ張っていった。

「よし、こっちだ。」

 美緒が絵里華から都を引き継いで、カジキマグロを引き上げるように、オレを水揚げした。

「大丈夫か、都!」

「都、このセレブが手当をしてあげるんだから感謝しなさいよ。」

「都たん、都たん、都たん。」

 都はぐったりしている。

「これは人工呼吸しかないな。」

((それならうちが。))

「こんな役回りはセレブしかできないわ。」

「まっほが守ってやるの。」

 三人が我さきにと争いを始めた。井戸端会議のようである。

「その必要はない。」

 会議中止を宣言した美緒。

「「「どうして?」」」

「都はすでに死んでいる。」


 生徒会室に戻った4人はオレを真ん中に寝かせて、取り囲んでいる。視線はいずれもオレの顔に向けられている。オレはすっかり血の気を失っている。

 美緒は窓の外に視線を移す。まだ夜は明けておらず、星が見える。

「都が死んだってどういうことなの?水に入ってから時間は少ししか経過してないわよ。」

 絵里華のからだから元に戻った由梨が口を尖らせて、美緒に詰問している。両手をわなわなと震わせながら。

 美緒はホワイトボードの前に立った。ペンを手に持っている。ボードに『肉体』と『魂』と大きく綺麗な文字で書いた。

「それなんだが、肉体的にどうこうというのではない。都はプールで溺死したように見えるが、本来それはあり得ないことだ。」

「そうでしょ。でも今までは夢遊病者のように動いてたのに、つついてもまったく反応がなくなってしまったのも事実だわ。不思議。」

 オレが死んだというのに、どことなく緊張感に欠ける話ぶりの由梨。強がりを見せているようだ。

「この神が思うに、都は、今までは意識がない状態だったが、からだは活動していた。だが今は魂が動かなくなったように見える。つまり『魂の死』だ。」

「『魂の死』?じゃあ、都は本当に死んだっていうこと?」

「フフフ。そういうことになりますね。」

「李茶土!たまにしか登場しない、脇役執事だわ!」

「由梨さん。これはご挨拶ですね。まあいいでしょう。脇役かどうかは別にして、出番が少ないのは事実ですから。ハハハ。」

「いきなりここに出てきたということは諸事情は一切把握しているということだな。李茶土。」

「その通りでございますよ。神代生徒副会長。」

「いちいち苗字をつけなくてよい。生徒副会長は唯一無二だ。」

 会長はひとりだが、副会長は複数いる場合もあるが。

「それは失礼致しました。それでは事態をどうするか、お話致しましょう。クランケは確かに死んでいます。」

「クランケって、何?まっほは知らないよ。」

「ドイツ語で患者という意味です。言うまでもなく都さんのことです。クランケはジバクに溢れたプールに浸かることで、魂がカオス状態になったと推測されます。つまり、たくさんの害意あるジバクに魂がずたずたに引き裂かれてしまったのです。通常の状態であれば、みなさんと同じように、そういうジバクに対しては魂のガードをごく自然に行っているのですが、いかんせん無意識ですので、ガードの施しようがなく、無防備なところを攻撃されてしまったようです。」

「ということは都は元に戻らないということ?」

 由梨の顔から色が失われていく。

「残念ながら、そういうことになります。」

((都はんは本当に死にはりましたんやろか。))

「都たんが死んだ。」

「都。・・・。」

 生徒会メンバーが声を失い、生徒会室は深夜の静寂に包まれた。四人とも俯いて何も放そうとしない。人間界でのお通夜と言えば、静かそうに思われるが、実際は久しぶりに集まった親族たちが故人を偲びつつも、酒を飲みながらわいわいがやがや過ごすことが通例である。いわば親族の同窓会でもある。しかし、この四人は本当に一言も喋らず、これぞ真のお通夜状態である。

「う、う、う。うああああ~。」

 背伸びをするオレ。

「あれっ?みんなどうしたんだ。」

「・・・都!」

((都はん!))

「・・・生きてたんだ都!」

「良かった、都たん!」

 四人が一斉にオレに抱きついてきた。

「ど、どうしたんですか?」

「さあな、この神にもよくわからん。とにかく復活して良かった。」

((はらはらはら。都はん。))

「グスン、グスン。都。あら、目から汗ができたわ。この部屋暑いのよ。」

「ぶわわわ。都たん。生きかえったんだね。」

 四人に抱きつかれて重たい都であった。とりあえず四人を引き剥がしつつ、李茶土に質問した。

「みんなの反応からするとオレは死んでたのか?」

「その通りにございます。死んだと言うか、無意識時間と完全停止時間とに分けられますけどね。」

 にこやかに回答する執事。

「事情がさっぱりわからない。キチンと説明してくれ。」

 李茶土が執事らしく、順序立て、かつ論理的にこれまでの経緯を話して聞かせた。

「なるほど、そんなことがあったんだ。だが、肝心の点がわかりかねる。」

「それは、どうして都さんが助かったのか、ということですよね?」

「そうだ。それはいったいどんなマジックがあるんだ。」

「別にマジックということではありません。ある意味当然の帰結であると思いますよ。」

「それはどういうことなのだ?」

 美緒がツッコンできた。本来ツッコミはオレの担当だが。美緒のお面には『疑問』の二文字が点滅している。かなり強い疑惑のようだ。

「あ~あ。」

 李茶土は意味不明の言葉を発した。

『ガシャ!』美緒が薙刀を抜いた。

「この神を愚弄するとはいい度胸だな。李茶土よ。」

 お面が瞬時に薙刀に変わっている。美緒はすっかりいつもの様子に戻っている。

「こ、これは生徒会副会長らしからぬ感情的な行動ですね。その物騒なものを下げていただけますか。」

「李茶土。お主がこのようなことをさせたのだ。本当ならこの場で成敗してくれるところだ。」

「そこまで言われるならば申し上げましょう。この根本的な原因は美緒さんのミスによるものだからです。」

「なんと!どういうことだ。」

「嘘つき少女逮捕の時に、少女を霊界への収監に成功しましたが、もうひとつの魂を逃してしまいましたよね。それはあなたの失敗です。」

「うむ。それは否定できない。」

「その逃れた魂、隼人さんって言いましたか。それが都さんに侵入して以後都さんは意識を喪失しました。」

「そうだ。」

「そのまま今日を迎えて、さきほどの溺死事故が惹起されました。」

「たしかに。」

「その後、都さんは無事に復活した。なぜか?」

「「「「なぜか?」」」」

 一斉に質問。

「魂が死んだのは『隼人さん』の方だったからです。」

「「「「なに~!!!!」」」」

「というわけで良かったですね、都さん。」

「はあ。何かよくわからないが。みんなが喜ぶならそれでいいんだが。」

 狐につままれた表情のオレ。回りは大騒ぎになっている。

「何が何だか。とにかく良かったわね。」

 由梨が軽く笑顔を作り、目を伏せたまま、オレの肩を叩いた。『ズルッ』。由梨の身長からはオレの肩は東京スカイツリーのようなものではあるが。

「あれっ?どうしたのかな。このセレブの労いを避けようとするのは千年早いわよ。都、肩を下げなさい。」

 都からは何の反応もない。

「何をやってるのよ。セレブに時間を待たせるなんて、言語道断、今後淘汰よ。」

「おい、由梨よ。いったい何をしているんだ。それに頭のソレはなんだ。」

 美緒が小首をかしげながら、由梨を見ている。

「えっ、どういうこと?今セレブとして都の肩をなでなでしようとしてただけよ。それと頭のソレって?」

 由梨は自分の頭を触る。異物感。カチューシャなのか?毛皮作りで、両サイドに三角の小さな山がある。

「由梨たん、萌え~。」

 万步が由梨を抱えるようにして、顔をスリスリしている。

((ネコミミどすな。))

 絵里華が単刀直入に説明した。

「うむ。都の全身が消滅した。代わりに由梨の頭上に鎮座した。どうやら都はネコミミに変身したらしい。」

 美緒が結論を下した。

「「「「はああああ~???」」」

 またも難題に遭遇してしまった。

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