第3話

休憩時間には予想通り、クラスメイトからの質問の嵐に遭った由梨だったが、美少女カウンターについては、眼鏡の一種で、セレブ専用の特別なモノクルとの説明で通したようだ。それにしても、由梨のいう『セレブ』とはいったい。

 オレは未回答の、素朴かつ最も追及すべき再質問をした。

「どうして学校に来たんだ?」

「た、単に来たかっただけよ。」

「そうか。」

 会話終了。この日のコミュニケーションはこれにて完了。

 ただし、コトは夜になって始まった。由梨=死者というフレーズからは当然か。

 下校はオレひとり。家にはリアル女の子のからだで過ごしたが、これはオレの日常であるので、なんら違和感はなく受容された。あとはベッドに桃羅が入ってきた時にどんな展開になるかが気になるところだが、今から考えても仕方ないので、その時を待つしかないという結論に至った。家出するわけにはいかないからな。

部屋に戻り、夜8時になった。再び大林幸子、もとい、閻魔女王が現われた。

「学校へ行け。」

 命令はシンプル。理由説明もない。しかし相手は女王、こちらはしがない候補者見習い。その立場からは命令を受けるしかない。サラリーマン社会の縮図である。将来が思いやられる。上司に絶対服従のサラリーマンなんかにはならないぞ。ならば閻魔大王にでもなった方が楽かな。動機が不純になってきた。呪いを解くのが本来の目的だ。

 校門に来た。当然鍵がかかっているので、中には入れない。

「このセレブを待たせるなんて、100万年早いわね。」

 由梨がいた。黄色の水着姿。左目カウンターが装着されてるのは言うまでもない。

「かわいい。」

 思わず口走ってしまった。昨日よりもしっかりと目視してしまった。

「な、何言ってるのよ。恥ずかしいじゃない。あんまり見ないでよ。」

 からだをよじっている。軟体動物か。

「それが正装じゃないのか。」

「そんなことないわ。これは戦闘用なのよ。」

 たしかに、昨日釣りあげた時は白いワンピースだった。それはそれで十分なる美少女だった。

「今の感想、口に出して言ってよ。」

「はあ?なんのことだ。白いワンピース?」

「その次よ。」

「だった?」

「あと少し。」

「それはそれで?」

「じ、じれったいわね。」

「てことは、十分なる?」

「そこよ。その次の言葉はっ!」

「・・・忘れた。ゴメン。」

「バカ~!!!」

 これで心の交流はできたかな。

「どうやって、学校に入るんだ。校門も、校舎入り口も頑強な鍵に閉ざされているぞ。小遣いをネダるオレに対する親の財布状態だぞ。」

「そんな財布はセレブからすると、空気中のチリだわ。」

 うん、正解。オレは貧乏であることを痛感させられた。

「こうすれば簡単よ。」

 由梨は水着の胸の部分を外した。

「ちょ、ちょっと、心の準備がぁ~!」

 いきなりの過激行動に大当惑のオレ。

「鍵よ。夕方にちょろまかしてきたのよ。」

 由梨は胸から鍵を取り出したのだ。

「なんだ。がっくり。」

「あら、どうしたのかしら。」

「ちょろまかしてきたって、セレブには似つかわしくない言葉だぞ。」

『がっくり』ということを追及されないように会話運用。

「時と場合によるのよ。『セレブは目的達成のためには治外法権』という慣用句があるわよね。」

 そんな慣用句聞いたことないけど。ていうか、『辞書に文字はない』とかいう表現が適切ではないのか。そんなことより、ひとつ由梨に尋ねておかねばならないことが。

「どうして学校に行かなきゃならないんだ、それもこんな時間に。」

「さあ、どうかしらね。アタシもあのババアに言われてきただけだから。」

 いきなり、ババアとは!とても清楚なセレブとは思えない。

 オレたちは夜の学校に侵入することになった。説明するまでもないが、どこの学校にも『夜の怪奇伝説』が存在する。この春学にもやはりあるらしい。オレはオカルト系には興味がないので、詳しいことは知らないが、『春学七不思議』とか『苦不思議』『十三不思議』とか諸説あって、中国の戦国時代みたく百家争鳴状態にあるらしい。どうでもいいが。

 さすがに夜の学校が不気味であることは否定できない。オレは特段怖がりではないが、さすがにいい気持ちではない。すでに、腰のあたりを引っ張る感覚が。言い忘れたが、オレは制服を着ているので、スカート着用。ご多分にもれず、長さは短いので、引っ張られると激ヤバな状態になる。

「誰だ、やめろ。どこの化け物だ!」

 由梨だった。子泣きジジイのようにオレの腰にしがみついている。すでに泣いていた。

「だってお化けこわいんだもん。じゃない、こ、こわくなんかないんだからねっ。」

「あなたって、使者・死者じゃなかったんでしょうか?」

 由梨はオレのやさしい?言葉を無視して、いや耳に入らなかったのようで、故障寸前の洗濯機のようにブルブル振動している。本当に怖いのか?

「仕方ないな。その位置では歩くのに困るよ。とにかく横に来いよ。手を繋いだら少しは安心できるだろう。」

「しょ、しょうがないわね。どうしても手を繋いでほしいと泣いて頼まれたらセレブとしてはボランティアせざるを得ないわね。」

 と言うや否や由梨はすでにオレの右腕にしがみついていた。校舎の玄関から左手に折れて、目的地である美術室に足を向ける。50メートルほど歩くと階段がある。その少し手前までゆるゆると歩いてきた。

『バターン』!突然、大きな音がした。

「うわあ!」「きゃあああ~!」

 オレと由梨は同時に悲鳴を上げた。

「いったいなにが起こったんだ?」

「で、出たのよ、オバオバオバ」

「おば?」

「オバサンが。」

 辺りを見回すが何もない。存在感ゼロ。無論、オバサンなどどこにも見当たらない。

「はは~ん。これか。」

「な、なによ。わ、わかったの?やっぱりオバサンでしょ?」

「んなわけないだろ。よく見ろ。これは自動ドアだよ。」

 教室表示板を見上げる。『保健室出張所』とある。出張所だと?じゃあ、保健室本社はどこだ。それに保健室って自動ドアだっけ?学校にそんな近代兵器が存在するとは恐れ入る。確かに、急患などが来た場合にドアを手で開けなくて済むように設計されているのだろうか。

「あ。ほんとだ。じゃない、そうだと思ってたのよ。あ~こわくなかった。フンだ。」

 胸を張る由梨。いや、張ってはいなかった。幻想だった。

「何、余計なこと言ってるのよ。この海のように豊かな胸に向かって・・・。」

 言葉が途切れた。

「おい、どうした。」

「ちょっと、腰が。」

「腰がどうした。」

 オレは手を貸して、なんとか由梨を立ち上がらせた。しかし、再び落城しそうになる。すると、中腰姿勢のままで、由梨は両手を前に伸ばした。

「なんだ?前に習えか?今は体育の時間じゃないぞ。」

「セレブはそんなに歩くことがないから、足がすぐに疲れるのよ。それに赤い絨毯が敷き詰められたところしか歩かないんだから、こんな硬い廊下はダメなのよ。ほらっ。」

 前に突き出した両腕を軽く揺する由梨。老人がやる『前にならえ』状態。

「何がしたいんだ。じゃあないな。何をして欲しいんだ。」

「ほんとバッカねえ。わからないの?セレブに同じことを何度も言わせないでよね。」

「ま、まさか、『お』のつくあれか?」

「そ、そうよ。鈍い頭でもようやくたどり着いたわね。」

「オンブズマン制度。」

「殺されたいらしいわね。」

「オンブズマン制度は大事だぞ。これであるからこそ、一般大衆はあこぎな行政に鉄槌を喰わせることができるんだぞ。」

「そ。よくわかってるじゃない。じゃあ、乗るね。」

『どっこいしょ』。由梨はオレの背中に貼り着いた。由梨は小柄なので、亀の甲羅状態。ある意味、(一応精神は)男子にとって、女子を背負うなど、憧れの極みである。だが、オレの背中の感触はまさに亀の腹であった。

『ボカボカボカボカ』。オレの頭はドラムになったらしい。

 ここで、例の不等式を修正しなければならない。

閻魔大王ⅤオレⅤ桃羅Ⅴ由梨(それもダントツ最下位)

『バキューン』。オレは首に凶悪な銃弾を受けて殉死した?

とにかく、由梨を背負ったオレは文字通り『おんぶズマン』になってしまった。

 

 この状態で、階段を上るのはさすがにきつかった。『ぜえぜえ』と息をきらしながら、ようやく真っ暗の美術室に到着した。力石ト○ルに敗れたジョーのように、両手を床につけたオレ。

「何よ、日頃の鍛え方が足りないからこうなるのよ。だらしないわね。」

 労いの言葉もないことがひどく悲しかったが、それよりも疲れ方がひどいことに大いなる違和感を覚えた。こんなに疲労するのはおかしい。そしてその原因に気がついた。これこそ、女の子のからだなんだ。か弱い少女になって、初めて女の子というものを理解した。そう思考を進める過程で、由梨の『おんぶズマン』になったことは間違っていないという結論に至った。女の子はいたわらなければならない、少々性格が某メジャーリーガーばりのスライダーであったとしても。

「やっと目的地に着いたな。さあ、これからどうすればいいんだ。」

 疲れたからだを少し休めたいと思いながら、由梨に問いかけた。

「この絵、すごくきれいだわ。」

 由梨はオレの言葉をスルー。それどころか、視線は壁にかけてある絵に向かっていた。

「これも、これも、あれも。みんなすごくいい絵だらけだわ。」

「お前、絵のことわかるのか。」

 そう言いながら、オレは絵がひどく不自然に感じられた。どうしてだろう。確かにひとつひとつはいい絵だ。美術室に飾られるくらいの代物だ。仮にここの生徒が描いたものであったとしても、優秀な作品であるには違いあるまい。人物画、静物画、風景画、抽象画など多数ある。しかし、その絵にある共通項があることに気付いてしまった。それが不自然なのである。

「ほんと、どの絵も超ウルトラスーパーセレブが描かれているわ。」

 そう。すべての絵に由梨が登場している。人物画は由梨そのもの、静物画ではリンゴの真ん中は由梨の顔、風景画では雲が由梨の頭の形、抽象画に至っては、何が描かれてるか素人にはわかりづらいがドットで由梨の顔が逆さまに描かれている。しかも、何だかその絵軍団から聞えてくる。

『べ、ベツニミテホシイッテワケジャナインダカラネッ!』

 由梨にはどう聞こえているのかわからない。本人はひたすら『美の極致だわ』とぶつぶつとお経のように唱えている。

「これってヤバくないか?」

 さすがにオレも不安になって由梨に尋ねた。

「えっ?なんのこと?これのどこがヤバいのよ?」

「で、でもすべての絵がお前になってるぞ。」

「何、わけのわからないこと言ってるのよ。頭、豆腐の角にでもぶつけたの?どこが変なのよ。」

 そう言われて、改めて絵を見た。由梨はどこにも描かれていなかった。よく考えてみれば、由梨は今日初めてこの春学に来たのだから、彼女を描いた絵があろうはずもない。どうやら、おんぶズマンになって、勤続疲労が出たらしい。落ち着こう。

「み、水をくれ。」

 とりあえず、人間として最低限の要求をしてみた。ここは美術室だ。飲料水はないだろうし、由梨が気を利かせてすでにどこからか汲んできてくれているなどということは、地軸が逆転するくらいないだろうと思いながらの発言である。

「ほら、どうぞ。べ、別にあんたのために用意してたんじゃないんだからねっ。」

「えっ。」

 差しだされたペットボトルに思わず言葉を失ったオレ。授業で先生に当てられて、いつもわかっているのに解答を飲み込んでしまう?癖がついている(強気)。マジか?マジカルか?目を擦ってみる。

「何してんのよ。早くとりなさいよ。」

「あ、ありがとう。」

 砂漠にオアシスとはこのことだ。でも何か違う。由梨は水着だったはず。こんなものを入れる場所はなかった。あとは魔法でもつかわないと。それはアリだ。しかし、そんな疑問は下らないことだとすぐにわかった。

「ちょ、ちょっと、都。誰と話してるの。」

 ついに、名前で呼んでくれた。と喜んでる場合ではない。オレに水をくれた相手は人間ではなかった。もっとも、由梨も人間ではないが。そいつは、無機物だった。という説明では意味不明だろう。簡単に言えば、ビーナスの彫像。美術室では定番だろう。白い石膏像だ。顔は由梨だが、ボディはビーナス。由梨、喜べ。ナイスバディを神がくれたぞ。

『ベシッ』。本物の由梨からの軽い攻撃。すでにユーホーキャッチャーはなく、剣になっていて、その柄の部分でオレの後頭部を打撃。

「刃の方じゃないだけ喜びなさいよ。」

 由梨の話を聞いているどころじゃない。

 そもそもビーナス像には両手、両足がないはず。だが、こいつにはあった。要は化け物だ。顔は由梨、両手、両足は軟体動物という実に不気味な姿を晒している。

『シャアアアア』。奇妙な声をあげて、こちらに近づいてくる。由梨顔がだんだん怒りに満ちてくる。いやそうではない。変貌しているのだ。目は鋭く斜めに切れあがり、瞳は縦に細くなっている。口は大きく広がっていき、その中から何やら細く赤いひも状のものが出てきている。髪はごわごわと膨れ上がり、しかもその毛はホースのように太くなり、先端が膨張したかと思うと、先がぱっくり割れた。そこからも口元と同じように、紅の細長い何かが波打っている。つまり、顔と髪の毛がトカゲ目ヘビ亜目。いわゆるメデューサだ。

「きゃあああああああ~!」

 由梨は恐怖に耐えかねて、悲鳴を上げた。顔を梅干しのように顰めて、両手で頭を押さえている。

「おい、大丈夫か。」

「だ、大丈夫じゃないわ。今激しく交戦準備中。手出しは無用なんだからねっ。か、からだが動かないわ。もう敵を追い詰めたわ。」

 うずくまっても声だけは出している由梨。文脈は乱れている。戦闘不能だ。これはオレが闘うしかない。しかし、武器はない。とりあえず、由梨の剣を強奪し、メデューサに向かっていく。胴体は固そうなので、頭部を狙う。右から剣を振り降ろす。髪の毛になっている蛇がぱらぱらと落ちる。

「やったか?」

 思わず声を上げるオレ。しかし、蛇はすぐに復活して元に戻る。トカゲのしっぽのようなものらしい。これはやっかいだ。メデューサは胴体が固いので動きはぎこちない。しかも何も喋らない。だが、両腕を肩より上にして前に突き出し、からだを左右に揺らしながら、オレたちの方に近づいてくる。これではまさに蛇に睨まれたカエル状態だ。なんとかしなければと思うが、こんな経験がまったくないオレ。対処のしようがない。髪の毛・蛇がオレの背中を舐めてきた。

「うわあああ。やめろ~!オレは食ってもうまくないぞ~!こんな時にカードが役にたつんじゃないのかあ!」

 急に静かになった。金属の輪がメデューサを囲んだかと思うと、メデューサは突然止まった。由梨がカードを出したのだった。メデューサの髪の毛が蛇から何かに変化した。20センチくらいの細い棒とその先に毛が付いている。絵の具用の筆。それが頭から生えているように見える。これはこれで不気味というか、滑稽である。思わず噴き出しそうになったが、状況が状況。ぐっとこらえながら、さらにメデューサの顔を凝視すると、蛇から別のものに変わっていく。『ムンクの叫び』のごとく、極端に湾曲しながら、出来上がりは少女。眼鏡女子であった。そばかす付き。意外にかわいい。『バシ』またもや由梨チョップ。今は痛点が神経を通じて大脳に回るヒマがない。何だ、この少女は?そしてこれがトリガーカード『メタルの防御』の力か?

「あたし、絵が好きなのに、描くことができない。」

 喋りだした。怪奇だ、何だと思考を巡らす余裕はない。禅問答のように言葉を紡ぐ。

「どうして描けないんだ。」

「目が見えないの。」

 ようやく聞き取れる程度のか細い声。

「君は目が見えなくて、絵が描けなくて、ここに取り残されてしまったのか。」

「そうなの。」

「ジバクだわ。」

 突如、由梨が絡んできた。

「ジバクとは地縛霊のことか?」

「そう。よくわかったわね。」

「このシチュだ。それくらい察しがつく。時間がない。どうすればいい。」

「話を聞いてやりなさいよ。」

「わかった。君は絵が描きたかったんだな。」

「そう。でもどうしようもなかった。ここでずっと過ごしているうちにこうなってしまったの。」

「つまり、死んだということか。」

「あたし、死んでるんだ。知らなかった。ううう。」

「よし。オレが一緒にやってやろう。ちょっと待っててくれ。」

 オレは美術室にあった絵の具、パレット、イーゼル、画用紙などを一気に揃えた。そして、彼女の手を取った。

「え、え、え?」

 彼女は驚いていたが、構わず、オレはその手を取り、いきなり、絵の具をつけた筆を動かした。その姿を見て、由梨は拳をギリギリ言わせていたが、じっと耐えていたことは気付かなかった。

「よし、行くぞ。油を描くぞ。」

思うがままに白い画用紙とバトルする。最初はオレがリードしていたが、次第にオレは何も考える必要がなくなった。彼女が自分で描き始めたのだ。目は瞑っているが、心の眼は開いているようだ。数分後動きが停止した。

「できたわ。」

「これは力作だ。百点を与えよう。」

「ホント?う、うれしい。これがあたしの絵。今は見える気がする。できたんだ。ああ、生きてて良かった!」

 あなた、死んでるんですけど。とは、言わなかった。KY非難回避。

 すると、少女の頭上に、白い輪が現われた。

「今よ!アレをこの剣で斬るのよ!」

 由梨に言われるや否や、電光石火で、その輪を斬る。『シュウウウウ』。少女は消えた。

消えただと?原因はわからない。

「きゃあ!」

 由梨の水着の上が取れていた。代わりにトリガーカードが宙に浮いていた。

 二枚目ゲット。ダイヤの3、『オイル=油』のカードだ。『油絵』という言葉がキーになったようだ。カードは再び水着のブラに変化して、由梨の下に戻っていた。ブラには『ダイヤの3と9』が表示されている。カードが増えるとブラにカードの絵が描かれることになっているらしい。そんなことより、由梨の生胸を直視?してしまったオレ。

『ぐはっ!』自分がすでに女の子のからだを所有しているにも拘わらず、こういうものには弱いオレ。うぶ。うふふ。

「何、ニヤついてるのよ。ぶつわよ。」

 言うまでもなく、オレの頬をはたいた後での発言である。

「よし、じゃあ帰るか。」

「そうね。どっこいしょ。」

 由梨は何かを持ち上げたわけではない。オレの背中に乗り込んだのである。

「ちょっと、さすがに疲れてるんだけど。」

「そう。アタシすごく疲れたの。」

 会話は成立しなかった。仕方なく、おんぶズマンとなって、帰路に着く。

 学校を出て、道すがら、背中に話しかける。

「どうして、あの少女、ジバクと言ったけ、消滅したのかなあ?」

「現世に留まるためのグッズが、あの輪なのよ。あれが無くなれば、自動的に霊界に逝くわ。今頃、『魂』として閻魔のババアのところにいってると思うわ。」

「そうか。それからどうなるんだ。」

「閻魔は魂を地獄か天獄に送ることを決定するのよ。それが閻魔のいちばんの役割。」

「『天獄?』『天国』じゃないのか?」

「確かに人間界では『天国』と呼んでるわね。でも、霊界では『天獄』としているわ。詳しいことは知らないけど、『天獄』は地獄と大差ないらしいわ。それで多少アイロニカルに『天獄』と呼んでるようなの。」

「じゃあ、『天獄』に逝っても地獄のような悲惨な目に遭うんだろうか。」

「たぶんね。それ以上は知らないわ。あのババアにでも聞いてよ。」

「う~ん。閻魔女王は苦手だしな。」

「そうね。あまり関わらない方がいいかもね。ところで、どうしてアタシのこと、助けたの?別に助けてなんて頼んでないのに。」

「さあな。『手出しは無用なんだからねっ。』って言うから助けたんだと思うけど。」

「そ、そう。ほんと余計なことだったわ。」

「そうか。じゃあ今度から改めるか。改めついでに、呼び方だがお前ではあまりいい気がしないんだ。名前で呼んでもいいか?」

「べ、別に。好きにすれば、いいんじゃ・・・」

「そうか。ならば、由梨と呼ぶぞ。いいな?」

 回答がなかった。

『すー、はー、すー、はー』。由梨は眠っていた。疲れていたのは本当だろう。

 寝顔は見えないが、安らかそうだ。たぶん、顔を見るとかわいいと思うのではないだろうか。背中に彼女。これはフツーなら、恋愛フラグが立つところ。しかし、由梨は死んでいる。複雑だ。


オレは帰宅するなりすぐにベッドになだれ込んだ。桃羅が夜中に布団に入ってくるはず。いつもなら、オレの左に来るのだが、今日は由梨、閻魔女王がすでに入居しているので、侵入不能となっている。さてどうするのだろう?そんなことに頭を巡らしているうちに、オレは眠りに落ちた。おんぶズマンになった心地よい疲労感に襲われたのだ。




「あ~。よく寝たな。」

 オレは目覚めた。ぷにゅ、ぷにゅ。いつもの巨大マシュマロ感触。その存在はふたつ。

「あつ。お兄ちゃん。おはよう。」

「桃羅。起きてたのか。」

「うん。嫁はね、旦那よりも早く起きてなきゃいけないんだよ。」

 日乃本桃羅(ひのもとももら)。オレの実の妹。当然血は繋がっている。この文面から推測できるだろうが、オレ、日乃本都と妹は寝床を同じくしている。明らかに異常だ。

「もう、こんなこと、やめないか。一般的な倫理観ではこれはマズいんじゃないか。」

「そんな一般論はどうでもいいの。桃とお兄ちゃんにはこれが日常なんだから、不倫な

んか捨てちゃえ~!桃が16歳になるまで待っててね。」

「何を待つんだ、何を。それに捨てるのは不倫じゃねえ。」

「あ~あ、民法を早く改正して、兄妹が自由にチョメチョメできる日が待ち遠しいな。」

「そんな改正ありえねえ。」

 オレと桃羅の部屋は当然別々である。ベッドもそれぞれ部屋にある。しかし、寝る時間になると桃羅はオレのベッドにインしてくるのである。オレは16歳、桃羅は14歳。もはや同衾が許されない年齢である。

「だってお化け怖いんだもん。」

これはうそである。桃羅が幽霊とか妖怪とかそんなものを怖がる姿を見たことがない。小さい頃、お化け屋敷に行くとキャッキャッと喜び、脅かす被りものの従業員を見ては笑っていたのを覚えている。

「こんな会話をするのは何回目だ。」

「3653回目よ。」

「数えていたのかよ。」

 まあ適当に言ってるんだろうけど。桃羅が物心ついた頃からは一緒だったような気がするな。

 桃羅はマリーンブルーの長い髪をふたつの団子にし、どんぐりを横にしたような大きな丸い眼も同じ色に輝き、大海を湛えているようだ。いつみても思わず見とれてしまう美少女である。おっと、ヤバい発言撤回。

『ボヨヨヨヨヨヨ~ン。ボヨヨヨヨヨヨ~ン。』

 あれ?桃羅と反対側にも奇妙な感触があったような。

「どうかしたの、お兄ちゃん?」

「い、いや何でもない。」

 目を擦ってよく見るとそこには何もなかった。おかしいな。ただここ数日こんな感覚に襲われる日が続いている。きっと疲れているいるんだろう。まあ朝っぱらからこんなことを続ければ多少の疲労や幻覚に襲われても仕方あるまい。


 オレは日乃本都(みやこ)。高校一年生。ブレザーに身を包み、登校するオレ。学校へ行く道すがら、携帯で自分のブログを軽く更新。『では今日も学校にいってきます。みんな頑張ろうね。』簡単な一言。同級生や桃羅にもブログのことは話していない。日常のことを書いているだけのごく平凡なもの。他人のブログにも適当な書き込みをしている程度。

オレの向かう先は地元の平凡な『春眠暁覚(しゅんみんぎょうかく)学園』という高校だ。名前が四文字というのは最近の流行である。と言っても長いので、通称『春学(はるがく)』だ。

「おはよう。」「お早う、みやこ。」「グッドモーニング、みやこたん。」「おはよう、みやちゅん。」「みやこちゃん、おはよう。」

 高校の門までの並木路、たくさんの声がかかる。何の変化もない日常だ。で、フツーに登校しているということは、今オレは女子の制服を着ている=スカートを穿いているわけだ。ここまではオレの日常である。どこかおかしいだろうか?いやそんなことはない。まったくいつもの通りだ。長いマリーンブルーの髪を靡かせた可憐な女子高生。もちろんエクステなどではない。そう、元々オレは女装していて、学校では最初から女子扱い。その女装にこのからだはぴったりフィットしている。

 校門には生徒会が待っている。遅刻生徒チェックというありがちなシチュ。『生徒会獅子天王』と呼ばれるイケメン集団がそれをやっている。それぞれ、信長、秀吉、家康、光秀と名乗っているらしい。女子生徒の人気は高いものの、悪い噂も絶えない。美貌を活用して、かなりの悪事を働いているらしい。全員がロングヘアーで顔を隠しているので、ほとんど表情が確認できない。だが、髪の間からチラリと鋭い眼光を覗かせている。やっているのは遅刻チェックではなく、『女子生徒の品定め』というのが定説である。

「ヒュー!飛びきりじゃのォ。」

 信長が声をかけたのはオレらしい。当然スルーした。声ははるか頭上から聞えてきた。そいつは校門のコンクリート柱の上に座っている。それも片膝ついたヤンキーっぽい態度である。とても生徒会メンバーとは思えない。

「無視か。この信長サマをのォ。いい根性してるのォ。あとで食べられても知らないからのォ。ハハハ。」

 あれ?何だかあいつの頭の上に白いものが見えたような。きのせいかな。

校門のふたつの柱にふたり。その後ろの理事長の銅像にもふたり狛犬のように座っている。ひとりは理事長の頭を撫でている。これが生徒会だというのはうちの学校は無法地帯なのか、超自由なのか?他人のことを言える筋合いでもないような気がするが。とりあえずこんな感じの登校ぶりである。


 翌朝。いつもの通り、桃羅はオレの横で寝息を立てていた。昨日『旦那より早起きはいけない』云々言ってた通りだ。これがオレの左隣。そして、右側には。

『ボヨヨヨヨヨヨ~ン。ボヨヨヨヨヨヨ~ン。』

 昨日と同じ強い弾力性のある感触だ。桃羅のソレも小さいわけではないが、これはレベルが違う。

『バシッ!』

「痛え!」

 突然左側からチョップが飛んできた。

『ZZZZZZ・・・』

 桃羅はまだ睡眠中。無意識にオレを攻撃してきたらしい。女のプライドを傷つけられたからだろうか。

 そんなことより、問題は右だ。今日は明確な存在感があった。

「う~ん。おはよう。元気かな。」

「だ、誰だ、お前はっ!」

 オレの隣に横たわっているのは、紫のネグリジェ、それもシースルーの美女。オレよりはかなり年上に見える。長い髪は紫、からだは桃羅よりは大きいようだ。切れ長の目にはやはり紫のアイシャドウが妖艶さを際立たせ、シャープな鼻筋、きりっとしつつも淫靡な唇が長い夜を想起させる。ちょっとオレには早いけど。

「そんなことないよ。なんならをねゐさんと今から一発いっとく?あらいきなり過激発言禁止よ。」

「それは自分の発言だろ。いったいなんなんだ。どこの誰だ。どうやってここに入った?」

「そんなに矢継ぎ早に質問しないでよ。夜はまだこれからだよ。ウフフ。」

「何を言ってる。もう朝だ。」

「そうなの。残念だね。じゃあ次回までお預けとするね。」

「何をお預けにするんだ。」

「焦らないでよ。どれどれ。ここから出て話をするかな。」

 紫の女はベッドから出るとオレの椅子にゆっくりと腰掛けて、机に肘をつけた。強烈な光、いや衣装が目に入ってきた。大晦日恒例歌番組のあの歌手のようだ。

「大林幸子?いやどこのオバサン?」

「オバサンとは失敬ね。をねゐさんは閻魔大王よ。今後継者を探しているの。その候補者があなた、日乃本都なのよ。」

 いきなり、とんでもない、わけのわからないことを言い出した。

「さっぱり、意味がわからない。閻魔大王?閻魔って男じゃないのか?後継者候補?お前、頭おかしいんじゃないか。早くここから出てってくれ。でないと、警察を呼ぶぞ。」

「そう邪険にしないでよ。をねゐさんは事実を述べているだけよ。閻魔大王と呼びたくなければ、閻魔女王と呼んでもいいよ。私の近習たちは女王様と呼んでるけどね。はあああ~。」

 閻魔女王と名乗る女は大きく欠伸をした。緊張感の欠片もない。

「ねえ、寝起きのコーヒーを淹れてよ。」

 すっかりくつろいだ姿勢でオレに向かっているようだ。

「オレはインスタントしかできないぞ。って、そんな場合じゃない。全然事実が確認できないぞ。」

「そうなの?じゃあこれを見てよ。をねゐさんの力が少しは理解できると思うよ。」

 閻魔女王は右手を上げて、軽く宙に円を描いた。すると、そこに、大きな白い輪ができて、それは輝きながら下に降りてきた。輪の中にはきらきらと光沢が揺らめいている。よく見るとそれは水のようだ。ただ、輪の下には水はなく、今まで通りの空間が残っている。

「ほらね。これで、釣りをしてみてよ。」

 閻魔女王はオレに1メートルくらいの短い釣竿を渡した。

「『わけがわからん』と言いたいんでしょうけど、とりあえずやってみなさいよ。」

「どうしてオレのセリフを盗むんだあ?」

「そんな抗議をしてるヒマがあったら、釣をしてね。都ちゃん。」

「仕方ないな。ブツブツ。」

 オレは釣り糸を垂らした。

「3分間待つのよ。」

「はあ?」

 言われるままにじっと待つ。時計の針は午前7時を回っている。こういう時の3分とは意外に長いものである。

『グググッ』。ヒットした重量感が両手にのしかかる。これはかなりの大物だ。

「さあ、そのまま一気に引き上げてみなさい。」

 閻魔女王の指示に従うのは癪だが、釣りの醍醐味には勝てないのか、狩猟本能のまま、力任せに獲物を引っ張り上げた。釣果は・・・。

「何よ、ここ。ずいぶん狭くて貧相な部屋ね。セレブのアタシにはまったく似つかわしくないわ。」

 金色のツインテール。小柄な少女だ。微妙に吊り気味の黄色の瞳。ふんわりしたスカートのワンピース。白を基調として、水玉模様が愛らしい。腰のところには大きなリボン。ツインテールの髪にも白いリボン。清純派を強調したものか。そんなお嬢様風に見える少女であるが・・・。

『ピピピ』。ツインテール美少女が付けた片目の眼鏡レンズのようなものが画面に何かを投影させている。スロットマシンのようにグルグルと数字が回転している。視線の先には眠っている桃羅。

「なに、この小娘。美少女誘萌力は1155だわ。アタシより200倍かわいくないわね。」

『美少女誘萌力』?わけのわからないことを言い出した。それとそのレンズ?ゴーグル?はいったいなんだろう。

「おい、閻魔。この女の子はどこのどいつだ。いったいどこからやってきたんだ。」

 とりあえず、質問はツインテール美少女ではなく、閻魔女王に向けた。

「この娘は田井中由梨というの。霊界からお前が引き上げたのよ。これも何かの因縁だと思うよ。」

「霊界?この輪の池はそういう世界に繋がっているのか?てか、霊界って、そんなところがあるのか?」

 頭の中は目の前に起こっている奇妙キテレツな事実というマグマで爆発しそうである。目はさぞかしナルト状態だろう。

『ピピピ。ピー!』レンズからさっきより大きな音がした。

「こ、これは誘萌力が結構高いわね。2215だわ。でもアタシより190倍かわいくないけどね。」

 なんか計算が怪しい。そもそもその数値は何を基準に算定されているのか?そんなことより、どうしてオレが『美少女誘萌力』の対象になっているんだ?

「あららら。もうやられちゃったみたいだね。をねゐさん大ピンチだよ。」

 素っ頓狂な声を出したのは閻魔女王。でもどこか緊張感に欠ける。

「『やられた』だと?何のことだ?」

「いちいち質問が多いね。しつこいと、をねゐさん嫌っちゃうよ。閻魔大王の後継者候補となったら、ライバルから狙われるのは当然のことよ。」

「言ってることがさっぱりわからない。順を追って説明してくれよ。」

「まずは都ちゃんの状態から説明しようね。由梨の美少女カウンター、通称『ユーホーキャッチャー』に反応したということは、都ちゃんはすでに女の子になっているの。」

「な、なにィ?」

 大慌てで、しかし慎重に、つまり、恐る恐る、色んな部分に手を当ててみる。まず、髪。男子ではあるが、もともと長く伸ばしている。マリーンブルーのツヤツヤした綺麗なもの。からだ全体に目をやってみる。腰のくびれが眩しい。腰から横に手を移動する。『ない』。象徴が不在。憲法違反だろう。そして、外見的にいちばんの部分。首から約10センチから下の、あの場所へ手を滑らせる。『ぷにゅうううううううううううう』。

現状の胸サイズを不等式で説明する。

 閻魔大王>オレ>桃羅

 やった!桃羅に勝利!うれしい!なんて、喜んでいる場合じゃない。

 結論=オレは女子の仲間入り。オレと桃羅は『兄妹』→『姉妹』になった。こんなトンデモナイことが身に降りかかり、本来なら大騒ぎして、のたうち回りそうなものだが、誠に不思議なことに、オレは意外に落ち着いている。いつからこんなオトナな性格になってしまったのか。

「わかったかな。そう、都ちゃんは女の子になってしまったのよ。いや正確には、『女の子になる』という呪いをかけられているようだけどね。」

「呪いだと?いったい誰がかけたんだ。」

「それはわかんないね。この世界にはいろんな者がいるからね。」

「この呪いを解くにはどうしたらいいんだ?」

「さあね。恐らくは、呪いをかけた者を探し出して、呪いを解かせるか、あるいは、都ちゃん自身が閻魔大王となって、それ相当の力を手にして、自分にかけられた呪いを解除するかだろうね。」

「閻魔大王ってのはそんなに力を持つものなのか?オレのイメージだと、死んだ人の行き先を天国か地獄にする番人ということだけど。」

「その通りだよ。そのためには、かなりの力が必要となるの。閻魔大王後継候補者が正式な閻魔大王となるには想像を絶する努力と才能が必要だよ。」

「ということは誰でもなれるということではないということなのか。」

「そう。都ちゃんは才能においてはクリアしているからこそ、をねゐさん自らこうしてやってきたというわけだよ。」

「後継者って、閻魔大王ってのはその地位を引き継いでいくものなのか?」

「そうだね。年齢を重ねたり、色んな事情で、力が落ちてくると次の世代に託すことになるの。今がちょうどその時期なんだ。をねゐさんが99代目閻魔大王なのさ。だから次は記念すべき百代目。ゴホン、ゴホン。」

 閻魔女王は咳をした。体力が減退しているのは本当か。

「そうか。納得はいかないが少しは理解した。」

 そう言いながらも切迫感がないオレ。男子がいきなり女子のからだになってしまうというラノベやアニメではよくある展開。こういう場合って、自分の胸の膨らみにどぎまぎし、下にあるべきものがなくうろたえてしまうのが定番的なリアクションである。しかし、引き続きなぜかオレは冷静である。

「都ちゃんはずいぶん落ち着いているね。結構変わった人間なんだね。」

 閻魔女王から至極もっともなご意見を賜った。

「ああそうだな。どうしてだろう。でもこんな性格なんだから仕方ないな。自分が女のからだになっただけでは頑張る価値がどこまであるのか疑問なんだな。」

「そういうことならそれでもいいよ。都ちゃんのからだの変化だけがすべてではないんだからね。それは世界の変化の一端でもあるの。よく胃の調子が良くないと、舌が荒れるでしょ。それと同じだよ。」

「じゃあ、オレは舌にできたポリープか。あれは痛い!」

「そのように考えてくれればいいよ。やがて事の重大性がわかる時が来るかも。」

「気長に待つことにするよ。で、そこのおこちゃまはなんだ。」

 オレの視野に、ギリギリ頭頂部がかすめるのが由梨という女子。身長は140センチに満たないと見た。

「何よ、このセレブに対する口のきき方がずいぶんね。軽~く殺っちゃおうかしら。」

 由梨は顔のカウンターを外した。すると先がギザギザでいかにも凶器っぽい剣に変化した。幅は20センチ、長さが1メートル以上あり、本人とどっこいどっこいで、どちらが武器なのかわからない。

「何、変なナレーション付けてるのよ。これであんたなんか、ばっさり真っ二つなんだからねっ。」

 そう言った瞬間、由梨はオレに斬りつけてきた。びゅんびゅん剣を振る。サラサラと数本の髪が切れて落ちる。まさに髪一重で避けたオレ。

「あぶねえ。こんな狭い部屋で刃物を振り回すんじゃねえ。」

 思わず叫んだオレ。すると由梨は動きを止めた。

「あれっ?剣が動かないわ。」

 由梨は自分の意思で剣を止めたわけではないらしい。

「都ちゃん、これがあなたの能力。『コトダマ』だよ。」

 閻魔女王の瞳がここぞとばかりに輝きだした。

「『コトダマ』だと?古来日本に伝わる『言霊』のことか。あの、言ったことがそのまま現実になってしまうという、アレのことか?」

「そういうことだよ。都ちゃんの言葉の中から、一定のものが選ばれて、『コトダマ』として、自在に使えるものとなるの。今のがそれ。『コトダマ』は発せられた言葉そのものではなく、言葉の意味・内容が具現化するのよ。今回は『刃物=金属』という言葉に反応したらしいね。」

 閻魔女王は一枚のカードを手にしている。

「トランプみたいだが。」

「これは『トリガーカード』というの。これを使えるのは都ちゃん自身と、そのパートナーたる者だけだよ。パートナーには相性があって、誰でもなれるわけではないわ。今のカードは由梨が持つことになるの。これは『ダイヤの9、メタル』のカードだね。金属系の防御が可能となるわね。閻魔大王になるにはこのトリガーカードを集めることが重要だよ。」

 カードは自然に由梨のところに飛んでいった。

「キャアー!!」

 突然、由梨は悲鳴を上げた。顔を顰めて、両手で薄い胸元を覆っている。オレはしっかりその点は確認した。オレは胸に関してはちょっとだけだが、強い関心がある?

「何見てんのよ。あっち向きなさいよ。」

「はあ。残念。」

 オレは一旦由梨の指示に従った。

「どうして、アタシ、こうなってしまったの。女王様。」

 由梨はいつの間にか、水着姿。それも露出度の高い超三角ビキニ。色は黄色。

「トリガーカードは水着に変わるの。水着として常に使用者と共にあることになるよ。」

「ということは、アタシはこいつのパートナーになったということ。嫌だわ。」

「それは仕方ないね。ガマンするしかない。そもそも霊界から釣られたこと自体、由梨は都と繋がりが深いということなんだよ。」

 閻魔女王は高名な僧侶のように由梨を教え諭した。

「ううう。悔しいわ。このセレブがこんなヘンタイオトコと一緒に・・・。」

 由梨は泣きだした。

「ちょっと、待ってくれ。オレの立場はスルーかよ。第一、その由梨っておこちゃまはいったい誰なんだ。」

「霊界からの使者、いや死者でもあるよ。」

「使者、死者だと?」

「そう。何らかの理由でこの世で死んでしまい、霊界にやってきた。でも、由梨にはひとつの願いがある。それを叶えるために、ここにやってきたんだよ。」

「その願いとは。」

「女の子同士の秘密だよ。どうしてもって言うなら由梨に訊いてよね。」

 ひとりは確実に『女の子』ではないハズ。そんなやりとりをしているうちに、この部屋にいるもう一人の人間が目覚めた。

「お兄ちゃんおはよう。今日は早く起きてたんだね。桃は朝食の準備してくるね。」

 目を擦りながら、桃羅は都の部屋を出ていった。

「桃羅は閻魔女王と由梨には気付かなかったようだが。」

 オレは大いなる疑問を閻魔女王にぶつけた。

「をねゐさんや霊界の死者は普通の人間には見えないんだよ。」

 解説は5秒で終了。たしかに、いわゆるユーレイは人間には見えない。だからこそ、オカルト扱いとされているんだからな。たまに心霊写真がテレビなんかに出ると大騒ぎになる。これは普段見えないものが、見えてしまうからこそ起きるパニック現象のようなものである。

「とりあえず、頭の整理をしてくる。」

 そう言って、オレは部屋を出て、顔を洗ってきた。もしかしたら、これまで見たものはすべて夢かもしれない。閻魔女王が言うように、しばらくして部屋に戻ったら、何も見えなくなるかもしれない。仮にオレの部屋にまだいたとしても、見えなければ何も存在しないのと同じだから。そこにいるのに見えないというのはある種不気味であるには違いないが、ずっと見えないのであれば、『ユーレイ不在説』を信奉する物理学者のようなリアリストと同じ。そのうち慣れるだろう。

 1階の食堂で、桃羅が作った朝食を済ませたオレは自己暗示をかけた。『オレの部屋には閻魔女王はいない。霊界の使者・死者は存在しない』。お経のようにこれを唱えながら階段を上った。『さっき見たものは夢、いやそうではあるまい。』という付加疑問文を追加しながら。

 自分の部屋についた。オレの部屋だからノックなどはしない。『不存在の証明』と念じつつドアを開ける。

 そこには誰もいなかった。時計の針は8時を回っていた。


女の子になってしまった。これまでは見た目重視で胸にパットをいれていたのだが、これからは不要となりそうだ。でも心は男。それは変わらない。本質的に喜んでいるわけではない。元に戻る必要性は絶対的に存在する。

「ヘイ、エブリバディ。今日はプリティガールな転校生をイントロデュースするよ。アーユーレディ?」

 担任はピンクのスーツに身を包む眼鏡女教師だ。英語担当でもあり、奇妙な日本語を使う。もっとフツーに喋ってくれ。

『トコトコトコ』。ゆっくり登壇してきた女子。黄色のツインテール。

「かわいい」「めっちゃ美少女じゃん」「ツインテールお似合いだあ」「黄色が眩しい」「めっちゃキュート」「ほんとプリティ!」

 クラスメイトは総じてルックスを褒めているようだ。

「田井中由梨です。セレブの16歳です。よろしくです。」

 自己紹介にしてはひとこと余計だが。言葉よりももっと不必要なものを装着している。

『ピピピ』。

「美少女誘萌力、120、115、209、50、大したことないわね。アタシと比べるとゴミ同然ね。」

 由梨は『ユーホーキャッチャー』をつけたままである。どこから見ても奇妙である。クラスメイトの視線はそこに集中している。休憩時間にはさぞ質問責めに遭うことだろう。

 しかし、オレはもうひとつ別のところにスポットを当てた。

「ミス田井中の席はミス日乃本のライトサイドだね。ビコーズ、そこしかエンプティシートはナッシングだからさ。」

 わかりにくい言葉を受けて、由梨はオレの隣に腰かけた。即座に質問をしたオレ。周囲に聞えないように小声。

「おい、どうして学校に来たんだ?」

「別にあんたに答える義務はないわ。話しかけないでよ。目障りだわ。このヘンタイ。」

「どうしてヘンタイだとわかる?」

「そんなの答えるにも値しないわ。」

「まさか、今朝、水着姿を見られたのが恥ずかしいとか。」

「べ、別にそんなことは大したことじゃないけど。あんたに見せるには早すぎると思っただけよ。ギャラを払いなさいよ。」

 明後日の方向を見る由梨。いや見ていない。目は閉じられている。顔が赤いのはなぜか。窓際で日光が当たっているからか。

 オレが質問をしたかったのはこんなことじゃない。

「おい、頭の上にある白い輪はいったい何だ。」

「これ?死んだことを証明するものよ。よくアニメとかで見るでしょう。」

「あれのこと?でも、そんなのをつけたままじゃ、回りに不審がられるだろう。ていうか、死人であることを標榜しているようなものじゃないか。てか、美少女カウンター、いやユーホーキャッチャーだったか、の方が存在感は大きいがな。」

「大丈夫。輪の方はフツーの人間には見えないわ。」

「なんと。じゃあ、オレが特別だということ。」

「そう。だからヘンタイ。」

「そういうことっすか。」

 十分に納得したオレ。そんなわけない!女装から本物の女の子になったのだから、生物学的には『変態』したことは事実。だからオレは『変態』なのであって、決して『ヘンタイ』なのではない。

 そもそもオレが女装している理由。シュミと言ってしまえばそれまでだが、それだけでもない。オレの家では女がもてるのだ。父親はオレより、母親つまり、妻を愛する日々が続いた。妹が生まれてからもそれは変わらず。また、両親は妹を愛して、都は男子なので放置され、そのことがオレの女装への興味を駆りたてることになった。オレは両親に気に入られるべく、女装をするようになり、その方がかわいいわよと母親から言われることが嬉しかった。そのまま高校生までなってしまったということ。ちゃんちゃん。本当はもっと奥深く長い話なのだが、今はここまでにしておこう。

「姿が他の生徒や先生には見えるのはどういうわけだ?」

「『8時ルール』というのがあるの。朝8時から夜の8時までは一定の場所で姿を具現化することが可能なの。それ以後は単なる霊体になるってわけ。これは閻魔女王のチカラによるものね。だからそれ以外の時間は普通の人間には姿は見えないわ。」

 さっぱり理解できない。そのうち慣れてくるのだろうか。


 

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