第2話
「あ~。よく寝たな。」
オレは目覚めた。ぷにゅ、ぷにゅ。いつもの巨大マシュマロ感触。その存在はふたつ。
「あつ。お兄ちゃん。おはよう。」
「桃羅。起きてたのか。」
「うん。嫁はね、旦那よりも早く起きてなきゃいけないんだよ。」
日乃本桃羅(ひのもとももら)。オレの実の妹。当然血は繋がっている。この文面から推測できるだろうが、オレ、日乃本都と妹は寝床を同じくしている。明らかに異常だ。
「もう、こんなこと、やめないか。一般的な倫理観ではこれはマズいんじゃないか。」
「そんな一般論はどうでもいいの。桃とお兄ちゃんにはこれが日常なんだから、不倫な
んか捨てちゃえ~!桃が16歳になるまで待っててね。」
「何を待つんだ、何を。それに捨てるのは不倫じゃねえ。」
「あ~あ、民法を早く改正して、兄妹が自由にチョメチョメできる日が待ち遠しいな。」
「そんな改正ありえねえ。」
オレと桃羅の部屋は当然別々である。ベッドもそれぞれ部屋にある。しかし、寝る時間になると桃羅はオレのベッドにインしてくるのである。オレは16歳、桃羅は14歳。もはや同衾が許されない年齢である。
「だってお化け怖いんだもん。」
これはうそである。桃羅が幽霊とか妖怪とかそんなものを怖がる姿を見たことがない。小さい頃、お化け屋敷に行くとキャッキャッと喜び、脅かす被りものの従業員を見ては笑っていたのを覚えている。
「こんな会話をするのは何回目だ。」
「3653回目よ。」
「数えていたのかよ。」
まあ適当に言ってるんだろうけど。桃羅が物心ついた頃からは一緒だったような気がするな。
桃羅はマリーンブルーの長い髪をふたつの団子にし、どんぐりを横にしたような大きな丸い眼も同じ色に輝き、大海を湛えているようだ。いつみても思わず見とれてしまう美少女である。おっと、ヤバい発言撤回。
『ボヨヨヨヨヨヨ~ン。ボヨヨヨヨヨヨ~ン。』
あれ?桃羅と反対側にも奇妙な感触があったような。
「どうかしたの、お兄ちゃん?」
「い、いや何でもない。」
目を擦ってよく見るとそこには何もなかった。おかしいな。ただここ数日こんな感覚に襲われる日が続いている。きっと疲れているいるんだろう。まあ朝っぱらからこんなことを続ければ多少の疲労や幻覚に襲われても仕方あるまい。
オレは日乃本都(みやこ)。高校一年生。ブレザーに身を包み、登校するオレ。学校へ行く道すがら、携帯で自分のブログを軽く更新。『では今日も学校にいってきます。みんな頑張ろうね。』簡単な一言。同級生や桃羅にもブログのことは話していない。日常のことを書いているだけのごく平凡なもの。他人のブログにも適当な書き込みをしている程度。
オレの向かう先は地元の平凡な『春眠暁覚(しゅんみんぎょうかく)学園』という高校だ。名前が四文字というのは最近の流行である。と言っても長いので、通称『春学(はるがく)』だ。
「おはよう。」「お早う、みやこ。」「グッドモーニング、みやこたん。」「おはよう、みやちゅん。」「みやこちゃん、おはよう。」
高校の門までの並木路、たくさんの声がかかる。何の変化もない日常だ。で、フツーに登校しているということは、今オレは女子の制服を着ている=スカートを穿いているわけだ。ここまではオレの日常である。どこかおかしいだろうか?いやそんなことはない。まったくいつもの通りだ。長いマリーンブルーの髪を靡かせた可憐な女子高生。もちろんエクステなどではない。そう、元々オレは女装していて、学校では最初から女子扱い。その女装にこのからだはぴったりフィットしている。
校門には生徒会が待っている。遅刻生徒チェックというありがちなシチュ。『生徒会獅子天王』と呼ばれるイケメン集団がそれをやっている。それぞれ、信長、秀吉、家康、光秀と名乗っているらしい。女子生徒の人気は高いものの、悪い噂も絶えない。美貌を活用して、かなりの悪事を働いているらしい。全員がロングヘアーで顔を隠しているので、ほとんど表情が確認できない。だが、髪の間からチラリと鋭い眼光を覗かせている。やっているのは遅刻チェックではなく、『女子生徒の品定め』というのが定説である。
「ヒュー!飛びきりじゃのォ。」
信長が声をかけたのはオレらしい。当然スルーした。声ははるか頭上から聞えてきた。そいつは校門のコンクリート柱の上に座っている。それも片膝ついたヤンキーっぽい態度である。とても生徒会メンバーとは思えない。
「無視か。この信長サマをのォ。いい根性してるのォ。あとで食べられても知らないからのォ。ハハハ。」
あれ?何だかあいつの頭の上に白いものが見えたような。きのせいかな。
校門のふたつの柱にふたり。その後ろの理事長の銅像にもふたり狛犬のように座っている。ひとりは理事長の頭を撫でている。これが生徒会だというのはうちの学校は無法地帯なのか、超自由なのか?他人のことを言える筋合いでもないような気がするが。とりあえずこんな感じの登校ぶりである。
翌朝。いつもの通り、桃羅はオレの横で寝息を立てていた。昨日『旦那より早起きはいけない』云々言ってた通りだ。これがオレの左隣。そして、右側には。
『ボヨヨヨヨヨヨ~ン。ボヨヨヨヨヨヨ~ン。』
昨日と同じ強い弾力性のある感触だ。桃羅のソレも小さいわけではないが、これはレベルが違う。
『バシッ!』
「痛え!」
突然左側からチョップが飛んできた。
『ZZZZZZ・・・』
桃羅はまだ睡眠中。無意識にオレを攻撃してきたらしい。女のプライドを傷つけられたからだろうか。
そんなことより、問題は右だ。今日は明確な存在感があった。
「う~ん。おはよう。元気かな。」
「だ、誰だ、お前はっ!」
オレの隣に横たわっているのは、紫のネグリジェ、それもシースルーの美女。オレよりはかなり年上に見える。長い髪は紫、からだは桃羅よりは大きいようだ。切れ長の目にはやはり紫のアイシャドウが妖艶さを際立たせ、シャープな鼻筋、きりっとしつつも淫靡な唇が長い夜を想起させる。ちょっとオレには早いけど。
「そんなことないよ。なんならをねゐさんと今から一発いっとく?あらいきなり過激発言禁止よ。」
「それは自分の発言だろ。いったいなんなんだ。どこの誰だ。どうやってここに入った?」
「そんなに矢継ぎ早に質問しないでよ。夜はまだこれからだよ。ウフフ。」
「何を言ってる。もう朝だ。」
「そうなの。残念だね。じゃあ次回までお預けとするね。」
「何をお預けにするんだ。」
「焦らないでよ。どれどれ。ここから出て話をするかな。」
紫の女はベッドから出るとオレの椅子にゆっくりと腰掛けて、机に肘をつけた。強烈な光、いや衣装が目に入ってきた。大晦日恒例歌番組のあの歌手のようだ。
「大林幸子?いやどこのオバサン?」
「オバサンとは失敬ね。をねゐさんは閻魔大王よ。今後継者を探しているの。その候補者があなた、日乃本都なのよ。」
いきなり、とんでもない、わけのわからないことを言い出した。
「さっぱり、意味がわからない。閻魔大王?閻魔って男じゃないのか?後継者候補?お前、頭おかしいんじゃないか。早くここから出てってくれ。でないと、警察を呼ぶぞ。」
「そう邪険にしないでよ。をねゐさんは事実を述べているだけよ。閻魔大王と呼びたくなければ、閻魔女王と呼んでもいいよ。私の近習たちは女王様と呼んでるけどね。はあああ~。」
閻魔女王と名乗る女は大きく欠伸をした。緊張感の欠片もない。
「ねえ、寝起きのコーヒーを淹れてよ。」
すっかりくつろいだ姿勢でオレに向かっているようだ。
「オレはインスタントしかできないぞ。って、そんな場合じゃない。全然事実が確認できないぞ。」
「そうなの?じゃあこれを見てよ。をねゐさんの力が少しは理解できると思うよ。」
閻魔女王は右手を上げて、軽く宙に円を描いた。すると、そこに、大きな白い輪ができて、それは輝きながら下に降りてきた。輪の中にはきらきらと光沢が揺らめいている。よく見るとそれは水のようだ。ただ、輪の下には水はなく、今まで通りの空間が残っている。
「ほらね。これで、釣りをしてみてよ。」
閻魔女王はオレに1メートルくらいの短い釣竿を渡した。
「『わけがわからん』と言いたいんでしょうけど、とりあえずやってみなさいよ。」
「どうしてオレのセリフを盗むんだあ?」
「そんな抗議をしてるヒマがあったら、釣をしてね。都ちゃん。」
「仕方ないな。ブツブツ。」
オレは釣り糸を垂らした。
「3分間待つのよ。」
「はあ?」
言われるままにじっと待つ。時計の針は午前7時を回っている。こういう時の3分とは意外に長いものである。
『グググッ』。ヒットした重量感が両手にのしかかる。これはかなりの大物だ。
「さあ、そのまま一気に引き上げてみなさい。」
閻魔女王の指示に従うのは癪だが、釣りの醍醐味には勝てないのか、狩猟本能のまま、力任せに獲物を引っ張り上げた。釣果は・・・。
「何よ、ここ。ずいぶん狭くて貧相な部屋ね。セレブのアタシにはまったく似つかわしくないわ。」
金色のツインテール。小柄な少女だ。微妙に吊り気味の黄色の瞳。ふんわりしたスカートのワンピース。白を基調として、水玉模様が愛らしい。腰のところには大きなリボン。ツインテールの髪にも白いリボン。清純派を強調したものか。そんなお嬢様風に見える少女であるが・・・。
『ピピピ』。ツインテール美少女が付けた片目の眼鏡レンズのようなものが画面に何かを投影させている。スロットマシンのようにグルグルと数字が回転している。視線の先には眠っている桃羅。
「なに、この小娘。美少女誘萌力は1155だわ。アタシより200倍かわいくないわね。」
『美少女誘萌力』?わけのわからないことを言い出した。それとそのレンズ?ゴーグル?はいったいなんだろう。
「おい、閻魔。この女の子はどこのどいつだ。いったいどこからやってきたんだ。」
とりあえず、質問はツインテール美少女ではなく、閻魔女王に向けた。
「この娘は田井中由梨というの。霊界からお前が引き上げたのよ。これも何かの因縁だと思うよ。」
「霊界?この輪の池はそういう世界に繋がっているのか?てか、霊界って、そんなところがあるのか?」
頭の中は目の前に起こっている奇妙キテレツな事実というマグマで爆発しそうである。目はさぞかしナルト状態だろう。
『ピピピ。ピー!』レンズからさっきより大きな音がした。
「こ、これは誘萌力が結構高いわね。2215だわ。でもアタシより190倍かわいくないけどね。」
なんか計算が怪しい。そもそもその数値は何を基準に算定されているのか?そんなことより、どうしてオレが『美少女誘萌力』の対象になっているんだ?
「あららら。もうやられちゃったみたいだね。をねゐさん大ピンチだよ。」
素っ頓狂な声を出したのは閻魔女王。でもどこか緊張感に欠ける。
「『やられた』だと?何のことだ?」
「いちいち質問が多いね。しつこいと、をねゐさん嫌っちゃうよ。閻魔大王の後継者候補となったら、ライバルから狙われるのは当然のことよ。」
「言ってることがさっぱりわからない。順を追って説明してくれよ。」
「まずは都ちゃんの状態から説明しようね。由梨の美少女カウンター、通称『ユーホーキャッチャー』に反応したということは、都ちゃんはすでに女の子になっているの。」
「な、なにィ?」
大慌てで、しかし慎重に、つまり、恐る恐る、色んな部分に手を当ててみる。まず、髪。男子ではあるが、もともと長く伸ばしている。マリーンブルーのツヤツヤした綺麗なもの。からだ全体に目をやってみる。腰のくびれが眩しい。腰から横に手を移動する。『ない』。象徴が不在。憲法違反だろう。そして、外見的にいちばんの部分。首から約10センチから下の、あの場所へ手を滑らせる。『ぷにゅうううううううううううう』。
現状の胸サイズを不等式で説明する。
閻魔大王>オレ>桃羅
やった!桃羅に勝利!うれしい!なんて、喜んでいる場合じゃない。
結論=オレは女子の仲間入り。オレと桃羅は『兄妹』→『姉妹』になった。こんなトンデモナイことが身に降りかかり、本来なら大騒ぎして、のたうち回りそうなものだが、誠に不思議なことに、オレは意外に落ち着いている。いつからこんなオトナな性格になってしまったのか。
「わかったかな。そう、都ちゃんは女の子になってしまったのよ。いや正確には、『女の子になる』という呪いをかけられているようだけどね。」
「呪いだと?いったい誰がかけたんだ。」
「それはわかんないね。この世界にはいろんな者がいるからね。」
「この呪いを解くにはどうしたらいいんだ?」
「さあね。恐らくは、呪いをかけた者を探し出して、呪いを解かせるか、あるいは、都ちゃん自身が閻魔大王となって、それ相当の力を手にして、自分にかけられた呪いを解除するかだろうね。」
「閻魔大王ってのはそんなに力を持つものなのか?オレのイメージだと、死んだ人の行き先を天国か地獄にする番人ということだけど。」
「その通りだよ。そのためには、かなりの力が必要となるの。閻魔大王後継候補者が正式な閻魔大王となるには想像を絶する努力と才能が必要だよ。」
「ということは誰でもなれるということではないということなのか。」
「そう。都ちゃんは才能においてはクリアしているからこそ、をねゐさん自らこうしてやってきたというわけだよ。」
「後継者って、閻魔大王ってのはその地位を引き継いでいくものなのか?」
「そうだね。年齢を重ねたり、色んな事情で、力が落ちてくると次の世代に託すことになるの。今がちょうどその時期なんだ。をねゐさんが99代目閻魔大王なのさ。だから次は記念すべき百代目。ゴホン、ゴホン。」
閻魔女王は咳をした。体力が減退しているのは本当か。
「そうか。納得はいかないが少しは理解した。」
そう言いながらも切迫感がないオレ。男子がいきなり女子のからだになってしまうというラノベやアニメではよくある展開。こういう場合って、自分の胸の膨らみにどぎまぎし、下にあるべきものがなくうろたえてしまうのが定番的なリアクションである。しかし、引き続きなぜかオレは冷静である。
「都ちゃんはずいぶん落ち着いているね。結構変わった人間なんだね。」
閻魔女王から至極もっともなご意見を賜った。
「ああそうだな。どうしてだろう。でもこんな性格なんだから仕方ないな。自分が女のからだになっただけでは頑張る価値がどこまであるのか疑問なんだな。」
「そういうことならそれでもいいよ。都ちゃんのからだの変化だけがすべてではないんだからね。それは世界の変化の一端でもあるの。よく胃の調子が良くないと、舌が荒れるでしょ。それと同じだよ。」
「じゃあ、オレは舌にできたポリープか。あれは痛い!」
「そのように考えてくれればいいよ。やがて事の重大性がわかる時が来るかも。」
「気長に待つことにするよ。で、そこのおこちゃまはなんだ。」
オレの視野に、ギリギリ頭頂部がかすめるのが由梨という女子。身長は140センチに満たないと見た。
「何よ、このセレブに対する口のきき方がずいぶんね。軽~く殺っちゃおうかしら。」
由梨は顔のカウンターを外した。すると先がギザギザでいかにも凶器っぽい剣に変化した。幅は20センチ、長さが1メートル以上あり、本人とどっこいどっこいで、どちらが武器なのかわからない。
「何、変なナレーション付けてるのよ。これであんたなんか、ばっさり真っ二つなんだからねっ。」
そう言った瞬間、由梨はオレに斬りつけてきた。びゅんびゅん剣を振る。サラサラと数本の髪が切れて落ちる。まさに髪一重で避けたオレ。
「あぶねえ。こんな狭い部屋で刃物を振り回すんじゃねえ。」
思わず叫んだオレ。すると由梨は動きを止めた。
「あれっ?剣が動かないわ。」
由梨は自分の意思で剣を止めたわけではないらしい。
「都ちゃん、これがあなたの能力。『コトダマ』だよ。」
閻魔女王の瞳がここぞとばかりに輝きだした。
「『コトダマ』だと?古来日本に伝わる『言霊』のことか。あの、言ったことがそのまま現実になってしまうという、アレのことか?」
「そういうことだよ。都ちゃんの言葉の中から、一定のものが選ばれて、『コトダマ』として、自在に使えるものとなるの。今のがそれ。『コトダマ』は発せられた言葉そのものではなく、言葉の意味・内容が具現化するのよ。今回は『刃物=金属』という言葉に反応したらしいね。」
閻魔女王は一枚のカードを手にしている。
「トランプみたいだが。」
「これは『トリガーカード』というの。これを使えるのは都ちゃん自身と、そのパートナーたる者だけだよ。パートナーには相性があって、誰でもなれるわけではないわ。今のカードは由梨が持つことになるの。これは『ダイヤの9、メタル』のカードだね。金属系の防御が可能となるわね。閻魔大王になるにはこのトリガーカードを集めることが重要だよ。」
カードは自然に由梨のところに飛んでいった。
「キャアー!!」
突然、由梨は悲鳴を上げた。顔を顰めて、両手で薄い胸元を覆っている。オレはしっかりその点は確認した。オレは胸に関してはちょっとだけだが、強い関心がある?
「何見てんのよ。あっち向きなさいよ。」
「はあ。残念。」
オレは一旦由梨の指示に従った。
「どうして、アタシ、こうなってしまったの。女王様。」
由梨はいつの間にか、水着姿。それも露出度の高い超三角ビキニ。色は黄色。
「トリガーカードは水着に変わるの。水着として常に使用者と共にあることになるよ。」
「ということは、アタシはこいつのパートナーになったということ。嫌だわ。」
「それは仕方ないね。ガマンするしかない。そもそも霊界から釣られたこと自体、由梨は都と繋がりが深いということなんだよ。」
閻魔女王は高名な僧侶のように由梨を教え諭した。
「ううう。悔しいわ。このセレブがこんなヘンタイオトコと一緒に・・・。」
由梨は泣きだした。
「ちょっと、待ってくれ。オレの立場はスルーかよ。第一、その由梨っておこちゃまはいったい誰なんだ。」
「霊界からの使者、いや死者でもあるよ。」
「使者、死者だと?」
「そう。何らかの理由でこの世で死んでしまい、霊界にやってきた。でも、由梨にはひとつの願いがある。それを叶えるために、ここにやってきたんだよ。」
「その願いとは。」
「女の子同士の秘密だよ。どうしてもって言うなら由梨に訊いてよね。」
ひとりは確実に『女の子』ではないハズ。そんなやりとりをしているうちに、この部屋にいるもう一人の人間が目覚めた。
「お兄ちゃんおはよう。今日は早く起きてたんだね。桃は朝食の準備してくるね。」
目を擦りながら、桃羅は都の部屋を出ていった。
「桃羅は閻魔女王と由梨には気付かなかったようだが。」
オレは大いなる疑問を閻魔女王にぶつけた。
「をねゐさんや霊界の死者は普通の人間には見えないんだよ。」
解説は5秒で終了。たしかに、いわゆるユーレイは人間には見えない。だからこそ、オカルト扱いとされているんだからな。たまに心霊写真がテレビなんかに出ると大騒ぎになる。これは普段見えないものが、見えてしまうからこそ起きるパニック現象のようなものである。
「とりあえず、頭の整理をしてくる。」
そう言って、オレは部屋を出て、顔を洗ってきた。もしかしたら、これまで見たものはすべて夢かもしれない。閻魔女王が言うように、しばらくして部屋に戻ったら、何も見えなくなるかもしれない。仮にオレの部屋にまだいたとしても、見えなければ何も存在しないのと同じだから。そこにいるのに見えないというのはある種不気味であるには違いないが、ずっと見えないのであれば、『ユーレイ不在説』を信奉する物理学者のようなリアリストと同じ。そのうち慣れるだろう。
1階の食堂で、桃羅が作った朝食を済ませたオレは自己暗示をかけた。『オレの部屋には閻魔女王はいない。霊界の使者・死者は存在しない』。お経のようにこれを唱えながら階段を上った。『さっき見たものは夢、いやそうではあるまい。』という付加疑問文を追加しながら。
自分の部屋についた。オレの部屋だからノックなどはしない。『不存在の証明』と念じつつドアを開ける。
そこには誰もいなかった。時計の針は8時を回っていた。
女の子になってしまった。これまでは見た目重視で胸にパットをいれていたのだが、これからは不要となりそうだ。でも心は男。それは変わらない。本質的に喜んでいるわけではない。元に戻る必要性は絶対的に存在する。
「ヘイ、エブリバディ。今日はプリティガールな転校生をイントロデュースするよ。アーユーレディ?」
担任はピンクのスーツに身を包む眼鏡女教師だ。英語担当でもあり、奇妙な日本語を使う。もっとフツーに喋ってくれ。
『トコトコトコ』。ゆっくり登壇してきた女子。黄色のツインテール。
「かわいい」「めっちゃ美少女じゃん」「ツインテールお似合いだあ」「黄色が眩しい」「めっちゃキュート」「ほんとプリティ!」
クラスメイトは総じてルックスを褒めているようだ。
「田井中由梨です。セレブの16歳です。よろしくです。」
自己紹介にしてはひとこと余計だが。言葉よりももっと不必要なものを装着している。
『ピピピ』。
「美少女誘萌力、120、115、209、50、大したことないわね。アタシと比べるとゴミ同然ね。」
由梨は『ユーホーキャッチャー』をつけたままである。どこから見ても奇妙である。クラスメイトの視線はそこに集中している。休憩時間にはさぞ質問責めに遭うことだろう。
しかし、オレはもうひとつ別のところにスポットを当てた。
「ミス田井中の席はミス日乃本のライトサイドだね。ビコーズ、そこしかエンプティシートはナッシングだからさ。」
わかりにくい言葉を受けて、由梨はオレの隣に腰かけた。即座に質問をしたオレ。周囲に聞えないように小声。
「おい、どうして学校に来たんだ?」
「別にあんたに答える義務はないわ。話しかけないでよ。目障りだわ。このヘンタイ。」
「どうしてヘンタイだとわかる?」
「そんなの答えるにも値しないわ。」
「まさか、今朝、水着姿を見られたのが恥ずかしいとか。」
「べ、別にそんなことは大したことじゃないけど。あんたに見せるには早すぎると思っただけよ。ギャラを払いなさいよ。」
明後日の方向を見る由梨。いや見ていない。目は閉じられている。顔が赤いのはなぜか。窓際で日光が当たっているからか。
オレが質問をしたかったのはこんなことじゃない。
「おい、頭の上にある白い輪はいったい何だ。」
「これ?死んだことを証明するものよ。よくアニメとかで見るでしょう。」
「あれのこと?でも、そんなのをつけたままじゃ、回りに不審がられるだろう。ていうか、死人であることを標榜しているようなものじゃないか。てか、美少女カウンター、いやユーホーキャッチャーだったか、の方が存在感は大きいがな。」
「大丈夫。輪の方はフツーの人間には見えないわ。」
「なんと。じゃあ、オレが特別だということ。」
「そう。だからヘンタイ。」
「そういうことっすか。」
十分に納得したオレ。そんなわけない!女装から本物の女の子になったのだから、生物学的には『変態』したことは事実。だからオレは『変態』なのであって、決して『ヘンタイ』なのではない。
そもそもオレが女装している理由。シュミと言ってしまえばそれまでだが、それだけでもない。オレの家では女がもてるのだ。父親はオレより、母親つまり、妻を愛する日々が続いた。妹が生まれてからもそれは変わらず。また、両親は妹を愛して、都は男子なので放置され、そのことがオレの女装への興味を駆りたてることになった。オレは両親に気に入られるべく、女装をするようになり、その方がかわいいわよと母親から言われることが嬉しかった。そのまま高校生までなってしまったということ。ちゃんちゃん。本当はもっと奥深く長い話なのだが、今はここまでにしておこう。
「姿が他の生徒や先生には見えるのはどういうわけだ?」
「『8時ルール』というのがあるの。朝8時から夜の8時までは一定の場所で姿を具現化することが可能なの。それ以後は単なる霊体になるってわけ。これは閻魔女王のチカラによるものね。だからそれ以外の時間は普通の人間には姿は見えないわ。」
さっぱり理解できない。そのうち慣れてくるのだろうか。
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