第11話

 階段をのぼっておりていくと、目の前には砂浜が広がっていた。足の裏に、砂を踏む感覚がある。砂浜の向こうには、夜明けの海が広がっている。

 海の向こうには、遠くにある陸地、そして水平線が広がっていた。かすかに見える船影は、漁に出ていた船のものだろうか。


「何を撮る?」

 政志はカメラの画面をのぞきこみながら問いかけてくる。

 撮りたいものはたくさんあった。波打ち際の光景。夏の空。水平線。

「うーん」

 撮りたいものがいくつもあると、迷ってしまうものだ。ひとまず寄せてはかえす波から撮ろうと、カメラの設定を確認しながら歩いていく。

 波打ち際まで歩いていくと、より強く潮の香りが漂ってきた。ざざ、と押し寄せてくる波の音が大きく聞こえてくる。


 ファインダーをのぞけば、見えるのは四角に切り取られた海だ。透明な波がしろくにごりながら打ち寄せてくるさまを何度も切り取っていく。

 しばらく夢中でシャッターを切る。ふと手を止めたとき、隣からシャッター音が聞こえてきて、千仁は顔をあげる。

 いつのまにか政志がならんでいて、しゃがみこんで撮影を続けていた。

 やがて、千仁の視線に気が付くと、立ち上がってすこし照れたような目を向けてくる。


「朝だと、夏空の濃い色が撮れないな」

「うん、そうかも」

 ふいと顔をそむけた政志は、海の向こうをながめている。千仁もつられて、海の向こうを見やっていた。

 夜明けまえの海は、透きとおった水色のようなうつくしさだった。けれども、あの夏のような濃い青とはすこしちがう。

 きっと、政志が撮りたいのは、あの息が詰まるような夏の空なのだろう。


「お昼とか、午後とかじゃないと難しいかもね」

「そうだな……」

 午後になれば、あの息が詰まるような空の色が撮れるような気がした。運がよければ、夏らしい入道雲も撮れるかもしれない。

 千仁は、政志へと顔を向けていた。政志は変わらず、海の向こうを見つめていた。まっすぐなまなざしは、写真を撮るときのものだ。

 好きなものを追うときの、遠くをみつめるまなざし。横から見ているだけでも、心をつかまれるような気持ちになる。


「また来る?」

 政志のまっすぐな目に引き込まれるように、千仁はぽつりとつぶやいていた。前を見ていた政志の目がふらふらとゆらいで、考え込むように俯いていた。

「うん……、どうしようかな」

「来ないの」

「そりゃあ……、でも昼間は魚がどれくらい出てくるか、わからないだろう」

「あー……」


 政志の言うことはもっともなことだ。朝は魚の数が少なかったが、昼も同じくらいの数だとは思えない。

 朝ぐらいの少なさであれば突破も簡単だが、あれ以上増えた状態で、魚たちのあいだをくぐりぬけ、外に出るだけの勇気はない。

「ま、魚の数によるな」

 政志はまなざしをやわらげて、気楽そうな調子でつぶやいた。それから思いついたようにカメラをかまえて、千仁の方を向く。


 大きな丸いレンズが、千仁をとらえていた。

「……何」

「ちょっと思いついた。横向いて」

「は? モデルは嫌なんですけど」

「はいはい、いいから」

 政志のまっすぐな視線がファインダー越しに注がれるのが気恥ずかしくて、避けてみるが、政志は聞く耳をもたなさそうだ。

 まっすぐに向けられるレンズに耐えきれなくて、ふいと横を向いてしまう。


 とたんにシャッターを切る音が聞こえてくる。なじみ深い音も、自分に向けられているかと思うと、やけに大きく聞こえるようだ。

 カメラに顔が映ることをさけるように、ぷいと横を向く。政志は気にした様子もなく、シャッターを切り続けているようだった。


 波の音に混ざって、シャッター音が聞こえてくる。

 普段、どちらかをモデルにすることは、あまりない。そのせいだろうか、いつもなら飛んでくるだろう指示も、今日は飛んでこなかった。

 会話もなく、ただ写真を撮るだけのひととき。今の政志は何を思って、ファインダーをのぞいているのだろう。ひとたび気になり出せば、ずっと気になってしまう。


 ついに我慢できなくなって、千仁は政志をふりかえっていた。

 ふりかえったときに、一度シャッター音が鳴る。そこで政志はかまえていたカメラをそっとおろしていた。

 朝焼けの光を浴びて、政志の頬が輝きを帯びる。

 まぶしく見える政志の姿は、やはりいつもとは違うように思えて、千仁は黙ったまま、ただ政志を見つめることしかできなかった。


「帰るか」

 ぽつりと落とされた呟きに、千仁は我にかえった。政志は返事を待っている様子はなく、千仁に背を向けて歩き出してしまう。

 潮風にはためく黒のシャツ。ふわふわと揺れる、焦げ茶色の髪。

 日差しを受けて輝くそれを見ているうちにひどく切ない気持ちになって、ごまかすように、千仁はカメラをかまえていた。


 すっと防波堤へと向かっていく彼の背中をとらえる。シャッターを切る音。

 一枚だけカメラにおさめると、すぐに政志を追いかけていった。

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