第5話

「那智さん、危ない!」

 くらげのようなものを見た途端、政志が前へと一歩、進みでていた。さらに一歩近づいた政志を那智が手で押しとどめる。

「こいつは大丈夫みたい。クラゲは、特にこっちを狙ってくることもないみたいだから」

「そ、そう……ですか」

 政志は安堵したような、気の抜けたような声をあげる。


 諸泉は那智のところまで歩いていくと、近くに置いてあるうちわを手にとった。

 それからクラゲに近づいていくと、ぱたぱたとうちわをふりだした。クラゲはうちわの作り出した空気にあおられて、少しずつ斜めに揺れていく。

 やがて、クラゲは揺れる身体を嫌ったのか、自発的に離れていくのがわかった。

 諸泉はゆっくりとふりかえる。


「俺たちが魚って言っていたの、わかったか?」

 諸泉の言葉に、千仁は揺れていったクラゲをじいと目で追っていた。

 まさか、ふたりが話していたことは、この半透明の魚たちなのだろうか。

 千仁の疑問を追うかのように、窓の外でゆらりとなにかがうごめいた気がする。目を凝らすとそれはサンマのような細い魚の集まりだった。やはり半透明で、身体の向こうには夏空が見えるのである。


「まさか……あれが……」

「そう」

 諸泉は千仁が目にしているものに気がついたらしく、こくりとうなずいていた。

「いまさらなんだが、野内も大迫もあの魚たちが見えるんだな」

「はい」

 千仁もうなずく。あれは一体何か、理解になやむところではあった。

 だが、ああいった不思議なものを見るのはこれが初めてではない。千仁は子供のころ、それこそ物心ついたころから、人には見えない「何か」をよく見ていたのだ。


 もしかすると、あれが怪奇現象のひとつなのだろうか。

 この場にいる全員が当たり前のように魚たちを認識しているので気がつかなかった。だが、本当は、この魚たちは人には見えないものなのかもしれない。

 人には見えないものならば、学内で広がっている噂の正体にも、見当がつけられる。


「それなら、話が早い」

 諸泉はうちわで顔のあたりをあおいでいる。あおぐ速さがやけにゆっくりなので、涼しくなっているのかはあやしいところだ。

「ここで怪奇現象が起きてる……って噂は聞いていると思うんだけど」

 諸泉の言葉に、千仁も政志もうなずいていた。千仁はとくに興味がなかったのでさわりしか覚えていないが、それでも十分だと思っていた。


 今年の春ごろから、学寮では度々、不可解な事件ばかり起きている。

 学寮で研修を行っていた一年生の誰かが、突然行方不明になって、数日後、行方不明のあいだの記憶をなくして戻ってきたとか。

 海に遊びにいっていた生徒が、変なものを見たとか。

 終いには、ここの管理をおこなう人まで記憶をなくす事態が起きて、学寮が立ち入り禁止になったとか。


 学寮については何も言われていなかったし、千仁も興味がなかったので、特に深入りはしていなかった。せいぜい噂に尾ひれがついた話だと思っていたのだが。

「これ、怪奇現象の原因ね」

 諸泉はあおいでいたうちわを窓の外にむけて、あっさりと言ってのけた。

 あまりにもあっさりと告げるので、なんだか現実味がない。


「魚はどうも、普通の人には見えないらしい。俺も那智もそういうものが見える体質だから、まあこうして見えてるんだが……まさかお前達もそれとはな」

「小学校のころから、変なものばかり見てます」

 千仁と同じことを政志が言う。はじめて聞いたことに、千仁はつい政志を見ていた。

「はじめて聞いた」

「……そうか?」

「そうだよ。だって普通、こんなこと言ったって信じてもらえないよ」

「そうか」


 政志はとりあえず納得したようだったが、表情はどこか複雑そうだ。何を納得していないのか。千仁はおもわず首を傾げてしまう。

「……これも因縁なのかもしれないな」

 諸泉はそれだけ呟いて、かすかな苦笑をうかべている。すぐに顔をうつむけてしまったので表情はよくわからなかった。

 けれど、呟いた声は、どこか苦しそうにも聞こえた。次に顔をあげたときは、いつもと変わらぬ調子で、苦しさの正体を、追いかけることができない。


「この魚が何をするのか、はっきりしなかったんだが……ひとつ確実なことは、こいつは人の記憶を喰うってことだな」


 諸泉の言葉に、那智と政志の視線が、千仁に集まる。

 全員の視線を浴びながら、千仁は自身を指さしていた。

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