第7話 地層
「君、今日は」
「独りだよ」
君の両親はとても忙しい人らしく、帰ってこない日が多い。
「じゃあ、私の家においでよ」
君を独りきりにすると、私の知らないうちに何処かに行ってしまいそうで怖いから、私はそういうときはいつもこんな提案をする。
「あなたは…一人暮らしだったね」
「ああ、だから気にしなくていいよ。そうだ、最近面白い本を手に入れたんだ。だからおいでよ」
君は無機質な瞳でじっと私を見上げてから、
「じゃあ、行くよ」
と素気なく答えた。
私の家に来ると君はいつも壁に背中をくっつけるように座って本を読む。言葉を発さずにぺらりぺらりと、細い指でページを繰る姿はそれだけでも絵になる。
「これのこと?」
「うん、君が好きそうだったから」
部屋の中に散乱する本から一冊を取り上げて、黒曜石を本のページに向けた。
身体の奥から少しだけ湧き上がるこの粘りついた何かはおそらく嫉妬だ。本にすら嫉妬をする独占欲の塊、それが私の本性だ。
「何か飲むかい?」
「さっき珈琲を飲んだじゃないか」
「そうだったね」
君は本から片時も目を離さずに答えて、それっきり何も言葉を発しなくなった。動いているのはページを繰る細い指だけで、どうかすると本当に人形のようだ。
君を押し倒したら、君はどんな顔をするだろうか
ふと、魔が差したようにそんな考えが浮かんだ。浮かんだ考えは私の脳をあっという間に支配して、運動神経へと働きかける。
とさ
君が床に倒れた音は、想像していたよりずっと軽い音だった。私の両手は君の両肩にかかり、君の顔がいつもよりも近くにある。
君は突然そのような行動に走った私を、無感動な二つの黒曜石で見つめた。
「今読んでいた本」
「え?」
「今読んでいた本の主人公、まるであなたみたいだった」
唐突な発言に私の方が戸惑う。
「ずっと献身的に誰かを想っている主人公…あなたみたいだ」
私を見ているようでいて、ずっと遠くを見ているような目で君は独り言のように呟いた。
「きっと君は疲れているんだね」
「そうだろうか」
「そうだとも」
私はそんな素晴らしい人間じゃない。今この瞬間にだって君を例え汚す結果になろうとも、いや君を汚したいからか、兎に角、君に接吻して撫でて舐めてありとあらゆる方法で君を愛して蹂躙してしまいたいと思っているのだから。 私は精一杯の努力で君から離れて、万年床へ入った。
「まだ早いけれど眠ろう。私たちは疲れているんだ」
「そうなのかもしれない」
君ものろのろと起き上がって、当然のようにするりと私の床へ入ってくる。
「あなたの音がする」
頭を私の胸につけて呟いた君の背中を、幼い子供にしてやるようにそっと撫でてやる。
「このまま目覚めないで化石になれたらな」
いくらかぼんやりとした声で漏らしてから、君は静かに寝息を立て始めた。
君を起こさないようにそっと君の身体を抱きしめる。君はピクリと身体を一度だけ震わせてから再び安心でもしているかのように脱力した。
今この布団は地層だ。私と君は地層の中で眠る化石だ。
―この幻想は誰にも邪魔できない。
化石 爽月柳史 @ryu_shi_so
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