第5話 琥珀ノ幻

 馴染みの喫茶店に来ると、まるで私たちが琥珀の中に囚われたかのように錯覚する。間接照明の暗い橙と、使い古された木製のテーブルが、喫茶店の時を凝らせているのだろう。窓は色硝子を使ったステンドグラスなので、日差しの強い日は色硝子を透過した太陽光が琥珀の中に色彩を与える。

 私たちは店に入ると、いつもの窓際の席に腰を下ろした。君はこの店の、この席が好きでここに来ると少しだけ、表情が柔らかくなる。今日は曇っているのでその様子を見ることはできないが、日差しが強いときは、いつも指で静かに色付きの影をつついている。今日の君は色硝子にこつりと頭を預けて、瞼を少しだけ下ろした。このときの君は、どんな宗教画にも表すことができないくらいに神々しくて美しく、私は訳の分からない不安に駆られる。

 「君は、何にする」

 その不安を振り払うように君に問いかけると、君は瞼を少し上げて

 「なんでも構わないよ」

 とだけ言った。

 「じゃあ君はくりいむあんみつかな」

 「それでいいよ」

 「飲み物は珈琲でいいかな?」

 「任せるよ」

 君は頷いて瞼を閉じた。黒曜石が完全に隠れてしまって、少しだけ残念に思う。

 「マスター、くりいむあんみつと焼き立てのパイ、それから珈琲を二つ」

 喫茶店のマスターは静かに頷いて、裏に引っ込んでいった。

 「ここは好きだよ」

 瞼を閉じたまま君はぽつりと呟いた。

 「そうかい」

 「うん、この琥珀色の中にいると自分が化石になれたような気がして」

 琥珀に閉じ込められた虫達を想起するからだろう。君はこっくりと頷きながら言った。

 ひと気のない店内ではレコードが緩やかに音を紡いでいる。君の声は楽器のようにレコードの音に混ざって静かに流れる。

 成程、この時間が溶けきってしまったような空間は君の幻想にはぴったりだ。

 「なら、私も君と一緒に化石になっているね」

 「そうだね」

 ことり、と私たちの前に甘味を乗せた皿と、珈琲カップが用意された。

 君は木でできた匙で、そっと餡とくりいむを掬って口へ運んだ。

 「美味しいかい?」

 私の問いに君はこっくりと頷いた。その姿はどこか小さい子供のようで微笑ましい。

 「パイを食べるかい?あたたかいよ」

 私はパイを一口の大きさに切って君の口元へ差し出した。君は口を開いてフォークをぱくり、と咥えた。

 「あたたかいね」

 「焼き立てだもの」

 再び口元へパイを運ぶと、君はぱくりとパイを食べた。どうやら気に入ったらしい。

 「あげようか?」

 「そんなには入らない」

 そう言って首を振る君は、少し残念そうだ。

 「なら、次に来たときに頼めばいいさ」

 「次など無いかもしれない」

 「あるさ。そう遠い場所ではないのだから」

 「その前に化石になるかもしれない」

 「ならば私は死なないようにしなければ」

 私は笑いながら、一つの馬鹿馬鹿しい空想をしていた。

 もしも、私が死なずに永遠を生きることができたら、君とも永遠に在れるのだろうか

 それはとても甘美な妄想だ。私は死なず、君が化石にならず、私と君は今この瞬間のような時間を永遠にたゆたう 

 「あなたは本当に救いようのない馬鹿だ」

 君は少し目を伏せて言ってから、珈琲を一口だけ飲んだ。

 珈琲カップを持つ白く華奢な手、白い肌へわずかに影を落とす君の長い睫毛。

 嗚呼、君の姿はなんて神々しいのだろう。「無垢」という言葉は君のためにあるようだ。

 「本当に馬鹿だ」

 馬鹿でいい。美しく穢れのない君と共に在れるのなら、私はなんだっていい。

 この私の想いは、君を汚しはしないだろうか

 頭の中にそんな不安がよぎると同時に、綺麗な君を私の手で汚してしまいたいなどという欲望が頭をもたげるのだから、私は本当に救いようがない位に汚い。

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