第4話 人形ノ夢・ヒトデナシノ願望

 「眩しいな」

 薄暗い、君の言を借りれば「監獄」から出て君は開口一番にそう言った。

 「そう?」

 季節は秋の終わり近くで、空は白とも灰色ともつかない奇妙な雲が覆っている。

 「眩しいよ」

 「夏ほどではないじゃない」

 「変わらないよ」

 君は黒曜石の瞳を僅かに閉じて呟いた。学校帰りの学生や買い物帰りの主婦たちが、規則性を見いだせそうだが不規則な様子で通りを歩いている。

 「みんな忙しそうだ。生きることに」

 「それが眩しいの?」

 「そう」

 「君だって忙しそうじゃない」

 「いいや。あそこの監獄の囚人たちと変わらないさ。いや、ずっと中途半端だ。生きているふりだ」

 「君は生きているじゃない」

 「酸素と二酸化炭素を交換して、ものを食べて、心臓で忙しく体液を循環させているだけだよ。それを生きているというのなら機関車だって生きているさ」

 憂鬱な声色で、しかし人形のように整った無表情で君は言う。

 ―あんな不気味な生き人形とよく一緒にいられるね

 君と共に在るようになってから、一度だけ他人にそう言われたことがある。人形のように整った顔を殆ど変えることのない君は、その魂すら人形のように無機質であると思われているらしい。

 「化石になりたいな」

 果たして人形はこのような幻想に囚われるだろうか。

 人の形を模しただけの空っぽな存在には、そんな思考すら抱かないのではないだろうか。

 「化石になって明確になって朽ちていきたいな」

 「結局は朽ちるのかい?それでは化石になる意味がないだろう」

 「あるよ。あるんだ。中途半端が朽ちたって何もならない。そんなものは生ではない、ただ壊れた機械が無くなるだけだ。化石になるということは少なくとも生きていただろう身体がこの地に刻み付けられる」

 私にはそれがどう違うのかは皆目見当つかないが、おそらく君にとっては違うのだろう。君の細い身体が緩やかに溶けていって溶けないところが鉱物に置き換わり、不変の存在へと明確化されていく。君の中で、それは最も尊い死の姿で生の姿なのだろう。

 「じゃあ私は…そうだな、学者にでもなろうか」

 「何故?」

 「学者になって君の化石に学名をつけてあげよう」

 「そんなのあなたの標本になるということじゃないか」

 「嫌なのかい?」

 「嫌だよ。そんなの囚人だ。それに、あなたが死んで初めて化石になれるんだ。だから学名なんてつけられないさ」

 「成程。しかし君、輪廻というものがあるだろう」

 「人は何度も生まれ変わるというあれか」

 「そうさ。私が死んで君が化石となったら、私は人として生まれ変わって学者になって君を見つけてあげよう。見つけて学名をつけてあげよう」

 「あなたは大層な馬鹿だったんだね」

 「褒めてくれてるんだね」

 「そんなわけないだろう」

 「ありがとう。そんなことより喫茶店にでも行こう。何か甘いものでも食べようじゃないか」

 僅かに拗ねたような声色の君の手を取って、私は言った。君の手はひんやりとしていて水に触れているかのような心地だ。

 「つめたい手だね」

 「あなたの手はあたたかい」

 「手がつめたい人は心があたたかいと聞く。君のその手のつめたさは、心のあたたかさかもしれないね」

 「名は体を表すように、体は心を、魂を表すのさ。だからあなたの意見は見当違いだ」

 君は少しだけ体重をかけるようにして私に寄り添った。歩くのには困らないひそやかな重み。

 「兎に角、喫茶店に行こう。甘いものを食べよう。奢ってあげるよ」

 君を何処にも行かせたくない

 そんな独占欲が君に見透かされてはいないだろうか

 「あなたの手は、あなたの心のようにあたたかい」

 嗚呼、頼むからそんなこと言わないでくれ

 今すぐにだって学者になって、君に学名をつけて、君を標本にしたい 私はそんな自己中心的な欲望を抱える人でなしなのだから。

 「甘いものを食べよう。なんでもいいよ」

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