第11話 Already Home
お姉ちゃんは、風俗をやめた。代わりに、わたしたちはコンビニ船で働くようになった。
コンビニ船は、居住区を回遊して女性たちにいろんなものを売る。女の世界の船だから女性が働くことになるんだけど、ほぼ二十四時間うごかさないといけないし、女性はみんな風俗以外はなにもせずに過ごすのが好きだったので、コンビニ船で働きたいという人はいなくって人手不足なようだった。わたしとお姉ちゃんが面接にいくと、女の世界のボスらしい女性はわたしたちを酔狂なものを見る目でじろじろ眺めた。
「せっかく江泊にいるのにコンビニ船ねえ……」
女性はそう漏らした。その言葉の意図はわかる。風俗をしたほうが楽に稼げるのだ。それが、江泊の、女の世界の共通認識だった。わたしとお姉ちゃんは、そこから外に出ようとしてる。手をつないで。
「もう決めたんで」
お姉ちゃんは、つよい口調でそう言い切った。
わたしたちは、ふたりで生きていくんだ。
コンビニ船は、まあそんなに大きい船じゃない。六畳間くらいの倉庫がぽつんと載ってるだけ。でもその倉庫は棚で細かく仕切られて、たくさんの商品が載ってる。女性のつかう日用品がほとんど。化粧品とか。化粧品は花王とか資生堂とかシュウウエムラとかメジャーなものはなくて、どこで作られたのかも分からない、名前のしらない化粧品ばかりだった。パッケージもやたら地味。かすれた文字で「六号」とだけ書いてあったりして。でもその化粧品をつけると、わたしたちは魔法にかかったみたいに美しく変貌した。もちろん、風俗でつかうことを前提とした化粧品なんだけど。ほかにも粉ビールとかキッシングシガレットも売ってた。ぜんぶ、風俗でつかうものだ。女の世界は風俗に彩られてて、わたしたちはコンビニ船で働き出してもそこから逃れることはできなくて、むしろコンビニ船に並んでるものたちが結界の象徴のように思えた。ならば、と思う。コンビニ船を変えることができれば、女の世界を変えることもできるんじゃないか。結界を壊すことができるんじゃないか。お姉ちゃんも、きっとそう思ってくれてたと思う。
コンビニ船は、お姉ちゃんが操縦する。お客さんに商品を売るのもお姉ちゃんがする。じゃあわたしが何をしてるかといえば、倉庫の在庫管理とか、商品の補充とか、だ。
「あー、ちょっと、想子」
レジに立ってるお姉ちゃんがわたしを呼んだ。
「この蜜柑ジュース、賞味期限切れてるよ」
お姉ちゃんはそう言ってお客さんに頭を下げ、わたしを睨んで蜜柑ジュースを差しだし、交換するように促す。
「えー、うそうそ」
わたしは倉庫に陳列してた作業を止め、お姉ちゃんのもとへ駆け寄る。
「いやいや、まだあと一日あるじゃん」
わたしは蜜柑ジュースを受け取り、ラベルを確認して言った。
「あんたねえ、あと一日しかない飲み物売る気? こんなにでかいのに、一日で飲めるわけないじゃん」
「いやわたしなら飲めるし。それに賞味期限でしょ? 消費期限じゃないから、多少過ぎてもだいじょーぶだいじょーぶ」
「はあ? あんたってなんでそんな適当なわけ? ころすよ?」
「創子だって賞味期限すぎてる豆乳、がばがば飲んでんじゃん、いつも」
「ガバガバは飲んでないでしょ。あれはあんたが飲み残すから、あたしが仕方なく飲んでんじゃん」
「うそだ、わたしは知っている。創子があえて賞味期限を過ぎた豆乳を飲むことにより、下痢を起こし、ダイエットに役立てようとしていることを」
「なんでナレーション口調なのよ。勝手なこと言わないでよ。あんたもちゃんと豆乳飲みなよ。だからいつまでも胸が大きくならないんだよ」
「ははは。貧乳は創子も同じじゃん。イソフラボンも効果ないですなあ」
「ころす。イソフラボンを馬鹿にするやつはころす」
わたしとお姉ちゃんは、つまらないことで喧嘩をするようになった。軽口や冗談も叩けるようになった。わたしたちを変えたのは、あのセックスだ。肌と肌を合わせることで気を許すようになるなんて、わたしたちもベタだなあと思う。でもあのセックスは、それだけよかった。あんなにいいのはちょっと怖くて、あれから一度もしてないけど。それでいいんだ。お姉ちゃんとふたりで忙しい日々を楽しく過ごす。そのことがなによりしあわせだった。
コンビニ船の商品がなくなると、わたしたちは買い出しに行く。コンビニ船を操縦して、しまなみ海道まで。煉瓦でつくられた倉庫が高く立ち並ぶ島があって、こまかく分岐する運河のあちこちでは、倉庫から卸値で商品を買うことができる。
「うわ、この服、めっちゃよくない?」
「うーん、それ派手じゃない?」
「いや、想子はそれがダメなのよ。あんたちょっと地味よ。せっかく顔がいいんだから、もっとお姫様みたいな服着たほうがいいよ」
「……うーん、それ、創子の趣味だよね。あと顔がいいとか、さりげにわたしを利用して自分を褒めるのやめて。わたしと創子の顔が似てるってさんざん言われてるから」
「いいから、ちょっと着てみて」
わたしは更衣室にはいり、その服を着る。うーん、やはり露出度が高いような……。やっぱりかんぜんにお姉ちゃんの趣味だよな……。
「うわ、想子、かわいー!」
「うーん、そうか?」
「それ買ってあげるからさあ、それ着て帰りなよ、想子」
「でもさあ、これちょっと高いよ。予算オーバーだよ」
「大丈夫。値下げ交渉得意だって想子も知ってるでしょ。それで余ったお金でお茶して帰ろうよ」
そうそう、お姉ちゃんは値下げ交渉が得意だった。ふだんはだるそうにしててあんまり喋らないのに、買い物のときはテンションあがってやたら喋るし、そのままのノリで店主に値下げを訴える。強気で言うときもあれば、泣き落としもある。論理的に言い聞かせるときもあれば、意味わかんない言葉で駄々こねてるだけのときもある。いっかいカトリック系のお店でアクセサリーを買ったとき、「本当にこの値段が適切だってあなたは神に誓えますか?」とか意味わかんないこと言って十字きってて、わたしは笑いを堪えるのが苦しかった。お姉ちゃんの値下げ交渉のすごいところは、こうと決めた金額はぜったいに譲らないところ。最後には店主が根負けして値段を譲らざるを得ない。まあだいたいがよく行く店だし、店主さんたちもお姉ちゃんのそういう性格を分かってくれたみたいで、ちょっとしたコミュニケーションくらいの感じでお姉ちゃんの値下げ交渉に付き合ってくれた。
帰り道、わたしたちは大抵カフェでお茶して帰る。船でしか入れない洞穴内にあるカフェがわたしたちのお気に入りだった。あおい光が満ちててムードあるし、珈琲が安くてとびきりおいしい。だいぶ年老いたおじいさんが一人でやってるお店なんだけど、そのおじいさんは元々、海軍にいたらしい。そのころ覚えたらしい海軍珈琲がそのお店の一押しで、わたしたちももちろんそれを注文する。しばらくして、すこし割れた銅製のお椀にたっぷりと珈琲が注がれて出てくる。わたしたちはそれをゆっくり減らしながら、長い話をする。
「大地はない。大地だけはぜったいにない」
「えーそうかあ、わたしは好きだよ、ああいう真っ直ぐな子」
「ははは、そこが想子の趣味が悪いとこだよね」
「いやそれは創子もそうでしょ。創子なんか幸太郎さんが好きなんでしょ?」
「いやだからね、想子は男を見る目が浅いんだって。結局想子は、大地の顔しか見てないんでしょ。確かに大地はかわいい顔してるし、将来有望ではあるけどさあ」
「でしょ?」
「その点幸太郎は決して美形ではないけど、あの人はねえ、すごくいい男だよ。まず頭がおかしい。好きな人の娘を引き取るとか、倒錯具合やばい」
「いやいやいやいや、それ、創子のが趣味わるいよね、だいぶ」
「分かってるけどねえ、男の趣味ってなんなんだろねえ」
「まあそれは、人によって違うんじゃない?」
「ひとつ言っておきたいのは、いちばんいい男はハイドラだよ」
「ああ、それだけは確定ですね」
わたしたちは、きわどい恋愛の話もぜんぜんできるようになった。わたしは過去の恋愛の話をして、お姉ちゃんも過去の恋愛の話をして、でも将来の話になると、ぜんぜんわかんなくって、わたしたちは無言になって、そのあと、キスをした。ずっとふたりでいられたら、とか、そんなことを考えてたと思う。でもこの頃にはあたりは暗くなってて、わたしたちはまたコンビニ船に乗り、忙しい日々に帰った。
わたしたちはコンビニ船に、避妊用具とか、風俗のためじゃない自分のための化粧品とか、都会のファッション雑誌を並べるようになった。お店のいちばん目立つところに置いて、どんなものなのか分かるよう、可愛らしいPOPを整えた。それを見た年のいった女性からは、ほとんど罵声のような言葉をぶつけられることがあった。わたしたちは何も言い返さず、黙ってそれに耐えた。彼女たちはもう戻れないところまで来てるんだ。それらを買うことは、彼女たちの人生を否定することになるから。一方、若い子はそういう商品に興味を持ってくれることが多くて、それでも売れることは少なかったけど、まれに「これください」と言われると、わたしたちはカウンターのしたでこっそり手を握り合い喜んだ。
わたしたちは江泊を変えていくんだ。
忙しい日々ではあったけど、ハイドラと遊ぶのは忘れなかった。深夜のお客さんが少ない時間、毎日ガラス張りのような青が広がる砂浜に行って、お姉ちゃんは笛を吹いた。やがて、嬉しそうな鳴き声をあげながらハイドラが姿を見せた。わたしたちはハイドラに二人乗りをして、浜辺を泳ぎ回り遊んだ。この時間が、一番デートらしかったかもしれない。
「わたしたちが昔デートしたこと、覚えてる?」
砂浜にお姉ちゃんとふたり並んで三角座りをしてるとき、わたしはお姉ちゃんにそう声をかけてみた。目の前では、ハイドラが水しぶきをあげて飛び回ってる。わたしはずっと、お姉ちゃんのことを想ってた。山口にいたころ、わたしは初めてお姉ちゃんを見つけて、いろんなことがあって、デートして、それで。そんなのただのわたしの想像だってこと、分かってる。ただわたしは、わたしがずっとお姉ちゃんのことを想ってたことを彼女に伝えたかった。
「覚えてるよ」
お姉ちゃんは、そう言った。
「あたしはずっと、想子の物語を創ってた」
わたしとお姉ちゃんは、デートしたことがある。わたしたちは、同じ子宮のなかにいた。わたしはお姉ちゃんを想い、お姉ちゃんはわたしを創り、とおく離れててもお互いのことを感じてた。
そして、これからは。
「あっ」
お姉ちゃんがちいさく声をあげて、目線をあげた。ずっと楽しそうに飛び回ってたハイドラが急に速度をあげて砂浜のほうに向かって泳ぎ始めた。わたしは、ハイドラの向かう先を見る。砂浜には、背の低い子が立っているのがうっすらと見えた。あのシルエットは……男の子?
〈水竜の主食は男〉
その言葉を思い出すと同時に、ハイドラは水面から高くたかく飛び上がり、そのまま水面に立つ男の子に飛びかかった。男の子の身体からなにか、黒い水しぶきが飛んで、雨のように砂浜に散った。わたしとお姉ちゃんは手をつなぎ、急いでその男の子の元に向かった。砂浜に落ちたハイドラは、長い胸びれと尾ひれを地面に立てた。筋肉がぐっと盛り上がり、そのままハイドラは四つん這いで砂浜のうえを歩いた。化け物……というより、人間みたいだった。ハイドラは呻きながら地面に横たわってる男の子を咥え、わたしたちに差し出した。ハイドラの目は、変わらずやさしかった。
わたしとお姉ちゃんは男の子を見て、左腕がハイドラに千切られてなくなってることに気づいた。
「結界を越えて性を棄てたから仕方ないね」
お姉ちゃんはそう言ってしゃがみ、男の子のズボンを下ろした。
「何すんのッ!?」
わたしが甲高い声をあげると、お姉ちゃんはわたしを見上げ、
「江泊の葬式はね、まだ生きている間に、海に流すの。男の子なら、陰茎を切ってね」
と言った。
最近のお姉ちゃんのものではない、昔とおなじ、かなしそうな表情で。
わたしはお姉ちゃんといっしょに、江泊から離れて暮らしたいと思ってた。でもお姉ちゃんも、もう戻れないところまで来てるのかもしれない。じゃあわたしが、江泊で暮らす? お姉ちゃんと一緒に、戻れないところまで進んで。
お姉ちゃんがわたしに鋏を貸してくれて、わたしは初めて、ちんこを切った。わたしは女だから、その痛みは分かんない。わかんないのに、なんで泣きそうになるのか、わかんなかった。でもこのわかんないものがお姉ちゃんの悲しみなのかもしれない。そう思った。
わたしとお姉ちゃんは、ちんこを切られて気絶したけどまだ息のある男の子の身体を、海に流した。わたしたちの手元には、切られたちんこだけが残った。わたしたちはふたりで、そのちんこをしゃぶった。キッシングシガレットのように。上の口で。下の口で。
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