第7話 Firestarter
「大地くんって、何歳なの?」
船で江泊に向かうあいだ、暇だったので大地くんに話しかけてみた。陸から離れ汐音ラーメンの明かりが遠くなると、周りには真っ暗な世界が広がった。船の明かりがちらちらと水面を照らすけど、思ってたような青色ではなく、汚れた茶色に見えて、不安だった。出航してからは大地くんも退屈そうに海を眺めてた。狭い船のうえにはわたしと大地くんしかいなくて、何か話さないと間がもたなかったのだ。
「十歳」
少し時間をおいて、大地くんが目線を海に置いたまま言った。
「十歳? すごいねえ。それなのに、もう船を操縦できちゃうんだ」
わたしが感心した声をつくってそう言うと、大地くんは、
「別に。江泊の子どもは、みんな船を操縦できるよ」
とめんどくさそうに言った。
なんというか、気をつかって話しかけてるんだから、もうちょっと汲み取ってほしいなあ。会話を盛り上げてくれるというか。何か気の利いた冗談を言えとまではいわないけど。
「江泊ってどんな場所なの?」
できるだけやわらかい口調で尋ねてみる。
「世界で最初の島だよ」
大地くんは、変わらずぽつんとしか言わない。
しばらく沈黙が続いて、船上にはスクリューのぎゅいいいん、という音だけが響いた。世界で最初の島って、なにそれ。意味わかんなくって、それこそ冗談で言ってるならおもしろくないし、むしろ怖いし、わたしもそれ以上会話を広げられなかった。
「江泊はね、」
相変わらずぶっきらぼうな口調ながら、今度は大地くんから口を開いた。お、なにか話してくれんの?
「江泊は、瀬戸内海での船の中継地なんだ。江泊は瀬戸内海のど真ん中にあって、漁船とか、輸送船とか、いろんな船が立ち寄って休憩してくの。歴史はすげーなげーよ。元々は戦国時代に村上水軍が使ってたんだって。島自体はすげー小せーんだけど、木の櫓みたいなんがいっぱい増築されて、船も集まって、でっかい町みたいになってる。昼も夜もなくて、いろんな人がやってきて去ってく。にぎやかな町だよ」
大地くんはときどきつっかえながら、早口で一気にそこまで言ったあと、
「俺は江泊が好き」
とちいさい声で付け加えた。
そんな場所が瀬戸内海にあるんだ。聞いたことない。
「その江泊って、何県にあるの?」
位置関係を把握しようと尋ねてみる。
「どこでもねーよ。岡山と、広島と、香川と、愛媛のちょうど県境くらい」
大地くんは、先ほどの早口とは打ってかわって言いにくそうにそう言った。
「江泊は、国とか県としょっちゅう揉めてるからね。退去命令とかしょっちゅうだし。だから、櫓もぜんぶ浮きのうえに設置されてて、なんかあったらすぐ逃げられるようにしてんだ」
大地くんの話し方はなんだか分かりやすい。言いたいことはたくさんしゃべるし、言いたくないことはとても言葉少なだ。不器用というか、瀬戸内の男の子ってこんな感じなのかな。幸太郎さんもそうだったかも。わたしはあんまり男の子と接したことがないけど、そのなかではいなかったタイプだ。
「でも俺は、なんかあっても逃げねーよ。戦う」
大地くんはそう言って足元から何かを拾い、海に向かって思い切り投げた。低い姿勢から放たれた小石か何かみたいなものは、水飛沫をいくつか上げながら跳ねてった。
「ちっ、たった七回か」
大地くんは舌打ちをしたあと悔しそうにそう言った。跳ねた回数を数えてたのかな。
「ねえ」
けっこういろんなことを話したので、それなりに打ち解けたかもしれない。そろそろ、本題に入ってもいい頃合いだろう。
「創子って、どんな子なの?」
船のうえが、しーん、と静まり返った。正確には船のスクリュー音がけっこうやかましく響いてるんだけど、それを上書きするような、重たい静寂。
「なーんで」
と、大地くんは言葉を伸ばした。
「なーんで、お前に創子の話なんかしないといけないわけ?」
大地くんとお姉ちゃんの関係は分からない。たぶん付き合ってるわけじゃないんだろう。ただ女の勘だけど、大地くんはお姉ちゃんのことを好きだと思う。そして男の子は、たいてい粗雑でぼーっとしてて物事をちゃんと把握できてないものなんだけど、その単純さゆえ、好きな女の子のことだけはしっかり見てるものなんだ。今までに付き合った彼氏はみんなそうだった。だからわたしは、大地くんに訊けばお姉ちゃんのことがある程度わかるだろうと思った。
「だってわたし、創子の妹だもん」
わたしがそう言うと、大地くんはおおきな溜息を吐いて、
「創子は十八歳」
と言い、わたしのほうを見下すように見て、
「これで満足か?」
と付け加えた。
その回答にはそれなりに満足した。そうか、お姉ちゃんは十八歳なのか。わたしより三歳年上だ。ママは、わたしより三年前にお姉ちゃんを産んで、手放した。でもなんで、ママはわたしとお姉ちゃんにソーコという同じ名前を当てたんだろう。それも、創子と想子という、ちがう漢字を使って。ママが過ごした三年間、創るが想うに至った何があったんだろう。わたしがお姉ちゃんに会って、彼女との違いを見つけたら分かるだろうか。
「もうちょっと創子のこと教えてよ」
わたしはもう一度食い下がった。
「もっとこう、どんな顔してるかとか、芸能人でいえば誰かとか、背は高いかとか低いかとか、好きなものは何かとか、好きな男性のタイプとか、好きな音楽とか、趣味とか、」
大地くんの顔色がみるみるうちに変わっていった。
「誰だよお前」
大地くんは真っ赤な顔をしてた。彼が怒ってるのが分かった。なんで? わたし、何かへんなこと言った?
「俺はソーコのことを誰よりも知ってるよ。じゃあ、お前だれだよ?」
そう言われて、わたしは口をつぐんでしまう。大地くんの震える声が怖かったし、それに、答えが用意できてなかった。そうだよ、誰だよ、わたし。そんなことわかんない。わかんないから、わたしはお姉ちゃんに会いたいんだ。
「わたしは、ソーコです。お姉ちゃんは、創る子って書いて創子でしょ。じゃなくて、わたしは、想う子って書いて、想子なんです」
そう言うと、大地くんは真っ赤に染まった顔のまま、
「漢字とか分かんねーよ。ソーコはソーコだよ」
と言った。
「ちがうよ」
大地くんは怖かった。でも、お姉ちゃんに会うより前に、わたしは誰よりもお姉ちゃんを知ってるだろう彼に、自分の存在証明をする必要があった。
「わたしは、想う子って書いて、想子なんです」
さっき言った言葉をもう一度繰り返した。それから唾を飲み込み、わたしが言うべき言葉を反芻したあと、ゆっくりと話し出した。
「わたしはね、想う子だから、お姉ちゃんのことをずっと想ってたの。こんな子かな、こんな子だったらいいな、っていうのを、ずっと想ってたの。とくに雨の日とか、水のある場所ではね、わたしの世界が海につながってる気がして、お姉ちゃんのことをたくさん想うことができたの。お姉ちゃんは、綺麗で、賢くて、優しくて、なんでもできちゃうの。スーパーウーマンなの。で、いつもわたしのことを守ってくれてるの。勉強を教えてくれたり、ソフトボール大会ではわたしの代わりにホームラン打っちゃって。わたしはお姉ちゃんが大好き。想像のなかのお姉ちゃんだけど、わたしは、想ったことはぜんぶ本当になると思ってる。だから、江泊にいるお姉ちゃんもきっと、」
大好き、と続けようとした。
しかしそれよりも前に、大地くんが言葉にならない奇声をあげながらわたしに飛びかかってきた。わたしは押し倒され、後頭部を船の底でガンと打って意識がぼんやりとした。そのあいだに、大地くんはわたしのスカートをめくった。そして下着をおろされ、力の入らないわたしの太腿は彼によって簡単にだらしなく広げられた。
あ、犯される、そう思った。少しずつだけど身体に力が戻ってきて、わたしは彼を突き飛ばすことだけなら出来そうだった。でも、ここは船のうえなのだ。そうしたところで、逃げ場所はどこにもない。じゃあ、海に飛び込む? そんなの、死ぬだけじゃん。むかし、「犯されるくらいなら死にたい」と話してた処女の友だちがいた。その子はそう言ったしばらくあとに本当にマワされちゃって、そのあと自殺未遂を繰り返した。わたしはその子とそれなりに仲がよかったので、お見舞いをしたとき、「死んだら何にもならんよ」みたいなことを言ったと思う。その言葉は、なんて軽かったんだろう。その子はわたしに「あんたはマワされてないからいいよね」みたいなこと言って、そのあと疎遠になっちゃって、わたしはその言葉とか態度にだいぶ気分を悪くしたんだけど、今ならその子の気持ちが少しだけわかる気がした。犯されるか、死ぬか、選択肢がなんかドラクエなんかのゲームみたいに現実感なく頭のなかでちらついた。そんなの選べない。選べないんだ。いつか、穴をあけたコンドームに「ノーファックノーライフ」と書いた子のことを思い出した。わたしの身体はまさに穴のあいたコンドームみたいに出来損ないで、「ノーファックノーライフ」を体現してた。つまり頭は混乱する一方、身体は濡れ始めた。わたしの想いは、いまお姉ちゃんにしかなかった。もしも大地くんとお姉ちゃんがしたことがあるのだとすれば、または、今後する可能性があるのだとすれば、わたしとお姉ちゃんは、大地くんを通じて繋がれるような気がした。
「濡れてんなよ、クソ」
大地くんは指先でわたしの膣口を乱暴になぞったあとそう言い、唾をわたしの下腹部に飛ばした。ねばついた透明な液体が泡をたてながらゆっくりとわたしのお腹をくだってった。まるで射精を終えたみたいに。大地くんのちんこはいつまで経っても入ってこなかった。その代わり、大地くんは妙におおきな刃を取り出し、それをわたしの目のまえに差し出して見せた。
「これ、毒刃なんだ。巨大な動物でも一撃で殺せるくらいの猛毒がついてる」
子どもを作るためのちんこじゃない。ひとを殺すための毒刃だ。彼はわたしを犯そうとしてるんじゃない。彼は、わたしを殺そうとしてるんだ。
「約束しろよ、もうひとりのソーコ」
このとき、わたしはある意味で大地くんに殺された。そして命を人質にわたしを生かす代わり、彼はひとつの交換条件をつきつけた。
「約束しろ。何があっても、創子を裏切らないって」
なんだかピロートークみたいに、やさしくて、甘い告白だった。わたしは怖かったのか、それともまさか嬉しかったのか、半ば泣きそうになりながら、こくんと頷いた。
出航して二時間くらい過ぎただろうか。ずっと真っ暗だった視界の向こうに、煌々と輝く町のようなものが見えた。すごい、黄金色に光ってて、宝の島みたい。明かりはやたら強く、空にわずか浮かぶ雲が幻想的に照らし出されてる。
「あれが、江泊?」
わたしが船の先頭に立ち、まっすぐに指差してそう言うと、後ろから、
「そうだよ」
という大地くんの相槌が聞こえてきた。
「江泊はね、ちょうどきれいな六芒星の形に桟橋が渡されてて、真ん中と、むっつの頂点の部分と、ぜんぶで七区画ある。真ん中の区画がいちばんでっかくて、飯食ったり映画観たりするとこ。残りの六区画は、半分が女が住む場所で、半分は男が過ごす場所。俺みたいな例外を除けば、住んでるのは女だけで、男は船で来て少しだけ休憩して去ってく奴らばっかだよ」
大地くんは基本的に口数が少ないんだけど、江泊の話をするときにはよく喋る。彼が言ったとおり、本当に彼は江泊のことが好きなんだな。
「お姉ちゃんは何処にいるの?」
わたしがそう尋ねると、大地くんは、
「創子は居住区にいるけど、さすがにもう寝てんだろ。会うのは明日にしとけよ。とりあえず、俺の住んでる管理区に向かうぞ」
大地くんはそう言い、船を加速させた。
船は、明かりがきらきらと輝く江泊の桟橋を右方向に眺めながら進んだ。桟橋はけっこう広くって、明かりに照らし出されてたくさんの人が歩いてるのが見える。思い切り真夜中なのに、町はぜんぜん動いてるんだな。大地くんが「江泊には昼も夜もない」って言ってたのを思い出した。横方向からはよく分からないけど、大地くんいわくこの桟橋は六芒星の形に組まれてるらしい。砂浜みたいなのがある区画とか、湯気が立ってる区画とか、屋形船みたいなのが並んでる区画みたいなのがうっすら見えるけど、それぞれに役割があるのかな。あっ、桟橋に立って釣りをしてる人がいる区画もある。大地くんの操縦する船は江泊を中心に円をえがくようにゆっくりとカーブし、そのなかでも船がいちばん少ない区画に落ち着いた。大地くんが住んでるここは、管理区って言ってたっけ。
「管理区って、大地くんはここで何してるの?」
わたしが尋ねると、大地くんは海を指差して言った。
「ほら、そこにバイクあんだろ。水上カブ。これでパトロールしたり、なんか事故があったら救出に向かったりしてんの」
大地くんが指し示す先にはバイクが浮かんでた。おお、本当に、見た目は原付のカブだ。でも水上カブと大地くんが呼んだとおり、陸を走れるようには出来てないみたいで、前輪のところにはタイヤの代わりに浮きが、後輪のところにはスクリューがつけてあった。
「かっけーだろ。俺の特注品。元々カブは五〇ccのエンジンしかついてないんだけど、ボアアップして一一〇ccのエンジンつけてある。もちろん電子制御じゃねーぞ、キャブレターだ。合うエンジンを探すのに、タイとかベトナムのエンジンまで調べて苦労したんだ」
大地くんは得意げに言った。
「疲れただろ、寝とけよ。明日は姉妹の感動の対面だろ」
大地くんは茶化すようにそう言って、わたしに毛布を投げてよこした。
疲れていたのは事実で、毛布にくるまれてるのは気持ちよかった。おだやかな波にあわせてやさしく揺れる船もゆりかごみたいに眠りを誘うはずだった。しかし意識が冴えて、なかなか寝付けそうになかった。わたしは眠れないとき、明日起こりそうなことを想像する。思いつくそれはいつも幸せなことばかりで、わたしはそれに満たされて眠ることができた。でも、この日はなんだか逆だった。明日はとても悲しいことが起こりそうな予感がした。気のせいなんかじゃない。わたしは、想ったことが本当になることはよくある。いいことであっても、わるいことであっても、だ。わたしは、お姉ちゃんに会うのが怖かった。想像上のお姉ちゃんとの違いを見つけるのが怖かった。お姉ちゃんに否定されるのが怖かった。ほかの誰よりも、お姉ちゃんに否定されることは、わたしの存在自体が全否定される気がして。
わたしは起き上がり、大地くんの姿を探した。狭い船なので、大地くんはすぐに見つかった。大地くんは、船のへりに背中を預けて、じっと夜空を眺めていた。江泊の明かりが強すぎて星なんかいっこも見えないのに、何してるんだろう?
「大地くん」
わたしが声をかけると、大地くんはしばらくそのままぼんやりと虚空を見つめたあと、
「おお」
と言ってわたしのほうを振り返った。江泊のしずかな波音がそうさせるのだろうか、さっきまでとは違う、やさしい声だった。
「眠れなくて」
わたしが毛布をぎゅっと抱きしめて言うと、大地くんは、
「俺も」
と照れ臭そうに言った。
「今日、めっちゃ緊張してたんだ」
大地くんはそう言って苦笑いを浮かべた。え、誰が? 大地くんが? 緊張? たしかに大地くんの言動はおしなべて不器用だった。わたしは、彼がそういう子なのだと思ってたけど、そうじゃなかったのか。
「俺、創子の妹が来るって聞いて、めちゃめちゃ怖くって。すげー嫌な奴だったらどうしようかと思って。俺、創子を守らないといけねーから、つーか、俺、それしかねーから。そのことしか頭になくって、必死で。なんつーかよう」
ああ、大地くんはわたしに謝ってるんだな。そう思った。ごめん、なんて一言も言わなかったけど、そのほうがずっと誠実に感じられた。
「で、どうだった? わたし、すげー嫌な奴だった?」
大地くんの隣にしゃがんでそう尋ねると、大地くんは微笑んで、
「そんなんまだわかんねーよ」
と言った。大地くんの笑顔はかわいい。なんか、皮肉っぽい。それも京都にいたサブカル男子みたいなひねた皮肉っぽさじゃなくて、もっと素朴な、他人に対するものではない自分に対する皮肉だ。大地くんは、いろんなことに全力なのだろうと思った。全力でひとを好きになって、全力でひとを守ろうとして、全力で生きる。そんなふうにしかできない自分に対する皮肉みたいなものを彼の笑顔からは感じた。
「まあでも、とりあえずお前を創子に会わせてもいいかなって、そう思ったよ」
きっと彼は嘘をつけないんだろう。そんなところに安心するし、信頼もできる。
「一緒に映画観て、ビールでも飲もうぜ。そしたら眠れんだろ」
大地くんはそう言って、船を走らせ始めた。お酒を飲むと淫乱になるから飲んじゃダメだってママに言われたことを思い出した。でも、大地くんなら大丈夫だろう。わたしは頷いて、大地くんの隣で黙ったまま、船が進む先を大地くんと一緒にじっと見つめた。
桟橋をくぐると、中央区、と呼ばれる場所についた。これはちょうど六芒星の真ん中に位置するらしく、かなり広い。真正面に巨大な滝があって、そこに映画が映されてる。洋画みたいなんだけど、字幕は水流にゆがまされてちゃんと読み取れない。これじゃ映画の内容なんてぜんぜん分かんないんじゃないだろうか。でも江泊で食事をしたりお酒を飲む際にはよく使われる場所みたいで、たくさんの船が停留し、真夜中にも関わらずあちこちから宴会のような歓声が聞こえた。
「ここ、刺身とビールしかねーから、それでいいだろ?」
大地くんはそう言って、停留する船の間を行きかう小舟を呼び止めた。小舟にはのれんが吊るされてて、ライトに照らし出されて「売店」という文字が読める。その舟で食事とかお酒とかを供じてるんだろう。
お皿いっぱいのお刺身と、ビールジョッキをもらった。ジョッキはもらったけど、ビールが入ってなくって空っぽだ。
「何これ、ビール入ってないじゃん」
わたしが大地くんにそう尋ねると、大地くんはジョッキの端っこを指差した。なんかティーバックみたいな不思議な袋が吊るされてて、中には白い粉が入ってる。
「これ、粉ビールっつって、まあ江泊の名物なんだよ。海水をすくって粉と混ぜたらビールになるから。あとのほうが濃くなるから酔いすぎんよう気をつけろ。あと、二杯目からはだいぶ薄くなるから、まあ一・五杯くらいにしとけ。平気で五杯くらい飲むおっさんもいるけど」
大地くんはそう言って、ビールジョッキで海面を掬った。袋のなかから溶けたものが海水をあっという間に黄金色に染め、ビールみたいに変わる。
わたしも大地くんに倣って海水を混ぜ、ビールを作った。
わたしと大地くんは並んで船のへりに腰かけ、映画を観ながらビールを飲み、お刺身を食べた。ビールはぜんぜん美味しくなくって、なんだか塩辛くて、ただ酔うためだけのものって感じだった。でも、お刺身とはめちゃくちゃ合った。ビールを飲んだあとにお刺身を食べるといいかんじに塩気がのって、かなりうまい、控えめに言って、めちゃくちゃうまい。これだけ美味しいお刺身を食べたことは今までにない。
お刺身をばくばく食べちゃって、気が付いたらビールもかなり進んで三杯も飲んじゃって、わたしは酔いに任せ、大地くんと同じ布団のなかに包まれた。
「寝てる?」
大地くんにそう声をかけると、少し眠そうな嗄れた声で、
「いや」
と返事が返ってきた。
「今度は、大地くんがお姉ちゃんの話してよ」
やっぱり、わたしは明日会うより前に、お姉ちゃんのことを知っておきたいと思った。それも他の誰でもない、大地くんの目を通したお姉ちゃんのことを知りたいと思った。それがどんなものであっても、わたしは明日お姉ちゃんに会うことに希望が持てると思う。今夜、安心して眠れると思う。
「創子はね」
大地くんは寝返りを打ってわたしのほうを向いたあと、ゆっくりと話し始めた。大地くんの口からはビールの匂いがして、なんだかくすぐったかった。
「俺、父さんも母さんもいなかったんだ。生まれたときからずっと。まあ全然それは特別なことじゃなくって、いたよ。他にもそういう奴は。このへんの海沿いには多かったんだ。グレたやつもいたし、死んだやつもいた。でも、俺はそうじゃなかった。俺がそいつらと違ったのって、つまり、俺には創子がいたんだ」
大地くんによって語られる創子の話が心地いい。なんだか、子守歌みたいだ。
「俺は、ずっと創子に育ててもらってたんだ。飯作ってもらって、勉強教えてもらって、手をつないで一緒に学校行って。創子は俺を守ってくれてた。俺は、創子が好きだった。だから、俺は創子を、ぜったい守らないとなんねーんだ」
なんだかとても幸せで、わたしはいつの間にか眠りについてしまってた。創子のことは、まだ何も分からない。ただ、そういうふうに愛されてるってことがうれしかった。そんな創子に会うことは、何ひとつ恐れることじゃないって思ったし、そうさせてくれた大地くんに感謝した。
わたしは、大地くんとはきっとしないだろうと思った。ただもしかしたら、それを越えるような、特別な行いを、いつか彼とはしてしまうかもしれないと思った。
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