第五話 合宿二日目 蒜山へ
【ボンジュール、起床時刻だよん、ワタクシからのモーニングコールだよーん。みんな早く食堂に移動してね】
朝七時、備前先生からの放送が流れ始める。
洸以外の三人は、この合図で目を覚ました。
「おっはようキサブー」
「喜三郎くん、おはようございます」
智穂と椛は元気よく挨拶する。
「おはよう」
喜三郎も同じように挨拶を返した。
「喜三郎くん、よく眠れましたか?」
「うん。妹尾さんと洸に一度起こされた以外はばっちり」
「キサブー、ほんまに何もしてこんかったね。ワタシ、ちょっとがっかりしたじょ」
「……」
にやける智穂に、喜三郎はややムスッとなった。
「それより洸を起こさないと。おーい、洸。起きろー」
彼は洸の頬をペチペチと叩く。
「んうん。まだ眠い」
洸はぴくりと反応し、お布団に潜り込む。
「ヒカリン、起きて」
智穂は無理やり毛布を引き離した。
「ああーん」
洸は手を天井に向けて伸ばす。
「洸ちゃん、これ食べるとすっきりするよ」
そう言い、椛は洸のお口にハッカ飴を押し込んだ。
「!」
洸はパチッと目を開いた。椛の試みは成功したようだ。
「おはよう、もみちゃん。ほんとにすっきりしたよ。このキャンディー、すごいね」
洸は爽やかな笑顔で言う。
「単純だな」
喜三郎は呆れ返った。
四人が食堂に着いた時には、先生達はすでに全員揃っていた。
他のお部屋の子達もみんな揃ったところで、
「それでは皆さん、おあがりなさい」
貝原先生は食事前の合図をする。
クラスメート達の【いたただきます】の号令の共に、箸やお茶碗を動かす音が聞こえ始める。
朝食のメニューはお味噌汁と焼き魚。そしてもう一品、『キジうどん』が並べられていた。
「美味しいっ♪ わたし、キジさんのお肉なんて生まれて初めて食べたよ」
「俺もだ。けっこう美味いよな」
「ワタシは祖谷のかずら橋へ行った時、食堂で食べたことあるじょ」
美味しそうにキジ肉を頬張る三人をよそに、
「なんかちょっとかわいそうな気もする。桃太郎さんの家来だし」
椛は少し複雑な心境で味わっていた。
朝食後、クラスメート達はお部屋の整理整頓を済ませて宿舎をあとにした。
しおりのスケジュール表に次の予定として書かれていたのは、武蔵の里ウォーキング。クラスメート達は地図中に赤い線で引かれたコースに沿って、宮本武蔵生家跡、讃甘神社などの名所を巡っていく。
コースの途中。
「あの建物、すごくかっこいいね」
洸が指差したのは、宮本武蔵顕彰武蔵武道館だった。武蔵の里のシンボルとされ、スポーツ施設として利用されている。屋根は宮本武蔵が作った刀の鍔、『海鼠透鍔』をモチーフにデザインされていた。
この建造物の前を通り過ぎ、少し西へ進むと吉野川に差し掛かる。そこに架けられてある橋の上がゴール地点となっていた。クラスメート達はそこで、先生方が来るまで待機する。
「なんか桃太郎の話を思い出すわね」
洸は楽しそうに川を眺める。
「ちょっ、ちょっと、前。でかい桃が――ほっ、ほんとに流れて来たあ」
喜三郎は上流方向を指差し、目を見開いた。
なんとそこに、昔話そのままに大きな大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきたのだ。
さらにその桃がクラスメート達の目の前を通り掛ると、昔話と同じく桃がひとりでに割れた。中から出てきたのは、
「ぃよう、おまえさんら。紙で出来とるから水が浸透してきてもう少しで溺れるとこやったわ」
赤ん坊、ではなく武者先生であった。
「そんなことだろうと思ってたよ」
喜三郎は呆れ返る。
「ムッシャー、よくぞご無事で」
智穂は暖かく出迎えた。
武者先生は岸に降り立ち、クラスメート達のもとへ。今回はイヌ、キジ、サルまでお連れしていた。
「イヌとキジはワシのペットやねん。ニホンザルは面倒な手続きせんと飼えんからな、淡路島におったやつ拝借して、一夜漬けで手懐けてきましてん」
武者先生が語るに、三頭とも雄だという。
ワン、ワン、ワン。
イヌはかわいらしい鳴き声を上げながら、クラスメート達のもとへ駆け寄る。
「マルチーズなんて、武者先生にはふさわしくない犬種ね」
洸はくすっと笑った。
「おーい、イヌ衛門。ワシとおまえは五年以上共にした仲やないかーっ」
武者先生の呼びかけも空しく、真っ白な毛並みのイヌ衛門は尻尾をふりふりさせながらクラスメート達の周りを駆け回る。
「武者先生、洋犬にそんな江戸時代の人物風なお名前付けたらかわいそうですよ」
椛は助言しておいた。
キッキキキキ。
ニホンザルも、武者先生から逃げるようにクラスメート達のもとへ。
「おーい、サル吉もワシを見捨てんといてーな」
キジ(キジ兵衛と名付けられてある)だけは、きちんと武者先生の側にお供していた。
それからほどなくして、みんなが集まっている場所へ昨日の大型バスがやって来た。
「それじゃみんな、そろそろ出発するよーん」
備前先生はバスから降りて、合図をかける。
「おまえさんら、今から蒜山へGoや!」
武者先生はハイテンションになっていた。
「ずぶ濡れの武者くんを乗せるわけにはいかないよーん。自分で車運転して来てねーん」
備前は彼のことを鼻であしらう。
「そっ、そんな殺生な」
武者先生はがっくり肩を落とした。
彼の家来三頭は、みんなと同じく大型バスに乗せてあげた。
*
「ここの牛さんって、白黒模様じゃないんだね」
バスを降りてから、洸は目の前に広がる光景を不思議そうに眺める。
ココア色の毛並みをしたジャージー牛達が、牧場でのんびり過ごしていた。
クラスメート達は牧場のおじさんから説明を受けたあと、乳搾りにチャレンジしていく。
「わたしからやるーっ」
喜三郎の班では、洸が先頭を切った。牛の乳頭を指でつまみ、そばに置かれたバケツの中に搾り出していく。
「すごーい、ほんとに出たよ、お乳。面白ーい」
上手くいくと、洸は子どものようにはしゃぎ回る。
続いて喜三郎がチャレンジしてみた。
「こうかな? わっ、なんか想像以上に簡単に出て来た」
喜三郎は少し驚く。
「キサブー、指使い上手じゃね。次はモミからどうぞ」
「ちょっと、怖いな」
椛は恐る恐るジャージー牛へ近づく。
「失礼します」
こう一言告げてから、乳頭を指でそっとつまんだ。そしてきゅっと揉んでみる。
「あっ、出た」
椛がそう呟いた次の瞬間、
「チャッチャラチャッチャ、チャラチャララ♪ ぃよう、おまえさんら。数時間振り」
四人の背後から何者かが現れた。説明するまでも無く武者先生だった。甲冑を身につけ、真っ赤なマントを手に持っていた。
「美甘よ、このピューッて飛び出す白い液体を見て、あれ想像したやろ?」
椛のそばににじり寄る。
「なっ、何言ってるんですか、ニセ物理」
椛は顔をカーッと真っ赤にさせる。
「藁谷君も、普段から自分のアレで練習しとるから上手いんやろなあ。ハッハッハ」
「……」
喜三郎、何も言い返せず。
「武者先生、セクハラ発言ですよ!」
洸は頬をポッと赤らめ、武者先生に注意しておいた。
「ハハハッ、清瀬よ。今想像してるやろ?」
ンモウウウウウ!
「アウチ!」
牛は突然鳴き声を上げ、尻尾を使って武者先生の頬をバチンッと引っ叩いた。
「おのれ、ジャージー君よ、このワシに不意打ち仕掛けてくるのは小癪な。『ずるい事は牛でもする』っちゅうことわざの通りやな」
さらに牛は、マントの上に糞をぼとりと落とした。
「うおっ、こいつめ、『鶏口となるも牛後となるなかれ』をビジュアルでしっかりと証明しよったな。退治せねば」
すると武者先生は、腰袋から吹き矢を取り出しジャージー牛達に向けて放ったのだ。
「ハッハッハッ。見よ! 『牛部屋の吹き矢』のビジュアル版や。まあ安心しーや。先に吸盤付いてるさかい、ジャージー君は無傷や」
全く悪びれる様子は無く、流れ作業的に吹き矢を次々と取り出し、ジャージー牛達に狙い撃ちしていく武者先生。
そのうち一頭が突然、フーッ、フーッと威嚇の鳴き声を上げた。
「ハッハッハ。こいつめ。このワシに挑もうなんて考えてはるんか? 百年早いぞ。ワシ、ガキの頃はしょっちゅう備前ならぬビゼーの曲口ずさみながら闘牛士の物真似しとったからな。襲い掛かって来たところで華麗に避けたるわー。このワシに歯向こうものならすき焼き鍋にして……ほっ、ほんまに襲い掛かって来よったでこいつら。たっ、助けてーっ」
武者先生は牛に背を向けて、全速力で逃げ出す。けれどもすぐに追いつかれ角でタックルを食らわされた。他の数頭も攻撃に加担する。
「ムッシャー、牛部屋の吹き矢って慣用句、ワタシ初めて聞いたじょ、国語の勉強になるね」
「俺も。武者先生物知りですね」
「ジャーちゃん、もっとやっちゃえーっ」
「ニセ物理、いい気味ですね」
四人は少し離れた場所からその様子をほのぼのと眺める。武者先生は攻撃を受けながらも必死に逃げ惑う。
クラスメート達全員が、ジャージー牛を応援した。
「おまえさんらーっ、ワシ、今大ピンチやねんでーっ」
ンモウウウウウ!
牛数頭は、容赦なく彼に攻撃を続ける。
「あのう、そろそろ助けてあげた方が……」
喜三郎は少し心配になり、牧場のおじさんに声をかけた。
「ハハハッ、大丈夫さ。毎年のことですから」
おじさんは微笑みながおっしゃる。
武者先生の家来達も楽しそうに眺めていた。
クラスメート達はこのあと近くの宿舎に入り、食堂でランチタイム。ジャージー牛から作られたチーズやケーキ、アイスクリームなどのバイキングだった。
午後からは宿舎内講堂で講義。十三時半から十五時までと、十五時十分から十六時四十分までとに分けて数学。十六時五十分から十八時二十分まで化学の講義が行われた。
そのあとバスで、武者先生以外のみんなは近くのキャンプ場へ移動した。夕食の準備を始める。キャンプの定番ともいえる飯盒炊飯&カレー作りだ。
「たくさん用意してますので、皆さん好きなのを選んでね」
貝原先生はスーパーなどで市販されているレトルトカレーを数十種類、籠に乗せて運んできた。
「ヒカリンはやっぱ、L○eの30倍?」
「もっちろん!」
「俺もそれ」
「ふーん、食べれるのかなあ? きさぶろうくん」
洸はくすっと笑う。
「今度こそ完食してやるさ」
喜三郎は自信満々に宣言した。
「私、カレーの王○様にする」
椛は少し照れくさそうに言い、その商品の箱を手に取った。
「そういやモミは、辛いの苦手じゃったね」
「うん。私、このカレーが一番のお気に入りなの」
「俺も昔大好きだったよ。あっ、イカスミカレーだ。珍しい。俺、やっぱこれにしよっと」
「あああーっ、勝負逃げたなあ、きさぶろうくん」
洸はニカッと微笑んだ。
四人は炊事場に移動し、お米を研ぐ。
「飯盒に詰め終わったら、僕のところに持ってきてね」
池亀先生は馴れた手つきでかまどに薪をくべ、飯盒を吊るしていった。
クラスメート達はご飯が炊けるまでの間に、サラダなどの副菜も調理していく。
それらの材料は、貴久江さんが全て手配していた。
喜三郎達の班は、りんごサラダとオニオンスープを作ることにした。
「私、りんごさん切るね」
椛は持参していた、刃先の丸まった子供用包丁を手に持った。左手でりんごを押さえ、右手に包丁を持ってトントン切ってゆく。
「やるね、モミ」
「すごいな美甘さん」
「もみちゃん、切り方がとってもかわいらしいね」
三人は賞賛する。
「ありがとう。私、ウサギさん型が一番得意なの」
椛は照れ隠しするように作業を進める。
「わたしはホウレンソウさん切るよ」
洸は普通の包丁を手に取る。
「洸、手を切らないように気をつけろよ」
喜三郎は心配そうな眼差しで洸を見守る。
「きさぶろうくん、大丈夫だよ。おウチでいつも使ってるもん」
洸は自信たっぷりに答えた。
「ワタシも負けてられんじょ。タマネギ切るね」
智穂はどこから持ってきたのか水泳用のゴーグルを身につけて、包丁を両手に持った。
「それえええええええっ!」
そして勢いよく振り下ろし、まな板目掛けて交互に刃先を激しく叩きつけた。
タマネギはまるで、生き物のように踊り出す。
「これぞNANTA風。家族旅行でソウル行った時に見たんじょ。包丁は楽器代わりにもなるんよ」
「ちほちゃん、宮本武蔵さんみたいな二刀流だね。かっこいい。永○君が一瞬の内にスライスされていってるよ」
洸はパチパチと拍手する。
「確かにすごいけど妹尾さん、見てるこっちの方が、目が痛くなってきたよ」
「智穂ちゃん、危ないからもうやめて。周りに飛び散ったお野菜、ちゃんと自分で掃除してね」
「すまんね、ついつい」
二人に注意されると、智穂はすぐに普通の切り方へ変えたのであった。
「そろそろ温めるか」
喜三郎はお鍋に水を注ぎ、火にかけた。
椛は別のお鍋にサラダ油を引き、智穂が切ったタマネギを炒めていく。しんなりしたところで水を加えて固形のスープの素を入れ、塩コショウなどで味付けしていく。最後にパセリをパラリと振りかけて、オニオンスープを完成させた。
洸はりんごとホウレンソウを混ぜて、マヨネーズをかけお皿に盛り付け、りんごサラダを完成させた。
「沸いてきたな」
沸騰したことを確認すると、喜三郎は四人が選んだレトルトカレーを入れる。さらに五分ほど待ち火を消した。
「六班も、いい具合に出来ましたよ」
それからさらに数分して、池亀先生は四人の所に飯盒を運んできた。
蓋を開けてルウをかけ、全てのメニューが完成。
「やっぱL○e30倍は最高。きさぶろうくんも一口どうぞ」
洸は喜三郎の口元へ近づけてくる。
「いらねえって」
喜三郎は手で遮った。
「藁谷くんの班は、料理の腕前トップクラスだな」
そこへ、備前先生が近寄ってきた。
「ねえねえ、備前先生は、カレーは何口派ですか?」
洸は質問してみる。
「当然甘口派だよーん。ワタクシ、レトルトカレーはカレーの○子様かバー○ンドカレーの甘口か、プ○キュアカレーくらいしか食べれないのさ」
備前先生は照れくさそうに語る。
「私と同じですね」
椛は微笑んだ。
「ワタクシが激辛カレーなんか食べたら衝撃でラ○スに変身しちゃうよん。みんなにも言ってるけどこの辺り、まむしもいるから気をつけてねーん」
備前は笑顔で四人に伝えた。
「えっ!」
「それはやばいじょ」
「……」
「まむしさん、咬まれたら痛いよね」
四人は辺りを警戒する。
「冗談、冗談、まむしに関しては登山道に入らなきゃ大丈夫っさ」
「なあんじゃ。ビゼンヤキも罪なやつじゃね。そういやまむしっていうと、池袋の某室内型テーマパークに〝まむしアイス〟ってのがあったよ。まむしをミキサーにかけて、ぐしゃぐしゃに潰してアイスに混ぜ込んでるみたいなんじょ」
智穂は楽しそうに語る。三人の表情は少し引きつった。
「智穂ちゃん、食べてる最中にそんなお話しないでね」
「俺もなんか急に食欲なくした」
「わたしもー。美味しいから食べるけど」
三人の表情は少し引きつった。
「すまんね。笑い話になると思ったんじゃけど」
「そのアイス、ワタクシも知ってるよん。買わなかったけどね。そうそう、ここではね、オオサンショウウオには出逢えるかもしれないよん」
備前は告げた。
「ほっ、本当ですか!? あのイモリの大きなやつですよね」
洸の目はきらきら輝く。夕食を済ませるとすぐさま周辺を散策しに行った。
「ワタシも会いたいじょ」
智穂も便乗する。
「もう真っ暗だからあまり遠くへは行くなよ」
「なるべく早く戻ってきてね」
喜三郎と椛は忠告する。残ったこの二人で、テントを組み立てていった。簡単に組み立てられるワンタッチ型。中は、六畳ほどの広さがあった。
「テントで泊まるの、久しぶり」
「俺も。小五の自然学校の時以来だよ。今の時期だとまだ蚊が少ないからいいよな」
二人はごろんと寝転がる。
「ただいまーっ、きさぶろうくん、もみちゃん。オオサンショウウオ、見つかったよーっ」
「子どもじゃけどね、すぐ近くであっさり見つかったんじょ」
それからほどなくして、洸と智穂が満面の笑みを浮かべながら戻ってきた。智穂の方は手にバケツを持っていた。
「本当に見つかったの!? っていうかオオサンショウウオは天然記念物だから獲っちゃダメだって。写真撮るだけにしとかなきゃ」
「すぐに返してきた方がいいよ」
喜三郎と椛はガバッと起き上がった。そして洸と智穂のとった行動に慌てる。
「そうなの? 残念だーっ」
「ワタシは知ってたけど、どうしても見せたかったんじょ。すぐ放してくるけん」
智穂はバケツを喜三郎と椛の前に置いた。
「……妹尾さん、これ、確かにオオサンショウウオだけど……ゴムで出来たおもちゃだよ」
喜三郎はぽつりと告げる。心配は杞憂だった。
「へっ!? ……あっ、ほっ、ほんまじゃ、よくよく見れば。よう出来てるね、これ。リアリティあるじょ。暗闇やけん確認出来なかったんよ」
「おもちゃかあ。きっと土産物として売られてるやつだよね」
智穂と洸はがっくり肩を落とした。
「よっぽど興奮してたのね」
椛はくすっと笑った。
その直後、
【東山桃陵女子高等学校理数コース新入生の皆様、お風呂が沸きましたざますよ。今夜は露天風呂、混浴ざます】
外に付けられたスピーカーから貴久江さんの放送がかかる。
「また混浴かよ」
喜三郎はため息をついた。彼以外のクラスメート達は入浴セットを持ち、露天風呂へと向かった。
喜三郎はテントの中で一人、今日も自主学習。
(何とか今日中に、三角比をマスターするぞ)
黙々と数学Ⅰの問題集に取り組む。
その最中、
「ぃよう、藁谷君。女子高生達が入浴しとる時に、こんな狭苦しいテントの中で真面目に自主学習するやなんて、アホやのう」
武者先生がテントの中へ押し入っていた。忍者服を身につけて。
「武者先生、邪魔です」
喜三郎は迷惑そうに振舞う。
「今は数学なんかより、せっかくのチャンスを大切にせにゃあかんで」
「あっ、武者先生。やめて下さいよ」
喜三郎は参考書と問題集を奪われてしまった。
「藁谷君よ、理系の人間っちゅうもんはな、探究心と超難題に挑む挑戦意欲を持つことが大事やねん。女子高生のお風呂を見つからんように覗く、これは途轍もなく高いハードルがあるんやけどな、これを乗り越えられた者が東大京大クラスの超難関大学の壁も突破出来るねん。藁谷君の性格は控えめ過ぎや。それは成績にも如実に現れる」
武者先生は熱く力説する。
「そんなの関係ないでしょ」
「いや、大いにある! この間の小テスト、途中で諦めモードに入ってたやろ? 分からんかっても空欄で出したらあかんねん。何でもええから書いとかな点数はもらえんってことを肝に銘じときや。これからワシが女湯の覗き方の手本見せてやる。おーい、サル吉」
キキッ。
武者先生が叫ぶと、サル吉がどこからともなく現れた。武者先生の下へ駆け寄る。
「ワシな、こいつにデジカメの使い方を仕込みましてん」
「余計な芸仕込むなんてかわいそうですよ」
「こいつが自発的に覚えましてんよ。サル吉よ、この子の写真撮ったってやー」
キッキー。
彼の指示を理解したのだろうか、サル吉はデジカメを喜三郎に向け、シャッターを押した。
「ほっ、本当に撮った」
喜三郎はサル吉の芸に少し感心する。
キーッ。
サル吉はデジカメを武者先生に返した。
「おう、ばっちりや。よう出来たのうサル吉。ご褒美に黍団子をやろう」
武者先生は腰袋から例の物を取り出し、サル吉に与えた。
キッキーキーッ。
サル吉は美味しそうに頬張る。
「サル吉よ、今度は露天風呂におる女生徒共の写真を撮ってきてくれ。ご褒美にバナナパフェ奢ってやるさかい」
そう約束し、武者先生は再びカメラを渡す。
キッキッキキキーッ!
サル吉は甲高い雄たけびを上げた。そして一目散に露天風呂の方へと向かっていった。
「あいつは一番頭脳優れとるから記録係やねん。これがほんまの猿知恵っちゅうもんや。続いては、おーい、イヌ衛門、キジ兵衛」
キャンキャン、キャン。
ケェーン、ケェーン。
その二頭も彼が呼ぶとすぐにやって来た。イヌ衛門は尻尾を振って、とても機嫌良さそうだった。
「こいつらも行かせたら、女生徒共はきゃいきゃいはしゃぎまわって自然と目が行きますやろ。ワシはその隙に、無防備になった女生徒共の大中小より取り見取りのおっぱいと桃尻を拝ませてもらおうという寸法や」
武者先生はにやりと怪しい笑みを浮かべる。絵に描いたような変態親父だ。
「それ犯罪ですよ」
「藁谷君よ、備前のやつはマザコンの臆病者やから、ペラペラの紙か画面上に表示されてる、ただ絵の具でぺたぺた塗っただけの二次元美少女エロイラストで満足してもうとるようやけどな、三次元はめっちゃええぞ。質感と立体感がちゃいますねん。あそこの露天風呂の中にはな、三十九人の女生徒、貝原はんも入れたら計四十種類の桃がどんぶらこ、どんぶらこーって」
「なんつう例え方してるんですか」
「犬衛門、キジ兵衛、よろしゅう頼んだぞ」
ワン、ワワン。
イヌ衛門はトコトコ小走りで。
ケェーッ。
キジ兵衛は羽を広げて飛んでいった。この鳥も飛ぶ時は飛ぶのだ。
「ほんじゃワシ、桃源郷へ行って参りますわ。藁谷君行かんのやったらワシ一人で堪能してくる」
武者先生は軽快なステップで露天風呂の方へ向かっていった。
「どうなっても俺は一切知りませんよ」
喜三郎は彼の行動に呆れ果てていた。
露天風呂。
クラスメート達は取り留めのない会話を弾ませながらはしゃぎまわっていた。
「あっ、あれ。武者先生のおサルさんじゃない?」
「ほんまじゃーっ。サル吉って名前じゃったね。おいでおいでーっ」
気付いたクラスメート達は手招く。
キキキッキーッ!
サル吉は軽快なステップで駆け寄った。
「かっわいい!」
「握手しよ」
「この子、デジカメなんか持ってるし、エッチね」
国富さんはその子をぎゅっと抱きしめた。
「あっ、ワンちゃんもいたよ」
野々上さんは叫んで伝える。
イヌ衛門はキャンキャン鳴き声を上げながらクラスメート達に近づいていく。
ケェーッ!
キジ兵衛もそのあとすぐに到着した。
「上見て。キジ兵衛もいるじゃん」「おう、ほんまじゃ」「飛べるんだね、キジって」
これにて三頭揃い踏み。
(ホホホ、上手いことやってくれてるようやな。さすがワシの家来)
武者先生は露天風呂のすぐそばまで迫っていた。彼の目論見通りだ。
「ちょっと待って、この子達がここに来てるってことはさ……」
クラスメートの一人が発した。
「あっ、きっとそうだ。みんな、早くタオルで全身覆って」
野々上さんはクラスメート達に指示を出す。今、全裸をさらけ出しているクラスメート達もすぐさまバスタオルで全身を覆った。
「こら、出て来い変態エロ親父教師、武者。近くに隠れとるんじゃろ?」「隠れるのは分かってるねんで」「見つけたら洗面器でボコボコに殴っちゃる!」
クラスメート達は厳しい目つきで周囲をきょろきょろ見渡す。
「あーっ、いたっ! 武者先生あんな所にいたよーっ!」
野々上さんは露天風呂すぐ横にある木の上方を指差した。
「あっ、もう見つかってしもうた」
武者先生は思わず声を上げる。
「ここはワタシに任せて」
智穂は洗い場に置かれてあった小石を手に取り、彼目掛けて投げつけた。
「アウチ。妹尾よ、素晴らしい放物線運動やったぞ」
見事ヒットし、武者先生は露天風呂にボチャーッンと落下する。彼は服を身につけていた。
「やっほー武者先生、落ち武者になりましたね」
国富さんは嬉しそうに彼を見下ろす。
「「「「「「「「キャアアアアアアアアーッ!」」」」」」」」
悲鳴を上げて、風呂場から逃げていったクラスメート達も多かった。椛もそうだった。
「ぃよう、おまえさんら、まさか即効で勘付かれるとは――さすが閨秀揃いやのう」
「それくらい誰でも気付きますよ。武者先生の行動なんて全てお見通し」
野々上さんはにこっと微笑む。
「そのな、ワシはな、藁谷君に頼まれて仕方なしに」
武者先生はガバッと立ち上がり、さりげなくクラスメート達を眺めつつ弁明する。
「ムッシャー、そんな小学生がつくような嘘が通用すると思ってるで?」
智穂はニカッと微笑みかけた。
「きさぶろうくんがそんなことするはずは絶対ありませんよ」
洸はきりっとした表情で自信満々に主張する。
「いやいや男っちゅうもんはな、どんな草食系の大人しい子でもエロ本能を持ってはりますねん。藁谷君はな、今は大人しくしてるようやけど、これはおまえさんらを油断させるためや。今夜はテントに泊まるんやろ? 鍵が無いし絶好のコンディションですやんか。おまえさんらが寝てる時に襲ってやろうと企んではりますねんよ。明日の朝にはおまえさんら、きっと何人か妊娠しとるで」
武者先生はにこにこ顔で語る。
「藁谷くんのこと、そんな風に言うなんて最っ低!」「さっさとここから消え失せろ! 変態」「スイトンの餌食になられーっ!」「悪いおじさんにお仕置き!」
パコーン、パコーン、パコーン……クラスメート達から洗面器の連打。
スイトンとは、蒜山に伝わる妖怪のことだ。どこからともなくスィーッと飛んで来て一本足でストンッと地面に降り立ち、悪さをした人を真っ二つに引き裂いて食べるということから、その名が付けられたという。
「武者先生、アッチッチの刑にしますね」
貝原先生はニカッと微笑みながら告げる。
「ちょっと待ってーな、混浴ですやろ、ここ」
「……」
貝原先生は風呂場の隅の方を指差す。
そこには、『盗撮目的のご入浴は、固くお断りします』と書かれた張り紙があった。
「いやあ、ワシ、盗撮やなくて、生物学の研究してるんよ。人体の構造について」
「はいはい」
貝原先生は武者先生の後襟をガシッとつかみ、吹き出し口の方へ引きずって行った。そこから出てくる、湯船よりも熱めのお湯を洗面器に注ぎ、武者先生にバシャーッと浴びせた。
「ぎゃっ、ぎゃあああああああっ」
五十度を越すお湯が、武者先生の体に浸透する。
「貝原はん、勘弁してーな。ワシ、茹蛸になってまう。火傷に効く温泉やのに火傷してもうたら本末転倒ですやんか」
武者先生はうるうるした瞳で懇願した。
「しょうがないわね。それじゃ、照る照る坊主の刑で許してあげる」
「そんなー、貝原はん鬼婆やーっ。桃太郎の名に賭けて退治せねば」
「……武者先生」
彼のその発言は、貝原先生の怒りをますます買わせてしまった。
「ちょっ、ちょっと待ってくんなはれ」
武者先生は貝原先生の手によって木の枝に縄で括られ、吊るされた。
クラスメート達は楽しそうに観察する。
「おーいサル吉、イヌ衛門、キジ兵衛。ワシの家来ですやろ? 助けてーな」
武者先生の家来達も、彼のことなど全く気にもかけずクラスメート達に懐いていたのであった。
(武者先生、どうなったんだろ?)
喜三郎は露天風呂に通じる戸を引いた。
「ぃよう、藁谷君」
「あっ、やはり見つかっちゃったんですね」
喜三郎は、武者先生の吊るされている木の上を眺める。
「ザッツライト。藁谷君よ、ちょっとはワシのこと心配してーな。理系の人間っちゅうもんはな、一度や二度失敗したくらいでへこたれたらあきませんねん。ワシの今回のやり方、あいつらには通用せんかった。もっと創意工夫すべきやったわ」
「先生タフですねえ」
喜三郎は呆れ顔で言う。
「ハハハッ、いい気味だな、武者くん」
備前先生も風呂場に入ってきた。武者先生の哀れな姿を眺めてほくそ笑む。
「このう、備前のマザコン、アニヲタ、ゲーヲタめ」
「ふふん、武者くんだって、筋金入りのアイドルオタクじゃないかあ。A○B48のグッズに相当なお金使ってるそうじゃあないかあ」
「何をー、備前。おまえさんだってアニソンをオリコン一位にするとか言うて、同じCD五十枚くらい買うとるくせに」
「基本だろ。これ以上ワタクシの悪口言ったらママに言いつけてやるもんねー」
備前先生と武者先生はまるで子ども同士の口喧嘩のような小競り合いを繰り広げる。備前先生は武者先生が罵ってくるたび勝ち誇ったように言い返しながらテキパキと体を流し、風呂場をあとにした。
喜三郎と武者先生、再び二人っきりとなる。
「藁谷君よ、今夜はチャンスですぜ。女の子達を襲って妊娠させる計画企ててますやろ? どの子が好みや? 正直に言うてみぃ。幼馴染言うてた清瀬なんかよりもスタイルのええやつようけおりますやろ?」
「……助けてあげようと思ったんですけど、やっぱりやめます。自力で脱出して下さいね。じゃあ先生、俺も出ます」
そう言い、喜三郎も露天風呂をあとにした。
「ちょっと待ってくんなはれ。今のは思わぬ失言や。助けてーな」
ちょうどその時、彼と入れ替わるように池亀先生が入って来た。右手に高枝切りバサミを持って。
「おやおや実篤君。今年もまたですね」
穏やかな表情で武者先生を仰ぎ見る。
「おう、池亀様や。ワシを助けてくんなはれ」
武者先生は手を合わせて、仏壇を拝むように頼み込む。
「はいはい」
池亀先生はそう告げて、彼を縛っていた縄を例のハサミでチョキンッと刻んだ。それにより武者先生は、湯船にボチャーッンと落下する。
「すまんのう池亀様」
「いえいえ」
池亀先生は思いっきりお湯を被せられた。けれども機嫌は良さそうだった。
そのあとしばらく二人っきりで、野球の話などを語らったらしい。
「おかえりキサブー。さっそくやけど、大富豪しよう」
喜三郎がテントに戻るなり、智穂が誘ってくる。
「えー、もう十時過ぎてるよ」
「まだ十時じゃん」
「そうよ、きさぶろうくん。まだ寝るには早いよ」
「喜三郎くん、一回だけお願いします」
椛もお願いする。
「しょうがないなあ」
アニメ柄トランプか。と思いながら喜三郎はしぶしぶ承諾。
こうして大富豪開始。
数分後、
「あー、負けちゃった」
貧民は洸に決まった。
「きさぶろうくん、もう一回」
洸は喜三郎の体を揺さぶり駄々をこねる。
「ダメだよ、俺もう眠いし」
「あーん、勝ち逃げは卑怯だって昨日備前先生が言ってたでしょ」
洸はぷっくりふくれる。
「洸もまだまだ子どもだな」
喜三郎はくすりと笑った。
「むう! きさぶろうくんに言われたくなーい」
「喜三郎くん、もう一度だけやってあげましょう」
椛は説得する。
「しょうがない。洸、これで本当に最後だよ」
「やったーっ」
洸は満面の笑みを浮かべ、バンザイした。
とほぼ同時にポツポツと、テントの布を打つ音が聞こえてきた。
雨が降り出したのだ。
「天気予報、今夜は晴れって言ってたはずなのに」
椛は出入口を開けて、残念そうに外を眺める。
「武者先生を照る照る坊主にしたのに逆効果だったね」
洸はにこにこ笑う。
雨は、さらに激しくなってきた。
「本降りになってきたじょ」
智穂がそう告げた瞬間、ピカピカピカッと稲光が光った。
その数秒後に、ゴロゴロビッシャーンっと耳を劈くような音が轟く。
「キッ、キサブー。こっ、怖い」
智穂はしがみ付いてきた。
「せっ、妹尾さん、わざとでしょ」
「ほっ、ほんとに、怖いんじょ」
智穂の顔は強張り、体はプルプル震えていた。
「そっ、そうなのか?」
「うん。ワタシ、雷は大の苦手なんじょ」
「わっ、私もです。怖いです」
椛も抱きついてきた。
「二人ともずるい。わたしもーっ」
洸は、怖がるような素振りは見せなかった。
喜三郎の右腕に智穂、左腕に椛、両膝に洸が抱きついている。喜三郎は自由に身動きがとれない状態になっていた。
「ワタシ達三人とも、エッチじゃね」
「なっ、何言ってるのよ、ちほちゃん。エロくないし」
「私は意味が分かったよ。ヒントは喜三郎くんがN」
三人は楽しい会話を弾ませ、気を紛らわそうとしていた。
激しい雷鳴がなる度、三人は喜三郎の体に強く抱きついてくる。
「あっ、あの。痛いからあまりきつくしめないで」
羨ましい状況なのだが、当の喜三郎は喜ぶどころか苦しがっていた。
三十分もすると、雨と雷は小康状態になり、三人はようやく喜三郎の体から離れた。
「喜三郎くん、ありがとうございました」
「キサブーの腕、柔らかかったじょ」
「きさぶろうくん、なんか男らしく見えたよ。昔は雷なったらすぐにわたしに抱きついてきたのにな」
「そっ、その話はするなって。あの、洸。大富豪やってから寝るか?」
喜三郎は照れ気味に尋ねる。
「ううん。わたし、もう眠いし。きさぶろうくんに抱きついて満足しちゃった」
洸は嬉しそうに言った。
こうして、四人は寝袋に包まり床に就いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます