第二章29『歪』

「…………?」


 翔がふと目を開けると、そこはいつもの真っ暗な空間であった。


「──っ!」


 その場所が例の、『時間跳躍』時に迷い込む場所であることを瞬時に悟った翔は、必死にその『兆候』を振り払わんとする。


 しかし翔がどれだけ意識を集中させても、翔はその場所から逃れることが出来なかった。次第に翔の顔には焦りが浮かんでいく。


 ──くそ、まずい! 今『時間跳躍』する訳にはいかないってのに!


 そうして懸命に意識を集中させる翔の耳に、また聞きなれた声が響く。


「心配しなくても、はあなたは『時間跳躍』することはないですよ。今日は、私があなたを呼び寄せたんですから」


 翔は思わずその声のした方を振り返る。するとそこには、やはりフィーリニに酷似した謎の存在が立っていた。だが翔はふとその存在になにか違和感を覚える。


「……なんか、顔色悪い……よな? 大丈夫か?」


 その翔の心配通り、その存在の具合は見るからに悪かった。フィーリニ似の存在はそのことを必死に隠しているようだったが、それでも翔に悟られバレてしまう程その気分は優れないらしい。そうしてその存在が調子の悪そうにしている様子を見て、翔はその様子を自らの相棒と同一視オーバーラップする。


「……もしかして、お前が調子悪いのってフィーリニの容態にも関係あるのか……?」


 そうして問い掛ける翔だったが、その問い掛けには答えずその存在が言う。


「……私と彼女の存在については、今はお話できませんし、する暇もありません。今日は、あなたに最後の忠告をしに来ました」


 その具合が悪いのを必死に耐えて、その存在はそう言った。その存在が発した『忠告』という言葉に、翔は思わず顔をしかめて答える。


「……もしかして、『時間跳躍を使うな』ってやつか? だったら悪いけど、俺は……」


 翔が思い出していたのは、キラとの逃亡作戦中に翔が『時間跳躍』をした時に言われたことだった。だがその翔の言葉を遮って、その存在は言った。


「いえ、違います。あなたにそのことを言っても聞くはずがないということに気付いたので、今日は違う忠告をしようと思います」


 そうしてその存在が続けて言った言葉は、翔の頭に残酷に響いた。


「……これは忠告であり、同時に私からあなたへの最後のお願いです。どうか、


 その言葉に、思わず翔は呆然とする。


「……遠征に、参加するな……?」


 そう反覆する翔の言葉に、その存在は静かに頷く。その様子は調子が悪そうなことを除けばいつもと全く変わらないようで、その目は冷静に翔のことを見つめていた。


 その存在はいつもと何も変わらなかった。顔色をひとつ変えず先程の中国を口にしたのだ。その事実が、翔の我慢に限界を引き起こした。


「……ふざけんな。悪いけどその忠告は絶対に聞けない。いや、聞かない」


 そうして声を荒らげる翔は、頭の中で目の前の存在を呪っていた。


 ──何が『違う忠告』だ。前回の忠告やつよりも厳しいじゃねえか。


 しかもそのことを目の前の存在は平然と言ってのけたのだ。そのことも翔には我慢ならなかった。それはまるで、翔の遠征隊員としての『覚悟』や『矜恃プライド』を蔑ろにするような言葉だったからだった。


「俺は今度の遠征に参加する。そこで俺がどんな傷を負おうが死のうが構わない。その覚悟なら、とっくにできてる」


 翔は改めて目の前の存在にそう言い切り、同時に自分の中でも決意を固めた。今も必死に生き続けようとしている彼の相棒フィーリニのためにも、翔は気丈に必死に遠征を頑張るしかないのだ。そのことを再確認して、翔はその存在の次の言葉を待つ。


 するとその存在は、翔のその返答にどこか悲しそうな顔になった。それでも必死に平静さを保とうとしながら、その存在は言った。


「……そう、ですか。だったら、もう私があなたに言うべきことは何もありませんね」


 そう言ってから、その存在はその悲しそうな様子を瞬時に払拭して、まるで機械かなにかのように感情を無くしてから続けた。


「……ですが、でしたら、あなたも覚悟を決めてくださいね」


 そうしてその存在は続けた。


「……これから起こるは、全てあなたが引き起こしたことです。以前忠告したとおり、あなたの行動によって、あなたの仲間は死にます。あなた自身の決断によって、あなたは信頼を失うことになります。あなた自身の態度によって、あなたは独りになることになります」


 その存在のその予知めいた言葉に、翔はその語調を強めて答える。


「ああ、上等だよ。お前がどんな悲劇の未来を予言しようが、それは実際に起こらない。俺が、そんな未来を起こさせない」


 そう言い切った翔に、その存在は満足そうに笑って言った。


「……楽しみにしてますよ、カケル」


 その言葉がその場に響くのと同時に、翔はその夢から醒めたのだった。



 ********************



「…………」


 翔がふと目を開けると、その目に映ったのはいつもの寝床カプセルの天井だった。


「……!」


 翔は自らが夢から覚醒したのだと気付いた瞬間、慌てて横の時計を見る。そしてそこに記された日付が前日のものから一つだけしか進んでいないことを確認して、改めて安堵の息を付いた。


「……良かった。今日『飛ぶ』訳には行かないもんな」


 翔はそう呟いてから、急いで身体を起こして支度に取りかかる。その準備がいつもよりもせかせかとしているのは、その日がある意味では特別な日であったからだった。


 フィーリニのあの容態を知ってから数日。その日は、遠征の出発日であった。


「……さて、急がねえと。準備が間に合わなくて、結果的にアイツの言ってた通り遠征に行かないことになるなんて願い下げだしな」


 そう呟きながら、翔は支度の仕上げを済ませていく。翔はあの夢でフィーリニ似の存在に言われたことを覚えていた。覚えていたがやはり、翔は夢から醒めてもなおその忠告を聞く気にはならなかった。


 ──冗談じゃない。俺が、英雄ヒーローが遠征を休んでたまるかよ。


 その呟きは、独り翔の心の中にだけ響いたのだった。


「……よし、じゃあ最後に顔だけ見に行くか」


 そうして考えている間に遠征の準備を終えた翔は、それを持って歩き出した。向かう先は小さな病室。そこに眠る相棒に、翔は出発前に挨拶をしたかったのだった。


 そうして翔がその病室に向かって歩いていくと、翔はその病室の前に一人の女が立っているのを見た。


「……フィルヒナーさん」


 その女は翔がフィーリニに出発前会いに行くことを予想していたようだった。彼女に一瞥してから、翔はその病室に入る。


 その病室で一人眠るのは翔の相棒、フィーリニだった。その顔色は数日前に比べれば随分と良くなった方であるが、以前彼女は意識を失ったままであった。


 出発の朝になっても彼女が目を覚まさなかったということは、フィーリニは少なくとも今回の遠征には参加できないということだった。そしてそれはつまり、少しの間翔は自らの相棒と離れ離れになることとなる。初めて会ってから半年間、二人は顔を合わせなかった日はなかった程親密な仲であった。その離別に翔は悲しさを感じないわけではなかったが、それよりも翔が感じていたのは安心であった。


 翔が病床に横たわるフィーリニを初めて見たあの日と今では、彼女が眠りについていることには変わりなかったが、その様子は格段に違っていたのだった。今や彼女は安らかに寝息を立てており、その寝苦しさは解消されたように見える。依然彼女が目を覚まさないことには変わりないが、随分とその体調は良くなったようだった。


 ──ひとまず、少し前に比べりゃ容態も安定してきてるんだ。この調子で回復していったらいつか、また一緒に遠征にも行けるかもしれない。


 そのフィーリニの回復が翔のせめての救いだった。また彼女が元気になるかもしれない、そんな楽観的な考えを噛み締めて、翔は寝息を立てる彼女に告げる。


「……フィル、俺、行ってくるよ」


 フィーリニの回復は彼女の生命力次第だ。翔が彼女にしてやれることは何も無い。だから翔は、せめてフィーリニが頑張っている間、遠征で奮闘すると決めたのだ。そう覚悟を口にして、翔はその部屋から立ち去る。


 部屋を出るとそこには変わらずフィルヒナーが立っていた。伏し目がちになっていた彼女にまた会釈をしてから、小さく翔は言った。


「……フィルを頼みます、フィルヒナーさん」


 その翔の言葉にフィルヒナーは小さく頷いた。そうして遠征隊の集合場所に向かおうとした翔の前に、今度は三人の子供が集まる。


「……お前ら」


「みんなでカケル兄ちゃんのお見送りしようって話になったの」


 そう答えたのはコハルだった。彼女が『みんな』と指した通り、その両脇には先日『友達』になったばかりのキラとアンリがいた。その様子を見る限り、翔の友達作り作戦もあながち無意味ではなかったようだった。


 その三人の可愛らしい送別に、咄嗟にその顔に笑顔を取り繕って翔は答える。


「ありがとな。それじゃ、行ってくるわ」


 そういう翔の心の中には、その可愛らしい送別に笑って答えるほどの余裕も本当はなかった。しかし、翔は無理にでも笑わなければいけない。特に自分が英雄ヒーローであり続けることを誓った、キラの前では。


 そうとだけ言ってその場を去ろうとする翔に、キラが呼びかける。


「……カケル兄ちゃん!」


 その声に翔は驚いて振り返る。キラは少し目を逸らして、おずおずと言った。


「……無事に、帰ってきてくれますよね?」


 そのキラの憂慮は、明らかにアンリから聞いたその言葉が原因だった。普段の彼とは違い、何とも年相応の、子供っぽい言葉で彩られたその言葉は、翔の心に深く染み込んだ。


 その言葉に、翔は思わず何かを口走りそうになる。その胸に抱えた、黒く醜い感情を。しかしそれを翔はなんとか踏みとどまって、そのキラの言葉に翔は笑って答える。


「心配してくれてんのか。そりゃありがたい。


 ……けど、大丈夫だよ。」


 そう言ってから、翔は親指を立てて笑って言った。


「……絶対無事に帰ってくるぜ、約束する。なんたって俺は、英雄ヒーローだもんな」


 その翔の様子をアンリは心底心配そうに見ていた。アンリは今の翔が酷くいびつに見えたのだ。まるで、今にも壊れてしまいそうな、そんな印象をアンリは抱いた。


「……カケルさ……」


 しかしそれを心配する声を上げようとした彼女は、その言葉を引っ込める。その声を掛ける対象の翔が、どこか遠く感じられたからであった。


 そんなアンリの呟きなど意にも介さず、翔はキラに言う。


「つーか、俺の心配より自分の心配をしとけよ。遠征から帰ってくるまでにコハル達と仲良くなっとかねぇと承知しないからな?」


 その翔の言葉に、キラは一瞬キョトンとした顔をしてから、笑って答えた。


「……はい、頑張ります」


 そのキラの言葉に満足したのか、翔は再び振り返って遠征に旅立とうとする。


「……あ……」


 遠ざかる翔の姿を見て、アンリは再びその口を開き、彼に手を伸ばす。が、今度はそこから一片の言葉も滑り出ることはなく、伸ばした手も力なく降ろされた。


 ──きっと、大丈夫ですよね……?


 そのアンリの言葉は自らに暗示をかけるためのものだった。きっと大丈夫だと、何も心配することなどないと、彼女は自らに言い聞かせたのだった。


 しかしその暗示も虚しく、間もなく史上最悪の遠征が幕を開けることになるのだった。

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