第二章02『男女』

 走る、走る、走る。冰崎翔は基地内を走っていた。どこかにいるはずの、その冷酷な女を探して。


 その想いが通じたのか、翔がフィルヒナーに出会うまでにそう時間はかからなかった。息を切らしてこちらに駆けてきた翔にフィルヒナーは目を白黒させながら問い掛ける。


「ど、どうした……?

 またなにかに狙われているのか、カケル」


「……なんかそのセリフ……こんな状況で聞きたくなかった気がしますけど……違います……」


 フィルヒナーのそのセリフがまるで熟練の暗殺者のようなセリフであったため、ひとまずそうつっこんで翔は息を整える。フィルヒナーを見つけたばかりの時には変質者のように荒かったその息も、少しすれば会話をするには問題ないほどの息切れになっていた。遠征隊に入ってからも半年近く、身体を鍛えてきた成果がそこで出たのかもしれない。


「……いや、もうちょっと違うとこで出てくれよ……」


「?」


 なんとも残念なその事実に翔はまた嘆息しながらも、その本題へと話を移す。


「フィルヒナーさんオメデタにんしんって本当ですか!?」


「……突然何を言い出すかと思えば、何だそんなことか」


 フィルヒナーにそう言われ、確かに開口一番聞くことではなかったかもしれない、と翔は反省した。というかそもそも、元二のその言葉が嘘である可能性も否めない。


「そうだ、そう言えばあの人隊長イタズラ好きだもんなぁ……。嘘って可能性もあるか。いやむしろ、自分の妄想の世界の中では、ってことか……? モテないからって妄想の中でフィルヒナーさんとくっ付いて、それが現実と錯覚して……。あの冴えない中年だったら有り得るな……」


「何やら色々と上司隊長への誹謗中傷が聞こえないでもないが、私が彼との間に子供を授かったのは事実だぞ?」


「ですよねぇ、事実ですよねぇ……。


 って、え?」


 自分の中で納得する解を見つけたその直後にフィルヒナーにそう肯定され、翔は思わず面食らう。


「……ホントマジホンキガチ、ですか……?」


本当マジ本気ガチだ。なんだ、気付いてなかったのか?」


 翔はそう念の為確認をするが、どうやら聞き間違いでも夢でも妄想でもないらしい。フィルヒナーはそう疑問に思うが、それは偏に翔の鈍感さのためだった。


「いや、なんか太ってきてるなぁとは思ってましたが……まさか妊娠してたなんて」


「前から思っていたが、カケル、お前はなかなか失礼なやつだな?」


 その翔のなんとも配慮デリカシーに欠けた発言に、フィルヒナーは冷たい視線を浴びせる。今思えば以前彼女の言葉から歳を類推したのは他でもない翔であった。そのフィルヒナーの視線に苦笑しながら翔は続ける。


「それにしてもよりによってご相手は隊長あの人なんすね。すごく意外でした」


 とは言いつつも今考えてみればその伏線ヒントは色々と散りばめてあったのだ。元二あの男はフィルヒナーのことを『ヒナ』と親しげに呼んでいた。冷徹苛烈の彼女にその愛称を使うのは、思えば隊長と発明少女だけであった。


 しかしそれは二人の仲に納得したという訳では無い。むしろ疑問は積もるばかりだ。


「……なんであんなだらしない無精髭おっさん選んだんですか……?」


 翔の疑問はもとよりそれであった。隙あらば監視の目をくぐって煙をふかし、顎にはいつも無精髭が覗かれるあの男元二は、お世辞にも清潔な部類とは思えない。遠征隊の隊長であり、日々体を鍛えていることを除けば、あれはただのしがない中年おっさんであった。


 そんな男といつも冷淡な彼女フィルヒナーはあまりに似合わないミスマッチのように翔には思えた。


 と、翔がそう疑問を投げかけると、フィルヒナーは手で口を抑え、小さな声で何かを言った。


「……しいから……」


「え?」


 彼女の顔が赤らんでいるのにも気付かず、翔は追い打ちをかける。そんな翔を睨む暇もなく、フィルヒナーは目も伏せがちになりながらなんとか答えた。


「…………あの人は、優しいから……」


 その時になって初めて翔はいつも冷徹なフィルヒナーが珍しく照れていることに気付き、思わず後ずさりする。


「……なるほど、これが『ギャップ萌え』ってやつね……。ちょっと理解できたわ」


「?」


 そう自分の動揺を茶化すことで吹き飛ばしてから、翔はひとつ息を吐いて気持ちをリセットしてから話し出す。


「実はフィルヒナーさん、要件はもうちょっとあるんです。聞いてくれますか?」


「……むしろ先程のことを聞くためだけに私を探し当てたのだとしたら、きっと私はお前に殺意が湧いていただろうな」


 フィルヒナーのその冷たい視線を翔はものともせず、先の言葉を前置きとして続ける。


「最近外の様子が変、って本当ですか」


 その言葉にフィルヒナーは眉をぴくりと動かす。


「何でも新しい猛獣が出た、って風の噂で聞きましたけど」


「大方話したバラしたのはゲンジか。全く、あの男は……」


 折角気遣って情報源を隠した翔の努力も、フィルヒナーのその洞察によって水泡に消える。しかしやはりそれも愛のなせる技か、それほどフィルヒナーも怒っている様子ではおらず、翔は続ける。


「それで、その『新種』ってのはどんなやつなんですか? ここ最近遠征が多いのも、そいつの調査も兼ねてるんでしょう?」


 フィルヒナーはその質問に嫌な顔をしながら、その最愛の人と同じように「……これは機密事項だからな」と前置きをして答えた。


「そいつの特徴としては、まず全身が白の体毛に包まれていて、『腕』が異様に長い、ということだ」


 そのフィルヒナーの言葉に引っかかるものがあり、翔は口を開く。


「……『腕』、っていうことは……」


「そうだ。そいつはのさ」


 その言葉がどんな意味を表すかは翔には明白だった。二足歩行、加えて異様に長い『腕』。それはつまり……


「……攻撃範囲リーチが広い、ってことっすよね?」


「察しがいいな。そう、その獣の脅威は攻撃範囲リーチの長さだ。が、調査のために遠征を繰り返しているあたりまだ私たちにも状況が少なくてな。現状脅威となる点はその一つだけしか分かってはいない。体長も二、三メートルほどと推定されている。恐らく剣歯虎サーベルタイガーの方が手ごわいだろう」


 その言葉を聞いて翔は安堵する。無論比較対象にあげた剣歯虎サーベルタイガーはこの猛吹雪の世界の王とも言える存在であり、遠征隊も万全の状態フルパワーで一匹を処理するのでやっとだ。それよりも弱いとなれば、決して倒せない敵では無い、ということだろう。


「なんだ、じゃあ安心ですね」


「カケル、それはあまりにも軽率だ。基地の食料を取りに行く遠征に万一の事態は許されないからな。他に『新種』がどんな力を隠しているか分からない以上、油断は禁物だ」


「……はいっす」


 確かにその通りだ、と翔は猛省をする。思えば翔を含めた人間も、自然界から見れば隊長二メートルにも満たない貧弱な種類ということになるだろう。しかしその実、その大きな脳によって知恵を蓄え、二十五年前は自然を支配していたのだから、単純な馬力では強さは測れない。


 ──むしろその『新種』が何か厄介な力を持っていないか心配ではあるな……。


 生物というのは至極当然の事ながら一種では生存できない。子孫を残すために複数の個体の存在が必要であり、それはつまりこの世界で生き残れないような種は繁栄せず、『新種』としてこの世界に現れるはずもない。つまりは必ず何かしらの力は持っているはずなのだ。それが一見して分からないものの方が、翔は恐ろしいと思った。


 それはつまり、人類の武器である『知恵』、事前に相手をよく知り『対策』することができないということであるから。


 そう思い、翔はまだ見ぬその敵に身震いしたのだった。

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