第一章29『夜明け』

「それで? まだカケルは見つかってないのか?」


「……ああ。消えた地点を隈無く探してるんだが、それでもあいつの所持品すら一つも見つからない」


 翔の消失から十数時間、遠征隊は基地へ帰還した後、新入隊員冰崎翔の捜索に没頭していた。


 その消失の現場を見たランバート、アンリ、フィーリニらによって、当初翔に命令された通り落下地点の周辺にクッション素材は敷き詰めた。しかしいくら待っても、翔が帰ってくることは無かった。


「……つーか、マジでアイツ何者なんすかね」


隊長おれも知らされてないんだよなぁ、これが。ヒナはなんか知ってるみたいだけど、教えてくれないし」


 遠征隊のメンバーは突然消えた翔のことを訝しんでいた。おまけに消失直前に叫んだ『時間跳躍』というワード。流石にただの人間ではないと、皆が薄々気付き始めていた、そんな時であった。


「ゲンさん!」


 勢いよくヒロが二人の元に駆け寄ってきた。その口に微かに笑みを浮かべて。


「……カケルが、戻ってきました!」


 その吉報が、遠征隊の元に届いたのは。




「……いてて」


 あの奇妙な『夢』から醒めた翔は、その後高速で落下し、当初の予定通り地面に激突した。しかしそれも緩衝材クッションのおかげで大事には至らなかったのだった。とはいえやはり落下の衝撃は凄まじかったようで、そのクッション性でも耐えきれず、翔も大幅にダメージを喰らってしまうことになったが。


 改めて馬鹿みたいな話だ、と翔は思った。その緩衝材を持ってこさせる、そのためだけに時をかけるなどという人智を超えた行動をしたなど。それよりもまだ着地の方法を工夫するだとか、人の理から外れないうちに対処できる方法もあり、そちらの方が成功する確率は高かったはずだ。


「……けど、結果的に成功したんだ」


 結果だけ見れば翔は無傷で、しかも今回のことで翔が時を翔ることの出来るという、その力も証明された。しかも時間跳躍それを故意に行えたともなれば、それは前進にほかならない。何なら今でもそれを望めば翔は数時間後でも、数日後でも、数年後でも、好きな時空に飛んでいくことが出来るのだ。


「……いや、好きな時空ってのは言い過ぎだったかもな」


 実際先の時間跳躍はせいぜい一時間ほどの単位を予想していたのだった。しかし現実はそうはいかなかったようだ。


 ──周りも暗くなってるし、もう夜か……?二、三時間は軽く跳躍した飛んだな。


 誤差はあるが初めてにしては上出来か、と翔は思った。そもそも意識的に『時間跳躍』を成功させただけで翔には大きな前進だったのだ。多少の誤差には目を瞑るしかあるまい。


「さて、隊長とかに連絡しない……と?」


 そう思った翔だったが、そもそも真にダイヤルを固定されているため通信相手を変えられないことにまもなく気付いたのだった。しかしそれでも問題はなかった。その話しかけようとした相手が遠く離れたところからこちらに走ってきているのを見つけたのだから。


 彼らに気付かれようと翔は大きく手を振った、その時になって翔は思い出した。先の時間跳躍の時、翔が何を口走ったのか。


「何やってんだ俺は……」


 あの時間跳躍の直前、翔は愚かなことにそのまま『時間跳躍』と叫んだ。それはつまり翔の秘密をあの場にいた人間にさらけ出したことに他ならない。


「……やっぱ知られちゃまずいよな」


 未来に飛ぶ能力、など話したところで信じてもらえるかやぶさかではあるが、実際にこうして実行してしまったら話は別だ。そしてそんな力があるならば、真のように翔を狙う者も出てくるかもしれない。


「どうする……?」


 近付いてくるそれらの人影に警戒をしながら、翔はゆっくりと彼らに近づいて行った。


 遠目から翔が無傷であると分かると、遠征隊の驚きは更に大きくなっていた。それは翔が手品のような形で姿を消したなどという訳ではなく、本当に未来に飛んでいったという証明になっていたからだ。


「……カケル、お前無事なのか……?」


 元二がそうして不安そうに翔に尋ねる。翔はそれに頷いて返しつつも、その一挙手一投足に神経をすり減らしていた。


 と、そんな翔の身体がひょいと持ち上がる。


「……おい、お前カケル


 翔を軽々と持ち上げたその声の主は紛れもなく翔の嫌いな彼であると瞬時に翔は分かったため、いやいやと振り返る。


「無事……なのか?」


「はあ、まあ……」


 まさか心配をされている、と一瞬思ってから、瞬時に翔はその可能性を捨てる。恐らく心配などではなく、何故無事なのか、そのニュアンスに近いだろうと翔は推測した。


「……お前、何者だ」


 その一言が出た時、翔はやはり、という落胆とともにため息をついた。真のついた、遠征隊は皆裏切り者であるという嘘は案外正しかったのかもしれない。翔のこの力を知るものが現れれば、それを狙うものが出てくるのは明瞭だった。


 しかし翔は翔でそのような者達に易易と捕えられてしまうわけにも行かなかった。こんな猛吹雪の世界でも自由はある。翔はその自由を手放したくなどなかった。


 しかしそれは、仮にも『信頼』した仲間を敵に回すということだ。そう易易と割り切れるものでもなく、翔の顔はどんどんと苦々しくなっていく。


 ──なんて答えたらいい。なんて答えたら、今のこの状況を脱せる?


 翔は自分は遠征隊に信頼など微塵もされていないと思っていた。だからランバートにそう言われた時、翔はそのことで考えがいっぱいであったのだった。


 だから、その次に掛けられた元二からの言葉は、翔の意表を突くものだった。元二は翔を持ち上げていたランバートに翔を離させてから言った。


「カケル、無理に今話さなくていい。お前が話せるようになった時、ゆっくりでいいから話してくれ」


 それはまるで、かつて翔がフィルヒナーに掛けられた言葉のようで、翔は思わず疑問を口にする。


「……何でそんなに、信頼してくれてるんですか?」


 それはあまりにも翔に都合が良すぎる。翔はまだ彼らの信頼を勝ち取れるようなことは何もしていないし、何もしないで信用されるほど絶大な力を持っているわけでもなかった。


 ──それなのに、なんで。


「そんなもん、お前が俺らを信頼してくれたからに決まってんだろ」


 元二はさも当然のようにそう言った。翔はその元二の言葉に、少し拍子抜けしたような表情になる。


「お前は俺らが味方だって信じて、真の目を盗んで俺らに助けを求めた。俺らはお前に信頼されたからお前を信頼した。たったそれだけのことだろ?


 俺らが信頼したお前が言いたくないなら、それはそれ相応の理由があるんだろ。だったら無理には聞かないさ」


 元二はさても当然なようにそう答えた。その答えに、今度は翔が拍子抜けすることになった。


 ──そんな、漫画やアニメみたいな『仲間』とか『信頼』だなんて言葉……


 それは翔はつい先日実現するのだと思い直し、そして数時間前に存在しないのだと諦めたものだ。真の裏切りの件でもう翔は思い知ったのだ。『仲間』や『信頼』など、存在しないと。


 ──思い知った、はずなのに。


 目の前の男元二は嘘をついている様子は全くなかった。少なくとも翔から見てはそうであった。


 ──だったら仕方が無い。もう一度、仲間というものを信じてみてもいいのかもしれない。


 仮にこの元二の言葉も嘘であったとしても、それはその嘘を見抜けなかった翔の責任だということにしたのだ。しかしそれは断じて『信頼』などという代物ではない。翔が彼らに抱いていたのは、「裏切られない」という『信頼』ではなく、「裏切られてもいい」という、『信頼』とも言えぬ何かであった。


 ──それでもこの世界に来る前の、一人ぼっちの状態よりはいくらかマシだろ?


 そう思い、翔は元二に向かって言った。


「……じゃあ、お言葉に甘えてもう少し黙ってます。


 そうして翔は目の前の男を、遠征隊のメンバーを信じると決意したのだった。


 翔のその言葉に、元二は一度だけ頷いて答えて続ける。


「……それじゃ、いい加減帰るぞ。もう夜が明けちまう」


 元二のその言葉に、翔は首を傾げる。


 ──あれ?


「……すいません、今って何時くらいですか?」


「朝五時くらいだけど、それがどうした?」


 その言葉を聞いて、初めて翔は自らの勘違いに気付いた。


 ──全然成功なんかじゃなかった。


 一時間ほどの時間跳躍を目指し、誤差数時間であったと思っていたが、その実もう半日分ほど時間跳躍していたらしい。少しは成功したと思っていた自分が情けない。どうやら『時間跳躍』を完全にコントロールするのにもまた時間がかかりそうだ、と翔はため息をついたのだった。


「……そうだ、ついでに見てくか。

 今日の予報は、珍しく『晴れ』だぞ?」


 その言葉が指し示すことを考える前に、暖かなその光が翔を照らした。



 ──まぶしい。



 最初に思ったことはそんな情けないことであったが、翔はその光の差す方を見ると息を飲んだ。


 地平線の向こうから、一つ大きな明るい球状の光が出てきていた。その光は白銀世界を暖かそうな橙色に染め上げていき、巻き上がった雪の結晶か何かがその光を乱反射してその明るさを強調していた。


 その光は吹雪いている時には見えなかった周辺の景色を詳らかに照らしていく。雪にまみれている時には見えなかった木々の生き生きとした緑色。白銀世界と言いつつも吹雪の時はほぼ灰色に染まっていた雪原も、今や『しろがね』と称していいほどの輝きをまとっていた。


 その光は翔にとってあまりにも懐かしいもので、そしてこの世界で凍えきった翔の身体にはあまりにも暖かなものであった。


「……きれい」


 咄嗟に出たのがそんな幼稚な感想であったことを翔は後ほど後悔することになる。しかしその時の幻想的な風景を考えれば、翔がその景色に圧倒され、それ以上のことを話せなかったことは無理もないだろう。


 この世界に来てからもう一か月程は経ったであろうか。猛吹雪に苛まれ、フィルヒナー達に出会ってからは安全にはなったがあの無機質な基地で日々を過ごし、そんな一ヶ月の中で翔が忘れていたあることを、その陽光は思い出させてくれた。


『この世界は美しい』。たったそれだけのことであった。


「おー、細氷ダイヤモンドダストまで出てんのか。どうりで寒いはずだ」


 流石の元二もその景色には感嘆した。この世界には『晴れ』は少ない。その中でこれほど晴れ渡る日など十年に一度あればいいほどなのだろう、と翔は推測した。


 他の遠征隊の面々もその景色に見とれているようであった。こんな快晴が珍しいことと、とても美しいことの両方が起因しているのだろう。


 二十五年前では当たり前のように出ていた太陽は、今となっては年に一度ほどの稀有なものクリスマスプレゼントになってしまったのだろう。翔よりも何年も長く生きてきた遠征隊の面々も、恐らく『太陽』を知っている時間で言えば翔よりも短いのだ。


 その時、翔の頭にあまりにも傲慢な考えが思い浮かんだ。自らの身すら守れない翔が、こんなことを思い望むのはあまりにも傲慢で、馬鹿らしくて。例え翔の一生をかけても、その願いなど果たされないのかもしれない。


 それでも、願ってしまったのだ。


 ──この世界に『太陽』を取り戻す。


 翔はこの猛吹雪の世界に住む彼らに、あの暖かな世界を教えてあげたいと思ったのだった。そんなことは不可能だ、と誰もが口にするだろう。その願いはつまり、この世界を凍てつかせている『氷の女王』を倒すということになる。


 ──前回は顔も見れずに負けた相手だ。


 このまま翔が『氷の女王』に挑んだところで勝てる見込みなどそれこそゼロであろう。しかし、それは翔がこのまま成長しなかったら、の話だ。


 翔は目の前の遠征隊を見る。


 ──彼らと一緒に頑張れば、せめて一矢報いるくらいには成長できるかな。


 そう思えば、翔は嫌悪していたトレーニングもそう悪くないと思えるような気がした。


 そんな翔の心中など知るはずもなく、元二はそこに座り込んでいる翔に手を差し伸べる。


「ほら、帰るぞ」


 その手を力強く掴んで、翔は元気よく答えたのだった。


「はい!」


 ──いつかまた、あの暖かな陽光をこの世界に取り戻す。


 そんなふうに決意を新たにして、翔は基地に帰ったのだった。しっかりと自らを鍛えていく、そうしっかりと決意して。

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