間章『受け継いだもの』
間章01『無くし物』
「ない! ない! なぁい!」
一人の少女がその悲しそうな声とともに辺りのものを撒き散らす。ただでさえ足の踏み場がないその部屋はそれによりさらに散らかっていき、そこら中に転がっている彼女の『発明品』が少し浮かばれない。
彼女はまだ齢十にして、ここスルガ基地において『発明家』として人々に貢献している少女、アンリである。あどけない顔に、手の加えられていないボサボサの髪。彼女の風貌はいつもと変わらずのように思えて、その実何かが足りなかった。
ふと、その時その部屋にノックの音が鳴り響く。
「失礼します……」
入ってきたのは金髪碧眼という、明らかに日本人ではない見た目の女、フィルヒナーであった。その風貌をしながら流暢に日本語を話し、ここに住む約三百人の日本人のリーダーとなっている。その視線は
もっとも
「……? どうされたのですか?」
その時彼女が珍しく狼狽えていたのは、
フィルヒナーに優しい声をかけられたアンリは泣きそうな顔をしてフィルヒナーを見る。
「……ないの……」
その言葉に首を傾げるフィルヒナーに、アンリは続けた。
「……白衣が、無いの」
その一言を皮切りに、また一つスルガ基地に厄介事が起こるのだった。
********************
「……いや、それっておかしくないですか?」
翔を含めた遠征隊がフィルヒナーに叩き起された時刻はまだ朝四時、お天道様も昇っているか疑問な時間であった。もっともこの世界は『氷の女王』の襲来により日の目など年に数回ほどしか見れないのだが。
翔がそんなことを不機嫌にも言ったのは単純に眠さがまだ残っていたから、というのもあるだろう。事実彼の隣にいる
しかし翔はただ朝早くにたたき起こされたことの鬱憤を晴らすだけためにそんなことを言っていたのではなかった。その状況を理解したものならば誰でもおかしいと思うであろう。一人の開発少女の
事実その指示をするフィルヒナーの顔もどこかきまりが悪い。無理を言っているというのは彼女も分かっているのだろう。しかし翔はそれだけで非難することをやめることは無かった。
「まずたかが探しもので
不満たらたらにそう言う翔だが、その体付きは初めての遠征の時よりも随分と男らしくなっていた。先の不満の中にも、最初は嫌悪していたトレーニングを進んでやろうとしているのが見て取れ、フィルヒナーはその成長に心の内で感心した。
しかし、翔の言うことも最もであったからフィルヒナーは何も言い返せない。アンリはフィルヒナーにとっては大切な存在であるが、遠征隊にとっては所詮、たまに使えるか
彼らに依頼するのは厳しそうか、そうフィルヒナーが思ったその時、翔の後ろからフィルヒナーに助け舟が出された。
「その依頼、了解した。遠征隊の総力を尽くしてその
その元二の言葉に翔は不満たらたらな顔で振り返る。
「……いや、隊長ぉ。さっき言った通り、諸々の理由があってこれは遠征隊のするべき仕事じゃないって結論に至ったんですけど……」
「それはお前個人の結論な。遠征隊としての結論は俺が決める」
「……むぅ……」
そのぐうの音も出ない正論に翔は顔をしかめる。確かにその通りはその通りなのだが、やはりその元二の結論には納得がいかない。
「お前だって少なからず
「確かに世話にはなってますけど……。
あいつの失敗作の被害を被ってるのでプラマイゼロな気が……」
その翔の心もとない反論は元二のニヤリとした笑いに一蹴される。どうやら完全に翔の負けらしい。
──こればっかりはもう年季の違いだなぁ……。
遠征隊に入ったばかりの時も思ったが、やはりこの元二という男は踏んでいる場数が違うな、と翔は常日頃思っていた。隊長を務めているだけあり、緊急時の状況判断は迅速で適切、訓練などの時は自分や周りに厳しいが普段は温厚で隊の調和を図る、などと人としての『厚み』が違うのだ。あとはタバコさえやめてくれれば翔にとって理想的な上司といえよう。今もヤニ臭いその身体から、その願いは叶いそうにないと翔は悟るのだが。
「……よーし、じゃあ手分けして基地内をくまなく探すぞ。
リーとビーは食堂とその周辺、ランとヒロはアンリの部屋を探してくれ。俺とカケルとフィーリニは寝床を中心に臨機応変に基地内を虱潰しに探していこう。
見つけたらすぐ報告しろよ。以上、散れ!」
その言葉と共に遠征隊はかったるそうに持ち場へと動いていく。その様子を見て、元二はひとつため息をついてから付け加えた。
「……見つけた奴には
その言葉を聞くやいなや、遠征隊は一目散に担当箇所へ走っていく。その様子を見て、元二はやれやれとため息をついた。
「……改めて、お前が教えてくれたアレに感謝だな」
その言葉に翔は苦笑いを返した。
元二が言う『アレ』や『例のもん』というのは翔がこの基地にもたらしたお菓子──シベリアのことだ。
もちろんここは氷河期のように吹雪が吹いていようと地球である。ならば別にそんなもの目新しくもない──かと思いきや、それらはこの基地に住む彼らにとっては新鮮なもののようだった。という訳で、翔が異世界、もとい未来の世界にもたらしたその菓子は密かに人気となっているのだった。
翔は初めはそのことに面食らっていたが、思えば当然のことだったのかもしれない。この基地の創設者の朝比奈という博士は所詮はただの一般人だ。博士、なんて職業がどれだけ稼げるかは知らないが、三百人ほどを収容するこのシェルターに、地下に主要な作物の養液栽培システム、基地外に太陽光パネルなどの発電システム、そして基地内の雑貨諸々を買い揃えただけでも充分信じられないほどの財力を持っていると言えるだろう。
それほどカツカツな状況の中で、お菓子などの材料を育てるシステムなど導入する余裕などあるはずがない。加えて『氷の女王』が襲来する前の世界、つまりは『二十五年前』の世界を知る者も基地には少ない。そんな理由で、基地内にはお菓子などといったものは流通してなかったのだった。
ちなみに事の発端は、翔が親友の松つんと元の世界を懐かしんでいる時に起こった。二十五年来の親友との会話はやはり賑わいを見せたが、その中でも特に盛り上がった話題が食事に関しての話題だった。基地の食事が満足のいくものでは無い、というわけではなかったが、それでも当然の事ながらこの猛吹雪の世界で元の世界のものを全て作れるという訳ではない。
そんな会話の中で、突然あまり一般的でもないお菓子の名前が出たのは、どこかその名前がこの猛吹雪の世界にちなんでいるようだから──ということではなく、それが翔の好物であったからであった。彼のその渋い嗜好についてはさておくとして、問題はその会話が基地内の人間、それも食事の担当の耳に届いてしまったことであった。
基地には卵は存在はしない。
「……さて、あいつらも探しに行ったことだし、俺らも行くか」
その言葉に翔は頷き返して、歩き出した元二に続いた。
そうして遠征隊の総力をかけた『無くし物探し』が始まったのだった。
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