第一章25『冰崎翔の戦い方』

「……遠征隊の奴らがみんな、裏切り者……?」


「そうですよ。おかしいと思わないんですか?いくら準備をしていたとはいえ、こんなに簡単に僕があなたを攫うことが出来たなんて」


 目の前の真の言葉が嘘か本当かは翔には分からない。この状況で冷静な判断が出来るはずもない。翔は既に一度『信じ』、『裏切られた』のだ。その状態で目の前の男の発言の真偽など、判断出来るはずもなかった。


「……もう、どうやってもあなたは助からないんですよ。仕方が無いことです。私達はこの日のために準備をしてきましたから。


 あなたは、本当によく戦いましたよ。大丈夫、さっきはああ言いましたが、きっと死ぬことはありません。

 だからどうか、大人しく私達に付いてきてもらえませんか?」


 よく戦った、そう言われて、翔は力が抜けるのを感じずにはいられなかった。


「……ああ、確かにそうだな……」


 もう自分は十分戦ったのではないか、翔はそう思い始める。周りが凍気フリーガスなどという力を使うことが出来る中で、ただの人間である翔はよく戦った。だからもう戦う必要などない。目の前の真の言葉によって、翔の心にそんなに考えが浮かんでいく。


「思えば遠征隊が皆裏切り者とか、勝ち目ないもんな……」


 ──そうだ、もうやれることなんてないよな。


 マンモスやその上を行く猛獣すら倒してみせる遠征隊彼らが翔を裏切ったという事実を知った時点で、翔は半ば諦めながらそう思った。


 そうして翔は、もうこの状況から脱することを諦め──




 ──いや、違う。


 翔は瞬時に、ある事実に気付いた。


 ──遠征隊が皆俺を連れ去るために苦心していた、そう考えると一人、明らかにおかしい態度をとってる奴がいる。


 翔の思考は巡っていく。そうして、ある一人の、翔の男の元に辿り着いた。


 ──俺を確実に捉えるなら、俺を遠征に出させようとしてるなら、あの『先輩』はあまりにも俺に悪意過ぎた。


 事実もう少し翔のメンタルが弱ければ、あの男ランバートの言葉で遠征隊を辞めていたであろう。翔に僅かながら負けん気があったため今こうして遠征に旅出ているのだが。


 ──そうだ、俺を連れ去りたいなら、俺の警戒を解きたいなら、あの『先輩』の態度は合理的じゃない!


 傍から見ればその翔の考えは、あまりにも希望的観測が混じりすぎたものであったかもしれない。翔は恐らく心の底で、まだ彼の仲間を信じていたためであろう。しかしそれが、結果的に状況を好転させたことは言うまでもない。


 ──まだ諦めるには早い。遠征隊に、少なくとも『先輩』に連絡が届けば……!


 もちろん確実に助かるという訳では無い。むしろ翔は彼に嫌われている。助けを求めても無視をされるのが関の山かもしれない。


 しかし、それでも、それは翔が諦める理由には不十分であった。


 ──さて、じゃあどうする?


 翔は目の前の男のハッタリに気付いたことに気付かれてはいけない。頭の中で翔は自問自答していく。


 ──勝ち筋は主に二つか三つ。一つ、助けを呼ぶ。二つ、目の前のこいつから逃げる。三つ、目の前のこいつを倒す。


 目の前の真は外を警戒しているようでこちらには目を当てていない。翔は更なる思考の渦に身を委ねる。


 ──勝ち筋の一つ目……は、ダイヤルを固定されている以上絶望的か……? 二つ目、逃げるのが一番可能性が高いかもしれないけど、そんな隙が都合よく出来たらの話だな。


 考えれば考えるほど、翔の頭は痛んでいった。思えばマンモス達との戦闘で、何もしていないとはいえずっと気を張っていたのだ。翔の頭は疲労で限界であった。しかしそれでも、希望を見つけるために翔は考える。


 ──勝ち筋、三つ目。こいつを倒す。


 それはあまりにも馬鹿げていた。体格も、筋力も、凍気フリーガスも。全てにおいて翔は真に劣っている。それはあまりにも無謀な作戦であった。


 しかしそれと同時に、翔の頭に電流が流れる。


 ──これなら、行ける。


 そう考え出し、その作戦を開始した翔の目には、もう迷いは無かった。



「……真、分かったよ。大人しくお前達に付いていく」


 その翔の言葉に、裏切り者は思わず振り返った。


「そうですか。ご協力、感謝します」


「もう諦めるしかないもんなぁ……。味方はいないし、俺に力なんてないし。確かに諦めるしか無さそうだ」


 翔はそう言って目の前の真に手を差し出す。まるで握手でも求めるかのように。


 そしてそれに真が応じようとしたその時──


「……けど、お前が一つ勘違いしていたことがある。


 凍気フリーガス使?」


 その瞬間、翔は足を一歩前に踏み出し、差し出していた手を振りかぶる。目の前の男は突然の翔の言葉に戸惑い、一瞬反応が遅れた。


 まるで翔が凍気フリーガスを使えるようになったかのような口ぶり。もちろん、ハッタリである。しかし、その瞬間、真にはそんなことを考えている暇などなかった。


 一歩踏み寄った翔が、真の足を払う。中学校の時必修で受けていた柔道での技が、この時になって初めて役に立った。


 ──そりゃ、今は柔道なんざやらないよな


 翔は少なくとも基地の中に畳のある場所など心当たりがなかった。そんなもの柔道よりも、もっと使えるもの凍気が身に付いたのだから当然は当然だ。だからその翔の技に、真が反応できなかったことは仕方が無いと言えるだろう。


 翔は真を押し倒すことに成功する。これが柔道の試合などであったのならもう勝負は決まっていただろう。しかしそこは戦場であった。翔がマウントポジションを取ったところで、真の方が力は強く、凍気フリーガスも使うことが出来る。翔の優勢はすぐ終わる、そのように思えた。


 しかし翔が狙っていたのは直接的な勝利などではなかった。翔の手が、真のマスクに伸びていく。


「……お前らはマスクこれなしじゃ長く居られないんだよなぁ!?」


 奇しくも翔を味方していたのはこの猛吹雪の世界であった。唯一の例外を除いて、マスク無しでは力尽きてしまう世界。ならば目の前の真の弱点はそのマスクに他ならないだろう。


「……こいつ……!」


 真もその翔の意図に気付いたのだろう。より一層力を強くして翔を振り払おうとする。翔はその力の強さに堪えたが、それと同時ににやりと笑った。その力の強さは、紛れもなく目の前の真の余裕のなさを表していたから。


「……卑怯、なんて言うなよ……?

 ……悪いけど、俺にはこれしかないんでな」


 翔には力が無い。ならばその分は知恵で、戦略で補う。汚いと罵られようが、これが翔の戦い方だ。


 しかし勿論、その戦い方にも限界はある。その拮抗状態が続いたのは三十秒にも満たなかっただろう。その間に翔はひっくり返され、翔が真のマスクを取る前に逆に翔がマウントポジションを取られる結果となった。


「……はぁ、はぁ」


 真の息も荒い。思いの外翔が真相手に踏ん張ったことも起因しているだろう。この遠征に来るまでの日々の中で、僅かながら翔も身体を鍛えたのだ。その力を見誤ったのは真の失態であったかもしれない。


「……けど、これでもう『終わり』です」


 真は眼前の翔にそう冷淡に言い放った。しかし目の前のその男はにやりと笑うばかりで、その目に宿った光が消えることは無かった。


 その時、真の苛立ちが一定ラインに達し、激昴する。


「……あなたは、こんな汚い手を使っても俺に勝てやしない! 『英雄ヒーロー』だなんて笑わせないでください。あなたはに負けたんですよ! あなたの醜い抗いは何の意味も持たない! 結局あなたは俺に連れ去られるんですよ!」


 目の前の男のその怒号を聞いても、翔は笑みを崩さなかった。


 ──確かに言えてるよ。『英雄ヒーロー』なんて笑える。俺はそんな高尚なもんじゃない。


 するとその翔の笑みに何を言っても無駄と判断したのか、真がその腕を振り上げる。


「……これ以上無駄なあがきをされると厄介だ。気絶してもらう」


 恐らくここで意識を失えば、このまま翔は醜い抵抗すらすることが叶わず、真に連れ去られてしまうだろう。しかし、翔は尚も居丈高にこう言った。


「……ああ、でもだな」


 その一言を減らず口だと思ったのか、真は躊躇わずその腕を振り下ろし、翔の意識を完全に落とした。


 そうしてやっと安心したのか、真は大きく深呼吸をしてから呟いた。


「……予想以上に面倒なことになってしまった」


 真にとって先の翔の抗いは予想外であったのだ。もちろんその善戦っぷりもだが、それよりも彼が真のブラフに騙されなかったことに驚いた。


「あれほど不信感を煽ってやったというのに……」


 もちろん遠征隊の者達の全てが裏切り者、などというのは真っ赤な嘘であった。しかし翔にとってそれは本当のように思えても仕方が無い、否、本当のことだと思ってしまうはずであったのだ。


「……ひとまず急ぎましょうか」


 真はそう言い、自分の顎に手を伸ばす。遠征隊の者達が真の味方など嘘であるということは同時に、真は上手く他の遠征隊の者達を騙さなくてはいけないこととなる。


 きっと今も真は怪しまれていることだろう。突然保護対象と共に消えたのだ。だから真は、カモフラージュを施すつもりでいた。


 単純な話だ。後ろから猛獣が襲ってきた、などと適当に嘘をつけばよい。少しの間時間を稼ぐことができれば、近くに待機させてある仲間とともに真はこの場を立ち去ることが出来る。そう、その真の計画は完璧で、そしてそれは極めて順調に進んでいる──ように見えた。


 が、その回されたダイヤルに気付くまでの話だが。


「……は?」


 そのダイヤルは目いっぱい回されていた。つまり通信相手は、遠征隊全員。


「……は……はぁ!?」


 それはつまり、今までの真の話した内容が、すべて筒抜けであったということ。


 ──いつからだ。目の前のこいつなんかとは違って、俺はちゃんとこいつとの通信に合わせていたはず!


 その時真はあることに気付く。翔が真の上を取った時、


 真は思わず目の前で気を失った翔を睨み付ける。


 ──あの時か!


 あの時、翔はマスクを取ろうとするふりをして、そのダイヤルを回していた。その後の全ての真の発言が、遠征隊に筒抜けになるように。


 そしてそうも知らず真は挑発に負けベラベラと勝ち誇った台詞を次々と吐いた。つまりこれは、完全な翔の戦略勝ちである。


「……この野郎……!」


 真は眼前のそのを睨み付ける。翔はつまりすべての行動を整理すると、凍気フリーガスが使えるなどとハッタリをかまして真の上を取り、マスクを取ろうとしていると思わせて実は遠征隊との連絡を図っていたのだ。


 これらの行動を鑑みれば、本当に翔は『英雄ヒーロー』などではないだろう。それほどかっこよい存在ではない。例えるならば『嘘吐者ライアー』、いや、『詭弁家ソフィスト』であろうか。


 しかし何にせよ、その翔の作戦が、真に一矢報いたことには変わりなかった。


 真は翔が意識を失う前に口走ったことを思い出した。


『ああ、でも今回は俺の勝ちだな』


 その言葉に思わず真は翔を睨み付けた。


 ──ふざけるな。こんなところで終わってたまるか。


 真は思案した。通信が通じてしまった時点で、隊長元二の元には真の現在地が知れてしまっている。ここはすぐに離れた方が良さそうだ。


「……おい、お前ら。

 撤退するぞ」


 真は遠くにいるその仲間に合図し、その場を離れようとする。この時になって初めて翔を気絶させたことによる弊害が発生する。いくら真が身体を鍛えているとはいえ、同年代ほどの男子の身体を背負っては移動速度も半減する。


 ──こいつは、本当に……!


 目の前のがここまで読んでいたとしたら。あまりに厄介で、末恐ろしい話である。


「……ひとまず逃げないと」


 真が無意識に呟いたその言葉に返事が来たのは、真に取って予想外そのものだった。


「させねーよ」


 振り返るとそこに二人の人影があった。

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