第一章24『裏切り』

 それからの道中も、最初の戦闘と同じであった。


 元二らを筆頭とする氷結部隊と、ランバートらを筆頭とする氷爪部隊。そしてそのどちらにも当てはまらない特殊部隊のヒロ先輩とフィーリニ。彼らの力で遭遇する獣たちはいとも容易く倒され、翔はやはり、動けないままであった。


 そんな戦闘が何度続いたであろうか。元二の口から、帰還の命令が出た。


「そろそろ夜になるし、吹雪も強くなってきやがった。も少し続けたいが、安全第一だしな。基地に帰還する!」


 その命令と共に、一行は帰路に経った。やはり翔は最後尾で、申し訳なさそうにその列に付いていった。結局今日の遠征で、翔は何も出来なかったのだ。自ら入ると言って、短い期間ながらに鍛えていたというのに、何も出来なかった。


「……もう、なんか分からなくなってきたな」


 例え『時間跳躍』なんて芸当が出来たとしても、この世界に蔓延る有毒ガスが通用しないとしても、そんなことは何の武器にもならない。戦うための手段が、武器が欲しい。翔はせつに、そう思った。


 ふと、またマスクの中に声が響いた。


「……よう。カケル、大丈夫か?」


 その優しさの混じった低い声は元二のものであった。


「……まあ」


「無理すんなよ。今日の戦闘は結構軽い方だったとはいえ、キツいことには変わりないからな」


 と、その元二の口ぶりから、今日よりもハードな日があるということに驚く。


「……今日よりハードな日、って一体どんな日なんですか。マンモス十体倒すとかすか?」


「……いや、マンモス十体よりも、ある獣一匹の方がよっぽど厄介だ」


 その言葉に翔は疑問を隠せない。あのマンモス十体分に匹敵する獣とは、一体。


「……その、獣っていうのは」


「スミロドン、通常『剣歯虎サーベルタイガー』ってやつだな」


 その名前に翔は反応する。聞いたことのある名前だ。しかし、翔の記憶が正しければそれは……


「……氷河期って言っても終わりの方の猛獣やつじゃ……」


「昔の常識はここでは通用しないんだよ。大型猛獣の狩りに特化した、って二十五年前の俗説も、甚大な遠征隊の被害で覆されてる」


 確かに、思えばこの世界には、マンモスの主食であろう植物がほぼ存在しない。その状態で定期的に遠征隊が狩ってもなお絶滅しない個体数が存在し得るのは、その生態が変わったか、環境が変わったか。何にしろ二十五年前とは違った様相を表していても不思議ではない。


 しかし、なおも翔には引っかかる事があった。


「……でも、さっき隊長がやってた完全冷凍フリージングってやつやれば、大抵の敵は倒せません?」


 しかしその疑問は言語道断、と言わんばかりに切り捨てられる。


「バァーカ。まずあんな、誰でも出来るわけじゃないよ。今は使えるのは俺だけだ。それに、そんなにポンポン出来るもんでもないのさ」


 なるほど。一見して無敵の技に思えたが、色々と制限もありそうだ。誰でも出来るものでもないということが翔にとっては少しショックだった。いつか自分が凍気フリーガスを使えるようになった時、やってみたいと思っていたからだ。


 その時、ふと『技』繋がりで疑問が湧いた。


「……その、何でしたっけ?『先輩』の……『フリーズクリーブ』?って、凍傷とかにならないんですか?」


「本人に聞けよ、ったく……

 って、そんなのは意地悪だったな。忘れてくれ。


 アイツ曰く、『凍傷になるどころか冷たさを感じたこともない』だとさ。だから安全だ、っていつも言いやがるんだが、あんな怖いことオジサンはやりたくはないね」


 それは少し奇妙だと思った。翔が以前『防護服』に足首を凍らされた時は軽く凍傷になりかけた。使われたのは同じ凍気フリーガスのはずだ。いったい何が違うのだろうか。


「ちなみにあいつの腕まわり、暖房装置ヒーターなんか付いてやがるんだぜ。まあ、あんなずっと付いてたら邪魔だしな」


 そんな元二のウンチクを聞いていたその時、翔は視界の橋に何か妙なものを見つけた。少しずつ強くなっていく吹雪のせいでその正体をすぐに知ることは叶わなかったが、徐々に見えてきたそのシルエットを見て、翔は思わず叫んでいた。


「……『剣歯虎サーベルタイガー』です!」


 噂をすれば影がさした、なんて笑えない。その猛獣を前に、元二の判断は早かった。


「俺とヒロとランで応戦する! 真はカケルを守れ! それ以外の奴らは俺らの援護!」


 そして遠征隊の面々もその指示通りに迅速に動いていた。この点では本当に、彼らは間違ってはいなかった。


「……さてと。オジサン頑張らないとな」


「……『フリーズクリーブ』!」


 遠征隊の筆頭二人がそう戦闘準備をし、目の前の猛獣に向かっていった。剣歯虎サーベルタイガーも負けじと眼前の三人の戦士を睨む。


 その勝負の決着までに、時間はそう必要なかった。


 こちらに向かってきたその猛獣に対し、大柄なその男が大槌を構える。


「むん!!」


 その一振で剣歯虎サーベルタイガーの牙の一つが折られる。それと同時に、ランバートが背後に回り込んでいた。


「舐めんなよ! 獣畜生が!」


 その腕の刃によって猛獣の身体に致命的な裂傷が負わされていく。たまらず逃げ出そうとするその猛獣に、一つの手が伸びる。


「『完全冷凍フリージング』」


 その一言により猛獣の全身が凍りつく。その戦いは危なげなく終わった。あまりにあっけない幕引きであった。だが、問題はそこではなかった。


「……終わった。総員、帰るぞ」


 元二がそう指示をするも、隊の人数が明らかに足りない。消えたのは白と、青のウェアだ。


「……カケルと、真か……?」


 翔を守らせていた真は若いながら鍛錬を積み優秀な兵士だった。彼に翔を守らせておけば万一はない、そう元二は思っていたのだが……


 ──その時瞬時に、元二の頭にある仮説が浮上した。


「……! しまった!」


 真に守らせておけば安全、確かに実力の面を考えればその通りだろう。しかしそれも、ある一つの思い込みが前提となっている。


「……まさか、とは思うが」


 ──裏切り者が遠征隊にいた場合。


 ──その裏切り者に護衛をさせていた場合。


 その対策は、逆効果に他ならない。


 そして、不幸にもその元二の悪い予感は、的中していたのだった。



 ********************



 翔が目を開けた時、彼の目には基地に来る以前住んでいたような洞穴の景色が映っていた。ただ一つ違うのは、傍に少女フィーリニが居ないことと、目の前にある一人の男がいることだった。


「……なん……で」


 目の前のウェアは白い。思えばおかしかったのだ。雪中で見分けが付くように色分けしているというのに、その中に雪に溶け込む白色がいるのは。


「……真……!」


 翔は目の前の青年の名前を呟いた。翔が友だと思っていた、その者の名前を。


 もう疑うまでもない。目の前のが、フィルヒナーの言っていた『翔を狙うもの』つまりは『裏切り者』だろう。


 ──失敗したな。


 翔は心の中でそう呟いた。翔を狙うものがいるかもしれない、と聞いていた時点で翔は常に周囲に警戒を払っていた。翔を取り巻く白銀世界の、どこからその敵が出没してもいいように。


「……けど、まさか遠征隊の中、それもお前が裏切り者だとは考えもしなかったよ」


「それはどうも。あ、助けは期待しない方がいいですよ?」


「……褒めてもねぇし聞いてもねぇ」


 会話のキャッチボールの相手は言わずもがなだ。この場には翔と真の二人しかいない。そして外は吹雪が強くなってきており、なんの手がかりもなしに遠征隊が翔達を見つけ出すことはほぼ不可能だ。


 ──それにしても鮮やかな手口であった、と翔は目の前の男の犯行の瞬間を思い出した。突然の猛獣の出現に慌てふためく遠征隊の隙を突き、瞬時に翔に手刀を喰らわせ気絶させ、戦闘に夢中になっている遠征隊の者達に気付かれないようにしてその場から離れる。明らかにそれは計画的な犯行であり、翔を攫うため相当目の前のが準備をしてきたかがうかがえた。


 そしてそれほど準備をしてきたその結果が出たのだろう。少しずつ強くなっていく吹雪の中、今や翔は真と二人きり、洞穴の中である。前述の通り発見は困難。つまりはこの状況は……


「……この上なく絶望的、か」


 それにしても本当に悪い冗談だ、と翔は苦笑した。仲間の大切さを知ったその直後に、その仲間に裏切られることになるとは。自らの迂闊さに、悔やむのを通り越して翔は最早苦笑していた。何が『仲間』。やはりそんなものはこの世界には存在しなかったようだ。


 するとその翔の諦め切った表情を見てもう安心だと思ったのか、目の前の裏切り者が話し出す。


「スマートにいきましょう、カケル様。

 あなたはこれから私に連れ去られ、ここから遠いところにある研究所で人体実験をされることになります。ですが大丈夫です。死ぬ事は無いし、最後には幸せになっているはずです」


「……随分と不確定要素が多いんだな」


「未来のことは誰でも分かりませんよ?」


 目の前の真がそう雄弁を語るのを見て、改めて翔は「裏切られた」ことを実感した。彼の表情はマスクの向こうで見えないが、きっとまんまと騙された翔をほくそ笑んでいるに違いない。そんなふうに思ってから、翔は少し嫌な気分になったのでやめた。


「……それと、助けを呼ぼうとしても無駄ですよ。まずあなたのダイヤルを私宛に固定しました。もう隊長達と話すことはできません」


 そう言われ触って確認してみると、確かにうんともすんとも言わない。唯一の頼みの綱である連絡手段も消えた今、本当に翔が助かる見込みはゼロに近いだろう。


 ──けど、ゼロじゃない。


 翔は諦めなかった。翔の目の前にいるのはマンモスでも無ければこの世界を凍てつかせた女王でもない。ただの一人の、翔と同い年ほどの青年なのだ。


 もちろん状況はいいとは言えない。歳が近いとはいえ、のうのうと過ごしてきた翔の十七年間と、目の前の青年が身体を鍛えてきた十数年間はとても同じとは言えない。


 助けも来ることはなく、目の前の男を打倒することが無理ならば、いったいどうやって翔は助かることが出来るというのか。翔は思わず絶望しそうになる。


 それでも何とか、助かる見込みを、一筋の光を探していた翔の耳に、真の冷淡な声がさらに追い打ちをかける。


「……それに、そもそも連絡が通じたところで意味なんて無いんですよ。だって……」


 その次の一言は、絶望的な状況に必死に足掻く翔に、ぴしりと突き刺さった。



「……遠征隊は皆、僕と同じ『裏切り者』ですから」

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