第一章・破『明かされる真実』
第一章08『遭遇』
マンモス討伐の日から一週間ほど経った日、翔は洞穴付近の森林を走り回っていた。
「……ああああ! 待てこらっ!」
追いかけているのは翔の遥か前方を軽やかに駆けている鹿だ。前々からマンモスより手軽に狩れる獲物として狙いを定めていた。そして今日、この狩りが成功すれば無益にマンモスだけを狩る生活も終わる。
だがしかし、翔の足は鹿に追いつかない。
「……マンモスとの追いかけっこでちょっとは速くなったと思ってたんだけどな……」
おまけに持久力もない。このまま追いかけっこを続けても翔が鹿に追いつくことはないだろう。
「……けど、だからって勝ち誇ってんじゃねーよ」
無論、それは翔が一人であったら、の話である。
「フィル!」
合図とともに、木の影から獣の少女が姿を現す。しかしその死角からの襲撃も、その軽やかな動きで見事に躱される。
「……ちっ!
くそ! 待て!」
一拍置いて翔が再び走り出す。前を走るその鹿がどんな心境であるかは推し量るしかないが、恐らく勝ち誇っているに違いない。鈍臭い人間が二人かかってこようと、自分が捕まる事は無い、と。
そう悠々と走っていたその身体が、突如バランスを崩す。その様子を見て、後ろで翔がニヤリと笑った。
「……ただ追いかけ回すだけが狩りじゃないからな」
翔はそこに落とし穴を仕掛けておいたのだ。罠と言ってもそれほど大したものではない。地面をある程度の深さまで掘り、木の枝や葉で蓋をする。その上にカモフラージュで雪を乗せれば、超簡易な落とし穴の出来上がり、というわけだ。
「……小学校の頃珍しく友達と遊んだ時に砂場で作ったっけな」
確か上級生が見事に罠にかかって陰で笑ったんだっけか。こうして考えるとあまり褒められた体験ではないが、少しは悪知恵も持っておいてよかったと思った。
目の前の鹿にしっかりとトドメを刺して、一つ息を吐く。
「……今日も、食料確保に問題なし、と」
この白銀世界では、食料確保が何よりも重視される。吹雪が酷い日はほぼ視界に白しか映らず、狩りなどをする余裕もない。狩れるときに狩っておく、それが大事だと翔はこの数日で悟っていた。
「おーい、フィル」
声を掛けると獣の少女がこちらに四つ脚で駆けてきた。本人にはあの不意打ちで仕留められなかったことが悔しかったのか、表情は晴れないが。
「悪いな、今日も担いでくれ。
今日はここいらにして帰ろうか」
食料調達は済み、また吹雪いてきている。最近は一段と天気が悪い気がする。といっても翔はまだこの世界で「晴れ」どころか日の目すら見れていないので、元の世界の基準で言えばずっと悪天候のようなものなのだが。
「鹿の角も何かに使えないかな……
っと、あれ?」
帰り道、考え事をしていた翔が、視界の端で「何か」を見つけた。
「……フィル、ちょっとここで待ってろ」
それをしっかりと捉えたあと、側の少女にそう言って翔はそちらの方に向かう。もしこれでただの見間違いだとしたら無駄足になるが、目の端で捉えたそれが、翔には無視出来ないものに思えた。
「……人、か……?」
そこに見えたのは人形のシルエット。白いもので身を包んでいるから一瞬見逃してしまいそうになったが、やはりあれは人のように思える。
「……だとしたら、これは大きな発見だ」
この世界で人、もしくは人に近いものを見たのはフィーリニの他にいない。フィーリニのような言葉の通じる人獣はあのあとも見つかる事は無かった。もしあれがフィーリニのように人獣だとしても、翔と同じく普通の人間であったとしても、もしくはそのどちらでもない人型生物だったとしても、それの発見が翔のこれからにとって大きな存在であることには変わりない。
「……人、人、人であってくれ……」
実を言うと翔は精神的にだいぶ参っていたのだろう。人のようなそれを見つけてから初めて気付いたことだ。話し相手としてはフィーリニがいることにはいるが、彼女は言葉を話さないためきちんとした会話にはならないのだ。
もしあの人のようなものが翔達をこの雪山から助け、どこか暖かい、安全な場所に連れていってくれるのならば、それはそれで越したことはない。しかしそうでなくても、例えば翔と同じように何も知らない被召喚者であったとしても、話し相手が出来るだけで翔は救われる気がしたのだ。
「……頼むぞ、神様とやら」
近付いていくと、その人型生物はこちらに気付いたようであった。その顔はガスマスクのようなもので覆われ、身体は白い、防護服のようなものを纏っている。さながら翔には蜂の巣を駆除する業者のように見えた。
「……なんだ? あれ」
余程この世界の生命の発達が独特でなければ、あれは明らかに生身の生物ではないのは明らかだ。見たまま、人が防護服のようなものを身に付けている、近づけば近づくほどそうとしか思えなくなってきた。
「……なんだあの格好」
──まるで外気に触れたくないとでもいうかのように。
と、翔がようやくその人型のすぐそばで足を止めたその時、その人型が何かを取り出した。それは真っ黒な棒のようなもの。人型が何かいじると、バリバリという音と共に光り出す。
「……は?」
翔の知識が正しければ、それはさながらスタン警棒だ。そしてそれが、翔の方へ振り下ろされ…
「あぁぁっっぶねぇ!」
それを翔は辛うじて躱す。予想外のその攻撃を雪の足場で避けることが出来たのは奇跡に近かった。目の前のそれは尚も翔を狙っているようで、再び警棒を振り上げる。
「あっ!!」
それも何とか地を転がり躱す。堪らず雪原を転がるようにしてその人形生物から距離を取った。何だ、何が起こっている。頭は今起こっている事態に理解が及ばずショートし、鼓動は少し前とは比べ物にならないほどうるさい。
「フィル!!」
叫んだ。この声が届いたらフィーリニが助けに来てくれるだろう。目の前の人型はやはりこちらを狙っているようで、こちらとの距離をじわりじわりと縮めてきている。
「……待て、落ち着け、整理しろ……
……なんだ、こいつ、俺を、狙ってる……?」
そしてその装備。やはり見た通り防護服。つまりは文明の利器とも言える。先程の警棒と共に考えてみれば、そこから算出される答えは一つだろう。
「……人間、もしくはそれに準ずる知的生物
しかも文明の利器まで持ってやがる」
そしてそれが何故かこちらを狙ってきている。二度も攻撃されたのだ。偶然とは考えにくい。
「……何が何だか分からないけど、逃げるのが得策そうだ」
目の前にある警棒、それを奪うことが出来たら翔の武器が増えることには間違いない。しかしそれは大きなリスクを伴う。ましてや眼前のこの「人」が翔を狙っている理由や、翔に何をしようとしているかなど不透明なことが多すぎる。何よりもこちらの装備も貧弱だ。逃げる他ない、頭でそう判断を下す。
しかしそうは問屋が卸さなかった。目の前の防護服は何かガサゴソとポケットを漁ったあと、その武器を取り出した。
「……は……」
ハンドガン、そう認識した瞬間、翔はその場に伏せていた。
──銃声は静かな雪の大地によく響いた。その弾が風を切る音を翔はしっかりと聞いていた。まとまっていた思考が、またオーバーフローする。
「……いやいや、流石にオーバーテクノロジー過ぎだろ……」
異世界にはとても似合わない代物だ。改めてここが何処なのか翔は分からなくなる。と、同時に、危機はまだ去っていないことに気付く。
翔は今、黒い学ランの上にあのマンモスの毛皮をまとっている。一面白銀のこの世界では余程吹雪いていない限り見失うことはそうない。そしてあの銃の装填数が、たった一発でなかった場合……
その悪い予感が的中し、再び防護服が引き金に指をかける。やばい、そう思った時、翔の上を誰かが駆けていくのを見た。
「フィル!!」
獣の少女は神速で雪上を馳せ、その防護服に食い付いていった。
「フィル! その黒いものを奪え!」
彼女が銃火器の存在を知っているとは思えないのでそう忠告する。防護服を押し倒したフィーリニはその手に握ってあったハンドガンを力任せに奪い、そしてその喉笛に牙を立てて噛み付いた。
「……はぁ、勝った、か……?」
フィーリニの助けありきではあるが、あんな文明の利器を携えたものに勝てるとは思わなかった。とりあえず起き上がり、翔も防護服の元へ向かう。
「……死んでる、か。
そりゃそうだよな」
獣と遜色ないフィーリニに喉笛を噛み切られたのだ。息があったとしても助かる見込みはほぼ無い。生きていたら何か情報でも聞き取ろうともしただろうが、目の前のこの防護服は翔を殺そうとしたのだ。どの道有益な情報が得られる望みは低いだろう。
「……けど、色々と貴重なものがあったから剥ぎ取らせてもらうぜ」
この防護服は翔を殺そうとしたのだ。それくらいの見返りは期待してもいいだろう。
改めて防護服の装備を見る。ハンドガンに警棒、ゴチャゴチャとした防護服にはそれ以外にも武器が入っているようだ。ガスマスクの奥の表情はよく見えなかったが、やはり中にいるのは人のようだった。
「……なんか、軍人だったりするのかね」
とりあえずそれらの武器は貰っておく。これらでずっと狩りが楽になるかな、なんて思いながら。
「……やっぱりこれ、相当文明が発達してるってことだよな」
改めて珍しい異世界だと思う。普通は剣と魔法の発達した、機械なんて存在しないものじゃないのか。異世界に拳銃などが存在するならば、魔王は魔法など使わずとも撃ち殺してしまえばいい。
いや、まずここが異世界だなんていう陳腐な考えを正さなければいけないのかもしれない。毎日最低数時間は吹雪き、マンモスが存在し、引いてはフィーリニのような獣のような人間のような存在がいたとしても……。
「……もうわかんねぇなこれ」
ここがどこか、なんていう疑問は捨てることにした。考えても答えなど出なさそうだ。出たとしても、それが正しいかどうかは、誰かが教えてくれないと分からないのだから。
「……お、これも貰っておくか」
武器をまさぐっていた途中、防護服の手に付けた手袋のようなものが取れた。丁度手がかじかむのを防ぐ手袋のようなものが欲しかったのだ。両の手から手袋を奪ったことで、防護服の肌が露出する。肌色で、翔と似たように見えるその肌から、やはり中にいるのは翔のような人間であるように思えた。
「……さて、あらかた武器は貰ったけど
この服って、どうやったら脱がせるのかね」
改めて防護服を見る。ジッパーのようなものは見当たらないし、脱がす方法が見つからないのならば、これの奪取は諦める他なさそうだ。
「……じゃあ、帰る……か?」
足を踏み出そうとした時、その足が防護服の手に掴まれた。まだ生きていたのか、なんて驚きは、そのすぐあとに霧散した。
その掴まれた足首が、突然熱を失う。驚いて見ると、その掴まれた部分が、凍り付いていた。
「はぁ!?」
──なんだ、なんだこれは。ただただ、このままではまずいということだけが頭を回る。
とっさに押収した武器から、ハンドガンを取る。撃ったことなどないが、この至近距離、動かない相手になら。
──バン、という銃声とともに、また白いキャンパスに赤い飛沫が飛ぶ。発砲の衝撃が思っていたよりも強く、翔はバランスを崩してしまった。翔の足首を掴む力も無くなったようだったが、足首は凍り付いたままだった。
「……はぁ、はぁ。
いったい、何なんだよ……」
掴んだものを凍り付かせる、そんな超能力でも持っているとでも言うのか。この世界にはまだまだわからない事が多そうだ。
「……とりあえず、フィル、肩貸してくれ」
そうして片足の凍った翔は、フィルに支えられながらも再び帰路に立った。
その様子を見ている、もう一人の存在に気付かずに。
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