第一章07『感謝』

 親譲りの無鉄砲で、子供の頃から損ばかりしている。などということは全くなく、翔は少年時代手のかからないとても大人しい子供であった。成績優秀、品行方正。運動能力が低いのが玉に瑕だが、小学校などの先生はとても彼を大人しく、言ってしまえば教師として理想的な、そんな子供だと思っていた。


 事実見た目はそうであったのだろう。しかし心の中は違っていた。男子ならば誰でも一回はしたことがあるかもしれない。突然教室に悪役が入ってきて、自分がヒーローになってみんなを守る、そんな妄想を。翔はそれの重症化したものをいつもしていた。中二病、と言われればそれまでなのかもしれないが、現実に退屈していたのだろう。


 つまりは翔は幼少期から闘争心は持ちながら、大人しい外聞のためそれを発散させる機会がなかったのだ。彼は喧嘩もしたことがないし、その他の勝負と言えるものもそれほど経験していない。よって彼は「戦い」慣れてもいないし「勝ち」なれてもいない。──召喚される、前の世界では。


 召喚されてからすぐ、彼は生まれて初めてと言ってもいい「敗北」を味わった。あのマンモスとの戦いである。もちろん相手は人外、勝ち目がないというものではあった。しかし何にしても、それが彼にとって初めて、敗北の苦渋というものを知った時であったのだろう。


 そうして、時は今に舞い戻る。あの時負けたマンモスに、フィーリニの翔の力で、翔の作戦で、マンモスに勝った。


 断崖絶壁の上、その敗者マンモスを見下ろしながら、勝者は勝利の味を噛み締めた。



********************



「……さて、いつまでも感傷に浸っていられないな」


 吹雪はなおも強さを増している。このままであったら初日を越す強さになってしまうかもしれない。そうなる前に、あのマンモスから奪うものを奪ってあの洞穴に帰る。そこまでやって始めて、翔はマンモスに「勝利」したと言えるだろう。


 例の氷の階段を降り、マンモスとフィーリニの元へ向かう。すると、その場に何か大きなものがいるのが見えた。


「……っ!まさか……!」


 嫌な予感とともに翔は走っていく。そしてその嫌な予感の的中を告げるように、その場には倒れたマンモスの他に、ひとまわりかふたまわり小さいマンモスが二匹いた。


「……仲間!?

 くそっ! 早く逃げねぇと!」


 マンモスを一匹倒したといえど、策を巡らせ身体を酷使しての辛勝だ。連戦、ましてや二匹相手など成り立つ訳もない。


「フィル!逃げ……る……ぞ?」


 後半が疑問口調であったのは、その場が想定外の光景に包まれていたからであった。


 二匹のマンモスは息絶えたその個体を慰めるかのように長い鼻をその身体にすり寄せる。あのマンモスの家族か、仲間であったのだろうか。その光景は、さながら人間の家族がする、愛情表現に見て取れた。


「……あぁ、そっか」


 戦うことしか頭になかった翔はやっと気付いた。あのマンモスにも家族や仲間はいるのだ。死んで悲しむような者達がいるのだ。翔達がやったことは、彼らを悲しませるようなことであったのだ。


「……」


 だからと言って自らの行動が完全に悪だとは思えない。この世は弱肉強食。他の生物を殺し、その肉を屠ることは古来から幾度となく行われてきたことで、翔達のやったことはその一つに過ぎない。


 しかし、悪ではないからと言って、その命を軽んずることは許されない。あのマンモスも生きていたのだ。この氷雪の大地に、威風堂々と。それを殺めた翔達には、相応の責任があることは気付いていた。


「……お前ら、ごめんな」


 言葉などマンモスに通じるはずもない。通じたとしても、その言葉がいったいそのマンモス達にどれだけ意味があるだろうか。しかし彼は謝らずにはいられなかった。この自然の循環の中で、確かに彼が殺めたその命に、しっかりと敬意を払うために。


「……フィル、とりあえず肉を捌きたい。手伝ってくれるか?」


 翔がそう言うと、フィーリニは俯きながら頷いた。彼女もやはり、最後の最後であのマンモスに敬意を払ったのだろう。その表情はすぐには晴れることは無かった。


 翔はそのマンモスに敬意を払った。だからこそ、その遺骸をそのまま放置してはいけない。翔達がマンモスに挑んだのは私怨もあったが、もし倒すことが出来たとしたら、その肉を食料にすることも可能だと思ったからだ。象肉料理というのは聞いたことがあったし、マンモスはその近縁種だから食べられないことはないだろう。


 遺骸を放置しないというのは単にその肉を剥ぎ取るだけではない。厳しい寒さを生き抜くために、彼らの皮膚は暖かそうな毛皮で覆われている。それを上手く使えば翔とフィーリニの防寒具として役立つだろう。その雄大な牙は武器、切るというよりは刺すためのものとして使うことが出来る。骨も同様だ。そのマンモスの身体一つを、色々なことに再利用することが出来る。


 つまりは生命を尊敬し、尊ぶということはそういうことなのだと翔は思った。自らが奪ったその命に、敬意を払ってその全てを使う。循環していく自然の中で、それこそが、何よりも一生物として、正しいことであると思ったのだ。


 とはいえ捌くための道具は件のカッターナイフしかない。普通のものよりも切れ味がよく強度があるものであると言えど、解体作業には時間がかかるように思えた。しかし意外にも、フィーリニのその爪が鋭利に伸び、マンモスを捌くのを手伝ってくれたおかげで早く片付いた。爪を意のままに伸ばす、などやはり獣らしい力だ。その馬力といい彼女に頼ることはこれからも多そうだ。


「……じゃあ、改めてごめんな。

 お前らの仲間、もらっていく」


 その場に二匹いるそのマンモス達にそう告げ、翔とフィーリニは捌いたその体を少しずつ洞穴に持っていった。いつしかその場には二人が雪の上を歩く足音しか聞こえなくなり、その場は悲しいほど静かであった。



********************



 その日からしばらく猛吹雪は続き、扉石で入口を塞いで洞穴に引きこもることとなった。幸運にもマンモスの大量の肉があったためやり過ごせたが、これからは食料も備蓄しておかなければ、と翔は思ったのだった。


 マンモスの有用性は肉と毛皮と牙、それだけに留まらなかった。その肉から出る大量の油、それらは再び火を起こすための燃料として使えた。もちろん従来のものよりも火の付きは悪いが、熱源も安定して確保できるということは翔にとって朗報であった。


 また、マンモスの牙には意外な使い道もあった。それは想像していたよりも強度が無い代わりに、容易にカッターナイフでも削ることが出来たのだ。もう少し物資が充実していたら何か加工品に出来るのだろうが、翔達にはそれを文字を書くための情報媒体として使うことにした。


「……これで、もし俺らが死んでもいつかこの洞穴に来た奴が俺らがいたことが分かる」


 牙には簡単に、「スサキカケル、firrine、ココニアリ」と記した。この世界にカタカナの存在がなければそれまでだが、何にしても翔達がここにいたという「記録」は残せたのだ。いつかどこかで、誰かに拾われることを願うのみだ。


 ともあれ、マンモスの身体は有用性に溢れていた。牙は情報媒体手段、肉は食料、毛皮は防寒具、油は燃料。


「……これで食料、水、熱は物資が揃ったわけだな」


 まだ文明化などには程遠い。何よりも武器が足りない。火はあるが明かりはなく、水はあるにはあるが水源まではまずまずの距離がある。まだ改善していく点は多いが、それでもやっと、最低限の環境が整ってきたと言えるだろう。


「……ここに来てからしばらく経ったけど、元の世界に戻れる様子もないし。

 本格的にここで生きていくことになりそうだな」


 文字通りゼロからのスタートだ。まだこの世界での生活は始まったばかり。それもその数日は運に恵まれていたことも大きかった。これから先、更に色々と問題は立ちふさがるのだろう。


「……けど、二人で、知恵を振り絞って、生き抜いていこう」


 その言葉に、フィーリニは笑顔で大きく頷いた。そしてそれに返すように、翔もフィルに笑いかけたのだった。

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