2 -犠牲-

 今までにないくらい身体が軽い。さっきまで息がしにくかったのに、今は肌すら酸素を取り込んでいるような感覚になっている。

 母様の魂が身体にしっくりと馴染んでいるのが、よく分かる。


 ようやく黒い球体に追いつき、何とかそれを壊せないかと思案するが――壊して万が一爆発でもしたらひとたまりもない。得体が知れないうちは触らないほうが無難かもしれない。

 何も出来ない自分の無力さを嘆きつつ、球体よりも先に魔法使いの集まる森へと到着した。



「ミーシャ!」



 森にいた人が飛んできた私を見ると慌てた様子で走って来た。どうやら先程の声明がこちらにも届いていたらしい。その人を筆頭に周りがどうなっているのか私に説明を求めてるが、そんな暇はない。



「説明は後で! 一先ず皆、逃げて!」

「でも一体何処へ…」



 自然が溢れ、人間の手が届かない場所――。普通の魔法使い達には知らされていない、隠れ家が私達には存在した。こうなることを見越したのか、はたまた偶々だったのかは分からない。

 もっと言ってしまえば、存在しているのかも定かではない。



「フォー神様のところに、行こう」



 集まった魔法使い達は喋るのをピタリと止めた。白い目で見られるのも、非難されるのも覚悟の上だった。

 誰でも小さい頃に聞いた事のある、お伽噺に存在するフォー神様。森の化身であるフォー神様は、自然の絶えない森の中でひっそりと暮らしており、魔法使い達を生み出したと言われている。



「ミーシャ、そんな神様なんているはずが…」

「きっといるわ。いるからお伽噺で出てきたのよ。きっと、きっとこの状況を助けて下さる…」



 皆一様に困った顔をしている。こうして迷っている間にも少しずつアレは迫って来ているのだ。何とかして、ここから逃げ出さなければ――…



「ある。フォー神様の森は存在する」



 聞えてきた声は低く、しかし皆の耳にすんなりと入って来るような、安心した声色。その声の主を見れば、魔法使い最年長のヴェインがいた。長、と呼ばれる程の実力を持つ魔術師なのだ。



「フォー神様の元へ急ごう。すぐそこまで迫って来ている。ミーシャ、お前にこれを託そう」



 そう言って長は私に近付き、右手に握りしめた何かを手渡してきた。

年齢不詳、推定100歳は超えているであろう方だが、背丈は190cm近くあり、その顔に皺はひとつもない。短くされた絹の様な白銀の髪と、苛烈な青い炎のような瞳。彼の瞳をそのまま再現したような、真っ青なローブが一際異彩を放つ。

実を言うと長と話すのは初めてであり、緊張からか背筋が無意識にピン、となる。片膝を付けて、彼から何かを頂戴した。



「私の魔力を込めた鉱物だ。それがフォー神様の元へとお主を導くだろう」



 エメラルドの透き通った鉱物からは、凄まじい魔力が放たれている。これだけの魔力を手放していても、彼は何てことのない顔をしている。



「は、有り難くお受け取り致します」

「よい、堅苦しくするな…さて、皆早くミーシャに続け」



 青いローブをはためかせ、その下から木製の杖を出した。先端には青い鉱石が埋め込まれており、かなり使いこんでいるようで持ち手が変色している。

 長はどうやらここに残ってアレの足止めをされるよう。膨大な魔力が杖に集まっていくのが、肌にヒシヒシと伝わって来る。


私達魔法使いは自然を操るとはいえ、全てを完全に制御できるわけではない。ものに出来る自然の力は限られてくるし、自分の力以上の自然を取り込めば、自殺行為に匹敵する。

故に、長程の力を操れる魔法使いはひとりとしていないだろう。



「封」



 やって来た球体の周りを透明な膜が覆う。球体はそこでピタリと停止し、爆発する事もなかった。



「早く行け。この数そんなに長くは持たない」



 長にそう言われ、私は箒に跨り空へ飛んだ。それを見た他の魔法使い達も皆、長を置いて行く心苦しさを持ちながらも、高く舞い上がる。



「ミーシャ、皆を頼んだ」



――彼はここでお別れなのだ。



 遠く遠くへ飛行していると、暴発音が後ろから聞こえた。

 誰も振り向かなかった。

 誰も、何も言わなかった。

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