第34話 幕間 G

 昼ご飯を食べるのは楽しかった。隣に座った高校生のグループと、他愛もない世間話で盛り上がることが出来たからだ。にこやかな食卓は人生を豊かにする。一人で食べている時よりも――勿論、同席した相手がどれだけ自分と親しいか、そういった類のことに左右されるとは思うけれど――楽しいのは確かだ。

 でも、残念なこともある。

 満腹感に満たされた後も心のスキマが埋まることはなかったのだ。

 自宅に戻って一人でいることを再確認すると、胸がジクリと痛むようだった。

「色々、難しいお年頃だからね。僕は」

 動物を虐めるだけではゆーちゃんの反応は薄く、僕が満足できるほどに美しい表情を見せてくれない。どうすれば彼女が悲しんでくれるかと考えた末に、小学生を攫ってくることにした。

 しかし彼女に小学生の知り合いがいるわけでもなく、親戚連中に対してはあまり好意的な顔をすることがない。家の近所に住んでいる少年少女には面識くらいあるだろうけれど、彼らに不幸があったからと言って心の底から悲しむようなことはしないだろう。

 と、ここまでは考えた。

 悩みに悩んだ末に天啓を受け、三日三晩の調査を重ねたうえで慎重に起こした行動の結果がこれだ。ローブで両手足を縛られ、貸しコンテナの中に無造作に転がされた少年。誘拐してきたのは、だった。

 学校から両親のいない家へと帰っていく所を狙って攫ってきた。

 大声を出されないように注意すれば案外と簡単な仕事だった。詳しい手順を説明したいところだけど、また僕の模倣犯みたいな奴が出てきたら悔しいからなぁ。探すのも、すごく面倒だし。

「よーし、それじゃ確認だ。君の名前を、ね」

 口をタオルで巻かれて上手く発声できなくなっている彼に尋ねるようなことはせず、ランドセルを開いて名前を書いてあるものを探す。教科書や下敷き、筆箱にすら名前は書いてなかったけれど、一緒に持っていた上履きにはしっかりと名前が書いてあった。それを読み上げて、間違いなく彼本人のものだという確認をとる。少年は、何度も小刻みに頷いてくれた。

「……ふむ。上出来だ」

 ひょっとすると、万が一、もしかしたら。

 そういう可能性を捨てきることが出来なくて確認したわけだけど、一人息子しかいない家に鍵を持った子供が帰って来たなら、その時点で本人確定だよなぁ、普通は。こんなことをする必要はなかったかもしれない、と後悔した。

 でもまぁ、この僅か四畳ほどの貸しコンテナでも、継続して借りるためには結構なお金が必要になったりするからなぁ。無職の人間が借りると言うだけで審査――という名の世間話なんだけど――で嫌な顔をされてしまうし。それでも、まさか職業が探偵だというわけにもいかないので黙っていた。

 言わぬが花、嘘も大概にしておこう。

「さて、僕は君に危害を加えるつもりだ。だけど、それは今じゃないよ」

 少年は僕に目を向けたり、かと思うと必死で逸らそうとしたり。

 案外可愛らしいものだなぁ、と心に余裕がある僕は笑って見せた。

「時間はたっぷりあるからね。……トイレに行きたければ、まぁ、何らかのアクションをとってくれ。逃がしはしないけど、それ以外のことは、ね?」

 今、彼に被害を与えるつもりはないのだ。

 彼にはちゃんと役目を果たして貰って、それから、だ。

「それで君、ゆーちゃんのことは知っているかい」

 尋ねてみたけれど、答えは帰ってこない。

 知らんぷりをしているのかと暴行を加えるふりをしてみたら、少年は酷く怯えてしまった。本当にゆーちゃんのことを知らないみたいだ。仕方ないなぁ。折角のことだから、夜が更けるまでの暇潰しもかねて、ゆーちゃんのことを彼にも教えておくことにした。

 僕が恋をしている、一人の女性のことについて。

 そもそも、どうして彼女を悲しませたかったのか、その話を始めれば小学生の頃に時間軸を巻き戻さなくちゃいけない。そして、小学生には難しい話だろうし、男女が夜を一緒に過ごすことの意味合いもよく分からないに違いない。

 まず第一に、喪服を着た彼女のことを、涙を流す彼女に恋焦がれてしまった理由ことを説明しようとしても言葉足らずになることは間違いないんだ。だから淡々と、ゆーちゃんがどれほど可愛らしい少女なのかということだけを少年君には説明してあげた。

 僕にとっては彼女がルールみたいなものなんだ。

 でも、彼女は僕よりも弟君に熱を上げている。僕と一緒に過ごす時間よりも、弟君と一緒に過ごす時間の方が大切だと言わんばかりの行動をとっている。

「本当、嫌になるよね」

 ゆーちゃんがあいつのことを好きだ、というのは分かっている。だけど、それは小学生の子が「誰々くんが好き!」と宣言しているのと同じくらいの意味しか持たない。彼女はあんなにも美しい顔をするのに心は小学生よりも幼いところがある。でもやっぱり身体は女性になっていくわけで。あいつの魔の手からゆーちゃんを守る為にも僕が頑張るしかないのだった。

「ところで、ゆーちゃんを悲しませる方法なんだけどね」

 目の前にいる少年に話しかけてみる。彼は鬼か悪魔を眼前に据えられたかのように怯えていた。何も今すぐにとって食べてしまうわけじゃないのだから、そこまで怖がらなくてもいいじゃないか。それに少年君が感情の起伏を露わにしたところで嬉しくないし。

 さて。

 ゆーちゃんは僕が傷ついても悲しまない。家族が死んでも、世界が滅びても悲しまないだろう。僕が生き苦しさのあまり自傷行為に走ったときもそうだった。不安そうな顔こそするものの、悲しむことはなかった。

 だったら、何をすればいいんだろう。それが分からなくなってしまったから、僕はペットに酷いことをして回った。もっとも手軽で手近にあった不幸と言えば、そういった類のものに違いなかったのだ。

 予想以上に効果が薄くてびっくりしたけれど、それでも、やらないよりはマシだった。動物の代わりに人間を襲えば効果も跳ね上がるかな、とは考えたけれどリスクがあまりにも高かったから敬遠していた。大体、毎日ニュースから垂れ流される事故や事件。そういった類のものを見てもゆーちゃんは悲しまないのだから、現実で誰かが死んだところで悲しむことはないと思っていたのだ。

 人間の後始末は想像の百倍くらい難しそうだし、その作業を考えただけで眩暈がする。ゆーちゃんの悲しむ顔も見たいけれど、どこの馬の骨とも知れぬ骸を献上して見せたところで、彼女の反応はニュースを見たときと変わらないだろうし。

「でもね、少年君。やっぱり、彼女にも悲しむ瞬間はあると思うんだ」

 以前、部活動中の高校生たちに僕の成果物を一部披露した堤防には、ゆーちゃんは来てくれなかった。せめてあの現場を残せればとも思ったけれど、残念ながら写真を撮影するためのカメラを持っていなかったからな。

「よし、それじゃ今後の予定を説明しよう」

 少年君の隣に座ると、彼の体を起こしてやった。正座は辛かろうと足は前に伸ばしたまま、何かよからぬことをされぬようにと縛られた手は後ろに回したまま、それでも冷たい床に寝転んだままよりはマシだろう。

「まず最初にやることはね……」

 と、みんなに知らせてあげることだ。

「誰も気付いてくれないなんて悲しいじゃないか」

 探偵の傍を素通りする犯人って奴は、素人に行為が露見した犯人よりも数段気落ちするものだよ。ちなみに思い描いているストーリーだと、まずはゆーちゃんの弟に手紙を出そうと思っている。内容は簡単だ。この倉庫を指定して、君の親戚の少年を誘拐してきたよ、一人で来ないと酷い目に遭わせてしまうよと脅迫するのだ。

 引き籠りの彼にどうやって手紙を渡すか、一緒に住んでいる人に手紙を先に見られてしまったらどうしようか、などと不安要素もあるけれど、だったら本人に直接渡してしまえばいいのだ。なんだったら、ゆーちゃんを経由して渡せば……。いや、それはダメだな。

 流石に女のコの手を借りるなんて格好悪いぜ。

 悪党なのにな。

「まぁ、彼はどことなく僕に似たところがあるからね。ひょっとすると、彼の方から行動を起こしてくるかもしれないな」

「…………」

「信じて上げなよ。あの弟なら、君を助けてに来てくれるんだからサ」

 弟がここへやって来たなら。

 がここに来たなら、何をすればいいのか。

 そんなことは分かり切っている。罪のない子供を誘拐した犯人ヴィランの僕と、颯爽と現れた正義の味方ベビーフェイスの彼が対峙すればいいのだ。彼を土の下に埋める準備が完成したら、それをゆーちゃんにお披露目する。きっと怒り猛り狂うことだろう。狂喜乱舞というか、狂怒きょうど乱舞? そんな言葉があるとは思えないけど、彼女の反応は目に見えている。海より深い悲しみに沈み、太陽よりも眩しい怒りで僕を焼いてくれることだろう。

 悪役の僕は勇者の彼に打倒されるかもしれないけれど、その時は誘拐してきた子供を傷つければいい。相撲に勝って試合に負ける、その逆を行うのだ。慕っていただけの相手が不幸な事故で死んだことすら自分の責任にして数年間落ち込んでいた男、それがあっちのゆーくんなのだ。僕が望む通りの反応を見せてくれるだろうし、それはゆーちゃんの悲しみに繋がっていく。最後は、僕が独りで笑っている。

 困ったなぁ。

 捕らぬ狸の皮算用なんて、本当はするものじゃないんだけど。

「君はどう思う? 少年」

 子供にはよく分からない話だったのか、彼はちっとも楽しそうじゃない。

 涙を浮かべながら今にも失神しそうな彼に声を掛けて、彼の頭を撫でてやろうとすると、ガムテープ越しにもはっきりと悲鳴が聞き取れた。僕が意外と女性に好かれる容姿をしているのが密かな自慢だったのだけど、どうにも子供には嫌われるらしい。

 こんなことをすれば当然だよなぁ、と心の底から笑ってやった。全然楽しくないぜ、ちくしょうめ。

 恐怖でぐちゃぐちゃになった少年の顔を眺めていると、あることを思いついた。正義の味方を自称する奴がいたならば、そいつが悶絶するだろう悪戯だ。脳内にてゆーくん出没の最大有力候補地を検索してみると、ある場所が浮かび上がってきた。そこへ向かって、数日張り込んでみようか。大丈夫、一人でもなんとかなるだろう。元より、僕には共犯者なんていないのだから。

「少年、ちょっと荷物を借りていくぜ」

 ランドセルに手を伸ばして、放り出したままの教科書を仕舞い込んでいく。それを拾い上げると、次に少年が被っていた黄色い帽子を手に取った。これはどうすべきか、一緒にもっていくべきかと逡巡して、コンテナの壁にもたれかかった少年の頭に返してあげることにした。

 こうしておけば、少しは落ち着くだろう。外に助けを求めても無駄だぞと念を入れておいても、万が一彼が暴れることで見知らぬ誰かが助けに来るなんてことになったら最悪だ。僕はヒーローになり損なった、もう一人のゆーくんを懲らしめるためにここに行動しているのだし。

 ……ゆーちゃんの、笑顔のためだ。二度と会えない姉さんのためだ。

 そのために、偽物のゆーくんを懲らしめてやろう。決意も新たに一歩を踏み出す。

 夕陽で赤く染まった街に、僕は一人で繰り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る