第33話 本編 11 - 1
連日の犬猫殺傷事件を各種マスメディアが大々的に報じるようになり、インターネット上で根も葉もない噂をアフィブログが展開して大衆を扇動し始めて数日。冬休みは終わり、犬猫殺傷事件は新たな局面を迎えようとしていた。
といっても、僕にはエンドロールのイントロが流れ始めたようなものである。
事情を説明されたところで、半分も理解できれば合格だ。
普通の人は諦めるか、つまらなくなって席を立つ。そんな話だった。
ともかく、喫茶店でするような話じゃないことは確かだけど。
「えっと、それじゃ確認します」
ココアで口元を湿らせた瀬川さんが、机に広げていたコピー用紙に赤ペンで丸を付けた。彼女の手元に、僕と織田先輩、そしてゆーちゃんの視線が注がれている。
「私達が先日、警察へと引き渡した彼。あの子は、真犯人じゃなかったのね」
「少年の証言を信じるなら、そういうことになる」
「あれだけ沢山の犬や猫に酷いことをする人が、何人もいるとは思えないですよ」
「それは瀬川の推測でしかないじゃないか」
「でも……悠一君だって、私の意見に賛成してくれてますし」
織田先輩が呆れたように僕へと視線を投げてくる。そして、その目はゆーちゃんの方へと動いていった。僕らに新たな情報をもたらしてくれた、風邪ひき娘の彼女へと。
今日までに得た事実をまとめて結論だけ言うならば、僕らが懲らしめようと追いかけていた中学生は模倣犯に過ぎなかった様子だ。元から犬や猫を相手にエアガンを打つことでストレスを発散していたガキんちょ君は、新聞やテレビを賑わせている不審人物の行動を見て自分も真似をしたくなったのだと言う。
彼が実際にことを起こしたのは、僕が追跡したあの夜が三度目だったそうで、それ以前の犯行をほのめかす供述もしているらしい。実際に僕らが立ち会って話を聞いているわけではないので詳細は分からないいけれど、なんだかんだと織田先輩が事情を聞きに行ってくれていた。
動物に故意の苦痛を与えた彼には相応の処分が下って欲しいものだが、なにぶん中学生だからなぁ。どうなったものか分からない。
で、これから僕らは誰を調べればいいのか。
その答えはゆーちゃんが持っていた。本人よりも犯人のことを知っていると断言した彼女が、僕の反対を押し切って瀬川さんたちに直接の話をしたいと言い出したのだ。あぁ、これは面倒なことになるぞ、と僕は頭を抱えている。
手に持っているのはスプーンだけで、これじゃ、カラスも追い払えないだろう。
「それで有希ちゃん。あなたの弟が犯人なの?」
「はい。間違いないです」
「根拠はあるんだよね」
「…………はい」
煮え切らない返事だ。だけど、ノーとは言えない状況だからなぁ。これも致し方なしという奴だ。瀬川さんは何かを思い出すようにこめかみをトントンと叩くと、メモ帳に何かを書きとり始めた。僕の側からは反対向きになっているそれを読みとろうとしていると、瀬川さんが口を開いた。
「弟君て、この前いなくなった子だよね」
「なんですかそれ、初耳なんですけど」
「あれ? 有希ちゃん、悠一君には言ってないんだ」
「まぁ、いつものことですから。ゆーくんだって、夜とかいなくなるし」
「僕をダシにしないで欲しいんだけど……そうだったのか……」
ゆーちゃんの弟がいつの間にかいなくなっていたなんてビックリだ。何かあったのだろうかと過去の事件を思い返して嫌な想像が脳裏に浮かぶ。思わず、首を横に振った。
「それで、弟君のことを私達に教えてくれた理由は?」
「色々ありますけど、やっぱり……」
「子供が行方不明になった話?」
ゆーちゃんは静かに頷いた。その子供に関しては僕も良く知っている相手だったから、何も言わずに黙っている。と言うか、僕の口からは何も言えない。言ったところで、瀬川さんに余計な負担を背負わせてしまうだけだろう。
彼女は乾いた笑いを浮かべていた。
「それで、これ以上は不味いと思ったわけだ」
「この前のは家出だけど、今回もそうとは限らないと」
「そうよね、有希ちゃん」
風邪で体調も優れないのか、彼女は俯いてしまった。
「クラスも学年も違う小学生が消えたんだ。時間に猶予はないぞ」
織田先輩は、そういうとソファにぐったりともたれ掛かった。
ここは僕が不定期に通っていた喫茶店の、一番奥まった場所にある席だった。平日とはいえ、ここは会社員が多く集う店だから休日同様に人が多い。先輩がこの店の存在を知っているとは思わなかったが、人には言えない話をする分には絶好の場所と言えるだろう。
だって、賑やかな方が盗み聴きも出来ないからね。
「ふぅ」
ゆーちゃんが僕らに説明したことを、簡単にまとめ直してみる。
入野雄馬。
彼女の弟が、犬猫を殺害してまわっていた犯人なのだという。そして昨日、小学生たちが行方不明になった当日に彼も自宅から姿を消した。犬や猫が山になって見つかったことを考えると、彼一人で犯行を起こすには時間が足りない。本当に雄馬君が小学生たちを誘拐したのかは疑問の残るところだが、手を打つに越したことはないだろう、とゆーちゃんは考えているらしい。
本当に雄馬君が? などと考えないあたり、僕の方が彼よりも信頼されていると言うことだろうか。なわけないんだけど、そう思ってみたくもあった。
弟を捕まえて欲しい。警察に伝えたところで信じてくれないだろうから、なんとか探偵の手で。……それが、ゆーちゃんが探偵社を訪れた理由だった。そこに僕がいたのは予想外だったらしくて、随分と驚いていたけれど。
彼女は風邪気味ということもあってマスクをつけ、額に熱さまし用のシートを付けている。シャツの上に真っ白なセーターを着て、屋内だと言うのにコートを羽織っていた。
「あーぁ、これが仕事じゃなければな」
斜め向かいに座っていた先輩が、僕の隣に座るゆーちゃんを見て溜息を吐いた。
「キミ、すごい可愛いね。俺の好みだ」
「……先輩、脳内に彼女がいるんじゃありませんか」
「瀬川、初対面の人の前でなんてことを言うんだ」
「念のため言っておきますがね、依頼人に手を出したらシバきますよ」
「ひでぇな、自分が二十歳のオバサンだからって」
先輩の隣でアイスティーを飲んでいた瀬川さんが、彼の頭を思い切りはたいた。噎せた彼を汚いと敬遠したゆーちゃんが、僕にぴったりと寄り添ってくる。甘える素振りを見せたので頭を撫でてやると、正面に座る瀬川さんに脛を蹴られた。いや、痛くないからいいのだけれど、なぜ蹴った。
「不思議なもんだなぁ……」
先輩がせっせと台を掃除する間も、瀬川さんに睨まれている。普段はコンタクトをしていたという彼女だが、今日は何を思ったのか眼鏡姿だ。外を歩いていた時に羽織っていたコートは椅子に掛けられ、頬杖をついた彼女は白いセーター姿になっていた。
いつもの
ゆーちゃんには感じなかった大人の色香を持った瀬川さんの首元には、簡素な造りのチェーンネックレスが掛けられている。丁度胸元に、緻密で繊細なベゴニアの装飾品が来るような調整が施されていた。ポニーテールということもあって、僕の好みにオーバーヘッドキックしてくるのは以前も説明した通りである。サッカーに例えれば、試合前半に十三点決められて泣きながらコールドゲームを祈っているような場面で間違いない。
うーん、心臓が痛いな。不思議だ。瀬川さんと一緒にいると体調が悪くなる。ちょっと距離を置いた方がいいのかな。応用問題ばかり解いても練習にならないのと同じで、基本問題と向き合うことの方が大切なのだ。ということでゆーちゃんの頭を撫でる。対面に座る美人に脛を蹴られても、ちょっとくらいの痛みは我慢だ。
「ゆーくん、ゆーくん」
「何? ゆーちゃん」
「こっちのゆーくんは、悪いことをしないように」
「こっちとは。……あー、そっか。ゆーちゃんの弟もゆーくんか」
思い出したぞ。彼の名前だって、ゆから始まる雄馬なのだ。
昔は彼の方がゆーくんと呼ばれていて、僕のほうはあっくんという呼び方だった。考えれば不思議な変化だけど、彼ら兄弟の事情はさておくとしよう。僕も当事者だけど、半分は違うし。
ようやく掃除を終えて、台拭きをカウンターに返してきた先輩が溜め息交じりに腰を下ろす。この中で一番深刻に誘拐事件等に頭を悩ませているのは多分先輩なのだった。
「それで、どうするよ。今後の指針。警察に任せたいんだけど」
「警察相手だとゆーくんが射殺されちゃう!」
「いや、それはないと思うけど。……ともかく、有希ちゃんの弟を見つけるより他に解決策はないですよね」
「瀬川は簡単に言うがな、それが一番難しいんだ。引き籠りの行動パターンは読めないし」
「そうでもないですよ? ね、ゆーくん」
「ん? まぁ、そうかもしれないですね」
ゆーちゃんの弟が考えることは、僕が一度は考えたことだろう。小学生時代に遊ぶときは、その思想のシンクロ具合に本人含めて吃驚していたものだ。互いにゆーちゃんからボコボコにされていたし、その辺りでも共通点は多い。ゆーちゃんが言うなら、その点も昔と変わらないのかな。
血縁ってものは不思議だ。血が繋がっていなくても、繋がる絆もあるというのに。
もう一人のゆーくんが向かうだろう場所を、思いついたところから挙げていく。本命馬を隠して競馬の結果を予測する人みたいに無責任な説明をしたが、先輩は熱心にメモをとっていた。浮気調査よりも、子供の命を救う方が大切だと考えたらしい。女子小学生や中学生が誘拐されては困るから、だろうなぁ。
一通りのアタリを付けた後、先輩は深い溜息を吐いた。胸ポケットから煙草を取り出して、早速火をつける。ゆっくりと立ち上る煙を眺めながら、彼は愚痴をこぼした。
「この前の中学生は、ただの模倣犯だったんだよな」
「そうみたいですね」
「ちょっとガッカリだよ」
「でも、無駄じゃないですよ。彼を野放しにするメリットもないわけだし」
「瀬川と仇間のおかげで、数匹の動物は救われたんだろうしな。確かに、その通りだけども……なんかなぁ」
深い溜息と一緒に、大量の白い煙が吐き出された。僕も喫煙しようかと懐に手を伸ばすと、ゆーちゃんに腕を抓られた。うん、彼女が煙を前に文句も言わずにいるのは相手が然としたオトナの男だからかな。僕みたいなお子様はココアシガレットで我慢しろということか。まごうことなき正論で、ぐぅの音も出ないぜ。
瀬川さんはまだ僕から視線を逸らしてくれない。
そろそろ胃に穴が開きそうだった。
「でも、元依頼者を探すことになるとはなぁ」
「依頼者?」
「仇間悠一の素行調査をしてくれ、知り合いが酷い目に遭わされているかもしれないんだ――そうやって依頼された」
「ゆーくんを調査? なんで?」
「姉ちゃんが定職にも就かず学校にも行っていない男の家に入り浸っていれば心配になるものだからな……と、当時は考えていたんだが。偶然なのかねぇ」
「……?」
「ゆーちゃんは分からなくていいの。忘れて」
瀬川さんたちが僕を見張っていたのは、もう一人のゆーくんの依頼によるものだったわけか。彼が僕を見張っていて欲しかった理由は、何となく分かる。姉を奪われる感覚というものは、弟にとって何より耐えがたい苦痛だった。僕だって姉と呼べる存在がいたのだ、彼の気持ちは分からなくもない。その根底にあるものだって理解できる。
そして、姉を失ったことの恐怖と言うものは、味わってみなければ分からないものだからね。家族に向ける愛情としては異質なそれを本人がどこまで自覚しているかは不明だが、彼と僕が同じ人間だったなら、姉に恋をするところまで同じはずだ。
……そろそろ、本題に入ろうか。
「どうやって捕まえましょう」
「居場所を特定したら、即時警察に通報。これしかない」
「特定方法は?」
「なに、大体の行動範囲は分かっているじゃないか」
先輩は地図を取り出すと、それを机に広げた。地図上に数十か所、紅い点がプロットされている。鞄から取り出した赤いペンで、新しい点を書き加えた。それは先日、動物の死骸が山となって発見されたことで地元住民を震撼させた場所だった。つまりこれは、死体の発見現場を分かりやすく視覚化したものだろう。
僕が唸ると、先輩がいい笑顔になった。携帯の使い方を教えてくれたときと同じ、腹の立つドヤ顔だ。
「どれも悠一君の家に近いような気がするけど、偶然かな」
「瀬川にしてはいい着眼点だ。いいか、こうして大雑把に円で囲うとな」
「……すごい! ゆーくんの家が一番真ん中にある!」
「なるほど、僕も警察から不審な目で見られるわけだ」
数日前のことだった。この前中学生を補導した件について伺いたいのですが、と警察に呼ばれて向かってみれば、三時間ほど拘束されて一日の行動を――つまりはアリバイを――説明させられる破目になった。瀬川さんや先輩の助力がなければ、僕は再び人間不信になっていたところだ。
ん、これがもう一人のゆーくんの狙いだったりするのかな? ……あり得るなぁ。
「この範囲で、さっき仇間が言った、奴の行きそうなところを張ればいい。……ところで入野さん。弟の犯行動機に心当たりはありますか」
「……流石に、そこまでは」
僕も同様の質問を受けたけれど、肩を竦めて誤魔化して見せた。ゆーちゃんには伝わらなかったようだが、瀬川さんと先輩には十分伝わったようだ。
「それじゃ、行きますか。……先に飯だけどな!」
全員が飲み物を空にしたところで、この場所を後にすることにした。
瀬川さんが事務所の財布で会計を済ませるのを見届けてから外に出ると、先輩がゆーちゃんをご飯に誘って、是非もなしにフラれている場面を見ることが出来た。想像以上に脈なしだったことにショックを受けているのを笑っていると、後ろから服の裾を引っ張られてしまった。
なんだろうと振り返る前に抱き付かれて、衝撃に胸が締め付けられる。
瀬川さんは、僕を心配しているようだった
「
「分かってますよ。大丈夫」
「携帯を落としたら、近所の家の人に借りてでも連絡すること」
「はい、オッケーです」
「……軽いなぁ」
「仕方ないですよ。精神が一度、崩壊してますから」
わははと笑うと、瀬川さんも頬を緩めた。これだけ冗談を言えるなら危ない橋など渡るまい、と判断したらしい。甘いなぁ。僕にとってのゆーちゃんは、人質みたいなものなのに。
だから僕は、無理な行動を起こすことができるのだ。
ゆーちゃんいフラれた先輩に手招きされて、なぜか昼ご飯を食べに行くことになった。先頭を揚々と歩く先輩に連れ立って、ゆーちゃんに左腕を絡めとられた僕が歩く。瀬川さんは少し遅れて、手を後ろに組んだままついてくる。
彼女は曇り空を見上げて、眩しそうな顔をしていた。
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