A lie to You It was.

第32話 幕間 F

「こんなはずじゃなかったのに」

 誰かがそんな戯言を口にするのを心待ちにしながら、着々と準備を進めてきた。

 街で起きた他愛ない事件と、その背後にある思想を理解できる人間は多くないだろう。そう考えるとお節介な善人たちによる叙情酌量など受けられそうにない。いっそ世紀の大悪党になったほうが捕まってしまったときに気楽というものだろう。とはいえ大規模な犯罪に手を染めるだけの計画性はない。僕にできるのは精々が器物破損や誘拐程度の罪なのだ。

 それでも、悲しむ人はいる。他人の悪意に耐性のある人間など、何か大切なものを失っているに違いないのだ。

 深緑色の夜空を見上げながら、月を掴もうと手を伸ばす。手を赤黒く染めている血液は誰の責任でつけられたものだろう、と分からない振りをしながら天を仰いだ。

 寒い夜だった。それでも、身体と心は温かい。

 犬や猫に対する酷い行為を世間が本格的に騒ぎ始めた。最初のうちは悪戯が悪化した程度だろうとたかをくくっていた警察も、少しずつ本気になり始めている。犬や猫がいる家庭に注意を促すだけでなく、深夜の見回りも積極的に行うようになった。おかげで深夜の散歩がやり辛くてしょうがない。

 そうだとも。

 すべては彼女のため。

 もう一度。ゆーちゃんに、美しい少女になってもらう為に。

 色んな人を騙して裏切って蔑んで、僕は犯罪を重ねているのだった。

「ゆーくん」

 声に振り向くと、ゆーちゃんが帰ってくるところだった。手にはコンビニの袋を提げている。彼女は料理ができないから、まぁ、さもありなんという感じだけど。シャツの上に真っ白なセーターを重ね着していて、いつもよりも温かそうだった。

「おかえり」

 と、一応は言っておこう。

 彼女は僕を見て、久しぶりに悲しげな表情を見せた。

 可憐な白百合みたいな顔に、心の奥でくすぶっている感情が爆発しそうになる。

「ゆーくん、また殺したの?」

「勿論だよ。ゆーちゃんは、僕みたいなことをしないように」

 笑いかけても、彼女は複雑な表情を崩さない。小学生の頃に参列した良識の葬式で見た、目を赤く泣き腫らしたゆーちゃんの姿を覚えている。悲しみに沈んだ喪服姿の彼女は、他の誰よりも美しかった。。

 肩に届く美しい黒髪と、透き通るような白い肌をした彼女に。

 あの時からずっと、僕はをしているのだろう。

 手のひらにナイフを転がしながら、ずっと思っていたことを尋ねてみる。

「ゆーちゃんは、人が死ぬことをどう思う?」

「…………」

「僕は悲しいことだと思うんだよね」

「…………」

 彼女は何も答えない。ただ黙って、僕を見つめているだけだった。何かを不安がっているような瞳だけど、同時に誰かを愁う目でもあった。僕にはそれが、気に食わない。

 だから、一人で言葉を続けた。

「誰かが死ぬ、それは世界の損失だ」

「愛を与えられても、与えられていなくても、僕らには生きる権利がある」

「でもそれは、ただ呼吸をすることを認められているだけなんだ」

「道を踏み外した僕は息をするのも苦しいのに、誰も助けてはくれないんだ」

「息は出来るはずだろ? だったら勝手に生きて死ね」

「そういうのが現代社会って奴だと思うんだよなぁ」

「だから僕はこの世界が嫌いだ」

「何も無意味じゃないし、誰も無価値なんかじゃないのだから」

 それは、殺人鬼にも当てはめられてしかるべきだ。

 ふぅ。

 誰かが死ぬ度、僕はこう考えることにしていた。人間以外の動物だって例外じゃない。野良猫や野良犬が死んだなら、そのこと自体に意味はあるのだと思う。暴力によってのみ鬱憤を晴らすことのできる、邪悪な存在がいたって不思議ではないのだ。

 もちろん必要な犠牲――と大衆が声高に主張しているもの――だって存在している。僕らは食べるための肉を欲して家畜を飼い殺しにすることがあって、菜食主義者も植物を犠牲にすることで生き永らえている。うずたかく積まれた骸の上で踊り狂うのが、人間本来の姿なのだ。

 と。

 まぁ。

 そんなとこかな。

 これは全て詭弁だ。マトモに考えるべきじゃない。

 でも、嘘と冗談くらい自由に語るべきだよな。

「ねぇ、ゆーちゃん。そうは思わないかい?」

 人は安直に死ぬべきじゃない。だからこそ彼らの死は痛みを伴い、親しい人から悼まれるべきだ。自慢するわけじゃないが、そんな相手しか狙わないのが僕の信条だ。だから野良犬や野良猫を殺したのは数を増やすための苦肉の策であって、本当はペットだけを狙いたかったのだけど。

「案外、うまくいかないものだよねぇ」

「……当たり前だよ」

「うーん、本当にそうかな」

 ――死という重い概念を扱っているのに、彼女の表情に変化はない。

 滔々と語り続ける僕を眺めても、悲嘆に暮れることもないようだ。

「ゆーちゃんは強いね。それも、弟君の影響かな」

 僕の問いかけに彼女は答えなかった。唇を横に引き絞って、僕を睨み付けている。恨みや妬みはないけれど、何かに怒っているようだった。

 その表情を視界の端で追いながら、僕は手をすり合わせる。

「どうしてあいつなんだろうな。僕とあいつ、何が違うんだろうな」

 僕によく似た性格、容姿、境遇を持った彼は、傲慢と強欲と臆病が肉体を得たような奴だった。本人が自己満足するためだけに種明かしを望み、見当はずれな憶測や類推をまき散らすことで他人を不快にさせる。彼の生活周期を計るためだけに雇った探偵も似たようなものだった。五里霧中の真実を探して街中を奔走する姿は、努力という言葉が甘美な響きとなって聞こえる人間には美しく見えるのだろうな。僕にはピエロが走り回っているようにしか見えなかったよ。自己顕示欲を持つと、ロクなことにならないし。

 深く溜息を吐くと、夜に吐息が溶けていく。白い残滓が闇に飲み込まれてしまったところで、僕は大きく伸びをした。

 もう行こうかな。

 もう一度伸びをすると、手のひらでもてあそんでいたナイフを仕舞い込む。探偵や警察に見つかるとおっかないからね。さぁ、そろそろ夜明けの時間だ。正真正銘の真犯人が活動を始めるにあたって、これほど美しい時間もないだろう。今日は仕事始めの月曜日だと言う辺りにも、僕の意識の高さが現れている。

 本物のゆーくんが、偽物なんかに負けてはいけないのだ。

 真っ赤なビニール袋を片手に、半月遅れのサンタになってみせた。赤黒い服は血の汚れを隠してくれるし、近所の畑に転がっている使用済みの軍手でも、、拾えば手を汚す心配もせずに作業が出来る。

 いや、すごいね。元ニートとは思えない仕事振りだ。

「よっし、それじゃ頑張ろうかな」

 あの泥棒猫が、僕のゆーちゃんをおかしくしている。あいつのせいだな、きっと。

 すべての元凶を正さないと、事件は終わらない。僕の物語は始まることもない。

「それじゃ、ゆーちゃん。僕の片割によろしく」

 工具袋にナイフを仕舞い、朝焼けでエメラルドグリーンに染まった街へと繰り出した。これからもっと楽しくなる。それが夢なんて割り切ったとしても、僕は追いかけずにはいられないのだった。

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