第29話 本編 10 - 1
僕の幼馴染は、弟の相手をするのに忙しい様だ。
結局、泊まっていったのは約束をした一日だけで、その後は家に残してきた弟が心配だからと戻って行ってしまった。僕のことを心配してくれてもいいじゃないかとは思ってみたけれど、まぁあれやこれやと指示をされてしまうのも苦しいので彼女には弟の元へ戻ってもらうことにした。
今年のクリスマスについて、少しだけ思い返しておこう。
イヴに出井栗所長の元で歓待を受けたその翌日は、ゆーちゃんと一緒に街へ遊びに出かけた。人混みに揉まれて疲れたけれど、久しぶりに幼馴染の喜ぶ顔を見たお湯な気がするので良しとしよう。
休みになっても特にやることがなく暇だったらしい瀬川さんは、僕の家を探検していたそうだ。あまり変な家ではないのだけれど、暮らしている部屋のどこに何があるのかを知っておくのは大切なことである。別に大金を隠し持っているわけでもないのだから、彼女には心行くまで探検を楽しんでもらった。
まぁ、好奇心は何にも勝る毒みたいなものだからね。
帰ってきた後、遊び疲れたゆーちゃんはそのまま家に泊って行ったけれど、瀬川さんが家に馴染んでいることにはあまり不思議に思っていなかったようだ。自分だって僕の家に入り浸っているし、なぜか着替えなどの生活用品一式を常備しているのだから、ブーメランが飛んでくることを恐れたのだろう。
そうであって欲しいなぁ、と思った。
ふぅ。
あれから十日ほど経った。
街へ散歩に出かけると門松や
まぁ、新年をどうやって祝うのかも自由にするのが当たり前だし。
年を跨いでも、探偵のアルバイトっぽい何かは続けている。事務所の方で「新年あけましておめでとうございます、わーい!」というイベントがあったわけでもないし、年明けと同時に事件が急展開して三段階くらい進行することもなかったし、年末に何をしていましたかと尋ねられたら顔を真っ赤にして薄っぺらい人生を恥じるしかないだろう。
平々凡々に一日が過ぎていた。
恥ずかしくなるほどに退屈で、悲しいほどに幸福な毎日だった。
年末年始は瀬川さんと一緒にスーパーの割高な総菜でおせちっぽいものを準備したり、御屠蘇が思っていたよりも美味しくなかったことに凹んでみたり、近所の神社へと初詣に行ったことを覚えている。ただ、生産性のあることをしたのかと問われると下を向くしかなくて、だから僕は、と胸が苦しくなるのであった。
動物殺しの犯人が捕まったら本当に探偵社に勤めてみようか。給料がちゃんと支払われるか分からないけれど、少なくとも生きていくことに対しての負い目はなくなるはずだ。
そんなことを、とぼけた頭で考えてみたりもした。
ふぅ。
よし、現実に戻ってこよう。
楽しい時間は、ここでお終いだ。
大晦日に起きた一件を除けば動物が死ぬことなく正月は過ぎている。年を越せなかった動物には申し訳ないが、社会的に見ても平和な時間だっただろう。今日は日曜日ということもあって、明日から始まる社会活動に向けて人々が英気を養う最後の日だった。
それでも休みの人はいる。小学生や中学生、それとゆーちゃんの通っている高校はまだ冬休みなのだった。それで探偵業も休みなのかというと、そんなことはない。まったくない。今日も仕事だ。
僕らは今、ある中学生を犯人だと疑っている。
個人的な面識もない。
悪評が経っているわけでもない。
傍から眺めている分にはごく普通の中学生だ。
それでも犯人だと考えたからには相応の処置をする必要もあって、彼のアパートに近いコンビニの駐車場から見張りを行っている。付き合っている彼氏の素行調査をして欲しいとの依頼を受けていた織田先輩から、瀬川さんの方へと連絡が入ったのが始まりだった。
街を歩いている最中、腰にハンティングナイフを提げ、肩にエアガンを掛けたイケイケ中学生を見かけてしまったらしい。間が悪いことに、彼を追いかけようとしたら本来の調査対象だった浮気男がタオル一枚で部屋から逃げ出してきて、それ以上は調べることが出来なかったというのだけれど。
趣味は十人十色というのだから武装していただけで疑うのは、それも自己の世界を確立しようと懸命にもがいている中学生を怪しげな格好をしているという理由だけで疑ってかかるのは大人のすることではない。警察へ連絡すると言うことも考えられたが、物証があるわけでもないし、探偵の推理なんていうものは個人レベルで勝手に邪推しているのだと扱われることが多いそうだ。だから適切なタイミングが来るまでは彼等への連絡もしないことにしている。
先輩がその中学生を見た日は大晦日だった。今年――既に去年になってしまったか――最後に動物殺傷事件が起きた日に危ないものを持って街をうろついていたというのだから、彼を疑ってかからない方が不思議だろう。
ちなみに先輩から件の連絡を受けたときの話になるけれど、僕はこれまでにも訪れたことのある神社へともう一度調査に出向いていた。そこで十匹を超える猫に囲まれながら、近所に住むお婆さんと仲良く喋っていたのだ。瀬川さんと一緒に、迷子になった猫がその中にいないか調べていたのだ。新規契約を結んだばかりのスマートフォンから鳴り響いた突然の着信音に吃驚したのか、直前まで僕に甘えていた猫から手や頬を引っ掻かれる事態に陥ったのだった。
やっぱり、僕がケータイを携帯するのは遠い未来の話になるのかもしれないなぁ。
ふぅ。
怪しい中学生を見つけたなら、すぐにでも縛り上げて尋問した方が早いと思う人もいるかもしれない。が、それは現代日本でやっていい行為ではない。勿論、時と場合によるのだろうが、今回はその時ではないのだ。彼を発見した、という事実だけで十分に事態は解明へと向かっている……はずだ。
事件が大きな進展を見せることになっていたら素晴らしいのだけれど、違法改造したエアガンを友人一行に自慢する中学生を発見しただけでは特に何の意味もない。彼を縛り上げて尋問したところで出てくるのは泣きごとと悲鳴くらいのものだろうし、しばらく黙って見ているよりほかはないのだ。
そもそも、本来の目的は不意に消えた猫や犬を探す点にある。年末年始、暇な時間を見つけては心当たりのある場所を探してみたけれど二匹しか確保できなかったのが悔やまれるくらいだ。
「……いや、一週間で二匹も見つければ充分だろ」
「ちょっと。人のメモを覗き込まないでください」
「メモっていうか、それ日記じゃないのか」
「違いますよ。暇だったので書いているだけです」
「ふーん。ま、いいけどサ」
織田先輩は肩を竦めると今度は窓の外へ目を向けた。その手にはカメラが握られている。依頼者が付き合っている相手の浮気現場を証拠として残すためだろう。
探偵や記者のことを、他人の秘密を暴いて生活するあさましい奴らと称する人もいる。そしりを免れないような行為をしている人もいないわけじゃない。だけど、暴かざるを得ない不正や諸々の秘密もあるわけで。
難しいよなぁ、人間って奴は。
楽してラクになりたいなんて、考えるもんじゃないぜ。
「しかし、どうして動物は逃げ出すんだろうな」
「外に興味があるとか」
「家が嫌いだとか」
「うーん、お前らの性格がよく表れた答えだなぁ……」
「理由なんてどうでもいいじゃないですか。それに、飼い主の料金負担を考えると、もっと早く見つけてあげたいですよね」
「まぁな」
シャッター音に目を向けると、先輩は写真を撮っているようだ。
証拠になる写真などではなく、空の景色を映している。暇なのだろう。
「そういえば、探偵に頼むときって、どれくらいのお金がかかるものなんですか」
「ん? 知らんのか」
「知りませんよ。利用したことないですし」
保護した猫を事務所まで連れ帰って、毛づくろいなどをした後に織田先輩へと引き渡すまでが僕と瀬川さんの仕事だ。その後は織田先輩が飼い主の元へと送り届けているのだが、じゃぁいつ料金が支払われているのかとか、その他諸々の事情を僕は知らないのだった。
「そこの鞄取ってくれ」
「これですか? ……重っ」
「色々入っているからな。工具とか、料金表の簡単な冊子とか」
「工具なんか使うんですか」
「そりゃな。えっと、確かこの辺にぃ」
先輩が鞄を漁っている間、隣に座った瀬川さんを眺めることにした。
彼女はぼんやりと、アパートの玄関を眺めている。酷いことをしている奴が将来有望な――と僕の祖父母は若い人間を一様に評価している――若者なのかもしれない、という事実に対して複雑な思いを抱いているのかもしれない。それか、中学生がその手を汚しつつ奪った儚い命たちと、自分が子供の頃に失った命とを比較しているのかもな。
僕には、残念ながら分からないことだけど。
「おい、仇間」
「あ、はい」
「これが料金表だ。ちゃんと見ておくように」
「ありがとうございます」
先輩が手渡してくれた料金表は、ページにして五十ほどのやや厚い冊子だった。
詳しく見てみると、一昨日、僕が適当に調べてみた他の探偵社のそれと比べると八割程度の料金だった。ふむ、これはこれで仕事の価値を崩壊させているような気がしなくもないが、従業員が少ない分だけ一件当たりにかかる人件費が安くなるのだろうか。業務の特殊性もあるし、そこまで行くと依頼者が幾ら支払うつもりで門を叩いたかにもよりそうだけど。
素行調査とかなら、高校生でも依頼できそうな金額だった。そういう、意外な発見が僕らの人生を大きく変えることだってあるのかもしれないね。
興味本位で眺めていたそれを閉じると、先輩に礼を言って返した。
ふぅ。
話は右斜め四十五度の方向へ変わって転地も逆転するけれど、瀬川さんに対する感情が少しずつ変化してきているようだった。具体的にどういった言葉で表せばいいのかは分からないけれど、彼女を見ていると不思議に胸が締め付けられるような感覚になるんだ。
触れれば壊れてしまう綺麗なガラス玉を前に、一歩も動けなくなった。
それが今の状況を的確に説明した比喩だと思う。眠れなくなった夜に散歩へ出掛けようとすると、寝惚け眼の瀬川さんもついてくる。眠そうな彼女を夜の街に連れて行くわけにもいかず、堤防や田舎の田圃道へと歩を進めていくのだけれど、そうすると手足がかじかんで寒くなる。
瀬川さんが不快な思いをしないようにと行動しているうちに、抱えていた悩みや苦しみが消えていた。その分だけ相手を思いやる
あぁ、これが人間になるということか。
おっかしいなぁ。
僕がどんどん真人間になっている気がするぞ? いい兆候なのかなぁ。根拠となるものが存在しないし、すべてが僕の妄想だという可能性も拭えないせいで不安になってくるけれど。
あと、彼女が前髪で目元を隠すようになったのも僕には辛い。髪型がポニーテール、本来は気弱だが姉っぽい立場としての振る舞いを依怙地にも守り続けている、そんな女性が目元を隠して本心をも隠そうとしているわけだろう? 個人的な好みで言わせてもらえば場外ホームランで三十点くらいあげたい感じだ。本人のいないところ、具体的にはゆーちゃんの目の前でそういうことを力説したら思い切り殴られてしまったけれど、それでも僕的にはストライクゾーンに時速二百キロのストレートを投げ込まれたくらいの衝撃がある。
それはさておき。
「暇ですね」
「動きがないからな」
「いなくなったペットって、自宅から一キロ圏内にいることも多いんでしょう? 歩いて探し回りたい気分なんですけど」
「ダメだ。ここで白黒ハッキリさせておかないと、また逃げたペットが殺されるだろうが」
反対意見が飛んでくるなら瀬川さんの方、と思っていただけに運転席に座っていた先輩が声を荒げたのにはびっくりした。どんな理由が飛び出してくるのかと思ったら、想像していたよりは泥臭い言葉が飛んでくる。
「現在のところ、カナリアも含めれば四件のペット捜索依頼が届いている」
「猫が二匹と、犬が一匹でしたっけ」
「そうだ。昨日も探している動物の写真は見せたもんな」
「はい」
「それが全部死んでいて、飼い主がキレて料金を支払わないなんてことになってみろ。明日のご飯が――いや、お前は食っていけるかもしれんが、俺達は食べていけないんだ。死体しか見つけられない探偵なんて、世間は求めちゃいないんだよ」
「死体なんて、誰も求めちゃいませんからね」
瀬川さんがぽつりと呟いて、織田先輩も口を閉ざす。
静かになった車内で、僕等は視線を一棟のアパートへ向けた。
ひょっとすると、動物を誘拐して酷い目に遭わせている少年なのかもしれない。
そう考えると、分厚いコンクリートの壁も透けて見えるような気になった。
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