第28話 幕間 E

 夢を見た。姉さんと過ごした最後の時間を永遠に繰り返す夢だ。

 客間として使われていた和室で、姉さんとキスをしていた。それを父親に見つかって酷い剣幕で怒鳴られた。それを無視することも出来なかったけれど、恐怖で身体が強張ってしまったから抱き合った姿勢のまま動けなかった。僕らを引き剥がそうとした父親は、それが出来ないと知ると奇声を上げながら駆け去っていった。

 後に残された僕と姉さんを、不思議な光を湛えた瞳で母さんが見つめていた。

「いつから?」

 彼女は僕らを責め立てることもなく、静かに関係の深さを尋ねてきた。姉さんが答えて僕が頷く。理解も共感も納得もないはずなのに、それでも母さんは話を聞いてくれていた。まだ半分も話をしていないのに、母さんはこちらの話を遮った。そして、何かを決心したように口を開いた。

「あのね、貴方達は……」

 地響きのような音を鳴らして、父親が戻ってきた。

 鬼のような形相で、手には台所から持ってきたらしい包丁が握られている。

 そして、父親は――。

「そんな、酷い夢だった」

 寝不足なのか、欠伸が次々に漏れてくる。

 まぁ、それはさておき、今日はクリスマスだった。

 なにがクリスマスだ、と小学生の頃は、割と本気でそういうことを考えている子供だったような気がする。嘘だけど、とも言い難いのが困ったものである。

 でもまぁ、そういう子供が周囲にいたことは確かだ。両親からの愛情が不足している子や、そもそも親が昔ながらのジョークや祭礼、催し物の類を好んでいない家庭に多かった。リアリズムの新境地、新時代の幕を切り開いていくかに思えた彼等だったけれど、結局は個人の力よりも集団で守り続ける伝統の方が強かった。誰か一人の意見で大きく捻じ曲げることが不可能である、と思える辺りが信仰する側にとって理想的だしね。

 我が家の常識は世間の非常識である、という有名な言葉がある。

 冷静になって考えてみれば、その逆も然りと言えるはずだ。盲目的に正しいと信じ込んでいたものがある日突然信じられなくなって、昔感銘を受けた言葉に明日は傷ついているかもしれない。

 愛や恋を大切にしろと、世間でよく言われている言葉を繰り返していた我が家の両親も、実の子供に対する興味は薄かった。例えば、姉さんと僕が地下室に隠れてキスをしていたことも、彼等は知らなかっただろう。

 最初は遊びの延長線上にあり、好意を恋だと故意に勘違いした誰かの真っ当ではない行為だったけれど、嘘から出たまことは僕の心に芽吹いて深く根を張っている。キスをした後、姉さんが見せる寂しげで悲しげで切ない気持ちに満ち満ちた顔に、僕は途方もないリビドーを感じていた。

 そして姉さんは、壊れていた僕でも愛してくれた。

 ちょっと歪んでいた、真実の愛と呼べるもの。

 それが僕と姉さんの関係のすべてだった。

 それだけのことだ。

 それだけのことだったからこそ、事実を知った両親は激昂したのかもなぁ。

「……くしゅ」

 寒くなって来て、自然とくしゃみが漏れた。

 布団にくるまりつつ、窓の外へと目を向ける。

 外は激しい雪が降っているみたいだった。この時期としてはよくあることなのだろうが、この地方にとっては珍しい光景だった。基本的には雪の降る日が少ない地方なのだ。一年に一日、積もる日があれば多い方だし。

 空にちらつきはするけれど形を残すことのない雪というものは、僕ら人間を象徴する存在にも思えた。古来日本人と言うものは、そういった四季の移り変わりや実存のないものに美意識を抱いてきたものなのだ。

 春は、散り行く桜の並木。

 夏は、遥か先にゆらめく陽炎かげろう

 秋は、色付いては枯れていく山々の木々。

 冬は、積もって溶ける雪と吹雪。

 すべては失われる、儚いものへの追悼だ。思い返すだけで過去は色を変えていく。逃げ出すようなものではないのだから焦る必要もないのだけれど、脳裏に描く不可思議な紋様は思想に絡みついて思考をのろくする。

 補完を続けて保管した過去は色褪せることなく、鮮明な記憶として残っている。姉さんが死んだ日のことを思い出して、彼女が実はどうしようもないほど弟を溺愛していたことを思い出して、他のことが考えられなくなっていく。

 楽しかった日々を思い返して、明日も幸せであるようにと願う。

 矮小な僕らの、せめてもの抵抗だった。

「うん。それでねー」

 廊下から、ゆーちゃんが電話している声が聞こえてくる。

 結局、ゆーちゃんは弟君のもとへ帰るみたいだ。長々と入り浸って入るけれど、人間は本能的な血の繋がりには逆らえないのだろうか。だとすると、姉と愛し合った僕は人間じゃないことになってしまうじゃないか。

 人間って、何だろう。

 愛とは、一体何なのだろう。

 などと色々なことを考えてはみるけれど、結局は独り相撲に過ぎないのであった。

 布団にくるまったまま嫌なことから目を背け続ける。そうしていると、ゆーちゃんが布団をめくってきた。可憐という評価がよく似合う笑顔を僕に向けて、弟君の元へ行くことを報告してくる。勝手に行くがいいさ、と僕は不貞腐れた。

 彼女を見ていると、その姿が徐々に姉と重なっていくようだった。ボタンを掛け違えたあの日から、僕等の人生は狂い始めたのかもしれないな。

「と、いうわけなので。ゆーくん、留守番はよろしくね」

「はいよ」

「……あと、もひとつお願いがあるんだけど」

「なに、もったいぶって」

 ゆーちゃんらしくないなぁ、と思いつつ身体を起こす。

 彼女は僕の前までするすると進んできて、そっと手のひらを重ねてきた。

 悲しそうな表情に心が揺さぶられそうになったけれど、それは一瞬のことだった。

 彼女は無表情に、淡々と言葉を紡ぐ。

「もう、動物を殺すのはやめてね」

「…………はーぃ」

 絶対に嘘だと分かっていても、彼女にも留められないことはある。

 机の上に置かれた、動物の血と肉で汚れたナイフを横目にそんなことを考える。

 彼女が弟の家に帰るなら。

 僕は、君が大切にしているものを奪い続けようと思う。

 君を、美しくするために。

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