Can you catch the criminal?
第26話 本編 9 - 1
瀬川さんが僕の家で暮らすようになって数日が経った。
言葉にすれば十秒もかからないほど短いもので、文章にしても一行くらいになるだろう。しかし、特に説明することなどないのだ。年上のお姉さんと同じ屋根の下、二度とは得難い
もし僕に友人がいたとして、彼らに事の顛末を説明したとしよう。
美人と一緒に生活しているという何処かに転がっていそうな話よりも、二十歳を過ぎても姉と一緒に風呂へ入ることがあるという話をした方が盛り上がること必至だからな。
「それにしても、なぁ」
「ん? どうしたの、悠一君」
「ゆーちゃん、最近は顔を見せなくなったなぁと」
「私に遠慮してるのかも」
「それは……そうかもしれないですねぇ」
まぁ、ゆーちゃんとはただの幼馴染である。互いに互いのことを好きだったとしても、それは兄弟愛に限りなく近いものだろう。だから彼女が見知らぬ男と同棲を初めて、あまつさえ男から告白を去れたと聞いたら……。うーん、どうだろう。僕はその男性に対して冷静な対応が出来るだろうか。
不安だ。
別に、好きってわけじゃないんだけど。
家へ入り浸ることも少なくなり、学校が休みの時期にしては珍しく泊まりがけで遊びに来ることも減ってしまった幼馴染のことは少し気になる。
だけど、それ以外は特に何も目新しいこともなく日々が過ぎているのだ。過ぎたるは及ばざるが如しと言うのだから、事件がこれ以上増えないことを祈りながら毎日を過ごすのもいいだろう。
気付けばクリスマスだ。
商業的にも大事な、恋人や家族などの大切な相手と過ごす一日のはずだ。家に帰ったらケーキでも作ろうかな、でもこの調子じゃ帰るのは夜遅くになるだろうし、スポンジだけ買ってクリームを作る方式でもいいかな、などと様々なことを考えて。
現在、バッチリ仕事中である。
動物が集まる場所なら、まだ探偵を本業にしている瀬川さんや織田先輩よりも僕の方が詳しい。目的もなく街を歩き回っていた成果だ。この二週間、街にある猫の集会場をしらみつぶしに探し回り、時にはこっそりとエサをやって手懐けることで猫が集まりやすい環境を作り、なんとか三匹ほど発見することができた。
隣町にいたはずの猫を見つけたのも、まぁ、幸運のなせる業と言うことで。
「……これでいいんですかねぇ」
自分が本当に正しいことをしているのか分からなくなって、瀬川さんに愚痴を言いたくなった。いや、愚痴とも呼べない、独り言みたいな戯言だ。自動車の後部座席に座り、僕とは反対方向の窓を眺めていた瀬川さんがこちらに振り向いた。
「どうしたの」
「まだ犬や猫を虐めていた犯人は見つかったわけじゃありませんよね。状況は何も変わっていなんじゃないかなって」
「んー、そうかもね」
「僕にできることは、本当にこれだけなのかなって」
「まぁ、それはそれ。別の話だよ」
君は妙なところで悩んでいるみたいだね、と彼女は微笑んでくれた。
悲しかったことをいつか思い出にして笑いたいなら、今を一生懸命に生きて、そして結果を残していくほかないんじゃないだろうかと思っている。思っているだけなら簡単なのだけれど、実際に僕がそういう生活を出来ていたかと尋ねられると難しいところがあった。
だって、ホラ。
数日前までの僕は、深夜徘徊をする
家庭から逃げ出したペットの捜索を一時的に中止して、休憩のために織田先輩が運転する乗用車に乗り込んでから十分ほどが経っている。張り込んでいた田圃側の倉庫群――農業用品を置くための倉庫だ。冬の風を倉庫が遮って温かいのか、猫がたむろしている光景をよく見ることがあった――を離れて、国道脇のコンビニへとやって来ていた。
ここから事務所まで、およそ十分ほどの距離である。
「……にしても、猫いないね」
「そうですね。この辺り、クルマが多いですから」
「自動車の数って関係あるの?」
「あるんじゃないですかね。静かで人がいないところ、かつエサがあれば寄り付きやすいと思いますけど」
「へぇ、詳しいね。……ペット探しは、悠一君に任せた方が効率いいのかも」
それだと僕の負担が大きい気がするんだけど。あまり文句を言うと瀬川さんの心象が悪くなると思って、口にチャックをしておくことにした。
ちなみに、僕と瀬川さんにペット探しを任せて逃げ出した、もとい別の案件に向かっていたはずの織田先輩とも行動を共にしている。理由は、今日の彼が非番だからだそうだ。休みの日にも仕事をしようと奮起している辺りを見るに、先輩は非番の概念をよく理解していないらしい。
冬の田舎町は、他のどの時期と比べても寒々としている。空気だけではない、街そのものが沈んだように暗く、人間達の魂に重みがないように空っぽの街になるのだ。曇り空の下に物言わぬ電柱ばかりが立ち並び、行き交う車は目的地を行き来するのみで人々は足早に通り過ぎていく。素っ気なくて味気ない、つまらない世界がそこには広がっている。
やっぱり、ショッピングモールのフードコートとかで、中高生が呑気な会話をしているところを遠巻きに眺めるのがこの時期で一番いい過ごし方だろう。友達がいるなら、その子と会話しているときが一番楽しいに違いない。
あぁ、僕も、もう少し心が強かったなら。
流れていく雲をぼんやりと眺める。ずっと窓の外に目を向けていたら、コーヒーを買うために離れていた織田先輩が戻ってきた。
「ただいま。やぁ、レジの人が美人だったから話し込んじゃってね」
彼は言い訳をしつつ運転席へと座り込むと、後部座席で待機していた僕らに買ってきたものを手渡してくれた。薄茶色のビニール袋の中には、僕が頼んだココアも入っているようだ。
「ありがとうございます」
「で、待ち時間で一匹くらいは見つかったか?」
「そんな都合よくいきませんよ」
「だよなぁ。でも、たまーにそういうこともあるしな」
ままならんものだと、彼は、肩を揺らして楽しそうに笑った。
取り出したココアの缶を手のひらで包むと、じんわりとした熱が伝わってくる。おやつ代わりに入っていた卵のサンドイッチを頬張りつつ、この後は何をするのだろうと考えてみる。が、脳内で一人相撲をしても埒が明かないので、直接先輩に尋ねてみることにした。
「これからどうするんですか」
「んー、あと一時間も猫を眺めたらな、お前の歓迎会をするために事務所へ行くぞ」
「……歓迎会ですか」
「ん? あれ、瀬川から聞いてないのか」
「私も初めて聞きましたけど。今日なんですか?」
突然言われても、何も準備なんかしていませんけど……とでも言いたそうな顔をしている。瀬川さんだけじゃない、僕も同じだ。突然に予定を入れられても困ってしまうんだけどなぁ。
僕らが顔を見合わせていると、織田先輩は困ったように頬をかいた。
「あー、伝達ミスって奴だな。あとで所長に言っとくわ」
「先輩、それで今日はどうするんですか」
「やるんじゃないのか。まぁ瀬川は暇だろうし、仇間も似たようなもんだろ」
「えぇー……」
天下のクリスマスに、二十歳の若者が何の用事も入っていないと思っているのだろうか。そうでなければ、こんな急に話を進めたりはしないだろう。とはいえ友人の少ない僕に予定なんてものはないけれど、ちょっとだけ心が傷ついた。
怒るより先に、自分という人間を恥じてしまう。
返答に窮していると、織田先輩が耳元に口を寄せてきた。
「で、お前は用事あるのか?」
「ないですけど」
「幼馴染――ゆーちゃんって言ったかな。彼女との約束はないのか」
「ないですよ。最近、妙に余所余所しくて。家にも来ないんです」
「あーぁ、浮気なんかするからだよ」
彼は肩を小突いてきて、にこやかに笑っている。
浮気も何も僕とゆーちゃんは将来を誓い合った仲じゃないし、そもそも僕らは互いに好きになったとしても超えられない壁みたいなものがあるのだけれど、それを彼が知るはずはないので黙っておいた。
世界には、知らないままの方がいいことだって沢山あるのだ。
軽めのおやつを食べた後、犬を見かけたと言う情報があった地域を自動車で回ってもらった。しかしカラス一匹見つけることは出来なかったので、早めに事務所へ向かうことになった。
まぁ、その前に。
ゆーちゃんが家に来た時、僕がいないせいで彼女が寂しい思いをしなくても済むように、一度僕の家へ寄ってもらうことにした。勿論、ゆーちゃんへと連絡を入れるためだ。
靴を脱ぐのももどかしく、玄関からすぐの場所に置いた固定電話へと手を伸ばす。凍えるほど寒い廊下で手を震わせながら、ゆーちゃんの家の電話番号をプッシュしていく。数回のコールがあって、受話器を持ち上げる音がした。
「もしもし。仇間です」
「…………」
「あれ。あの、入野さんのお宅ですよね」
ひょっとすると、番号を押し間違えたのかもしれない。
新しく番号を入力しようとしたところで、今度はこちらの電話が鳴った。緑色の点滅を繰り返す通話ボタンを押すと、受話器の向こうからは明るい声が聞こえてきた。ゆーちゃんの声だ。
「もしもーし。ゆーくんですか?」
「はいはい。そちらはどなたですか」
「ゆーちゃんですー! 分かってるくせに」
「いやぁ、確認って大事だからね。顔も見えないわけだし」
「ゆーくんは真面目だなぁ。……でも、うちのゆーくんがごめんねー」
うちの、ということは彼女の弟だろうか。彼も家ではゆーくんと呼ばれているらしい。弟くんと同じ空間にいたら、どちらが呼ばれたか分からなくなってしまいそうだ。
それはさておき、彼女に今日は家へ帰らないことを告げた。彼女が頬を膨らませて拗ねている光景が目に浮かぶような言葉が帰って来たけれど、彼女の方も家を出て行けない理由があるらしくて今日も僕の家には来ない予定だったらしい。
まぁ、予定調和ってところかな。
僕とゆーちゃんは、気まぐれで残酷な神様の玩具になっている。
だから、ちょっとやそっとのことでは不幸に見舞われないのである。嘘だけど。
「また遊びにおいでよ。近いうちに」
「それじゃ、明日にでも行くけど」
「いいよ。あ、でもクリスマスプレゼントはないからね」
「ゆーくんがプレゼントになればいいでしょ? だいじょーぶ、イブが終わってもバッチリ受付中です!」
「ゆーちゃんは年中ウェルカム状態でしょ」
僕からのプレゼントだと聞けば、どれほど奇抜で変なものだろうと喜んで受け取ってくれそうな子だし。僕の方もゆーちゃんからのプレゼントですと言われて渡されたものは後生大事に学習机の引き出しにしまってしまう。
そうやって、期間制限なしの肩たたき券が数十枚溜まっている。年々装飾の派手になっていくそれを眺めながら、果たして今年こそは献身以外の贈り物はあるだろうかと期待を胸に抱いて眠るのだ。
話を終えて受話器を降ろすと、三和土に瀬川さんが座っているのが見えた。なぜか頬を膨らませている。そんなに待たせてしまったのかな。固定電話備え付けの液晶に目を向けてみると、どうやら十分近く話していたようだ。ここ数日喋っていなかったからな、雑談をしているうちに話がそれて、思っていたよりも時間がかかってしまったのかもしれない。
両手を頬に添えてじっと玄関を睨み付けている瀬川さんに声を掛ける。
「お待たせしました」
「……楽しそうですね」
「え、どうしたんですか」
「別に。悠一君、やっぱり有希ちゃんのことが好きなのかなって」
「そりゃまぁ、幼馴染ですし。家族の情がありますから」
自分で言って、勝手に納得した。そうだな、ゆーちゃんは家族なのだ。
だから、妙な気を起こせないのだった。
「仲がいいんですね」
「腐れ縁ですし」
「……ホントーに仲がいいんですね」
そういうと瀬川さんは立ち上がって、僕の頬を思い切り揉みほぐしてから家を出て行った。彼女の細い指でこねられて熱くなった頬を冷ましながら、何か彼女を怒らせるようなことをしたっけなぁ、と考える。お風呂を覗いたこともないし、洗濯は彼女の意向を汲んで別々にしているし。探していたペットを見つけ出した日は瀬川さんに誘われて酒を飲んだけれど、今度は溺れずに済んだわけだし。
……やっぱり、数日前に抱き付いたことを怒っているのかなぁ。謝ったかどうか思い出せなくて、乗用車に乗り込んでから彼女に謝罪をすることにした。
すべきことが定まって気分が楽になった僕は、足取りも軽く織田先輩が運転する乗用車へと駆け寄っていく。乗り込む先は後部座席、瀬川さんの隣の場所だった。
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