第23話 女探偵 1 - 1

 おほん。

 私の名前は瀬川優愛。む、それは知っているという顔ね。

 でも、これから自分の話をしようというのだから、こうやって名乗りを入れておくのは大切だと思うなぁ。小説を読むときなんかもね、主人公の一人称や口調、周囲の人物に対する呼び方が変わったときは要注意なの。それは私達がそれまでに知っていた主人公ではないかもしれない。ひょっとすると、作者は読者を騙そうとしているのかもしれない、ってね。

 まぁ、探偵というものは、そうやって他人を疑い続けた先に「誰かにとって都合のいい真実」を見つける仕事だと思ってくれて構わないから。犬や猫を探すと言っても、ひょっとするとカラスや他の動物に襲われているかもしれない。そういう事態になったとき、どうやって依頼主に説明するかを考えていると色々と彼等にとって都合のいい真実を探さなくちゃいけないことがあるの。

 例えば、本当は死んでいるけれど、「見つけたけど逃げられて……」とかね。

 真実なんてものは、目の前にあっても気が付かないものだから。

 ふぅ。

 それじゃ、私の話をしましょうか。

 小学生の頃、私は家にこもりがちな子供だった。君は、ひょっとしなくても私に対して活発な女性という印象を持っていることだろうし、そう思いたいのも分からないわけじゃないの。こうやって君を抱きしめている以上、私にだってそれなりのみたいなものもあるはずだし。

 だけど現実と過去を同一化しないで欲しい。

 今は今、昔は昔。それを踏まえた上で、私の話を聞いて欲しいな。

 よし、話すね。

 小さい頃の私は、引っ込み思案で臆病な性格をしていたから、近所の子供どころか家族ともろくに会話をしない子供だった。その代わりと言っては何だけど、三歳の頃から飼っていた犬とは仲が良かったの。それはもう兄弟のようで、私は家に帰ってくると家族の誰よりも先に犬へ挨拶をする子供だった。

 犬と一緒に散歩するようになった私は、次第に近所の人に顔を覚えられるようになった。引っ込み思案だったけど割と真面目な性格もしていたから、出会った人には毎回頭を下げるようにしていたんです。すると不思議、あんなに怖かった大人達が私に笑顔を向けてくれるようになって、挨拶も返してくれるようになった。

 小柄な少女と、彼女を追い越すように成長していく犬。近所の人達にはそれが芽吹いたばかりの植物みたいな、生命の象徴にも見えたのかもしれない。

 犬と散歩に行くようになってからは、近所に住むおばさん達を筆頭に、地域の人とは仲良く喋れるようになっていった。そのうち学校でも同級生と会話をするようになり、誰かと自分との間に垣根を作ることもなくなって。そうして自分の世界に引き籠ることを止めたんです。

 ここまで聞くと、ただの美談ですね。でも私が中学生になった頃、事態は急変してしまうのです。最初は、他愛ない噂話が発端だった。学年で一番人気のあった女の子に、好きな子がいるらしいって話。

 それは何処にでもあり得ただろう、普通の話。

 正直なところ、私は犬にしか興味がなかったから詳しいことは分からなかった。友情を育む相手すらいなかった私に、好きな人なんていなかったし。みんなは難しい話をしているんだなー、あの子もこの子も大人っぽいもんなーって、今から考えると完全にジョークにしか聞こえないようなことを考えていたの。

 身も心も子供だった。身長は低くて、引っ込み思案だった私は、他の子よりも少しだけ、心の成長が遅れていたのかもしれないね。

 さて、蓋を開けてみれば私は騒動の渦中にいた。女の子が好きだった男の子は、彼女からの告白を断ったの。その理由は他に好きな人がいるから、そしてその相手に名指しされたのが私だったという話。私は彼と記憶に残るほどの面識がなかったはずだし、彼がどうして私のことを好きになったのかもわからない。聞いた話だと小学生の頃、彼が近所のアパートに住んでいたらしいから、その都合もあったのかもね。今となっては昔の話だけれど、当時の私にとってもそれは同じだった。昔のことを、よく覚えているんだなぁって。

 話したこともない相手を好きになるはずがない。

 当時の私は本当にそう考えていたから、彼の言っている言葉の意味が理解できなかったの。告白を断られた彼は一週間くらい落ち込んでいたから、それを可哀そうと思うことは出来た。だけど、好きじゃない人と一緒にいることほどの苦痛は、私にとって存在しなかったのよ。

 悠一君も、それに近い感情を持ち合わせたことはある? なくても大丈夫。。悠一君も、そのときは気を付けるように。

 さて、話を戻そうかな。

 学校生活に不快な不協和音が混ざり始めた頃、私の飼っていた犬が病気になった。飼い始めてから十年、寿命が近づいていたってことを何となく理解はしていたつもりだった。でも、実際にその立場になるまでは本当のことは分からないものね。ぐったりと弱って、動きが緩慢になっていく飼い犬を見ていると、私まで死にそうな気がしたのだから。

 事態が動いたのは、二学期が終わった頃だった。ちょうど今みたいな、年が明けて新しくなる時期だった。

 念願の冬休み到来に、クラスの誰もが浮足立っていた。家族と過ごすクリスマスを楽しみにしている子もいれば、親戚から貰えるお年玉に心弾ませる子もいた。私はというと、犬のことばかり考えていた。冬休みの間はずっと一緒だなって、そんなことを。

 終業式の前日、クラスの誰よりも先に下駄箱へ向かった私は、自分の靴の中に誰かの手紙が入っていたのを知った。真っ黒な封筒に赤文字で私の名前が書かれていて、開いたときにカッターナイフの刃が零れ落ちて。

 中に入っていたのは脅迫文にも似た呪いの手紙だった。怖かったし気持ち悪かったけれど、その文言の意味するところを考えてみれば送り主は明白だったから、大して気に留めることもなかった。

 原因の特定できる悪意を、人は見くびってしまうもの。

 これ、私からの教訓ね。探偵として様々な悪意に出会うときは、ちゃんと身構えておくことです。じゃないと、不要な怪我が増えてしまうから。

 手紙を近くのゴミ箱に捨てて帰ろうとしたら、その送り主から直接声を掛けられてしまった。たぶん君が想像している通りに、件の女の子だったの。私に告白してきた男の子を、好きだった女の子。可愛くて綺麗だったし恵まれていたけれど、それ故に僅かな綻びも許せなくなってしまった彼女。

 教室に誰もいなくなるまで、彼女と一緒に待たされた。

 早く帰りたいけど、ここで邪険にすると後が怖いぞ、ということくらいは分かっていました。取り巻く悪意には無自覚でも、降り注ぐ流星のような災害には流石に鈍感じゃなかったから。

 ふたりきりになった後、彼女から色々な文句を聞いた。どれもが重い怨恨の籠った言葉だった。最後に彼からの告白を断ったことを責められたけれど、私は関係のないことだと思っていた。犬のことで頭が一杯だったし、勉強も苦手だったから日々忙殺されて生きるのがやっと、という状態だったから。だから、赤の他人である同級生のことを考えている暇なんてなかったの。

 だから私はこう言った。

「貴方が好きになってもらえなくても、それは私が彼を振ったせいじゃない」

 振り返ってみると酷い話。

 相手を慮らないなら、正直者が得をするとは限らない。

 大切なプライドを不意に傷つけられて、彼女は復讐に走った。

 翌日、終業式の日。彼女は学校に来なかった。

 不思議に思いながら家に帰った私を待っていたのは、悲惨な光景だった。

 真っ赤に染まった愛犬と、散乱していたカッターの刃。肉に挟まり折れたそれを、救急車も呼ばずに引き抜いて。異臭を不審に思った近所の人が通報して、私を保護してくれるまで、ずっと泣いていたことを覚えていて。

 私が大好きだった犬は、私の不注意と世間への無関心によって死んでしまったの。

 ……嫌だなぁ、そんなに悲しい顔をしないでよ。

 抱き締めたままだと見えないけど、感情は伝わるものだから。

 衰弱していたとはいえ、大きな犬だったから屋内で飼うことは出来なかった。第三者が触れやすい屋外の犬小屋で過ごしていたこと、それが彼の生死を大きく分ける一因になった。家族は仕事で出掛けていたから、誰も現場を見た人はいなかった。

 その場に残されていたのは犬を手懐けるためだろうエサと、傷だらけの犬の骸だけだった。

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