第22話 本編 8 - 1
『ひどい詐欺にあった気分だ』
確か、高校生の頃の同級生に言われた言葉だったように思う。相手はボーイッシュで活発な、クラスでも人気のある女生徒だった。彼女がふと思い立ったように口にした質問へと正直な答えを返したら、そんな返事をされたのだ。
『君、同い年じゃなかったの?』
その言葉はクラスにいた生徒達へ電流よりも素早く広まって、やがて僕は居場所を失った。
小学校に通っている頃、事件に巻き込まれて家族を失った。子供ながらに衝撃の大きな事件であり、また、その事件が終幕を迎えた後に祖父母から伝えられた事実が僕の心を完全に打ち砕いた。茫然自失からゆーちゃんが救い上げてくれるまでの期間は想像していたより長く、そのあいだ病院内学校で勉強することもままならかった。事件が起きた時期も中途半端だった僕とゆーちゃんとは、他の生徒達と二年も水を開けられることになったのだ。
義務教育だから、受けなくちゃいけない。そして、適切な環境で勉強をする機会を失ってしまった僕等は、外れたレールの上で走るしかなかったのだ。僕に友人がいない理由も、これで分かっただろう。
僕は、同級生よりも年上だった。例え一年間の海外留学を挟んでいた生徒がいたとしても、彼等よりも年上だったわけだ。歳を重ねるほどに一年の価値は薄まっていくけれど、幼い僕らには、とても耐えられるものではなかったのだ。
あぁ、それも。
結局は、心の弱さで片づけられてしまう問題なのだけど。
「……あぁ、ひどい詐欺にあった気分だ」
神様って奴を信じたのに、僕らは、決して救われない人生を歩んでいる。
漏れる溜め息を救い取るように細い腕が伸びて来て、僕の頬を撫でた。緊張と恐怖に震える心を叱咤して振り返ると、僕に抱き付くようにして寝そべっている瀬川さんがいた。
「詐欺ってどういうことですか」
「……なんでもないです」
「そう?」
気の利いた冗談でも口にしようかと思ったけれど、彼女の身体に触れているという感覚に心が押し潰されて声が出ない。ゆーちゃんよりも数段女性らしい身体をしている。
というか、ゆーちゃんではない女性が相手なら、僕はどんな場合でも挙動不審になるだおる。
「おはよ、悠一君」
「おはようございます」
「昨晩は楽しかったですね」
「ハハハご冗談を」
からかわれているようだ。
よし、まずは現状を把握しよう。それが蟻地獄のように逃れにくく、抗う気力を萎えさせる多幸感から離れるための第一歩だ。布団の上で、年上の女性と添い寝をしているという状況に脳が混乱するより先に、やれることはやってしまわないと。
昨日の夜の話だ。
瀬川さんとお喋りに興じていた僕は、彼女の提案を受けて酒を飲んだ。
泊まる家を探している理由は何か、という真面目な話をする前だろう。恥ずかしい話だから互いに酒を飲まないとやっていられない、素面では話しにくいこともあるのだ、などともっともらしい理由を付けていた。ちょうど、冷蔵庫には手を付けていない酒の類がいっぱい入っていたから――祖父母からの送りものだ――それを瀬川さんに提供することにした。
同い年の幼馴染が高校生とはいえ、やや特殊な事情があって二十歳を迎えている僕もご相伴に預かることになった。まぁ、詳しくは上にスクロールしてみな、などとメタ視点にいる神様は言うのだろう。
で。
恥ずかしい話だが、僕は彼女に潰されてしまったわけだ。
あっという間に酒に飲まれたのは僕の落ち度という他ない。瀬川さんも悪人だ、僕が女性からの頼みを断れない性格だと言うことを見透かした上で酒を進めてくるのだから。……まぁ、断れなかった僕が悪いってことで話は終わりになるんだけど。
駅で酔ったふりをしていた時にも薄々感じていたが、僕は瀬川さんに対して相性が悪いんだろうな。嘘を吐いているわけでもなく、事実を隠しているわけでもない。ただ物事を誤魔化して、にっこりと微笑むだけの瀬川さんを糾弾することは、僕にとってかなり至難の業なのだ。
だって、自分を誤魔化さないと生きていけないんだもの。
ゆーちゃんは僕にとって幼馴染だし、社会が認めなくても家族認定できるほどに親しい存在だから、見知らぬ誰かに甘える機会を渇望していたのかもしれない。姉さんがいても甘えられない弟のように、親身な相手であるほど伸ばした腕を引っ込めてしまうのだ。
酒を飲んだ彼女に抱き付かれて、背中を優しく撫でられると蕩けるような気分になった。僕も彼女を抱き返したような覚えがあるし、酔っていたとはいえ、かなりの醜態を晒したに違いない。残っている記憶の残滓を漁れば、自分から瀬川さんの胸元へ飛び込んでいったような気もしてきた。
ふはっ、羞恥心で頬が熱くなってきた。死にたい、という言葉を現世から逃避したいと言う意味合いで使いたくなってきたぜ。あぁ、死にたい……。
閑話休題。
それで、今はどうなったのかというと。
温かくて柔らかい、女性特有の膨らみに顔を埋めるように抱きかかえられていた。十分ほど前、目覚めたときには既にこの体勢だった。昨日、どこまで会話が進んだのかも覚えている。でも、どちらが先に手を出したのかは覚えていない。多分瀬川さんだ。彼女であってくれ。頼む。
ゆーちゃんとのふれあいは僕が殴られたり蹴り飛ばされたりして終わるから、優しく抱擁してくれたことに感動して何やら涙が零れそうになった。今も頭や背中を撫でられている。借りてきた猫のようにおとなしく、僕は彼女のなすがままになっている。第三者視点から眺めれば悶え死にたくなるほどの甘えん坊じゃないか、精神構造が小学生の頃から変わっていないんじゃないか?
などと頭じゃ理解しているのに、心が彼女との癒着を望んでいる。自律ある自立を願う心は何処へ行った。
……ちくしょー、心が、ふやけてしまう。
「あのー、悠一君? 起きてますよね」
瀬川さんの僕を撫でる手があまりにも心地よくて、返事も出来ない。
布団の外に出れば寒い部屋の空気に身も心も震えてしまうだろうから、彼女が再び目を閉じて二度寝を開始するまで、それか手洗いにでも行ったときに活動を開始すればいいだろう。正直な話、自分より年上の女性に身を任せると言う感覚は姉さんに甘えていた頃以来のもので、こんなにも抗いがたいものだとは知らなかった。
目を閉じれば煉獄が広がっている。
魂が浄化されて清らかになっていく。
ぼんやりと
固く目を閉じていると、強く優しく抱き締められた。
「悠一君、話を聞いてくれますか」
返事をしない。彼女は、それでも構わないようだった。
「これから私の話をします」
じっと黙っていた。昨日は結局、彼女が我が家に泊まりたいと願っていた理由を聞きそびれていたからだ。
「昨日は色々と誤魔化したけれど、一晩考えて決心がついたから」
本当だよ。
酒と煙草の煙で他人の目を誤魔化すなんて、大人のすることじゃないだろう。
などと、自分から目を逸らしつつ無言を貫く。彼女は、とつとつと語り始めた。
探偵になる前の、何者でもなかった瀬川さんの話を。
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