第20話 本編 7 - 2

 色々なことがあって素通りしてしまいそうだったけれど、どうして僕の家でお喋りに興じているのか。その理由を、まだしっかりと説明していなかった。

 忘れてしまう前に、状況を整理しておこう。

 ……だって、普通なら瀬川さんを事務所とかに送ったほうがいいはずだしね。

 よし。

 精神的な負担が重すぎたのか、乗用車に乗せた瀬川さんの顔色が真っ青だった頃に時計の針は遡る。まず僕が彼女を事務所まで届けることを提案して、これは先輩に却下された。次いで先輩の家、瀬川さんの知り合いの家なども提案したが悉く否定された。事務所には簡易の寝床などないらしく、先輩の家族を説得するのは難しい。瀬川さんの知り合いを探そうとも思ったけれど、その瀬川さんがダウンしているので話ができない。

 八方塞がりの状態になった。

 そこで、仕方なく、部屋が有り余っている僕の家へ彼女を運び込むことになったのだ。結局のところ、僕の家で休ませるのが一番良かったということである。彼女の実家まで片道二時間だというし、それもやむなしといったところだろう。勿論、体調が戻ったら帰ってもらうつもりだけど。

 それで、入浴と甘い食べ物で気分転換をしてもらったあと、無理やり布団に押し込んでおいた。ご飯が半分しか食べられなかったのは、拳二つほどの大きい果物ゼリーを食べていたから、なのかもしれない。

 その後は先輩が何処かへ消えたり、親戚宅からゆーちゃんが電話をかけてきたり、晩御飯を食べたりして現在に至る。顔色の悪い人が大丈夫と言っているときほど、信用できないものはないし。結果としては上々のものだろう。

 そういえば、ゆーちゃん用に常備されている寝間着のサイズがあわなくて、僕の服を貸すことになったのは計算外だった。なんとなく察してはいたけれど、驚異の胸囲サイズだった、とだけ言っておこう。

 ……ゆーちゃんに聞かれたら怖いな。

「ところで先輩、さっき依頼主の方のところへ行ったんですよね」

「ん? そうだけど」

「依頼主からお金は貰えたんですか?」

 織田先輩は僕等を家に運んだあと、死亡しているのを発見した犬や猫の飼い主のところへ会いに行った。僕が弁当を買いに行っている間の、大体三十分くらいの間だろうか。ペットが生きて帰ってくるわけじゃないのだ。どうしても今日中に済ませなくてはいけない用事でもないだろうし、瀬川さんに僕の面倒を押し付けて逃げたと言うのが本当のところだろう。

 実際に、結果は芳しくなかったようだ。

 先輩は渋い顔をしている。

「ダメだったんですか」

「悪いか?」

「悪いですね」

「瀬川は黙って眠ってろ。……結局、犬も猫も、どっちの家からも貰えなかったよ」

 日を置いて改めて集金に行くからな。彼はそういうと、疲れたように首を振った。

 瀬川さんはというと、布団から顔の半分を覗かせてガッツポーズをしていた。このくらい元気なら布団から出ても大丈夫かもしれない。あ、織田先輩に蹴り出された。ころころと転がって行って、障子にぶつかって止まる。ふむ、怪我をしていないなら大丈夫だろう。

「悠一くーん、無能な先輩に蹴り飛ばされちゃったよー。たすけてー」

「お? 仇間、お前も俺と喧嘩しようってのか」

「どうやったらそんな話になるんですか」

「集金も出来ないようじゃ明日の飯も食えなくなる、って偉そうなこと言っていたのは誰でしたっけー?」

「……瀬川の野郎、後輩が出来た途端に面倒な奴になったな。元からそういう奴だったけど」

 瀬川さんが猫かぶりしていたことを暗に告げられた。

 個人的には彼女が活き活きと楽しそうにしているので、別に非難するつもりもないけどね。首を振って返すと、先輩は苦い顔をして卓上の煎餅に手を伸ばした。本当に好きなんだな、甘い煎餅。

「ま、集金が出来なくったってな、現場で青くなって倒れる奴よりマシだ」

「仕方ないじゃないですか。私、グロいのは専門外です」

「不倫現場だって、人間の醜悪さで言えば似たようなもんだろ」

 どこの話ですかと聞くと、今日の昼頃に見かけたアパートでの不倫らしい。

 それは別として、犬猫の方は後日、契約を理由に改めて泣き脅しをかけに行くらしい。その金が入るまでは僕への給料が弁当などの現物支給になることもやむなし、と言い訳を始めたところで瀬川さんが先輩を睨み始めた。瀬川さんも似たような目に遭っていたのか、それとも現在進行形で給料が弁当に変わっているかのどちらかなのだろう。

 うーん、世間って世知辛いな。

 煎餅を食べ終わって満足した先輩は、ふと何かを思い出したように鞄を漁り始めた。そうして取り出した黒い物体を、仰々しく僕に差し出してくる。話には聞いたことがあるし存在自体も違法なものじゃない。だけど、実物を見たのはこれが始めてだ。

「どうしたんですか、これ」

「今後、君は犯人が『お仕事』をしている場面に出くわすかもしれない。だから渡しておこうと思ってな。依頼主との交渉は十分で決裂したし、手ぶらでここに来るのもアレだったからな。事務所に寄ったから遅くなったんだぜ?」

「それ、スタンガンですよね」

「分かるか、分かるよな。これを使うくらいなら逃げて警察に連絡を入れて欲しいんだが」

「一応、万が一には備えろと」

「そうだ」

 先日目にした猫の死骸と、今日になって発見した犬猫の死体。どちらも一突きされて死んだようには見えなかった。惨たらしい話だとは思うが、散々痛めつけた後に殺した奴がいるんじゃないか、と考える方が無難だ。先輩も同じような考えをしているようだ。外見からすべてを判断するのは難しいが、散々虐め抜かれた挙句、切り傷などから大量出血して死んだのだろう。まぁ、流石に関節を折られたのは犬が死んだ後だと思うけど。

 痛ければ犬だって叫ぶ、というか吠えるだろうから。

 ……そう考えると、猫は辛いな。猫の悲鳴は、犬よりずっと、小さな声だから。それにしても、だ。自分より弱いものに手を振り上げたがる奴は嫌いだ。対象が人間だろうと動物だろうと、そういう輩は好きじゃない。

 色々と、思い出すことがあるから。

 一通りの機能の説明を受けた後、スタンガンの簡単な使い方を教えて貰った。間違っても一般市民に使わないこと、事件の首謀者が発見、検挙されたら返却することなどを条件に改めて手渡された。手を軽く握られて、念を入れられる。確かに、これで僕も犯罪者の一員になる可能性があるもんな。

 渡すものは渡した、説明することは説明した。ついでに机の上にあった煎餅も全部食べた。心置きなく帰ろうと腰を上げた先輩は、何かを思い出したように鞄から封筒を取り出した。いっそ、鞄の中身すべてを机に出して確認したらどうだろうか。

「仇間、これ。大事なものを忘れていたよ」

「なんですか」

「開ければわかる」

 促されるまま、封筒の中を覗く。事務所に寄って資料や契約書の類を持ってきたのか、などという想像は綺麗に裏切られた。中に入っていたのは金銭だ。千円札や五千円札も混ざっているが、大体五万くらいだろうか。

「なんですか、これ」

「見ても分からないのか。生活費だよ。あと、厄介者を引き取ってくれた駄賃だ」

「生活費? 厄介者?」

 首を傾げると織田先輩が頭を押さえた。何か嫌なものを目にしたみたいな、大問題を前に苦悩しているかのような雰囲気だ。質問をしようと口を開くと、彼はそれを手で制した。鞄を掴み、肩に掛ける。忘れ物がないか指差しで確認をして、僕の方を向いた。

 その頬には、諦観にも似た笑みが浮かんでいる。

「ま、俺は知らない。当事者どうしで頑張ってくれ」

「いや、説明もなしにどうしろと」

 先輩は僕の背中を叩くと、逃げるように玄関へ走って行った。その行動の意味を理解できずに瀬川さんに助力を求めると、彼女は布団に潜り込んで動かなくなった。もう一度眠るつもりだろうか。いや、でもなぁ。

 このまま、彼女を眠らせておくわけには行かない。スタンガンの講習を受けていたせいか時刻は既に午後十時を回っている。このまま眠っていると、彼女は家に帰れなくなってしまうじゃないか。片道が二時間だと言うのなら、駅に向かう時間も含めてあと一時間ほどしか猶予は残されていない。それを過ぎたら、終電がなくなってしまうだろう。

 肩を揺すろうかと腕を伸ばしかけたが、女性に触れることを躊躇って僕は手を引っ込めた。

「起きてください。そろそろ、帰らないと」

 返事はない。まさか本当に眠ってしまったのか?

 それは不味いぞ。非常に不味い。

 年の近い女性を家に泊めて冷静でいられるほど、僕は大人じゃない。ゆーちゃんの場合は幼馴染だし、昨日は彼女がいたからある程度の平静を保つことが出来たんだ。抑止力を失った暴走機関車を止める手段がないように、失うものを持たない人間の前に何かを得る手段を転がしてはいけないのだ。

 再び起こそうと、というか布団を剥がそうとした。が、動かない。思いのほかガードが強固だが、即ち彼女が起きていると言うことである。理由はよく分からないが、先輩から渡されたお金の説明を聞くためにも彼女を起こす必要があった。

 あと、僕の服を貸したままだし、返して貰わないと。

「ほら、瀬川さん」

「いやです。今日は疲れたから、もう寝るんです」

「帰らなくちゃ。ほら、せめて準備だけでも」

「いーやーでーすー」

 布団を捲ろうとする僕と瀬川さんの、醜くも朗らかな争いだ。

 セルフ簀巻き状態の彼女から布団を奪取しようとして妙なところに触れてしまったのか、中から変な声が漏れた。そこで思わず手を止めてしまったが、ダメだ。ここで引き下がると男としての矜持を保てなくなる。というか、落ち着いて眠れない。

「瀬川さん、取り敢えず布団剥がしますよ」

 覚悟を決めると、僕は彼女へと手を伸ばした。

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