Attracted to You.
第19話 本編 7 - 1
犬や猫の命は、行方不明になった少年に比べれば大した価値がないらしい。猫の死体が見つかったことを告げに行ったとき、既に犬の死骸を回収した警官たちは別の場所へと向かっていた。行方不明になっていた少年が家の近所で無事保護されたようで、現場に残っていたのは先輩と野次馬の皆さんだけだった。
仕事が一つ減ったと残念そうな顔をしていた先輩を猫の死骸があった場所まで連れて行き、うずくまったままの瀬川さんの回収を手伝ってもらうついでに現場を見てもらうことにした。
先輩は猫を冷たい目で眺めた後、小さく手を合わせた。
立ち上がれないほど気分が悪くなったらしい瀬川さんに肩を貸して乗用車まで運ぶ道中、先輩と今日見たものについて相談をした。犬の方は手慣れた奴が普段通りに嬲り殺したという感じだったけれど、あの猫は目玉が抉られ、身体中に執拗な殴打の跡があった。あれだけの酷い傷跡をつける奴だ、日頃から鬱憤を募らせているか、性格が強制不可能なほど捻じ曲がっているかのどちらかだろうとは先輩の談である。僕だって元から動物が好きな質ではないが、あんなものを見せられては動物保護の精神に目覚めないわけにもいかない。
冗談だけど。
今後の方針は、特に変わらないらしい。先輩は事務所に来た依頼に軽重を付けるわけにもいかず、明日もご飯を食べたいなら仕事を的確にこなし続けなければいけない。いっそ警察の手を借りることが出来れば、若しくは彼らの持っている情報を一部でも開示してもらうことが出来れば楽なのだろうが、彼らは動物を殺してまわる人間の方を探しているのだろうし、僕等は猫や犬の方に用がある。目的が合致しない以上、共闘戦線を張るのは難しいだろう。個人的な恩義を売るチャンスは、滅多に巡ってこないだろうし。
どうせなら犯人も捜したいが、身に危険が及ぶような事態に発展することは避けたいものだ。だから、当面の主目的は犬や猫の捜索だけで問題ないだろう。僕も痛い思いをするのは嫌だし、死んだ生き物を目にするたびに心が荒んでいく気がするのだから。なるべく生きている犬や猫を無事保護することを目的として、この静かな街を歩き回りたいものだ。
閑話休題。
空は夜の帳に包まれて、場所は変わって僕の家。玄関を入って左手に行ったところにある和室だ。自宅ということもあって、僕はかなりくつろいでいる。段々と眠くなってきたくらいだ。
「今日一日は、もう頭を使いたくありませんね」
「バカ野郎、俺はまだ書類やら何やらが残ってるんだぞ。明日だって仕事だ!」
「頑張ってください。それは僕の管轄外です」
「仇間、新人だろ? 仕事覚えたくないのか?」
「いやぁ、でも、今日はもう遅い時間ですから」
それとも、書類を作成することで給料が発生するんですかね、と彼に尋ねてみた。
渋い顔をした辺り、時間外労働なのかもしれない。
「はぁぁ。……もっと俺を手伝ってくれてもいいんだぜ」
金で雇われたお手伝いを相手にして、彼は何を期待しているのだろう。ボランティアではないのだし、力量に見合う仕事しかしない、できないということは分かり切っていると思うのだけれど。
あぁ、それと。僕には犬や猫をなぜか死骸として発見する能力が備わっているように見えるかもしれないけれど、それは偶然であって仕組んだものじゃない。当然、僕が犬や猫を殺しているはずもないんだからねハハハ。
先輩たちを家に残して、近所にあるスーパーで弁当を買ってきた。冷蔵庫の残り物で簡単な料理を、などという気力もなかったのだ。ご飯を食べつつ、その間は雑談に耽る。
まだショックから立ち直っていない瀬川さんは、弁当を半分食べ残してしまった。また後で食べるだろうから、蓋をして冷暗所に保管しておこう。なんだったら、持って帰ってもらえばいいし。
空になった先輩の湯呑に緑茶を注ぐ。
それを啜った先輩は、顎に手を当て感慨深そうに言った。
「金持ちは紅茶しか飲まないもんだと思ってたよ。お前、俺よりも貯金額多いだろ」
「根拠もなしに変なことを。僕、バイトもしてないニートですよ」
「それは知っている。だが、根拠ならあるぞ」
「へぇ、どんな?」
「お前の両親が大富豪だった、という話がある。資産家だったってな」
「どこで調べたんですか、それ。……新聞に載るほどの財力じゃなかったと思いますが」
「なーに、簡単な理屈よ。俺も高校の頃までこっちに住んでいたんだが、その頃に噂を聞いたんだ。株式やら不動産やら、個人が投資できる範囲のものすべてに手を出してトンデモな額を稼ぐ夫婦がいるってな」
「それ、何年前の話ですか」
先輩は肩をすくめると不敵に笑った。
彼の年齢は不明だが、両親が様々なものに投機をしていた頃の話を知っているとなると、三十代であることに間違いはないだろう。投機から投資へと、より安定して利益を出すことに着目し始めたのは彼等が死んでしまう五年ほど前だったはずだし。
個人投資家モドキが運用した金の流れなど、調べ上げようとしたら苦労なんて言葉じゃ足りないほどの労役が待っていることだろう。そう考えると、先輩が近隣地域の出身だと言うことに嘘偽りはないはずだ。
少なくとも、この地域に住んでいる人から、僕の両親の話は聞いたことがあるのだろう。
先輩は菓子器に入った煎餅をつまみ上げると、それを二つに割った。一方を自分の口に運ぶと、もう片方を差し出してきた。それを受け取ってかじると妙に甘かった。砂糖のまぶした煎餅だから、ゆーちゃんが定期的に持って来る奴だろう。僕はそれほど好きでもないし、嫌いでもない奴だ。
先輩にとっては好みの味だったようで、既に二枚目を齧り始めていた。
「仇間の両親には豪運と、圧倒的な知性があったんだろうな。運否天賦じゃないんだから、そりゃもう天性の才だぜ。片田舎に暮らしていたのが不思議なくらいだ」
「肩肘を張った生活も、人付き合いも嫌いだったんですよ」
「なんだ、近所付き合いも悪かったのか」
「そうです。噂も、あんまりいいものばかりじゃなかったでしょう?」
「まぁね。気に入らない店を潰しているとか、そういう噂を聞いたことがある」
お前も大変だったろうな、と彼は気にも留めていないだろうことを言ってくれた。リップサービスというものだろう。
話が気になったのだろうか、瀬川さんが布団から這い出そうとしていた。考えてみれば奇妙な光景だ。畳が敷かれた和式の客間、布団を敷いた上に一人の女性が横になっている。男二人がその横に坐して会話をしているのだから、珍妙な風景と言わざるを得ない。
カタツムリよりもゆっくりと動いて、ようやく布団から脱出した彼女に布団を掛け直した先輩は何気ない顔で会話を続ける。傍から見れば布団で拘束したようにも見えたが、実際どうなっているのだろう。瀬川さんもまだ全快していないようだし、彼の行動にも目を瞑ることにするけれど。
「金持ちは変人が多いらしいからな。お前の両親は殊更に儲けていたようだし」
「僕の前ではテストの点数や行儀に口煩い、普通の親でした」
「ふぅん」
「儲けた額だって、個人投資家の範囲ですよ……たぶん」
「相続税やら何やらを差っ引いても、随分残ったんじゃないのか?」
「そんなわけないじゃないですか」
実際、どの程度の額が残っていたのかを僕は知らない。
両親の遺産は祖父母が管理しているから、税金がどのくらい掛かったかとか、そういう情報も知らないのだ。僕の祖父母は息子の職業――先輩が知っているかは不明だけど、土地転がしがメインだったらしい――を是としなかった。汗水垂らして働いた金こそが正義で、手づから稼いだお金こそが清い金だと信じているようだった。同様の理屈で小説家や音楽家なんかも嫌っていたほどだ。
しかし孫息子が小学校を休みがちになり、やがて中学校に通えなくなってしまったことを契機のひとつとして考え方を変えた。社会生活に馴染めない孫息子が生きていくためには、その金が必要だということに気が付いたのだ。元々、高校を出るまでは処分しないでおこうと残しておいた財産だ。僕が望むまでは、彼らが管理してくれるらしい。
祖父母は僕に良くしてくれる。
息子達の残した金に手を付ける素振りもない。
彼らの好意を微塵も疑問に思うことはなく、事実僕は今日まで平穏無事な生活を送ることが出来た。ご飯を食べ、両親の残した家で生活していけるのも、孫息子に甘い祖父の助力があってこそ――と、これは余計だった。
でも、財産の規模は織田先輩が想像しているほどのものじゃない。慎ましやかな人生を一回送れるか否かという額、だと祖父母から聞いただけだ。……いやまぁ、それでもすっごい額だと言うことは自覚している。僕みたいな中卒ニートでは、到底稼ぐことの出来ない額だろう。それだけの金がなければ僕も悠長に一人暮らしなどしていない。
家族が悲愴な最期を迎えた家に何年も住み続けられるはずもないじゃないか。
……長いこと俯いていたようだ。
顔を挙げると、織田先輩が真顔で煎餅をかじっていた。黙っていれば意外に格好いい人なのだと言うことに気が付いて、僕は思わず溜め息を吐いた。
会話が途切れたところで割り込みやすくなったのか、瀬川さんも布団から顔を出している。顔色もやや戻り始めていて、じゃがいものベーコン巻きみたいになっていた。
うん、今の比喩は下手だったね。
「あの、そろそろ私は起き上がってもいいんでしょうか」
「ダメだ。貧血野郎は安静にしてな」
「でも、一人だけ布団に潜っているのは何とも恥ずかしいと言うか」
「やめとけ。無理に起き上がって気持ち悪くなったらどうする」
「瀬川さんが吐いた場合、それを掃除するのは誰になるんですかね」
僕が何気なく呟くと、瀬川さんは顔まで布団に潜った。
ふむ、アッパーカット並に鋭い皮肉だったかな。
織田先輩の方を窺ってみると、彼の頬がだらしなく緩んでいた。やっぱりこの人は、僕と感性が近いのかもしれない。なんてこった、と僕は改めて溜め息を吐いた。
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