第16話 本編 6 - 3
枯草色に染まった堤外地に視線を移し替えながら、少女たちと他愛ない話をする。
本当は存在しない友人と死んだ犬の、菊も涙語るも涙、しかし悲しくはなく仄かに心が温まる思い出を語り聞かせたりもした。嘘だらけだ。
あの後、最初に犬を発見したという男子生徒にも話を聞くことが出来たけれど、犯人と思しき少年に直接つながる手掛かりを知ることは出来なかった。だけど元から人懐っこい性格の彼は、僕みたいに不審な人間とも会話するスキルを持ち合わせているらしく、他の生徒達から聞いた情報を包み隠さず教えてくれた。
ここで、彼から聞いた話をまとめてみよう。
犯人と思しき人間の身長及び体格は、僕に近しいそうだ。
百七十センチ以上百八十センチ以下の痩せ型ということになる。
メガネはかけておらず、髪はやや長く目元の隠れる程度だったそうだ。服装は全身黒ずくめでジーンズを履いていた。寒い時期には珍しく薄着だったようで、犬の死骸に向かって喋りながら、手が震えていたのも印象的だった。
泥の類がついていたのか、手元には黒い汚れがついていたらしい。裾にも似たような汚れがついていて腰には工具袋っぽい何かを提げていたらしいが、詳しい中身まで分からなかった。なるほど。ご都合主義は一切仕事をしてくれず、僕の知り合いや街中散歩で頻繁に目撃する人間の中に似たような容姿の人はいなかった。
工具袋を持って散歩する人なんて見たことがないし、彼が見た少年が犯人で違いないのだろうけど。
ふぅむ、収穫はなしか。
これ以上、彼らに説明を求めるのも酷というものだ。
諦めて礼を言うと、犬が転がっていたところに戻ることにした。
瀬川さんは少し離れた桟橋の上でうなだれている。その視線は時折犬の死骸がある場所へと注がれて、再び彼女は首を垂れる。セルフ悪循環に陥っているようだ。野ざらしになった死体を前に、いたたまれない気分なのかな。
死骸を埋めてやりたい気持ちもやまやまだが、彼女へ携帯を返す前に警察へも連絡を入れることにした。死を目前にして沈痛な気分に浸るのも構わないが、小学校の飼育係とは訳が違うのだ。目の間にいるのは死んでしまった動物じゃない、殺されてしまった動物だ。感傷に流されて本来の目的を忘れてしまうくらいなら、何もしない方がいい。
大丈夫だとも、携帯の操作方法は、瀬川さんのそれを横で見たばかりだから覚えている。ん、問題はそこじゃなかったのか……?
未だに浮気現場での騒動が収まっていない織田先輩と、交通事故には敏感な割に犬猫の死骸は放置したがる警察官を待ちながら堤防の上に座り込む。
足元ではタンポポが、くたびれたような姿勢で葉を開いていた。
花が咲くのは当分先のことだろう。
「……t……暇だな」
退屈しのぎになるものは、特に持ってきていない。
あまり瀬川さんに元気がないので、心配になって声を掛けた。
「大丈夫ですか? 顔色悪いですけど」
「当然! 私は先輩だもの」
「無理しないでくださいよ。恐怖は正常な証です」
震えている瀬川さんに僕が出来ることと言えば、暢気に話しかける程度だ。狼狽を和らげ警戒心を薄めることが出来ても、恐怖は本人が乗り越えるより仕方がない。過去に起因するものなら尚更だ。
ポケットからあるものを取り出そうとして、近くに高校教諭と現役高校生たちがいることを思い出してやめた。善良なる一般市民の方々に怒られるのも怖いし。代わりに高校生たちが弓道の練習をしているところを見学することにした。普段ならフェンス越しに張り詰めた雰囲気が伝わってくるはずだが、今日は誰もが注意散漫になっている。飛び散った血肉がトラウマになっている子もいれば、好奇心が疼いて困っている奴もいるのだろう。
それにしても年末のこの時期に、二日も続けて犬猫の死骸を見ることになるとは。
嫌な気分だ。
家族を殺された飼い主のことを考えると、気分が悪くなる。
反吐が出そうだ。
瀬川さんの顔色が元に戻り、軽く冗談を交わせるまでに回復したころになって、ようやく二台のパトカーがやってきた。それまでは通り掛かった地域住民が声高に情報のやり取りをしていただけだったのに、警察車両の登場によって平凡な堤防とその周辺は何やら物々しい雰囲気になった。
少し遅れて、織田先輩も顔を覗かせる。不倫した男性と、相手の女性が働いている職場の情報を押さえたことを彼らに周知した上でご登場らしい。明日の生活を人質に取れば人間は逃げ出さなくなる、という習性を上手く利用している。僕も利用されている立場だから、よく分かるのだ。
警察が来たことで、生徒達の興味が再燃しているらしい。現場を見学しようと首を伸ばした高校生たちを怒鳴り蹴散らす教員も大変そうだ。僕も声が大きかったなら、彼の仕事を手伝ってあげたいくらいだった。
警察と一緒に犬の死体を確認した織田先輩が、軽い足取りで歩み寄ってくる。どうやら本当に、探していた犬の一匹だったらしい。一仕事終わったとでも言いたげな、満足げな笑みを浮かべている。
「仇間。お前、運命と犯罪を司る神様に愛されているよ」
「悠一君じゃなくて私が愛されているのでは?」
「青い顔した奴がよく言うぜ」
ニヤついた顔で、織田先輩は僕の肩を抱いてきた。
「なぁ仇間。お前に聞きたいんだが、犬の死骸を見たときの瀬川はどうだった?」
「どうって」
「体調崩しただろ。死にそうな顔をしていただろ」
「えぇ、まぁ」
「だろう? 人を救う仕事をやりたいんなら、悪意を目の前にして折れない心ってのが大事なんだよ。それを持ってない以上、瀬川は神様に愛されてないんだ」
それでも誰かの役には立てるけれど、と彼は語尾を濁した。瀬川さんに爪先を踏みつけられて言葉を和らげただけかもしれない。彼の意見には概ね同意できた。人間を愛している存在を神と呼ぶか悪魔と呼ぶかは、些細な違いに過ぎないのだから。
瀬川さんにバレないよう小さく頷いた僕を見て、織田先輩も満足げな顔をした。ひょっとしなくても、正義をかざして折れない人間は何かが壊れている奴なのだ。それはきっと、間違いない。
肩を組んでいた腕をほどいた先輩は、困ったように腕を組んだ。
「さて、これ以上飯のタネを潰される前に犯人を捜す必要があるな」
「目星はついているんですか」
「ないよ。だが仇間。お前が行く所、動物の死骸が転がっていると見た」
「そんなことないですよ」
「そうか? ことによると人の遺体まで転がってそうだが……」
自信ありげに笑う先輩は、どうやらブラックジョークの類が好きらしい。そこまで僕に似ているとは驚愕だ。ふふ、自分の将来が心配になって来たぜ。
定期的に現役高校生を眺めたり、ゆーちゃんをからかったりして英気を養っていなければ、僕もこんな感じになるのだろうか。若い人間から放出される青春の残り香を辿るようにして気持ちを上向きにしていかなければ僕はとうの昔に墓の下へ埋まっている。
んー、最後のだけは嘘かもね。
先輩は犬の元飼い主に連絡を取った後、これからの予定を説明し始めた。今日と同じように犬や猫を、出来れば死骸ではない状態で発見できるように捜索すること。瀬川さんと一緒に仕事をするらしい。
「なぁ仇間」
「はい」
「念のため確認しておくが、契約書にサインしたか?」
「契約書?」
「仕事をする上での責任やら保障やら、色々とまとめた書類だよ。ま、しばらく犬と猫を探すだけの退屈な日々を過ごしてみて、それでも探偵をやりたいなら相談してくれ」
そこまで喋ると先輩は軽く咳払いをした。
逸れた話題を元に戻したがっているようだ。
「それと、ペット探しをする上で問題が起きたらどうするか、という話なんだが」
「悠一君が事故に巻き込まれたら、ってことですか」
「そうだ瀬川。お前なら分かるだろ」
「私が責任を負え、ということですよね」
「呑み込みが早くて助かるぜ。その通りだ。俺は他の仕事が忙しくて手伝えなくなるだろうし、契約をするまでは、仇間はあくまで外部の協力者だからな」
そういうと彼は僕の背中を勢い良く叩いた。
表情は曇りなき笑顔だ。
「万が一の場合は事務所で補償することになるだろうが、首を突っ込み過ぎて無用な怪我をしないように」
「ふふっ、私が監督になったからにはバッチリです。ロクに新人教育をしなかった先輩とは訳が違いますから」
「そうだな。仕事内容を教えた当日に部下を引きまわして、その上事件現場を発見するほどの敏腕探偵が上司だからな」
「……瀬川さん、すごい貧乏神っぽいですねぇ」
「アハハ、そうだな! 覚悟しろよ仇間、
「今日のは特別ですよ。あんなのを見て吃驚しないほうがおかしいんです」
僕と織田先輩のふたりに弄られて、瀬川さんは頬を膨らませた。
それから瀬川さんと織田先輩が
彼らを視界の端に収めつつ、簡単に話をまとめる。
織田先輩は浮気調査を含めた他の事件で手一杯だった。瀬川さんはドロドロした現場が不得手のようで、僕は一日中暇だ。どこにいるか、そもそも生きているかどうか分からないペットを探すには僕を矢面に立たせた上で調査を進めた方が瀬川さんの負担も少なくて済みそうだ、ということかな。
昨日今日で仲間になった人間に仕事をほぼ全て投げ出した上に、自分は他の仕事へ向かう織田先輩をどう評価したものか。
しかも、だ。誰だったか、探偵は仕事が少なくて暇だという話をしていなかっただろうか? 瀬川さんがそんなことを言っていた気がするのだが、あれは嘘だったのだろうか。毎日のように街を練り歩くと言うのは、相当にキツくて重たい仕事だと思うのだけれども。
ともかく、これからも瀬川さんと行動すると言う点は変化がない様だ。
それはありがたい。
見知らぬ誰かより、見知った変人の方が心安らかだし。
取り敢えずの目的が決まったことで、僕はほっと胸を撫で下ろした。
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