第13話 本編 5 - 3

 妙な成り行きで、僕は探偵の手伝いをすることになった。

 ちゃんと給金が支払われるという話だし、明日にでも脱ニート宣伝をすることができるかもしれないな。いや、肩書がニートのままだと社会への対面があまりにもひどいから、今すぐにでも働いていますというオーラを出さなくちゃいけないんだけどなぁ。

 一応は同僚……いうか先輩? となったらしい瀬川さんに、まず地図を持ってくるよう頼まれた。災害時に役立つかもしれないとゆーちゃんに渡されたために、僕は市内全域が示されたものを持っていたのでそれを持ってくることにした。ただし一度も使った経験はなく、探してみると仏間で埃をかぶっていた。

 僕が探し物をして帰ってくるまでの間に、瀬川さんは文房具を広げている。

 三毛猫を模した筆箱が、右手で僕を招いていた。

「最初に、悠一君がよく散歩する範囲を教えてほしいな」

「それって調査不足では? 探偵ですよね」

「いやぁ、流石に君のすべてを知っているわけじゃないし」

「へぇ。僕のことなら何でも把握しているものかと」

「ひょっとして怒っているのかな」

 私生活を丸裸、とまでは言えないまでも随分と覗き見られていたようだし、それで不快感をあらわにしない人の方が珍しいだろう。そして、僕は珍しい方の部類だったようだ。

 まぁ、あまり私生活を晒したまま行動するとロクなことがない、というのはこれまでの経験で分かっている。ネットにいわれのないことを書き込まれたり、テレビで妙な報道をされたりね。

 事件に関わると言うのは、そういうものだ。

 僕の嫌味が堪えたのか、瀬川さんは少しだけ顔をしかめた。

「あのね、私は一日に五時間も六時間も寒い田舎道を歩けるほど頑丈な身体はしてないの。君の素行調査も、先輩がを上げたのを引き継いだだけなんだから」

「元から瀬川さんだったわけじゃないんですか」

「そうよ。私はまだ見習いみたいなものだし」

「へぇ……」

 まぁ、機嫌を損ねて仕事に必要な心構えなんかを教えて貰えなくなるのも癪だし、仕返しはこのくらいで止めておこう。彼女だって仕事で僕を追い回していただけで、悪気や汚れた欲望を持って行動していたわけじゃないのだから。

 それはさておき。

 瀬川さんから手渡された赤ペンを使って、普段から散歩している場所をチェックしていくことにした。

 駅周辺と、自宅周辺の田畑などを赤丸で囲っていく。この前、深夜徘徊している最中に嘔吐した堤防なんかも追加していく。描き終わる頃には、市内の約半分がまるで覆われていた。

 うーん、なんだコイツ。

 散歩が趣味のニートかよ。

「この範囲の中に、猫とか犬とかが集まる場所はある?」

「よく見かける場所ならありますけど……そこ、なんで吃驚しているんですか」

「この街に来てから半年たつけど、飼い猫以外みたことないもの」

「そりゃ、僕はこの地域に十年以上も住んでいるわけだし」

「んー、それもそう……なのかなぁ」

 彼女は、なんだか納得していないようだ。

 時間帯や見かけた猫の種類、具体的な情報を付箋に書いて地図の上に貼った。特に目撃した経験の多い場所は情報量も置くなり、自然と調べるべき場所が定まるはずなのだけれど、懇切丁寧に情報を追加して行ったら想像以上に多くなった。

 瀬川さんの上司も似たようなことをしているのだろうか。

 だとしたら、大変な作業だろう。

「ところで、探偵の仕事って犬猫探しだけですか」

「そんなわけないでしょ」

「ですよねぇ。具体的には、どんなのがあるんですか」

「うーん……浮気調査とか行方不明の人を探すとか、色々。でも私は新人だし、どっちかというと地味な仕事を担当することが多いかな。あ、町内会の草むしりに参加したりもするよ」

 なんだか、給料の発生しないような仕事まで引き受けているようだけど大丈夫だろうか。まぁ、出来てすぐの事務所なら仕事の依頼が少ないのかもしれないし、地域貢献をする中で知名度が上がれば万々歳ということだろう。例えそれが世間に認知されないほど地味な仕事だったとしても、誰かを笑顔にできるなら、それは魂を腐らせるよりも意義のあることだし。

 ふと、まだ彼女に告げていない事柄を思い出した。昨日の話だ。

「瀬川さん。昨日の話なんですけど」

 彼女達を先に帰した理由を説明していなかった。

 駅構内で猫の惨殺死体を見つけたことを告げると、彼女は苦い顔になる。

「うえぇ」

「行方不明のペットも危ないですね」

「そうだね。早く見つけないと」

「……飼い主は、悲しむでしょうねぇ」

「それもあるし、ペットが死んだならと依頼料を踏み倒されることも多いのよ」

 うわぁ、なんて現実的な話だ。

 ペットの生死は依頼内容に含まれていないのだろうか。よしんば含まれていたとしても、つい昨日まで家族同様に接していた動物の死骸が発見されたことを知って喜ぶ人間は少ないだろうな。

 見知らぬ怪人物から仕事仲間へとジョブチェンジした瀬川さんを引っ張って、台所へ向かった。いつの間にか、昼ご飯の時間になっていたのだ。あまり長々と喋っていたつもりはないけれど、人間が有している時間間隔などあてにならない方が多い。今後の予定について話をするなら、その前にご飯を食べた方がいいだろう。三時間も四時間も、栄養を摂取せずに議論を続けるべきじゃないのだ。

 料理の準備を始めると、どこかリラックスした様子の瀬川さんが声をかけてきた。

「ところで、同棲の件なんですが」

「おっと手が滑った」

「なんでミニトマトが飛んでくるんですか!!」

「いや本当に手が滑っただけです。他意はないですとも」

 床に転がったトマトはちゃんと回収して丁寧に水洗いした。

 いやー、野菜を洗うのも楽じゃないなー、と冗談はこのくらいにして。

 今日中に犬猫の集会場を見て回るなら、候補地はふたつ以下に絞ったほうがいいだろう。あまりたくさんの場所を見て回ろうとすると、一ヵ所に掛けることの出来る時間が減るだろうし。そもそも、猫が望んだ場所に待機していてくれるとは限らないのだから、せめて一時間くらいは同じ場所で見張りたいじゃないか。

 ひょっとしなくても一週間程度は張り込みをした方がいいのだろうが、そこまで悠長なことはやっていられない。昨日みたいな猫の死骸をもう一度見て、そのせいで誰かが嫌な思いをするのは御免だ。

 で、候補地に関して。

 小規模な集合住宅の駐車場と、河川敷の近くに作られた畑はどうだろうか。

 前者に関してはこの家から一キロと離れていない位置にあるから、適当に見て回る分にはいいかもしれない。それに、あそこは正午と夕方過ぎに猫を見ることが多い場所だ。多分、近所にエサをやっている人がいるのだろう。

 河川敷の方も、比較的簡単に事が済むだろう。あそこは商業高校の生徒が草野球と弓術、それからサッカー部の練習場として利用している施設があったはずだ。彼等は僕なんかと比べて動物に優しい態度を取っているらしく――というか、エサをやっているに違いないのだけれど――生徒達に擦り寄っていく猫を頻繁に目撃する。

 走り込みは学校の方でやっているのか、堤防の上を走り回っているのを見たことはないけれど、高校生の周囲を探索すれば猫の一匹くらいは見つかるだろう。

 というような話を、瀬川さんにしてみた。

 彼女は否定も肯定もせず、ふむふむと話を聞いている。

「ま、猫を見つけたいなら、彼らこうこうせいに聞けば楽勝ですね。僕等よりも詳しいだろうし、長時間そこにいるというだけで猫を発見する確率もあがるから」

「それ、どうやって聞くつもりなのかな」

「普通に、猫を探しているんですと断りを入れて……」

「探偵が素性をバラしたらダメでしょ、今後に響くかもだし。それに、スーツ姿で田舎町を歩き回っていたら不審者じゃない」

 そんな人に話を聞かれて、まともに答えると思う? と自分も似たようなことをしていたはずの瀬川さんが自信満々に僕の策を否定してくる。ウケるぜ。

「僕に名乗ったのはノーカンなんですね」

「仕事仲間を騙すと軋轢が生まれるって先輩に教わりましたから」

 敵を騙すなら味方から、という格言に真っ向から石を投げつける意向みたいだ。

 そもそも、現在進行形でスーツ姿の瀬川さんには何を知っても無駄な気がする。

「まぁ、探偵の心構えに関しては、私がバッチリ教えますから!」

 ふんす、と彼女は胸を張った。ゆーちゃんよりは豊かな胸部が強調されたような気がして、僕はもにょもにょする。

 やっぱり、年上の女性という奴は苦手かも。傍にいるだけで、心惹かれて従順な態度をとるようになってしまうから。

 瀬川さんと喋っているうちに、キャベツをツナフレークと卵で炒めたものが完成した。それをご飯のおかずにしながら、最終的な予定を決めることにした。

 今日は件の二箇所をまわって済ませることになった。

 アパートの駐車場と、堤防の周辺である。

 食べ終わった後の食器を流しにおいて、外に出かける準備をする。スーツのままで駆けようとしている瀬川さんには、下着の着替えとかしてないけどそれでいいのかとか、色々と物申したいことがあるけれど言葉の選び方によってはセクハラになるかもと声を掛けないことにした。

 だって、ゆーちゃんが家に置いていった下着を貸し出そうにも、胸のサイズは瀬川さんの方が大きいだろうし。

 瀬川さんに手荷物はなく、僕自身も荷物をほとんど持たない主義だったから準備は三分も掛からなかった。

「じゃ行こうか」

 先導する瀬川さんが外に出ると、太陽の光を受けて彼女の腕時計が反射した。

 腕時計を社会に隷属する犬の首輪と評したのは誰だったかな。

 光に目が眩みながら、そんなことを考えた。

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