第12話 本編 5 - 2

 ふむ、同棲か。

 ドウセイって、ナンダロウ。

「…………」

「あのー、ゆーくん? 聞いてますか」

「あぁ、えっと、なんでしたっけ」

「同棲したいな、という話ですけど」

「いやいや、知らない言語で喋られても困るんですよ」

 正体不明の謎生命体が発する理解不能の言語を前にして、脳機能が処理を停止してしまったようだ。瀬川さんの表情からは同棲などと言う絵空事を、流石に本気にはしていないだろうことが伺えるのだけれども、彼女と僕ではジョークのセンスが違い過ぎる。

 いやぁ、本気で言っているのかと思って焦ってしまったじゃないか。

「さて、瀬川さん。本題に入りましょう」

「んー、同棲の提案も結構マジな話だったんですが」

「あれのどこが真面目な話なんですかね」

「成人女性が未成年男子に求婚するハートフルストーリーですよ? 超真面目に取り組んだらロングセラー間違いなしの大ヒット作品になると思うんですけど」

「ふふ、瀬川さんは面白いことをいいますね」

 頭の螺子が数本外れているのかもしれないな。

 や、初対面の人に対する遠慮や無謀な優しさなど、この人には不要かもしれない。

「同棲、したいんだけどな?」

「ここから徒歩十五分の距離にいい病院があります。紹介しましょうか」

「……悠一君、想像以上に容赦ないなー。ちょっと凹みますよ、それ」

「んなこと言われても」

 肩をすくめ、それを返答にする。心を人質にとるなんて、冗談にしては悪質だ。

 さて、そろそろ本当に話題を元に戻そうじゃないか。

 僕が瀬川さんに尋ねるべきことは簡単だ。探偵が片田舎の少年の前に、何の用で現れたのか。それも、あれほど周到で面倒な御膳立て……というには些か物足りないところもあるのだけれど、そういったものを行ってから僕の前に姿を見せたのだ。何かあるに違いないと疑わない方が珍しいだろう。

 彼女が、僕に声を掛けた理由。

 それを知りたいのである。かの職種が自身の素性を明かすなど、犯人逮捕の直前に限られている。つまり僕は何か取り返しのつかない失敗を犯していて、それを彼女に突き止められてしまったわけだ。思い当たるのは数年前、小学生の頃に経験した事件くらいだ。僕は被害者の立場なんだけど、仕方ないことなのかな。

 生き残ったの、僕だけだし。

「で、さんはストーカーなんですか?」

「分かってて言ってませんかねぇ、それ」

「ははは。そんなことないですよ」

「本当ですかぁ? ……まぁ、一か月くらい前から君の身辺を調査していたので、大体の生活周期とか、好きなジュースの種類も分かりますけど」

「それって実質ストーカーなのでは?」

「ともかく! あなた自身について詳しく調査をしてくれと依頼を受けたのは事実です。やましいことはありません!」

 嘘だぞ、絶対つつけば埃とボロが出るぞ。

 彼女は両手を天に向け、身の潔白を声高に叫んでいる。どこか間の抜けた絵面になっていた。探偵には現代の忍者と呼ぶべきイメージがある。それが、こんなのんびりした人でも探偵として秘密裏に活動できるのだろうか。いや、僕が身辺不注意なだけかなぁ? 

 からかいすぎたのか、瀬川さんは頬を膨らませている。妙なところでゆーちゃんと似ているようだ。

「依頼主が誰なのか、教えて貰うのは無理そうですね」

「当然です。勿論、調査結果を悪事に使うような人の依頼は受けませんから、そこだけは安心してください」

「犯罪の渦中にいた人間に対してそんなことを言うなんて」

「……正直な話、悠一君の巻き込まれた事件、その関係者すべてを把握しているわけではありませんが」

 それで――と彼女は続けた。

 表情は真剣なまま、視線も僕にまっすぐ向けられていた。

「諸々のことを差し置いて、君に頼みたいことがあります」

「はぁ」

「犬猫探しを手伝って貰いたいの」

「……?」

 意味が分からず首を傾げると、彼女はそりゃ確かに説明されただけですべてを理解できるはずはないよね、と一人で得心して頷いた。

「悠一君、相当な範囲を散歩してるよね」

「えぇ、まぁ」

「一日に数時間も歩き回るその無駄とも思える体力と足を使って、飼い主の元から消えた猫とか犬を探し出して欲しいの。勿論、タダじゃないよ」

 彼女は携帯を取り出すと、数字やら文章やらがびっしりと打ち込まれたページを表示させた。彼女の早口な説明を一生懸命に追いかけてみれば、どうやら画面には支払う金額の委細が示されていたようだが細かいことは分からない。目を白黒させているうちに、彼女は話を進めてしまう。

「――とこのように、ある程度の謝礼は出します。どんな形で生活しているにせよ、お金はあって困るものではないし」

「はぁ」

「ね、いいでしょう?」

 瀬川さんはにっこりと微笑むと、僕の顔を覗き込んできた。

 正直なところ、話の流れが唐突に変わり過ぎて、理解が追いついていない。

 一旦、整理してみよう。

 僕が住むこの街には、どうやら探偵社があったらしい。その事務所に、何処からか依頼が舞い込んできた。仇間悠一、つまり僕の身辺を調査して欲しいと言う依頼だ。同時期に、家で飼われていた犬や猫がポツポツと行方不明になる事件が発生しているらしい。ふむ、ゆーちゃんが高校から持ち帰ってきた資料にもあった、あの事件のことだろう。

 ひょっとすると高校にも行かずに自堕落なニート生活を送っている僕を犯人と睨んで、彼ら自身が調査をしていたのかもしれない。だけど仇間という少年が、深夜徘徊を含む諸々の問題を抱えていることを差し置いても、現在抱えている案件に対して有用な能力の持ち主であることが明らかになった。そこで、手持ちの札をいくつか提示しつつ勧誘しにきた。

 こんなところだろうか。

 実際、犬や猫を探すなら暇人を集めた方が効率がいいだろう。街を徘徊しているのがニートなら、白い目で見られるのは本人だけだろうから探偵社があらぬ風評を被ることはない。

 でもなぁ。

 僕が適当に妄想した、この流れには沢山の穴がある。不備と言い換えてもいい。誰が探偵社へ訪れたのか。猫や犬を探すためだけに部外者を引き入れる必要性が本当にあるのか。身辺調査をした際に、過去の殺人事件についてどんな判断を下したのか。

 分からないことだらけだ。

「申し訳ありませんが――」

 考えた末の判断を口にしようとしたその瞬間、電子音が部屋に響いた。何事かと慌てたが、瀬川さんの携帯だったようだ。僕は持っていないし、ゆーちゃんは言わずもがな。家の電話も滅多なことでは鳴らないから、着信音にも馴染みが薄いのだ。

 瀬川さんが通話の為に退室した後、ふと昔のことを思い出した。苦楽て湿っぽいそれは、地下室での記憶だ。姉さんがまだ生きていて、その後姿を目で追いかけていた頃の話だ。

 幸せの尺度は人それぞれ、溢れる悪と無責任な正義に背中を押されるようにして、僕は地下室へと逃げ込むことが多かった。埃と闇に包まれたあの空間には癒しがあった。あの場所は影より黒い闇に覆われていたけれど、そこには確かに救いがあったはずなのだ。

 ある日、僕は小学校を無断欠席した。宿題を忘れることもない、授業中に居眠りをしたこともない生徒だった僕にとって、初めてのずる休みだった。制服と鞄、それに靴を持って家族の誰にも見つからないように地下室へと逃げ込んだことを覚えている。

 学校が嫌いだった、同世代の子供達やそれを指導する立場の大人が嫌いだった。 

 それが人生初の逃避の理由、人生最初の後悔の発端になってしまった。

 昼を過ぎた頃、家の中が妙に騒がしくなった。

 姉さんと僕だけが頻繁に利用していたあの空間に、初めて鬼がやって来たのだ。

 夕陽の差し込む廊下へ引き出された僕は、怒鳴り合う両親の足元で泣いていた。彼らは誰が息子にこんな教育をしたのか、その責任の所在を問うていた。帰ってきた姉さんは僕等の醜態を見て慌てた。掴みあう両親を引き離そうとした彼女は、二人に突き放され。

 運命はあの瞬間に始まった。

 すべては、あの時に終わっていたことなんだ。

 ――首を振る。意識を眼前の湯呑に集中する。

 また、昔のことを考えていたようだ。

「嫌なこと、思い出したな」

 時計の長身が身動ぎするほどの僅かな時間で、過去の数時間を経験する。なるほど疲労感も溜まっていくし、魂が摩耗して年齢不相応に老けていくわけだ。テーブルの上に放置して醒めた茶を飲むと脳槽していたよりずっと渋くて、顔が自然にしかめ面になった。

 過去を振り払う方法は複数あるが、幾重にも積み重ねた偽りを痛みなく引き剥がす手段は少ない。魂を騙して安寧を手にする為には、青春を賭けた一幕の博打をする必要があった。

「つまり、僕に必要なのは目標で、目的で、魂を明るく輝かせる時間というわけだ。誰かを傷つけた経験を反復するばかりじゃなく、誰かを助ける経験を積み重ねるべきだ」

 誰かを助けたい、なんてことじゃない。

 ただ、僕自身の魂に安寧をもたらしたいだけだ。

 考え方を変えれば世界が拓けるなんて嘘だ。最後には努力が報われてみんな幸せな終幕が訪れるなんていうのも妄想に過ぎない。それでも、マイナスをゼロにすることは可能だ。酷く後ろ向きの理由から正義をかざす人間がいたって、それはおかしなことじゃないだろう。

 駅のトイレで見た猫の死体。

 ゆーちゃんが持ってきた学校のプリント。

 降って湧いた協力者。

 都合よく人を助けてくれる神様がいないことは知っているけれど、人間を苦しめる悪魔が世界に跳梁跋扈しているなんて信じない。符丁が揃っているのだ、手に職もなく、日々を無為に過ごすだけの凡人が社会貢献できるとしたら今この瞬間しかないだろう。

 覚悟を決めてから、およそ十分後。瀬川さんが長電話から帰ってきた。

「おかえりなさい」

「ただいま。それで悠一君、手伝って貰えるかな」

「足を引っ張らない程度には、まぁ、頑張ろうかと」

「うん、それなら別に大丈夫よ。私が手取り足取り、いろんなことを教えてあげるから。ふふ、これで私も先輩だ」

 腕組みをして、なぜか得意げな顔になった。ゆーちゃんといい瀬川さんといい、僕の周りにいる女性は人生楽しそうだ。脳内の靄が消え、眼前の霧が晴れた気分になるようだ。

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