To be deceived by You.
第11話 本編 5 - 1
昨日は大変な目に遭った。
簡単に振り返ってみたら、僕の苦労も伝わるだろうか。
酔っぱらった振りをした女性――彼女は猫を発見して戻ってきた僕にこっそり耳打ちするように、
僕を拘束したことで、誰かがちゃんと眠れますように。
そう考えないと、やりきれなかった。
どうしても散歩がしたくなった、しかしタクシーは呼んでしまったから、と理由んもなっていない言い訳をしてゆーちゃん達を帰宅させたのは正解だった。瀬川さんは不思議な顔をしていたけれどゆーちゃんには怪しまれなかったし。何より、拘束時間も思っていたより長くなってしまったし。
駅構内で職員しか入れない場所へ案内されて、現場の状況や発見した詳しい経緯の質問を受けた。小学生の頃に自宅で家族が死んだからな。その辺りの事情も加味されたのか、聴取も結構ご丁寧なものだった。
仕方のないことだ。
他人の抱く悪意は、分からないことも多いのだから。
ただ、懐かしい出会いもあった。小学生の頃の事件で世話をして貰った男性警官が、この十数年の間に昇進していたのだ。いつの間にか実績が増えていたみたいだねと彼は照れる素振りもなく笑っていた。強面の男性警官に取り囲まれても泣かずに済んだのは、彼が優しくしてくれたからだ。今回も当時と変わらない勤務態度と性格がスムーズな取り調べをしてくれたし。
あと、当時お世話になっていたもう一人の警官は女性だったのだけれど、彼女は彼の奥さんになったらしい。うーん、この王道系主人公め。
時代の枠外に取り残され、当事者になれないまま終わるのって怖いな。
気付けば、誰にも愛されずに死んでいるのかもしれない。
閑話休題。
結局、警察の方々とはお喋りをするだけで済んだ。身体検査をしても猫を傷つけた刃物が発見されず、個室内の血が渇いていたこと、一日中遊びまわっていたためにスケジュールが過密で現場不在証明が簡単だったことなどを理由に解放された。ボーリングの店員さんとかが、ちゃんと「こいつ遊んでましたよ」と証言してくれたのだろう。
すべてを終えて家に帰ってから時計を確認すると、針は午前一時を指していた。
くたくたになった身体を引きずりながら居間を覗き込むと、ゆーちゃんは安らかに眠っていた。さながら眠り姫のようだった。その隣に瀬川さんがいなかったら迷うことなく抱き付いていただろう。そのまま彼女の柔らかな肢体に沈むように眠りに落ちて、翌朝殴られるところまでは想像に難くない。ゆーちゃんにくっ付いていると心が安らかになるからなぁ。
不思議なものだ。
瀬川さんは起きていたけれど、疲労困憊も甚だしかったから詳しい話は明朝にすることを約束して寝たのを覚えている。押し入れから瀬川さんのために布団を引っ張り出して、居間のソファで寝落ちしていたゆーちゃんを部屋まで運んで。何となく予想はしていたけれど、やることが多かった。途中で全部投げ出したくなったほどだ。
ふぅ。
昨日の話は、ここまでにして。
話しはようやく、今現在のものになる。今朝は三人で食卓を囲んでいた。すごいぜ。これだけの人数で食事をしたのはゆーちゃんの両親にお呼ばれしたとき以来だからね。具体的には十月末、つまり二か月ぶりということになるだろうか。……案外最近の話だったな。
「シャワーまで貸していただいて、本当にありがとうございます。しかも朝ご飯まで」
「気にしないでください。この前、お昼を奢ってもらったんで」
「あの、タクシー代に関しては後日事務所の方から」
「別にいいですよ。それより、冷める前に食べてください」
距離が短かったのもあって、ほとんど初乗り運賃だけで移動できたみたいだし。ゆーちゃんが無事に帰れたのなら、それでいいじゃないか。
昨日と同じスーツ姿で頭を下げたのは、奇縁で巡り合った瀬川さん。彼女の対面に座るのは僕、その隣でゆーちゃんは落ち着きなく視線を彷徨わせている。現在時刻は午前八時を少し回ったくらいだ。朝ご飯にしては遅い時間だが、昨日の夜が忙しかったことを考えると及第点くらいは貰えるだろう。
ちなみに今日の献立は味噌汁と卵焼き、ジャーマンポテトだ。和風で統一できると格好いいのだけど、生憎と材料がなかった。ゆーちゃんが魚苦手だし。瀬川さんの方が満面の笑みを浮かべているから、これで良しとしよう。
ゆーちゃんのおかわりをよそっていると瀬川さんが箸を置いた。そういえば、と意味ありげに前置きをして姿勢を正した。端正な顔が引き締まる。その表情には見覚えがあった。それが誰のものなのか、思い当たるより先に彼女が口を開く。
「自己紹介がまだでしたね。これは失礼をしました」
「あ、そーいえば! ゆーくんの手落ちだよ」
「え? そうだっけ」
「そうだよ。……っていうか、なんでゆーくんだけは名前知ってるの」
「え、だって」
瀬川さん本人から聞いたのだけれど、本人は素知らぬ顔をしている。
それどころか、テーブルの下から伸びてきた脚が僕のすねを蹴りつけた。
……理由はよく知らないけれど、ゆーちゃんには秘密ということか。
うーん、なぜだろう。
「さて、それでは早速。私、
「――
「ホントに幼馴染なんですか? 彼女ではなく」
「昨日も言いましたけど、そんな関係じゃないですよ。な、ゆーちゃん」
「そうですね! ゆーくんと私は、兄弟みたいなものですから」
自信満々に胸を張ってみせるゆーちゃんは、なるほど、昨日一日だけで瀬川さんに対する警戒心を完全に解いているようだ。この人は敵ではないとみなしたのだろう。彼女がそう信じるならば、僕も瀬川さんを信じようじゃないか。
「ちなみに、どっちが上なの?」
「私がお姉ちゃんです」
「いやいや」
自然と吊り上がった口端から否定形の言葉が漏れて、慌ててご飯をかきこんだ。
「なにか言った?」
白米で一杯になった首を横に振ると、彼女はちょっとだけ満足そうに微笑んだ。
まったく、ゆーちゃんが妹だろ、とは口が裂けても言えないな。絶対に文句を言われるし、考えていることは互いに一緒だろうし。自分が相手の世話をしていて、相手は自分がいなければダメになってしまうのだと、そんなことを考える幼馴染で申し訳ないなぁ。
それはそれとして。
「ゆーちゃん、食べ過ぎて二度寝するなよ。今日は親戚の家に行くんだろ?」
「時間になったら、ゆーくんが起こしてくれるでしょ」
「嫌だよ。僕は二度寝するんだ」
「えー。ケチ」
口答えしたら拗ねた。それでこそ僕の幼馴染だ。
笑顔の仮面を被ったまま、瀬川さんは視線を僕に向けている。歪な秘密を打ち明けた相手がここまで落ち着いているのも、彼女の目には奇妙に映っているのかもしれない。
猜疑心渦巻く視線が行き交い、心の表面へ知らない間隔で針が落とされる。この状況なら、少しでも早く見知らぬ他人を家から追い出そうとするのが普通なんだけどなぁ。
彼女の視線が僕に絡み、呪縛の如く心を締め上げる。
ようやく視線を逸らすと、ゆーちゃんが空の茶碗を突き出していた。
「むー、ゆーくんに忍び寄る怪しい影」
「急にどうしたんだよ」
「なんかねー、私を差し置いて幸せになろうとしているゆーくんの姿が見えるの」
「眼鏡かけたら?」
冗談を言ったら背中をバシバシと叩かれた。それがあまりにも痛かったからキレて叩き返した。二週間ぶりの喧嘩が始まった二分後、気付けばじゃれあいになっていた。あぁ、怒りはどこへ消えたのだ。
ふと横を向いてみれば、すでに朝食を食べ終えた瀬川さんが苦い顔をしている。
「お二人とも、仲がいいんですね」
「でしょー。私はゆーくん唯一の友達だから」
「唯一じゃないし……多分。ゆーちゃん、食べ終わったら準備しなよ。帰ってすぐ寝たんだから、何も用意してないんじゃないか」
「ん? あ、そうだね」
ようやく、親戚の家に行かねばならないということを真面目に考える気になったようだ。そして、そのために早く起こした努力が無駄になっていたことを知った。こんなことなら、彼女を起こしたときに「準備をしておけ」と言っておけばよかったなぁ。これは僕の手落ちだ。
炊飯ジャーが空になるまでご飯を食べ続けたゆーちゃんは、お茶を一息に飲むと二階へと上がっていった。彼女の名誉のために注釈しておくと、米は二合半しか炊いてないし、彼女の茶碗は僕のそれよりも一回りほど小さい。決して食べ過ぎているわけじゃないのだ。むしろ彼女にはしっかり食べてもらって、もう少しばかり肉付きの良い女性になって欲しい。特に、胸の辺りからは。
幼馴染からは以上です。
普段より多めの朝食を食べ終わると、満腹感から欠伸が出た。
瀬川さんは、朗らかに笑っている。
「大変ですね、手のかかる妹みたいで」
「あの能天気なところに癒されるから、ゆーちゃんはあのままでいいんですよ。あの性格に助けられたこともあるし」
「恩義に縛られると後が怖いですよ。と、私も後片付けは手伝います」
「その前にいいですか。丁寧語で喋るの、やめて欲しいんですけど。妙な違和感があるんですよね。僕の方が年下だし」
あと、胡散臭い感じがするし。
年下を乱暴に扱えと言いたいわけじゃないが、自分より年上の人がやけに丁寧な言葉を使っていると違和感がある。大したことをしていないのに褒められた時のような、成果もなしに待遇が改善したときのような、と例示すれば誰にでも納得してもらえるだろうか。
「悠一君の方が、精神年齢は上だと思うけどなぁ」
「それは、分かりませんが。でも、年上が敬語っていうのは」
「でも、この言葉遣いが性に合っているの。どうしても気に食わないなら頑張るけど」
「……いや、そこまでして貰わなくても。ただ、気を遣わなくていいってだけの話ですよ」
「だったら大丈夫。私、上司からも無神経って言われてるくらいだから」
にこやかに笑うと、彼女は軽やかなバネみたいに立ち上がった。うーん、何をしても許してねと言外に言われてしまった気もするけれど、僕から言い出したことだから仕方ないよな。
僕の言葉に、他人の生き様を捻じ曲げる程の力はないのだから。
ふたりで食器を片付けると、効率はひとりで行うときの二倍以上になった。これが協力と言う行為の強みである。あぁ、ゆーちゃんにも見習ってほしいくらいだ。
瀬川さんは食洗器の便利さに慄いていた。彼女も一人暮らしをしているそうだが、食器洗いが面倒臭くて料理は週に二回程度しかやらないらしい。僕もゆーちゃんがいなければ、多分そうなっている。いや、料理自体はすごく好きなんだけど、一緒に食べる相手がいないと腕を振るう意味もないだろ?
一人で食べると、いろんなものが不味くなるし。
「ところで悠一君、つかぬことを聞くけれど」
「はい、何ですか」
「今も一人暮らしなの? 有希ちゃんが四六時中滞在しているはずもないし」
「僕の過去を知っているなら、今更聞くまでもないと思いますけど」
「あら、刺々しいですね」
「まだ何も教えて貰ってませんからね」
「……でも、家族がいないのは君だけじゃないんだよ」
鍋やまな板を洗う僕の隣に瀬川さんが立つ。
横に並ぶと身長は同じくらいだった。瀬川さん、意外に高身長なのか。
九時半になっても降りてこないゆーちゃんを迎えに行くと、僕が普段使っている布団に頭から潜り込んでいた。放置すると、あとで僕が彼女の親戚から怒られる奴だ。何とか彼女を起こして荷物の確認をさせた後に玄関まで見送って、額に汗する労働をする破目になった。
疲れたなと息を吐きつつ台所に戻って来ると、瀬川さんは熱いお茶を啜っていた。
髪も一度解いて結い直したようで、ポニーテールになっていた。耳よりわずかに高い位置で結ぶ、個人的に一番グッとくるポニーテールだ。いや、その程度で素性も知らない相手に全幅の信頼をおくわけじゃないけれど、好感度だけは跳ね上がった。うん、やっぱり僕はバカなのでした、まる。
素知らぬ顔で瀬川さんの対面に座る。
他人を、それも過去の事件を知っている人間と食卓を囲むなんて正気の沙汰じゃない。だけど、それを是としたのは逃げ場ないことを察したからだった。過去は現在へ連綿と続いている。清算を済ませたと考えているのは自分だけで、世間は誰一人納得していないなんてよくある話だ。この瞬間も心は逃げ出そうとしている。平気な顔が出来るのは諦観した心のせいだ。
決意をして、僕は彼女に尋ねることにした。
「それで、探偵さんは何の御用ですか。怨み辛みなし、全部聞きますよ」
緑色の湯呑が動きを止めた。瀬川さんが驚いたような目をしている。
大丈夫だ、落ち着いて話せばいい。憂鬱な気分をねじ伏せるのは容易い。
瞳を見つめ返すと、彼女は目を閉じた後小さく息を吐いた。
「そっかー。そうだよね。うん、この際だから玉砕覚悟で……」
「探偵さん?」
「ふふ、驚かないでね」
どだい無理な話だけれど、取り敢えず頷いた。
彼女が姿勢を正す。あまりに真剣な雰囲気に釣られて、僕も正座した。ゆっくりと右手が差し出され、まじまじとそれを見つめる。首を傾げると、瀬川さんは細い声を絞り出して僕に告げた。
「私と同棲しませんか?」
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