第9話 本編 4 - 1
忙しい一日だった。
カラオケ、映画、ビリヤード。
他にも数か所巡ったような気がするけど、詳しくは覚えていない。なにせ興行施設の始業時間、午前九時に合わせて家を出て、周囲の人も吃驚するほど全身全霊ではしゃいでいたのだから。
一人だと自然と部屋に引き籠ってしまう僕にとって彼女との時間はとても刺激的で、心躍るようなひと時を過ごせたことだけは覚えている。身体的な疲労感は十時間以上散歩した日に勝るとも劣らないけれど、精神的な満足感はあの日の比じゃない。いい幼馴染を持ったなぁ。
こんな僕なのに。
ゆーちゃんがこんなに元気よく動き回るのは、昨日、一日中勉強をしていた反動だろうか。昼ご飯抜きでこのパワーとは恐れ入るぜ。早朝六時からの町内会大掃除なんか行かずに、体力を温存しておくべくだったな。でも、最低限のご近所づきあいをしておかないと万が一のときに助けてもらえないし。……ご近所っていうのかな、家から家の距離が遠すぎて近所って気がしないんだけど。
ま。
それはさておき。
本屋に寄った後、近くにある飲食店で晩御飯を済ませた。ピザを食べたのは一ヵ月ぶりくらいだろうか。ゆーちゃんはご丁寧にピーマンのすべてをより分けていた。子供だなと笑っていたら強く睨まれてしまった。どうにも僕は、ゆーちゃんに弱い。というか、ゆーちゃんが強すぎるのだ。
店を出た後、朝ご飯を買うためにいくつかの店を渡り歩いて、僕等はようやく家路についた。繁華街と呼ぶには少しうら寂しい場所だけど、田舎町だからね、こういうところもある。
ここから駅まで徒歩五分と少し。家まで更にニ十分は歩かなくちゃいけないから、あと三十分ほど運動する必要があった。普段から散歩をする僕じゃなきゃ音をあげていただろう。いや、悲鳴なら既にあげたけどさ。どうして彼女の方が元気なんだろうか。
ゆーちゃん、小学生の頃からパワフルだからなー。
月明かりの下を音もなく流れる川を眺めながら駅へ向かって歩く。道すがら周囲に目をやると、もはや灯りを落としている家もあった。それほど遅い時間だと言うのなら、職務質問されないように気を付けないと。僕はともかく、ゆーちゃんは現役高校生だし。
うーん、高校生を連れまわすニートって。
なんだか怪しげな雰囲気だ。
「それで、今日は満足できた? ゆーちゃん、ずっと笑ってたけど」
「うん!」
でも冬休みは始まったばっかりだし、明日にはまた遊びたがりに戻りそうだな。
幼馴染としての務めを果たすべく、僕は彼女に声を掛けた。
「大学も合格済みなんだし、また遊ぼうか」
「やったぁ! そのときはよろしくね」
「はいよ。楽しいことだったら、僕はなんだってするから」
「ふへへ、そっか」
にこにこと笑いかけられて、ちょっとだけ身体が熱くなった僕は頬を掻いた。
「あ、そうだ! 駅前の電飾見に行こうよ」
「イルミネーションって言いなよ」
「電飾でしょー。ゆーくん、細かいことに拘りすぎー」
風情がないなぁ、などとイルミネーションに心を動かしたことのない人間が口にする。それは良心に咎められて、ぐっと口を閉じて堪えた。
お喋りしながら夜の街を歩く。目的地は、駅前のイルミネーションだ。時間も遅いからか、外を歩いている人もまばらだ。吐き出した息が白く煙り、夜闇に緩やかな渦を形成する。今日ばかりは、ゆーちゃんに無理矢理巻きつけられたマフラーに感謝しよう。気を抜くと魂まで凍えてしまいそうだ。
月が綺麗だった。
狂気に飲み込まれるには、十分すぎるほどに。
ゆーちゃんと繋いだ左手に優しい温もりを感じながら、すれ違う僅かばかりの人々に目をやる。仕事帰りの社会人、駅舎に向かって歩いていく酔っ払い、中学生と思しき不良生徒達の集団。どこにも属さない人を探すのは難しくて、逃げるように視線を逸らした。下を向くと、頻度と強度の高い散歩の性ですぐにすり減る靴があった。そろそろ、買い替えておこうかな。
下を向いていても、すれ違う人達の楽しげな声は聞こえてくる。生きる意味を探すだけ無駄だけど、強い意志で思想を振りかざす人には憧れる。だから、こうして。胸中に浮かんだ思いを誤魔化して、微かに笑う。顔を上げると、駅の建物が視界に入った。と同時に、道路の向こうに女性が見えた。
「お、相当な酔っ払いだな。千鳥足だ」
「ゆーくん、絡んじゃダメだよ」
「なんでさ」
「助けをはねのけて、恩を仇で返す人もいるんだから」
「それ、僕にも刺さるからやめてくれよ」
自暴自棄になって、人には言えないようなことで自分を苦しめていた時期がある。内臓が表裏逆になるんじゃないかと言うほど吐いていたこともあった。比較的分かりやすいものを例に挙げると
色々あって死にかけたけれど、最後は合鍵を握りしめて我が物顔で部屋に入ってきたゆーちゃんに発見されることで事なきを得たのだった。以来彼女は僕の体調を気にするようになり、姉や母親のように振る舞うことも多い。
不思議だよな。元々、ゆーちゃんは僕を虐めていた子なのに。
助けられた恩義は本人のみに向けるより、周囲の人々に向けた方が効率が良い。情けは人の為のみならず、厚意は奉仕の代替にあらず。そういうわけで、と言ってもよく分からないだろうけれど、僕は困っている人も放ってはおけないのだった。
ゆーちゃんの助言を無視して人助けモドキを決行する。
「大丈夫ですか。脚がふらふらしてて、なんか危なっかしい――」
掛けた声が聞こえたのか、前を歩いていた女性が振り返った。そして、ふらふらと歩み寄って来る。電灯に照らされた彼女の顔には見覚えがあって、僕は思わず声を張った。猫みたいに丸まっていた背も、ペキペキと音を立てて真っ直ぐに伸びる。
「あ、ひょっとして」
「お久しぶりです。昨日ぶりですね!」
「そうですね。……いや、変な関係とかじゃないぞ」
女性の発言を受けて、露骨に嫌な顔をしたゆーちゃんにことわりを入れておく。
綺麗にまとめられていた髪が解けて、彼女の肩にかかっている。結構飲んでいるのか隣に立つゆーちゃんなど気にもしない様子で飛びついてきて、僕は名前も知らない彼女を抱きとめる破目になった。
怖い幼馴染に睨まれて、僕は顔が引き攣った。
「何してたんですか」
「先輩とねー、色々」
気になる? と彼女は顔に笑みを浮かべる。
別に。と僕は首を横に振った。
「ふふ、君を見かけるとは思わなかったけど。……隣の女の子は?」
「幼馴染です。――そんな顔やめてください」
「いやいや、君みたいな恰好いい子が女の子連れ回しているんだもの。説得力ないですし」
「友人ですよ。男女が一緒に歩いていても、そういうことはあります」
「本当ですかぁ、不良高校生くん?」
顔見知り以下のはずなのに、なぜか彼女とは気軽に喋ることが出来る。あれか、親しくないから嫌われるのも怖くない理論か。嫌だなー、それは他人というものを軽んじているような気がして。
抱き付かれたまま喋っていると、ゆーちゃんに裾を引っ張られた。
振り向くと、彼女も首を傾げていた。
「なに、ゆーくんの知り合い? どういう関係?」
「昨日、昼ご飯を奢って貰ったんだ。それだけだよ、本当に何もしてないし」
「ホント?」
「本当だとも。……ゆーちゃん、どうして脇腹をつねるのかな、痛いんだけど」
「べつにぃ」
見ず知らずの人にご飯を奢ってもらったことが、そんなに怒られる様なことなのかな。冷静になって考えてみると、なるほど確かに普通じゃないな。お菓子をあげるから家についておいでと手招きされて、知らないおじさんの自動車に乗り込む小学生みたいに警戒心が欠けている。
うーん、ま、次から気を付けると言うことで。
「悪かったよ。ごめん」
寄りかかる対象を電柱から僕へと変えた女性を抱きとめつつ、怖い顔になっているゆーちゃんを宥めすかす。女性は相変わらずスーツを着ていたようで、羽織った外套が着崩れた下からこの前も見た刺繍が現れた。
ハンチング帽とパイプ煙草だ。
記憶の片隅で、何かが引っ掛かる。この符号に触れた経験がある。あれは、確か小説を読んでいた時に……いや、今はそれどころじゃない。外套をまともに着られないほど酔っている人を放置して帰るわけにも行かないし、対応を考えなくては。
「お姉さん、ちゃんと帰れますか。家までどのくらいあります?」
「んー、実家の話かい。電車で二時間! しかもそこから、自転車で三十分だー!」
「あ、ダメだこの人」
気分がハイになっている。
この雰囲気は、身に覚えがあるなぁ。酔い始めは気持ち悪いのに、ある程度泥酔すると気持ちよくなってくるからな。最低な気分になる寸前の、ごく僅かな時間だけど。
実力の七割から八割程度のところでやめておく方が無難だぞ、と既に何度か欲望に負けた人間から忠告しておこう。
彼女に嫌な思いをさせないために、僕は幼馴染に振り返った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます