第8話 幕間 C

 暗い夜道を歩く。

 今日も一人だ。誰も、僕の隣を歩くことはない。

 壊れた街灯の修繕はいつになるだろう。完全に沈黙した電灯のすぐ隣にあった同型の街灯も、気付けば点滅を始めている。もう寿命を迎えるのだろうか。人間よりも遥かに短い一生のうちに、物言わぬ機械はどんな夢を見るのだろう。

 しかし、機械にも寿命があるなんて、本当に興味深い話だ。ちゃんと高校へ通って勉強すればよかったかな。

 今更、無理な話だけど。

「……うへぇ」

 濡れた手を拭ったタオルに鼻を近づけると、かなり生臭くなっていることに気が付いた。投げ捨てようかな、でも犯罪の跡を残すわけにはいかないしな。

 五分ほど迷った挙句、手に巻き付けることにした。簡易手袋である。ニオイは気になるけれど、十二月の夜は手袋なしで出歩くには寒すぎた。

 気を抜くと怪物に飲み込まれてしまいそうな暗闇の中を歩く。深く息を吸う度、肺と視界が赤く染まる錯覚に襲われる。動悸が激しくなって、手を血塗れにした経緯を思い出した。

 あぁ、生命に感謝を。魂に敬意を払うのが人間だ。命あるものに死を与えて、それを喜ぶような残虐性は人間しか持ち合わせていないだろう。

 街灯の消えた一角に家があり、綺麗な少女が玄関に立っていた。ゆーちゃんだ。

「やぁ」

 片手を挙げて挨拶をしたのに、彼女の反応は芳しくない。赤黒く汚れた布を巻きつけているのだもの、当然だよね。

「――何してるの」

「んー、黙っててもバレるよね。ほら、見ればわかるでしょ?」

 月の光を浴びながら手に巻き付けたタオルを解いて見せる。拭いきれなかった犬や猫の血で汚れたままの僕の手に、ゆーちゃんの視線が刺さる。やっぱり、と彼女が小さく呟いた。おかしいな、もっと悲しんでくれると思ったのに。やっぱり動物じゃダメなのかもしれない。

「人を殺すって、どんな感覚なんだろうね」

「…………」

「あぁ、聞く必要もないことだ。だけど、問答ってのは大事だろ?」

「…………」

 月の光に青く濡れた地面を蹴って、僕は暖簾に腕押しするよりも無感動な押し問答を続けた。言葉が空に放り投げられ、レスポンスなどないまま地に落ちる。落ちた言葉は悪意で芽吹き、棘を抱えて背を伸ばす。

 そして痛みが、僕等の心と肉体を蝕むんだ。

 静かな夜だ。

 消えた街灯は見えなかったはずの星々の光を増幅し、対峙したふたりへのスポットライトのように煌めかせている。風の吹かない夜に滞った空気は独特の粘りを帯びて、怪物の吐息のように不安を煽ってくる。

 僕とゆーちゃん、ふたりで世界を独占したかに思えた。

 彼女はどれほどの時間、僕を眺めていただろう。最後に深い溜息を吐くと、家へ入って行ってしまった。慌てて駆け寄ると、錠の落ちる音がした。ふむ、僕を追い出すつもりのようだ。悲しいなぁ。

 ランドセルを背負っていた頃の彼女に恋をして、セーラー服を脱ぐ段になってもまだ想いを忘れられないなんて。あんまり純情すぎると気持ち悪がられるそうだが、僕はその典型例かもしれない。というか、愛し方が問題なんだろうね。

 彼女が月より美しくなるには、深い絶望が必要だ。彼女の心を暗幕で覆うことが出来たなら、その美貌は世界を滅ぼすほどの強い絶望と清い涙で覆われる。その姿を見たときから、僕は彼女に恋をしているのだ。

 彼女を愛し、彼女が最も美しくなる瞬間を求めて悪魔に魂を売っていた男。それが僕という人間だ。

 狂ったように笑いながら次の獲物を探して歩く。

 ふと思い立って、僕はあぜ道をひた走った。

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