第4話 本編 2 - 2

 家から自転車で十分、歩いてもニ十分ほどのショッピングモールへお昼ご飯を食べに来た。別に何処へも行きたくないと言っていたわりに、外に出てから、ゆーちゃんはずっとニコニコしている。僕をからかったのが、それほど楽しかったのだろうか。いやはや、まったくもって業が深い子だな。今度は仕返しとしては、彼女の入浴姿を覗きに行ってみようか。

 ……いや、ダメだな。半殺しにされかねないし。

 諦めることが得意な僕は、羞恥を忘却の彼方に置き忘れることにした。

 さて、何を食べようか。モールの中を適当に歩き回った僕達は一階の飲食店ばかりが居並ぶ通りのラーメン屋に入ることにした。僕が麻婆豆腐のセットを、ゆーちゃんは半チャーハンのセットを頼むと互いの嗜好がまったく変化していないことに思わず笑いが漏れた。

 あぁ、僕たちは小学生の頃から変わっていないんだ。

 平和と退屈は骨の髄まで寄り添っていて、それがとても心地よかった。

 料理が提供されるまでぼんやりと待とうかとも思っていたけれど、ゆーちゃんは暇を嫌って絶え間なく喋りかけてくる。言葉を交わすうちに、話題は彼女の弟へと移っていった。

「やっぱり、部屋から出てこないのか」

「うん。ゆーくんくらいの引き籠りだよ」

「失敬な、僕は散歩に出るぞ」

 基本は深夜徘徊だけど。日中に歩くときも、野良犬や野良猫を探し求めて癒されに行こうとしているだけだからな。それに、近所の人に見られると不審がられるし。

「あの子も夜中に散歩してるよ。ゆーくんと一緒だね」

「でも、僕の方が社会に適合していると思うんだよね」

「私からしたら五十歩百歩なんだけど」

「えぇー……」

「ふっふーん。現役女子高生の私を崇めたてるがいい! 学校に行くだけでもゆーくんよりすごいのだ!」

「あと三か月で卒業だろ? 進学も就職も決まってないんだから、このままだと僕と同じニートになるよね」

 正論をかまそうとしたら頬を思い切りつままれた。

 ぐぎぎ、やっぱり僕の扱いが酷いなぁ。どうしてゆーちゃんが幼馴染なのだろう。

 それはさておき。

 僕も、彼女の弟も、学校に通っているわけでもなければ働いているわけでもない。社会的に二人を比べたときの違いは何かと考えてみたけれど、誕生日くらいのものだろうか。ふはは、同い年の相手と誕生日を比べても益体ないんだけどね、本当にそれくらいしかないんだよな。

 どうにか彼との違いを探そうと、今度は幼馴染に視線を向けてみた。多分、彼女から向けられている好意の量は僕の方が多いだろう。だって、弟くんの方が好きなら毎週のように泊まり込みに来るはずもないし。あ、玩具として遊ばれているというのは考えないぞ。

 多分、ゆーちゃんへ向けている感情に関しても、僕と弟くんでは違うことだろう。質や量を比べてみれば、明確な差異があるはずだ。差異の詳細なんて怖いこと、僕の口から喋りたくもないけれど。

 ゆーちゃんと僕はよく似ていると彼女の親戚連中の間で評判になるほどだけど、彼ら姉弟はあまり似ていない。言われてみれば似ていないこともないのだけれど、たぶん、僕とゆーちゃんの方が背格好から顔の輪郭までそっくりなんじゃないかなと思う。

 へへ。

 複雑な事情なんて、誰だって抱えているようなものだ。

「そういえば、ここ何年もゆーちゃんの弟くんには会ってない気がする」

「そうだね。ゆーくん、途中で学校に来なくなったし」

「仕方ないじゃないか。まだ平気な顔で通っているゆーちゃんの方が怖いよ」

「そうかなあ」

「そうだよ。間違いないね」

「変なのー」

 余裕の笑みを浮かべながら、ゆーちゃんは水を口に含む。何か面白いことを言って笑わせてやろうと画策しているところで、見覚えのある顔が視界の端に映った。二十代後半と思しき女性だ。

 誰だっけ、と考えている間にその女性は近づいてくる。晴れやかな表情をしていたり、悪いことを少しも考えていないような笑みを浮かべられる女性は苦手だ。綺麗な人相手には不埒な妄想をする癖があるし、それがバレるのを想像するとかなり怖いからね。

 頭の片隅に浮かび上がろうとする妄想を締め出しながら、対面に座るゆーちゃんへと視線を移す。いつの間にか、視線を店外の景色に移していた。

「ゆーちゃん……」

 声を掛けても、彼女は反応を返してくれない。知り合いを見つけたとき、彼女は驚くほど僕に無関心になる。ニートで、過去に傷のある男の子と付き合いが続いていると言うのは社会的な対面がよろしくないのだろう。いやまぁ、だったら家に泊まりに来ることも結構な問題行動だと思うんだけど。

 ま、無視されること自体は慣れっこだからいいとしても、当の知り合いに対しても無視を決め込む節があるのはよろしくない。仲のいい相手を増やしておくのは大切なんだから。

 俯いて水に口をつける。乾いた唇を湿らせ、喉を潤すためだ。

 タイミングを見計らって顔をあげると、僕が仇間悠一であるという確証を得た女性は優しく微笑み返してくれた。

 僕が苦手な、麗らかな春にも似た笑顔だった。

「あー、やっぱり仇間くんじゃない」

「どうも、お久しぶりです」

 僕が挨拶を返すと、今回は無視できないと思ったのか、ゆーちゃんも頭を下げた。そこでようやく、この女性がゆーちゃんの親戚だということに思い当たった。彼女の親族は、ほとんどがこの土地に住んでいるからな。こうして街を歩けば犬が棒にあたるよりも遥かに高い確率で親戚とかち合うことになるのだろう。

 人懐っこい性格なのか、未だに名前を思い出せない美人さんはゆーちゃんの頭を愛しそうに撫でている。左手には指輪が光っていた。

「ホントにそっくりね。雄馬ゆうまよりも仇間くんの方が、有希ゆきちゃんに似てるんじゃない?」

「そうですかね、自覚はないですけど」

「んー、仇間くんも女の子だったらなぁ。可愛い服着せてあげるのに」

 褒めているのか馬鹿にしているのか、どうにも曖昧な言葉だ。なんだか分からないままに、彼女から頭を撫でられた。異性からの好意になれていない僕は、頬が熱くなってしまう。

 改めて解説しておくと、有希というのはゆーちゃんで、雄馬というのが件の弟くんだ。ちなみに僕は、仇間悠一という。自己紹介は欠かさないようにしようね。妙な話だけど、ゆーちゃんの親族にとっての有名人なのだ。主に、小学生の頃に遭遇した不幸な事件のせいで。

 軽い雑談を交わして、女性は席を離れていく。入れ替わりに料理が運ばれてきた。丁度いいタイミングだな。これならゆーちゃんが垂れ流す文句や愚痴を聞かなくても済むかもしれない。

 鼻歌混じりに割り箸を渡そうとすると、なんだか不穏な空気を感じた。思わず俯いたところにゆーちゃんの手が伸びてきた。そっと、頬を撫でられる。

「ゆーくん」

 正面に居る彼女に呼びかけられて、恐々面を上げた。

 ゆーちゃんは怖い顔をしている。

「どうしてゆーくんは、年上の女性に人気があるんだろうね」

「知らないよ。それこそ無自覚だもの」

「同級生にも、年下にも好かれなかったのに。ふーしぎー」

 蛇に睨まれた蛙のように、僕は首をすくめた。無言で箸を割ると、彼女もレンゲを手に取った。炒飯を彩るグリンピースをみて、いつものように顔を顰める。……嫌いなものが乗っているのを、また忘れていたらしい。これで十連敗かな。

「これあげるね」

「いらないよ」

「ダメです。これはプレゼントだから」

 別に欲しいものじゃないしなぁ、と思いつつも彼女の手を止めることはない。

 そもそもの話、なんだけど。

 年上から好かれる性質に対して、彼女が拗ねる必要もないだろう。僕の場合、三十代くらいの男性からは否応なしに嫌われる。でも、ゆーちゃんは無償の好意を受け取ることが出来るのだ。何より、ゆーちゃんの方が知り合いも仲間も家族も多い。遥か昔の事件を経て唯一変わらなかったものがあるとすれば彼女の性格で、忌まわしい事件を経験して成長したものがあるとすれば彼女の美貌だ。だから、彼女は笑って日々を過ごせばいい。誰よりも楽しく生きることが、彼女に課せられた使命なのだから。

 そうでもしなけりゃ、僕はやってられないよ。

 ラーメンをすすっていると、ゆーちゃんに睨まれていることに気が付いた。首を傾げて見せると、彼女は頬を膨らませながら僕のラーメンにラー油を振りかけてくる。やめてくれ。

「ゆーくん、絶対悪い女の人につかまるよ」

「そう思う理由は?」

「だって、年上の女性には逆らえないでしょ。相手を無下にできない性格も、そこまで行くと救いようがないって感じがするもの。あーあ、私の誕生日がもう半年早ければ、ゆーくんをお姉様として甘やかす計画だって実行できたのになー」

「実行したところで完遂できそうにないけど、それ」

「えー。ゆーくん、絶対骨抜きなんだけどなぁ?」

 ゆーちゃんは頬を膨らませている。僕の誕生日が遅かったら、僕達が本当に姉弟だったら。そんな妄想を次々に繰り広げては、現実に撃ち落とされている。うむ、迎撃体制のまま奮闘する張本人が目の前にいる幼馴染だから、彼女も張り切っているのだろう。空想以下の絵空事を並べ立てるのが、彼女の趣味なのだ。

 喋るのと食べるのを同時進行するのは苦手だけど、彼女が楽しいならそれでいいや。

 苦手なグリンピースを丁寧に炒飯から抜き出して、僕の麻婆豆腐に投げ込む手は休めない。華麗な手捌きに、思わず感動するところだった。

「私、男の子に生まれたかったな。そのときは、もっと仲良くしてくれそうだし」

「え、ゆーちゃんが男になるの? 想像するのも嫌なんだけど」

「でも、男の子のほうが気楽じゃない。あーあ、神様って不公平だな」

 その意見には賛同しかねるな。

 もとより、過去の経験から、ひとつだけ確かに言えることがあるし。

「平等に与えられるのは命だけだよ」

 唇を尖らせながら、彼女は炒飯を食べている。それを眺めながら食べる麻婆豆腐はいつもよりラー油が効いていて、僕は額に汗をかいた。

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