第3話

 王覧試合二日目。


 ムイカは、体を捻ってウェイギル・ロックの槍をいなした。

 同じ槍使いだが、ウェイギルの槍は穂先一つ分ほども長い。その間合いを、ムイカは詰め切れずにいた。

 開始から二分弱。

 始めた瞬間から、二人は様子見などせず、必殺の技の応酬を繰り広げている。可能であれば命は奪わない、そういう戦い方だ。

 ウェイギルの二段突きを、竜槍で受け流し、ムイカは前進する。

 早鐘のように撃剣の音が響く。


 観衆は、息を呑んでそれを見つめた。

 この場のほとんどの人間が、本当の意味での戦いを知らない。極端に儀典的な剣術か、気の抜けた約束組手しか見たことのない貴族ばかりなのだ。


「やるね!」

 太腿に細い傷を付けられたムイカが、やむを得ずに距離をとり、素直な感想を述べた。

 ウェイギルは、武骨なカニのような面相を崩さず、少し槍を上げて、その称賛に応える。

「でも、勝つのはあたし」

 ムイカは、槍を体の周囲で回し、姿勢を低くした。槍が、地面スレスレで止まる。


 瞬間。

 ムイカはしなやかに飛び込んだ。

 ウェイギルは落ち着いてその一撃を槍で弾く。

 弾かれた竜槍が、ムイカの体を回りこむように回転し、二度目の突きに転じた。

 ウェイギルは、それも弾く。

 竜槍が、回る。

 ウェイギルが弾く。その顔色が変わった。


 ムイカの槍技は、まるで踊りのように、派手で美しく見える。だが、その一撃一撃は、とてつもなく重い。

 ムイカの体が、竜槍に纏いつくように、いや、竜槍がムイカに巻き付くように同時に回転する。長く、柔らかな足が、腕が、腰が、竜槍に連動して速度を上げ、威力を上げていくのだ。


 五撃目。

 ついにウェイギルはその打ち込みに耐えきれず、体制を崩した。

 さらに速度を上げた六、七の打ち込みは、もう追うことが出来なかった。

 ウェイギルの右肩、右太ももにほぼ同時に槍が突き立ち、血の糸が竜槍に絡んだ。

「ぐぅうう!」

 呻きを上げたその首元に、赤く染まった竜槍が突き出され、寸前で止まる。

「『七竜遊河』」

 息をきらせたムイカが、その奥義を伝え、笑いかける。

「……俺の負けだ」

 言って、ウェイギルはうつむいた。


 静まり返っていた場内が、沸いた。

「すごい! これが武人か!」「あれはきっと、天下十剣並の槍士に違いないぞ!」「彼女を我が家で召し抱えるぞ!」「私はウェイギルでもいい。ぜひ、私の騎士に!」

 負傷したウェイギルは、すぐさま運び出され、ムイカはそれを見届けると、轟轟たる歓声に少しも応えずにリングを降りる。


「どうだった?」

 ムイカは、脇で観戦していたアルを見つけ、声をかけた。さっきまで、命のやり取りをしていたのが嘘のような屈託のなさだ。

「すごかった!」

 アルの全身は、強張っていた。

 ムイカとウェイギルの戦いに、自分を重ね合わせていたのだ。息もつかせぬほどのやり取りに、アルは呼吸も忘れ、見入っていた。

「今からそんな汗かいて、大丈夫?」

「大丈夫じゃないかも……次、師匠だし」

 アルの隣で、のっそりと立ち上がるセイ。

 見た目ではわからないが、緊張が全身に張りつめている。

 向こう正面。立ち上がる黒い影。

 フィーザスだ。

「まだあの馬鹿みたいな鎧つけてんのか?」

 セイが首を鳴らした。

 すると、それに反応するように、フィーザスが鎧を外し始めた。自ら兜を脱ぎ、従士のような少年兵に胴鎧を解かせた。

「それでいい」

 セイはアルの頭にポンと手を置いて歩き始める。

 両者が静かに中央で見会うと、審判は唾を飲み込んだ。二人の闘気にあてられて、体がこわばったように動かない。

「合図をしたら、場外に出ていたまえ」

 フィーザスが審判に言う。

「それがいい。こんなデカいのが倒れて、巻き添え食ったら大変だ」

 と、セイ。

「……そんな痩せぎすでは、戦斧の起こす風だけで場外へ飛びそうだな」

「今日も暑いから助かるぜ。風しか当たらない相手で良かったよ」

「りょ、両者、私語は慎みたまえ。御前であるぞ」

 フィーザスがはっとして、居住まいを正した。セイは組んでいた腕を解く。

「では、よいな。お互い名誉をかけて戦い給え」

 審判が、忠告通りにリングの外へ駆け出ると、周囲の空気は、まるで凍ったように固まった。

「鎧は、いいのかい?」

「さすがに、貴様相手には重すぎる」

 フィーザスが戦斧を構える。

 長さは一メートル半。先端は槍と、小振りの斧だ。重量は二十キロ近い。振るうだけでも体力を奪うが、その威力は鎧をひしぎ、馬を両断する。セイの視線に対して水平に、僅かなブレもなくピタリと構えた。

 対して、セイは納刀したまま、猫のように脱力して、わずかに右足を差し出す。


「まずは、お手並み拝見といこうか」


 ほとんど同時に、ほとんど同じセリフを吐いて、二人は思わず笑った。

 笑って

 消える。


 雷鳴が落ちるが如き閃光。耳をつんざく撃剣の音。


 二人の体は、向かい合っていたときと、反対に入れ替わっている。

 セイが、抜刀している。

 八十センチに満たない片刃。波紋のない、奇妙な光を発しているような刀。

 それを抜刀と同時に斬り抜いた。

 だが、周囲の誰もが、その斬り抜く瞬間を見ることが出来なかった。

 フィーザスを除いて。


 またしても撃剣の音。


 フィーザスが大股で体を回転させ、力いっぱい戦斧を振り抜いたのだ。

 セイは居合の直後、僅かな弛緩を見抜かれた。

 避けることが出来ずに、刀で受け、同時に跳躍した。

 セイの愛刀「日輪」は比類ない名刀ではあるが、それでも刀ごと叩き折られるような衝撃。

 セイの体が羽のように飛んだ。その衝撃と風が、観客席の奥、王の白い髪を揺らす。


 観客たちは、目の前で何が起きているのかを飲み込むことが出来ない。

 観戦している武人たちですら、粟立つ肌を抑えることが出来ないのだ。


 リングの端ギリギリに着地したセイが、とん、とん、と足を鳴らし、ゆらりと前傾になった。

 フィーザスは、基本通り、水平に戦斧を構える。


 瞬きの間に、二人は距離を詰める。

 先をとったのはフィーザス。

 巨体に見合わぬ細く、鋭い突きを繰り出す。

 セイはその突きを軟体動物のように避け、刀でフィーザスの小手を斬り上げる。

 僅かに、フィーザスの引手が早い。二度目の突き。

 セイは斬り上げた刀を即座に斬り降し、さらに踏み込む。

 お互いが、お互いの攻撃を避けつつ、体勢を崩した。

 斬り上げ、突き、切り下げ、薙ぐ。


 そのたびに、その先にいる観客たちは、自分が斬られる錯覚に背筋を凍らせ、だが、身動きすらできない。猛獣に睨まれた兎のように。


 リーチの違い、力の差。セイには不利だ。

 武器がかちあうたびに、セイは跳び、流し、あるいは渾身の力を込めなくては、一瞬で体を両断されるだろう。

 だが同時に、セイの速さ、そして体捌きはフィーザスには未知のものだ。

 セイが構えを変えるたび、フィーザスは全身の勇気を振り絞って前へ出る。力で圧倒しなければ、いつか斬られるのがわかる。


 百秒近く、二人は打ち合った。

 戦斧の横薙ぎ。

 セイは体を最小限浮かせ、全身で戦斧を巻き込むように、その上を飛んで避ける。

 戦斧が、振り抜かれずに、ピタリと止まる。

(マズった!)

 まるで、時間が止まったかのような、僅かな静寂が二人を包む。

 一瞬の半分ほどの時間が、引き延ばされたかのようだ。

 セイは、次に来る攻撃に備えた。体はまだ宙に浮いている。

 フィーザスの戦斧が、まっすぐ引かれ、打ちだされるように迫る。

「ちいいいぃぃ!」

 セイは、両足が地面に着いたと同時に、気を吐いた。

 真っ直ぐに突かれる戦斧に、真っ直ぐに刀をぶち当てる。


 轟。


 互いの必殺の一撃が、寸分の狂いもなく真正面から激突する。


 真下の石畳が衝撃で弾けて、細かい石片が散った。


「ぬぅううう!」

 技の激突で押し負けたのは、なんとフィーザスだった。

 よろけるように、一歩退く。

 その弛緩を、セイは見逃さない。

「っぁああ!」

 斬り下ろした刀を、振り上げつつ、踏み込む。

 だがフィーザスも、あがく。

 退いた足をさらに退き、まるで後ろへ転ぶように全身を倒し込む。その勢いで戦斧が跳ね上がる。


 撃剣。


 決死の一打を避けたフィーザスは、その巨体を曲芸師のように回転させ、体勢を立て直す。

 セイは、あえてそこには踏み込まない。


 互いに、かなりの距離を置いて、息を整える。


 その空気の緩和に、ようやく周囲の人間も呼吸を取り戻した。




「なんなのよ、あの二人」

 観客席、ちょうどニウルス王の対面に近い場所で、エーリカが歯噛みした。


 ディードハルトの言う通りだ。


 あんな武人が、一人でも王の隣に侍れば、どんなに不意を付こうと、どんな人数で襲おうと、暗殺は不可能に思えた。

 二人の実力を正確にとらえているわけでは無い。だが、肌で感じている。

 武人でもない、ただ貴族というだけの娘、エーリカのみならず、この試合を観戦しているすべての人間がそうだ。

 たとえば、赤子と手を握れば、直感的に自分が強いとわかる。手の小ささ、筋肉の量、骨の太さ。正確に捉えて表現できなくても、誰もが感じることが出来る。

 そういった、当たり前とも言える肌感覚や直感を、エーリカは嫌というほど感じている。

 赤子に、獅子は倒せない。

「何よ……何で邪魔するの」

 ほんの僅かでも、可能性があると思った自分が馬鹿みたいではないか。

 エーリカは、自分でも説明のつかない苛立ちを、隣に侍るディードハルトにぶつけたくて仕方なかった。

 いつもは眉ひとつ動かさないこの騎士が、見入られたようにリングの二人を見つめ、汗までかいている。それも気に食わない。

「ディード、あなたなら、あの二人と戦えるわね?」

「……わかりません」

 エーリカは、手に持ったセンスを畳み、周囲に気づかれないよう、ディードハルトの脇腹を小突いた。

「戦えるようになりなさい」

「……承知いたしました」

 イライラする。

 エーリカはもう、爆発寸前だった。

 何一つ、思うようにいかない。

 今すぐ目の前のディードハルトを裸に剥いて、力いっぱい打ち据えたい。

 周囲の貴族どもの目をくりぬき、内臓を抉って犬に食わせたい。

 ニウルス王のあのしたり面を引き裂いて、焼いてやりたい。

「やらせなさい」

「今、でございますか?」

「もう、何も見たくない。ムカつくわ。あんなの、どっちが勝ったって、私のものにならないでしょう?」

「しかし、今は……」

 エーリカは、静かに体を沈めた。幸い、周囲の人はみな、観戦に夢中だ。

 ディードハルトの手を引き寄せて、思い切り噛みつく。力いっぱい、壊したいと願って。

「やらせて。もう見たくないの」

 口元を血で濡らしたエーリカの目には、涙が溜まり始めている。




(さあて、どうするかね)

 セイが手足をブラブラさせる。

 フィーザスの実力は予想以上だ。

 加減したとはいえ、初撃の抜刀『雷光』を、ああも容易に受け止めるとは思わなかった。

 フィーザスは、あの大きな戦斧を小枝のように軽々と扱い、突きの速度は細身の剣を扱うかのごとく、大きな体躯と、異常な膂力にものをいわせて振り切る一撃は、城壁すら粉砕するかと思うほどだ。

 だが、セイがそうであるように、彼もまた、実力の半分ほどしか見せていない。

(殺し合いになっちまうな)

 それはお互い望むところではないはずだ。

 殺すこと、そのものはいい。

 武人たるもの己の名誉をかけて腕を競うならば、そういう結末があっても、それはいたしかたがない。

 しかし、殺し合うのならば、フィーザスとはもう少し別の舞台で殺し合いたい。

 手合せをする中、わずかに緩む互いの殺気に、二人はそう感じ合っていた。

 あるいは、勘違いかもしれないが――

「どうするね、フィーさん」

 そう訊いてみる。

「さて、どうするかね」

 と、フィーザス。

 殺し合いたくはない。

 だが、相手の実力を、そして自分の限界を、どこまでも覗いてみたい。

 それが二人の正直な気持ちだった。



「どうするね、とか言ってるけど?」

 ムイカが、リングから目を離さずに、傍らのアルにつぶやいた。

 全身に熱気とも、寒気ともつかない痺れが走っている。

 リング上の二人が全力を見せ切っていない。まさに「お手並み拝見」といった剣戟を交わしているのは、わかる。

 わかるが、理解できない。

「あれって、異常だよ……」

 ムイカは、自分が強いことを知っている。

 過大な評価ではない。

 そこらのえせ騎士はもとより、粗野な殺人剣を扱う山賊にも、歴戦の戦士にも、彼女は戦い、勝ってきた。

 だが、あの二人は、そういったあくまで常識的な強さの範囲を軽く飛び越えている。

 もしもムイカが戦ったのならば、比喩でも何でもなく、まさに「一瞬」で斬られているだろう。

「天下十剣……」

 思わず口にした言葉は、だが今やこの会場でリングを見つめるすべての人間の脳裏に宿っていた。

 千人を打ち破り、万軍を砕く。

「僕の、師匠は、本当に強いんです」

 アルは、声を出すことすら惜しむように、そう言った。

 セイの強さは、誰よりも知っている。まったく本気で戦っていないことも、よく知っている。

 だが、フィーザスという全く異質の、だが同等の強さを持つ武人が相対すると、こうも印象が違うものか。

 連城の居合の奥義『雷光』、他にも『穿ち』、『搦め浮雲』、『斬鉄』

 すべて受け止められている。

 互いの剣が交わるときの、天変地異を思わせるほどの音と衝撃。

 アルは今、誇らしさと共に、大きな挫折を味わっている。

 形だけ技をマネできても駄目なのだ。

 戦うとは、こうも激しく、美しく、血を沸き立たせるものなのだ。



「余が、間違っていたな」

 ニウルス王は前髪にそっと触れてひとりごちた。

 あの二人が強いことはわかっていた。

 あたまひとつ、ふたつ。いやそれ以上に、彼らが突出した存在であることに気づいていた。

 だからこそ、早く戦っている姿を見たかったのだ。

 フィーザス伯の本当の実力を測ってみたかったし、セイをタダモノではないと感じた自分の「見る目」を確かめてみたかった――そういう興味がこのカードを組ませてしまった。

「余は、まるで見る目がない」

 ある意味ではそうだった。どのような試合を組もうと、この二人は必ず残る。つまり、これが事実上の決勝なのだ。

 だとしたら、もっと若く将来のある――あるいは予測不可能の武人たちにチャンスを与えるべきだった。

 この戦いを見れば、他の武人に勝ち目がないことはわかりきっている。

 残念だ。

 そう思うとともに、血が沸き立つのを感じる。

 若かりし日に見た天下十剣のひとり――段景亮にまったく引けを取らない、輝かしいまでの武力。

 あれら二人を召し抱える――いや、ひとりは既に忠義の臣だ。

 となれば、もうひとり。あの異国の男を何として、どのような法外な褒美を与えてでも臣下に加えたい。

「……やめさせよ」

 ニウルス王は、唇を噛み切らんばかりの心持で言った。

 二人の戦いを見たい。最後まで見届けたい。

 だが、あれはどちらかの命が尽きるまで、終わらない戦いになりうる。

「は?」

 傍に侍る親衛隊長が妙な声を上げた。

「二人の戦いを止めろ。急げ!」



 ひとりの男――その目はあらゆる暗闇を見てきたかのように淀んでいた。

 こきり、と首を鳴らした。

「お、あのサインは、王様暗殺でいいってことか?」

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