第12話 黒死病の男


 授業を終えた安藤たちは、星空山と云う天体観測の名所に向かっていた。星空山を訪れた理由は、彩の一言が発端だった。


「星が見たい」


 彩の母親である亜美は星を見るのが好きな人だった。彼女は彩と咲、そして安藤を連れて、三人で星空山へと登り、星を見ながら夜を明かした。


 幸せだった頃の記憶を思い出すべく、二人は星空山の山道を進む。山の山頂付近には昔亜美が建てた秘密の小屋があった。赤崎の血を引く彼女が唯一切望して手に入れた贅沢品だった。


「子供の時以来なのに、随分と綺麗だね」

「俺が掃除していたからな」


 亜美は死体を残さずに死んだこともあり、お墓が存在しなかった。だから安藤は亜美との思い出の場所であるこの小屋こそが、亜美のお墓だと思うことにしていた。


「ここからの景色は変わらないね」

「ああ」


 闇を照らすように輝く星空は、子供の頃から変わらない景色だった。この景色を見るためだけに山を登るのが苦にならないほど、感動が心を埋め尽くす。


「学校にも行けたし、こんな景色も見られた。もう思い残すことなんて何もないよ」

「…………」

「これでいつ死んでも悔いはないよ」

「そんなこと言わないでくれ」


 安藤は願った。もし三日後に彩が死ぬのなら、この三日間が永遠に繰り返せばいいのにと。


「そうだ。この後――」


 安藤が場を和ませようとしたその時、普段なら聞こえるはずのない発砲音が響いた。と同時に、彩が苦悶の声を漏らして、足から血を流した。


 発砲音が聞こえた方向を見ると、そこには拳銃を構えた一人の男がいた。男は鳥の嘴のようなマスクを被り、全身を黒いコートで覆っている。男のマスクには見覚えがあった。


「黒死病……」


 黒死病とは昔ヨーロッパで大流行した病の一つである。黒死病は瘴気によって感染すると信じられていたため、黒死病を治療する医師たちは、予防のために、鳥のようなマスクを被ったとされている。


 安藤は黒死病医師の格好と手に握られた拳銃からすべてを察する。死人病は感染するとゾンビのような外見に変わることから差別する者が後を絶たない。その中でも一際死人病患者を嫌う者たちは、彼らを襲い、大切なモノを奪い、果ては命まで奪うと云う。そんな死人病差別主義者の一人が眼前の男なのだと、安藤は悟った。


「何が目的なんだ? 金か? 金なら好きなだけ持っていけ」


 駄目元で安藤は財布を男の傍に投げるが、彼は見向きすらしない。安藤からの問いかけも無視する。


「くそっ」


 安藤は両腕で頭を防御し、男へと飛びかかる。しかし彼は冷静に銃口を安藤の足へと向けると、躊躇なく引き金を引いた。赤く染まる安藤の足を、男は興味がないのか再び視線を彩へと向けると、彼女の腹部に銃弾を撃ち込んだ。


「こ、殺さないで」


 彩は撃たれた足を引きずりながら黒死病の男に這い寄ると、必死に命乞いをする。顔を涙と鼻水で一杯にしながら、今までに見たことがないほどに必死な願いが続けられる。


「私は殺してもいいよ。だから、だから、あっくんだけは殺さないで」


 今にも殺されそうだと云うのに、彩は自分が殺されることなど厭わず、安藤を救うことだけを考えていた。その真剣な言葉は安藤にも伝わった。痛みで焼けるように熱い足を無理矢理動かし、黒死病の男の元へと近づこうとする。安藤の必死の様相を恐れたのか、それとも彩の命乞いに心動かされたのか、黒死病の男はこの場から立ち去った。


「彩、大丈夫か?」

「……私ゾンビだよ。銃で撃たれたくらいで死ぬはずがないよ」


 彩は強がってみせるが、口元から溢れる血と、銃口から流れ出す血が、無事でないことを知らせていた。


「今病院に連れて行ってやる」


 安藤は自分の足の痛みを無視して、瀕死の彩を背負う。とても人とは思えないほどに軽い。


「背中、あったかいね」

「もう少しで病院だから。もう少しの辛抱だから」


 安藤は星空山を駆け下り、星空病院へと急ぐ。病院にまで連れて行けば助かる。その思いだけが、彼の足を動かした。


「そんなに頑張らなくてもいいよ。どうせ三日後には死ぬ命なんだから」

「うぅっ……」


 安藤は瞳から零れ落ちる涙を止めることができなかったし、涙を拭うこともしなかった。そんな暇があれば、病院へ一秒でも早く辿り着きたかった。


「見えたぞ、病院だ!」

「私ね、死んだらお母さんに自慢するんだ。私の命はあっくんを守るために役に立ったよって。私が生まれてきた意味はきちんとあったんだよって」


 安藤は病院へ飛び込むと、他の患者を撥ね退けて、主治医である桜井の元へと向かう。桜井の部屋へとたどり着くと、ノックもせずに扉を開けた。


「先生!」

「どうかしましたか?」

「彩を助けてくれ」


 安藤は背負った彩を近くのベッドに下ろす。目を瞑り、体中から血を流す彼女の姿を見て、桜井は告げた。


「とても残念ですが、ご臨終です」


 その言葉は安藤の心を凍らせるのに十分なほど冷たい事実だった。


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