第10話 死を覚悟した少女
灰色の壁に囲まれた病室。その中央に置かれたベッドの上に彩の姿はあった。栄養液バッグの取り付けられた金属の点滴スタンドが手首に伸びている。天井のチラチラと光る蛍光灯を見つめる彼女の姿は、今生きているのが不思議なくらい儚げであった。
「あっくん、元気?」
「元気さ」
「私は元気……なつもりなんだけどね。後三日も生きられないみたい」
「さっき主治医の桜井さんに聞いた」
「私の臓器はボロボロで、腐敗しているんだって。だからほら、私の身体、生ごみが腐ったような匂いがするでしょ」
安藤は彩の隣にあった丸椅子に腰かけるが、そんな匂いはしない。死人病患者は腐って死ぬという情報から、匂いや視覚に幻覚を感じることがあると聞いたことを思い出した。
「匂いなんてしないぞ」
「……あっくんは優しいね」
「本当さ、嘘じゃない」
安藤は彩の手を掴む。すると彼女の瞳から涙が零れ落ちていた。
「匂いが移るよ。きっとお風呂で洗っても取れないよ」
「移るもんか」
「移るよ。だからお父さんは私に会いに来てくれないの」
「…………」
「当然だよね。腐乱臭のするゾンビのような顔の娘だよ。会いたくないのは自然な話だもん」
「…………」
「私はきっと誰にも愛されていないし、誰にも生きていることを望まれていない。お父さんも私が死ねば高額な医療費を節約できるし、お医者さんや看護婦さんも気持ち悪い私の世話をする必要がなくなる」
「…………」
「私は死んで初めて皆を笑顔にできるんだよ。だから三日で死ねるのはきっと幸せなこと。どうせ私が死んでも悲しむ人なんていないんだし」
「俺は悲しむ。絶対に悲しむ」
安藤は彩の手を力強く握る。
「お葬式で皆が笑っていても、俺だけは人一倍泣く。一人泣く俺を、皆が笑うかもしれないけど構うもんか」
「構うよ。私はあっくんが変だと思われるの嫌だもん」
「なら一日も長く生きてくれ。それが家族として、弟としての唯一の願いだ」
彩は安藤の顔を見て、彼が真剣に自身の生存を望んでいてくれることを知る。涙と共に口元には笑みも浮かんでいた。
「けど家族になって本当にいいの? 私ゾンビみたいな顔だよ?」
「俺もゴリラみたいな顔だし、お互いさまだ」
「ふふっ、そうだね」
二人の間に静寂が流れる。彩の瞳から零れ落ちていた涙は止まっていた。切りのいいタイミングを見計らって、安藤は口を開く。
「桜井さんから彩の外出許可を貰ったんだ」
「本当に?」
「ああ。だからどこか行きたい場所はないか? どこへだって連れて行ってやるぞ」
「ならあっくんと一緒に学校に行きたい」
「学校か……」
彩の学籍はまだ残ったままだ。復学するのは制服さえ用意すれば容易いだろう。
「分かった。一緒に学校へ行こう」
「うん。楽しみ」
二人は指切りで約束した。彩の表情は死を間近にしているとは思えないほどに悲壮感を感じさせなかった。
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