第9話 綺麗な嘘
アリスと話を終えた安藤は病院へ行くことを彩と約束していたと思い出し、すぐさま家を飛び出した。死人病患者は五時間に一回は血を飲ませないと発狂してしまうため、星空病院は二四時間、いついかなる時でも営業し、病人たちの世話をしていた。おかげで夜遅く病院へ行っても、彩と咲に会うことができるが、まじめな彩のことだから、きっと自分が来るまで待っているに違いない。そう思うと、歩く足も速く動いた。
長い道のりを経て、病室へたどり着く。予想通り、彩と咲の病室には電気がついていた。誰かが中にいる証拠である。安藤はゆっくりと扉を開いた。
「安藤、来てくれたんだ♪」
病室には病院服を着た咲の姿があった。ベッドの上にキョトンと腰かけ、入室した安藤を歓迎する。彼女の視線は安藤の背後の誰かを探すように宙を漂っていた。
「彩はどこかへ行ったのか?」
「検査中。検査の時間から随分と経つから、もう少しで戻ってくると思うけど……姉さんに用事?」
「用事ではないんだが、会う約束をしていたからな」
「私との約束は覚えてる? パパは会いに来てくれるって?」
「それなんだけど、どうやら仕事が忙しくて来れないみたいだ。その代わりこれを渡してくれと頼まれてきた」
安藤は光一から受け取った写真立てを渡す。幸せそうな家族写真は、光一のイメージ作りに使われていた道具でしかなかったが、何も馬鹿正直に本当のことを伝える必要はない。
「社長室に置いてあったのを貰ってきたんだ。いつも家族の顔を思い出せるように傍に置いてあるんだと」
「……私が貰っても良かったのかな?」
「いいに決まっている。光一も咲が持っていた方が嬉しいと思うぞ」
「うん。大事にする」
「あと伝言も頼まれているんだ。仕事が忙しくて来れないが愛していると伝えてくれとな」
「えへへへっ、やっぱりパパは私のことが好きなんだ♪」
咲は嬉しそうに笑う。嘘の言葉とは云え、彼女の笑顔を見れたことが安藤にとって何より嬉しかった。
「安藤、あんたのことなんだけど……」
「俺がどうかしたか?」
「うん。安藤のママと私のパパが結婚したでしょ。本当はあなたのこと家族として認めるつもりはなかったんだけど、特別に家族として認めてあげる。嬉しいでしょ?」
咲は声を震わせて訊ねる。断られるのではないかという不安で胸を一杯にしながらの言葉だった。
「ああ。嬉しいさ。俺たちは家族だ」
「うん。私たちは家族だよ――兄さん」
咲の言葉に安藤は胸に熱いモノが込み上げてくる。彼は両親から嫌われ、本当の家族というものを知らない。だからこそ、他の人からはっきりと家族だと呼ばれることが堪らなく嬉しかった。
「あ、姉さんが戻ってきたみたい」
リノリウムの廊下を歩く足音が聞こえてくる。扉が開かれると、そこには一人の白衣を着た中年男性の姿があった。彼は中肉中背の顔もこれと云って特徴のない男だった。
「あ、お兄さんですね」
「どうも。家族が世話になっています」
「お二人の主治医をしている桜井です。少しお話が……」
桜井は安藤を連れて、別の部屋へと案内する。連れてこられたのは消毒液の匂いが充満する部屋で、奥には別の部屋への入り口がある。
「適当に座ってください」
安藤は目に付いた丸椅子に腰かけ、桜井と向かい合う。彼の表情は真剣そのもの。大切なことが話されるのだということが雰囲気で分かった。
「今から話すことは妹の咲さんには秘密ですので、ご注意ください」
「それは構わないのですが、俺でいいのですか?」
「お父さん、つまり光一さんには連絡済みですので」
桜井はゴクリと息を呑んで、一度間を作る。一言一句聞き逃さないつもりで、安藤は耳を傾けた。
「あなたのご家族ですが、かなり危険な状態です」
「危険と云うと?」
「死人病の影響で体の細胞が腐り始めているのです。妹の咲さんは一カ月は大丈夫ですが、姉の彩さんは長くて三日でしょう」
「三日……」
鈍器で頭を殴られたような衝撃が安藤を襲う。思考は真っ白になり、何も考えられなかった。
「お父さんの光一さんは随分と嬉しそうに笑っていました。死人病患者の家族にはこういったケースが稀にあるのですが、あんなに子供の死を喜ぶ親がいることに私は驚いてしまいました」
「…………」
「けれどあなたは光一さんと違い、家族思いのようだ。どうか、三日間、悔いの残らないように優しくしてあげてください」
「はい……」
何とか絞り出した声はか細く、桜井の耳には届かずに消えた。彩が死ぬ。とても信じられないし、信じたくなかった。
「彩さんは奥の部屋にいます。よければ顔を見せてあげてください」
安藤は立ち上がり、彩のいる病室の扉を開いた。
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