第8話 真祖の力を継承した者
安藤が目を覚ますと、いつも目にする天井が広がっていた。パッと起き上がり、周囲を見渡す。ここが自室のソファの上だと確認し、安堵の息を漏らす。
「夢だったのか……」
「これこれ、現実逃避をするでない」
夢の中で聞いた声に反応し、安藤はキッチンへと向かう。そこにはクッキーと紅茶を口にする金髪の少女、アリスの姿があった。
「夢ではなかったのか」
「当然じゃ」
「なら覚えていることは全部本当なんだな?」
「間違いなくのぉ」
安藤はアリスをまじまじと見つめる。第四真祖。世界で最も神に近い存在が、嬉しそうにクッキーを口に含んでいる姿を見て、戸惑ってしまう。
「死人病患者は味覚がオカシクなると聞いたが、真祖は違うのか?」
「兵隊である死人病患者の味覚がオカシクなるのは飢餓感を誘発し、血を集めさせるためじゃ。だから女王アリである我の味覚は普通の人間と変わらんのじゃよ」
「なるほど。見た目が死人病のようにならないのも真祖だからか?」
「見た目がゾンビのように変貌するのは睡眠という無駄な時間を必要とする人間の活動限界を超えさせるために、細胞の活動が促進されるからじゃ。真祖たる我は、そんなものに頼らなくとも、人の限界は超えておる」
カカカッ、と快活に笑う少女の姿は真祖の恐ろしいイメージとは程遠い。だが彼女が普通の人間でないことは腹部の怪我がすでに完治していることからも明らかだった。
「本当に助かったぞ、人間。お主から血を貰わねば、我は死んでおった」
「俺は気絶したんだよな。どうやって俺の家を特定したんだ」
「これじゃ」
そう云って、アリスは学生証を投げつける。裏面には住所が記載されていた。
「そんなことよりも、どうじゃ感想は?」
「感想?」
「人間を止めた感想じゃよ」
アリスの言葉に、安藤ははっとする。アリスは血を吸ったと口にした。ならば外見がゾンビのように変わっているのではないか。近くの鏡で確認してみるが、外見上の変化はなかった。
「何も変わっていないぞ」
「奥歯に触れてみろ。少し牙のようなモノが生えているじゃろ」
「あ、本当だ」
口の中に指を突っ込み、奥歯に触れてみると、確かに牙のような存在が確認できた。
「俺は死人病に感染したのか?」
「阿呆言うな。我が命の恩人に仇で返す恩知らずだと思うてか?」
「なら人間を止めたとはどういうことだ?」
「真祖の力をお主に継承したのじゃ」
「は?」
「理解できんか。ならもう一度言うてやろう。お主は世界で神に最も近い種族、四人しかいない真祖の力を継承されたのじゃ。まだ完全ではないが、我の力は時と共にお主に移動し、最終的にお主こそが第四真祖となり、我は何の力も持たない非力な存在へと変わる」
「真祖……俺が真祖……」
「どうした? もっと喜ばぬか? 真祖となった特典は凄いのじゃぞ。まず不老じゃから、一生若いままじゃ。さらに死人病に感染した者に命令を下し、思い通りに操ることが可能じゃ。他にも良いことがいっぱいあるんじゃぞ」
「……人間に戻してくれ」
「なぜじゃ? メリットしかないのじゃぞ?」
アリスの瞳には疑問だけが浮かび上がっていた。そこに悪意は一切なく、真祖となれたことをなぜ喜ばないのか、不思議に感じている表情だった。
「それに力の継承は一〇〇年に一度しかできん。もし人間に戻りたいのなら一〇〇年我慢するんじゃな」
「…………」
安藤は軽くため息を漏らす。どうやら人間に戻ることはできないようだと、彼は覚悟を決めることにした。
「真祖になってしまったものは仕方がない。確認しておくが、見た目の変化は牙だけなのか?」
「それは真祖であることが露呈するのを恐れての質問じゃな」
「話が早くて助かる。奥歯の牙は小さいから、触られでもしない限り、気づかれることはない。だが他に変化があるのなら、対策をしておく必要がある」
「それならば大きな変化がある。一度そこで跳ねてみるのじゃ」
「跳ねる? どういうことだ?」
「やってみれば分かる。試してみるのじゃ」
「モノは試しか……」
安藤はその場で軽くジャンプしてみる。するとまるでトランポリンの上で飛び跳ねたように、天井近くにまで浮かび上がっていた。人間では絶対に不可能な芸当だった。
「これは……」
「真祖の特徴の一つ。身体能力の強化じゃ。これでお主はオリンピック候補に選ばれてもオカシクない身体能力を手に入れたということじゃ」
「俺、部活にも入っていないし、普段運動もしないから、あまり役に立たない能力だな」
「まぁ、こんなものはあくまでオマケじゃ。本命は別にある」
「本命?」
「その通りじゃ。真祖にはそれぞれ特殊な能力を保持しておるのじゃ」
真祖が神に最も近い存在と呼ばれる所以は、まさしくこの特殊な能力にあった。
第一真祖は『人の生死を自由にする力』を保持している。この力を使い、死んだ人間を蘇生させることで配下の死人をいっきに増大したと云う。
第二真祖は『生命を次世代へと進化させる力』を保持している。彼の操る死人は空を飛んだり、チーターよりも速く動き、死人一人が戦車一台に匹敵する戦力を保持していると云う。
第三真祖は『理想世界へと旅立つ力』を保持している。この力を使えば不都合な現実世界を投げ出し、彼の望む並行世界へと移動することが可能なのだと云う。彼が最も討伐の難しい真祖と云われている理由の一端でもある。
そして第四真祖は『時間を支配する力』を保持している。最も謎多き能力であり、死人研究者たちも、正確な能力を判明している者はいない。
「お主が手に入れた『時間を支配する力』は、まだ完全に力を委譲されていない状態では使いこなせんじゃろうが、いずれお主のモノになる。そうなればあらゆる困難を排除することが可能になるじゃろうな。ただし……」
アリスは神妙な面持ちで言葉を続ける。
「『時間を支配する力』を含めて力を人に見せるでないぞ。もし真祖だと判明すれば、お主を殺そうと、刺客がやってくるからのぉ」
「刺客? 神に近い存在である真祖を害する存在がいるのか?」
「残念ながらのぉ。我の怪我も死人殺し専門の連中にやられたものなのじゃ。もちろん正々堂々戦えば負けぬじゃろうが。相手は複数人。さらに卑怯な手も平気で使う連中じゃ。我も友人を人質に取られてしもうたために後れを取ってしまった」
アリスは戦いに敗れたというのに、誇らしげな表情でそう口にする。口ぶりから察するに、人質となった友人は無事に逃げられたのだろう。安藤は真祖と云えど人と変わらない心を持つことに安心し、彼女を救ったことが間違いではなかったと確信した。
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