第3話 病んでいる妹

 放課後、乗客のいないバスに揺られて、星空病院へ向かう。死人病患者に会う変わり者が少ないからか、バスは一時間に一本しか出ていなかった。


 バス停から病院へと辿り着き、そのまま病室へと直行する。二人は自分の訪問に喜んでくれるだろうかと心配になりながらも、安藤は病室の扉を開ける。だが病室には人の姿はなく、ただ灰色の壁と、過度に漂白されたシーツと枕があるだけだった。


「留守なのか……」


 死人病患者は余程のことがない限り、外出許可は下りない。つまり病院のどこかにはいるはずである。トイレか食事か。考えてみたところで、留守という事実は変わらない。安藤は病室で待つことに決めた。


「なんだこれ……」


 安藤は机の上に無造作に置かれている一冊の大学ノートが目に入る。手持ち無沙汰でやることがなかったからか、気づくとノートを手に取っていた。


「見たらマズイよな」


 だがどうしても誘惑に勝てず、少しだけ中を見てしまう。


『三月三日。今日は私の誕生日』


 最初の一行を目にし、安藤はこのノートが咲の物だと知る。続けて文章に目を通す。


『姉さんがお祝いに花束をくれた。姉さんは優しいから大好きだ。けれどパパはお祝いに来てくれない。仕事が忙しいのかな?』


 安藤はノートを捲り、次のページに目を通す。


『三月一〇日。私の誕生日から一週間が経ったけど、パパはお祝いに来てくれない。なぜ来てくれないのか聞きたくて電話したけど、いつまで経っても電話中のまま』


『三月一一日。看護婦さんにお願いしてパパにいつなら来れるのかを聞いてもらった。答えは分からないだった。きっと仕事が忙しいんだけなんだよね? 私のこと忘れてないよね?』


『三月二十日。看護婦さんたちが私について話しているのを偶然聞いてしまった。ゾンビのようで気持ち悪いとか、あの顔だと親も捨てるのも当然とか。看護師さんたちは楽しそうに笑っていた。私は悲しくて朝まで泣いてしまった。パパからの連絡はまだない』


『四月一日。エイプリルフールだ。今日だけは嘘を吐いても許される日。私は隣の病室の患者さんから携帯電話を借りて、パパに電話した。久しく会っていなかったし、声を変えて、看護婦さんの振りをした。私が危篤だからすぐに病院に来てほしいと伝えると、パパは大笑いして、私が死ぬことを喜んだ。あんなに嬉しそうなパパの声を聴いたのは久しぶりだった。気づくと涙が流れていた』


『四月二日。昨日の出来事はパパが私の悪戯だと気づいて、ワザとあんな態度を取ったのだと思うことに決めた。はっきりとはさせたくない。曖昧なままなら、まだパパが来るのを待っていられるから』


 安藤は大学ノートをパタンと閉じた。とても見ていられなかった。


「なにしているの?」


 気づくと安藤の背後に咲が立っていた。彼女は怒りの形相で彼とノートを見比べると、奪うようにノートを取り上げた。


「もしかして中を見たの?」

「ごめん……」


 安藤が悲痛な表情を浮かべていることに気づいて、咲は「そう……」と、悲し気に呟いた。


「ごめん。本当にごめん……」

「いいのよ。私の方こそ……ごめんなさい。私、少し病んでいるみたいなの。気持ち悪かったでしょ?」

「そんなことない。咲は何も悪くない」


 安藤はカバンの中からカフカの『審判』を手渡す。


「これ、頼まれていた本。お詫びになるか分からないけど……」

「ありがとう」

「今日はもう帰るよ」


 安藤が咲に背中を向けると、彼女は彼の袖を掴んだ。その掴み方はどこか遠慮するような掴み方だった。


「ねぇ、一つ聞いても良い?」

「一つと云わず、なんでも聞いてくれ」

「私、気持ち悪いかな?」


 安藤が振り向くと、咲は今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。


「気持ち悪くなんてないさ」


 安藤の心からの本心だった。顔はゾンビそのものだが、彼にとっては愛おしい家族だった。


「パパも私のこと好きかな?」

「間違いなくな」

「本当に?」

「ああ。なんだったら病院に来るよう頼んでやるぞ」

「いいのっ!」


 咲の声音に喜色が混じる。本当に父親が好きなのだと、感じさせられる声音だった。


「次会うときまでに必ず。約束だ」

「うん。楽しみに待ってるから♪」


 咲の嬉しそうな声を背中に受けながら、安藤は病室を後にした。彼女は彼の姿が見えなくなるまで、ずっと彼を見送り続けた。

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