第4話『ケルベロス』




 ラプチャーは巨大化した狼に向け、悪態をつく。




「嘘だろ! そんなのありかよ!!」




 同じ数による押しでも、今度は大きさという数の暴力だ。そんなものと対峙しなければならないラプチャーが、現状を吐き捨てたくなるのも、無理はない。追い込まれた敵が巨大化して逆襲する――フィクションではお約束の展開だが、現実でこれを目の当たりにすると、その威圧感は半端ではない。


 ラプチャーは息を呑みつつ身構えるも、不測の事態に硬直する。斃す方法を脳内で模索した。



「ディフィートライフル持ってくるんだった。でもアレ取り回しが悪くて…… ――ん?」



 しかしその時だった。アダムが再び援護するため、銃口を魔術師へと定め、引き金を引こうとしていた。その気配を感じ取ったラプチャーが、支援攻撃を止めるよう制止を促した。




「よせアダム! 時空転移装置が最終シークエンスに移行している! 今ハンドガンを使えば、質量計算に支障が出るぞ!!」


「で、でも!」


「万が一 転移座標がズレたらどうなる! 向こうの世界の物質と融合事故を起こすぞ! 一生壁に張り付いたまま過ごしたいのか!!」



「じゃあどうすれば?!」



「いいか! 俺になにがあっても、銃だけは使うな!! 俺が……俺がなんとかする!! 」



 二人を失うということは、二つの世界の滅亡を意味する。こちらの世界はイヴによって混沌という煉獄へ。向こうの世界は、ファシストによるディストピアへと堕ちるのだ。



 誰だって巨大な敵を目にすれば、萎縮し、怖気づく。なにせ象よりも大きい頭の3つあるオオカミだ。


 まさにビッグモンスター。神話や空想の存在が、この世に顕現したのだ。しかも獲物を目の前に、舌鼓を打つように唸り声を上げ、よだれを垂らしている。怖気づくなと言うのが無理である。



――しかし、アダムとイヴのことを思えば、死への恐怖も、萎縮した心も、燃え上がる闘志によって灰燼と化す。



 なにせあの二人は、教団が差し向けた刺客を退け、数多の死線を掻い潜り、ようやくここまで辿り着いたのだ。それを見れば、『自分も科せられた使命を全うせねば』と思うのが道理であろう。


 自分よりも遥かに幼い子供たちが、大人ですら難しい偉業をやってのけたのだ。二人よりも年長者であるラプチャーが、ここでアダムとイヴを守れなかったでは話にならない。



「ああそうだ……こんなワンコ一匹! どうということはない!!」



 ラプチャーは、巨獣に戦いを挑む。立ち向かう相手が強大で、無謀なのは承知の上。それでも彼は意を決し、全力で疾走する。そしてケルベロスの足元へと見事、滑り込むことに成功した。



「よっシャあ!!」



 ケルベロスは巨大な顎でラプチャーを捉えようとするが、彼のほうが一枚上手だった。狼の牙が届かない、懐へと滑り込んでいた。一時的だが、戦場のイニシアチブを握ったのだ。


 ラプチャーはスライディングを滑りつつ、急いで立ち上がり、ショットガンを連射する。ショットシェルが次々に、ケルベルスの腹へ叩き込まれた。散弾とはいえ、対魔術性能に特価したハード & ソフト キル ウェポンだ。着弾と同時に相手の魔術回路をズタズタに引き裂く。


 

 ケルベロスは苦しそうな声を上げ、即座に飛び退く。ラプチャーとの距離を一気に離したのだ。その際、鍾乳洞の柱を何本か倒し、天井の一部が崩落する。自身にとって、有利な距離を作り出そうとしていた。




 天井の崩落によって砂埃が舞う中、少女の声が響く。渾身の力で声を絞り出し、崩落の轟音すら掻き消さんばかりの声で――。




「それじゃ駄目! 術者を撃って!!」


 


 それは呪いによって満身創痍のはずのイヴの声だった。



 イヴのアドバイスに、ラプチャーは銃口を老齢の魔導師へと定めた。




 奇跡的にも、視界を奪うほどの砂埃の中、その狭間に魔導師の姿が見えた。老齢の魔導師は、天井が落ちてきているにも関わらず、あの場所から一歩も動いていない。そして彼の側から頑なに離れようとしなかった、あの侍女の姿が見えないのだ。



「側近がいない……あの娘は、どこに消えた?」



――その時である。


 濃霧のような砂埃を貫き、その少女が姿を現す――奇襲だ。彼女は振り上げたロングロッドメイスを、ラプチャー目掛けて一気に振り下ろす。



「はああぁああぁあぁあぁああ!!!」



「――しまった?!」



 ラプチャーは咄嗟に、ショットガンでメイスを受け止める。あるまじき銃器の使い方であるが、背に腹は代えられない。ショットガンはメイスの衝撃で大きく撓り、軋んだ。ここまでバレルが曲がってしまっては、もう銃器としての役割は果たせない。


 ラプチャーはショットガンを投げ捨てる。ただ投棄したのではない。魔導師の少女に向かって投擲したのだ。


 魔導師の少女の顔面に、ベネリM1014が命中する。彼女は顔を押さえながら、大きくよろめく。


 その隙に、ラプチャーはホルスターからハンドガンを引き抜いた。アダムに渡したオートマチックピストルではない。西部劇に出てくるようなクラッシックウェポン――シングルアクション リボルバーだ。



 しかしラプチャーは撃てなかった。



 ほんの一瞬、まさに刹那――人を殺すという行為を躊躇ってしまったのだ。



 珍しい話ではない。その手の訓練を受けた軍人でさえ、時として、トリガーを引けない時がある。それなのに一概の――ましてや平和な日本から召喚された民間人に、それができるものか。人を殺すというのは、並の人間では想像すらできない、一線を越える覚悟が必要なのだ。



 わずかに生まれた隙。――魔導師の少女は、ラプチャーに人を殺す度胸がないと悟る。彼女はそれを逆手に取り、時空転移装置のラップトップに向かって駆け出した。殺される危険性がないのだ。彼女にとってこれほどの好条件はない。敵地でありながら、半ば命の保証がされているようなもの。つまり戦況を、完全に掌握したのだ



 ラップトップを破壊されれば、転送失敗を招き、最悪の場合アダムとイヴは、肉塊になってしまう。ラプチャーは自らの甘さに苛立ちを覚えつつ、リボルバーを構え、己を叱咤する。



「チッ! なぜ躊躇った!!」



 ラプチャーは少女の足を狙って発砲するものの、ジグザグに走っているため狙いを逸し、命中には至らない。



 その間にも、魔導師の少女は走りながら短い詠唱を唱え、その手に蒼き雷を纏わせる。そして薙ぎ払うかのような動作で、手にした稲妻を解き放った。近・中距離戦で使用される範囲攻撃魔法だ。




 雷撃魔法によって、鍾乳洞が蒼色へと染め上がる。空なき地下に、不釣り合いな雷鳴が轟いた。



 蒼き眩い光が止み、勝敗が顕になる。その場にいた誰もが、防衛側であるラプチャーの敗北を想像した。しかし結末は、誰も予想だにできないものだった。




 大剣がシールド代わりになり、雷撃を退けたのだ。




 ラップトップを守った女性は、『やれやれ』とため息混じりにこう言った。




「このご時世に、ここまで足を踏み入る人間がいるとはな。エストバキアの勇者 総勢15人が、この場所で命を落とした場所だぞ。それを知っての愚か者か?」






 ――それは魔法都市アルトアイゼンの騎士団長、魔剣使いのエレナだった。



 


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