第2話『もう一つの世界へ』
アダムは、ラプチャーと呼ばれる男の後を歩きながら、まじまじと観察する。なぜなら彼は、聖女にも増して異様な様相だったからだ。
それもそうだろう。顔全体を覆う防毒マスクに、防寒用のジャケット、そして背負ったリュックサックには、ショットガンがマウントされている。
それらはこの世界ではない、
ラプチャーはアダムの視線に気づいていたのだろう。彼のほうを振り返り、質問する。
「どうした? さっきから俺のこと見つめて」
「あ?! いや……その――」
「このマスクか? これは感染を防ぐためだ。どっかの馬鹿がレパン出血熱を撒き散らしてな。俺はその事後処理も兼ねて、こんな格好してるんだ。少なくともスーツ姿にメガネをかけてるよりマシだろ?」
「は、はぁ……」
「まぁ防毒マスクしなくても、俺はワクチン投与しているから問題はないのだが。他の人に移さないためだ。こんな感染症隔離エリア入り込むのは、君のような亡命者か、女性――はたまた、魔王討伐を夢見る、命知らずな若者くらいさ」
「――ッ?! じゃあ感染してるかもしれないのか!?」
「重度の汚染が確認されたエリアは、すでに除染されている。今はこのウィルス スキャナーで、完全に収束したのかを検査している段階だ。安心しろ」
ラプチャーはそう言いながら、右のサイドポーチからあるものを取り出す。
「これは、感染を防ぐワクチンの入った注射器だ。空気圧で薬剤を流し込む、針なしタイプ。この部分を皮膚に当てて、ボタンを押すだけでいい。不安ならこれを使うといい」
少年に注射器を渡すラプチャー。するとアダムも「渡すものがある」と告げ、薬剤が入ったカプセルを差し出した。
後任のラプチャーはそれがなにか分からず、アダムに問いかけた。
「これは?」
「仮死薬。ラプチャー……いや、前任者のラプチャーから預かったものです。一定時間、死んだ状態を偽装できる薬なんだけど、使う機会がなかった」
「子供にこんなモノを渡すだなんて……――まぁ、俺が言えたことじゃないな」
ラプチャーはそう言いながら、ジャケット下のポーチに手を伸ばす。アダムに差し出されたソレは、ラプチャーの服装同様、この世界のものではなかった。
「ハンドガンの弾、そろそろないんじゃないか? 弾の種類は.45ACP弾じゃなくて、.22TCM弾だったね。まだここは安全じゃない。自分の身は、自分で守れ。ほら」
実は前任者のラプチャーから、護身用にハンドガンを渡されていたのだ。
ファンタジーの世界にミスマッチな、無骨なオートマチックピストル その名は Delta AR Top Gun CZ52 RVcustom
通称『DART-G』
CZ52 をベースに、ハンドガードの形状をJericho 941に変更。全体的な外見も近未来的なデザインなものとなり、より鮮麗されたスタイリッシュなフォルムとなった。
そしてアダムのシーフという役職に合うよう、銃声を掻き消すサプレッサーを装着している。
その静かなる牙は、彼の右腰で ひっそりと息を潜めていた。
アダムは未だラプチャーを信用しておらず、『なにか企んでいるのでは?』という訝しげな表情でそれを受け取る。
そんな疑り深い少年に、ラプチャーはほくそ笑んでしまう。
「おいおい、警戒感ドMAXだな。まぁ、無理もない。この世界は千葉と東京の堺にある、夢と希望が溢れるワンダーランドじゃない。
……――現実。そう……間違いなくここは現実だ。
時に血生臭く。時に背徳のエロス。歴史の授業で散々習った、欲望と死が渦巻く現実の世界だ。そして皮肉にも、現実では良い奴からこぞって死んでいく。お人好しで、素直で、真っ直ぐな奴からな。……アダム、そうだよな?」
アダムには身に覚えがあった。奴隷だった頃、学問の師であり父親同然だった奴隷商人を、眼の前で殺害されたのだ。
理由は怨恨ではない。
むしろ彼ほど、雇用主だけでなく、奴隷からも信頼され、愛された奴隷商人はいなかっただろう。
彼が殺されたのは、あまりにも身勝手な正義だ。ある宗教団体が『人の権利は平等である』という正義の名の元、その地域で商売していた奴隷商人を根絶やしにしたのだ。
一見すると、正しいことをしたように見える。
だが平等とは、時として理不尽な格差と不幸を生む。現にその宗教団体が行ったのは、奴隷を、隷属化から解放しただけに過ぎない。その後の雇用や、職に就くために必要な教養や教育までの面倒は、何一つ行わなかった。つまり奴隷解放後、子どもたちを野晒しで放置されたのだ。
子どもたちを奴隷から解放した――宗教団体はそれにより、秩序の聖職者という名声を手に入れた。だが当の奴隷は育ての親を失い、代償として貧困と飢えに苦しむ事になる。
教育だけでなく、職まで失われた奴隷がどういう末路を迎えるか……想像に難くない。
アダムもまた、その宗教団体による犠牲者の一人だ。
そしてその宗教団体の名は、『リゼリア聖教団』
アダムとイヴと追跡し、死を恐れぬ群狼をけしかけた、あの宗教団体である。
父親同然の存在を奪った相手――アダムにとってこれは弔い合戦であり、宿命の戦いだった。
アダムは今一度、己に課せられた使命を見定め、その決意を新たにする。
彼の目は、少年とは思えぬほど真っ直ぐで、覚悟に満ちた瞳だった。
「そのことを知っているのは……ラプチャーだけだ。あんた本当に、彼じゃないのか?」
そう問われたラプチャーは、探られたくない過去をほじくられたような顔で、こう答える。
「言ったろ。彼はもうこの世にいない。彼のセンスに合わせるなら、プラスマテはあるべき場所に帰った……と言うべきかな?」
そしてアダムとイブに聞こえないよう、ボソリと前任者に関してボヤいた。
「つーかアダムやイブにラプチャーって……前任者のネーミングセンスにやばいだろ。小言の一つも言いたくなるっての」
ラプチャーは二人に悟られないよう、わざとらしい咳をする。下手な独り言は、信頼感を損なう危険性があったからだ。彼は気を取り直し、ある方向を指差す。
「さぁ目的地までもうすぐだ。急ごう」
三人は足早に目的地を目指す。
しばらくして洞窟は終わり、開けた鍾乳洞へと出る。大戦時、こういった場所に巨大な魔物を配置し、多くの騎士や冒険者を苦しめた――その名残りだ。
周囲を注意深く見渡すと、折れた剣や凹んだ鎧、そして魔物の骨が転がっている。鍾乳洞の柱も倒れており、壁にも爪痕や剣の傷跡が生々しく残っている。
ラプチャーが目指したのは、鍾乳洞の壁――しかしその部分は、ある人工物で塞がっていた。ダンジョンの壁である。だがラプチャーが近づくと、レンガの一つ一つが複雑に動き出し、入り口が出現する。
そして先導していたラプチャーが、アダムとイヴに向かって微笑み、ジョークを口ずさむ。
「ようこそ、ダイアゴン横丁へ」
これは隠し扉のギミックと、とある映画のネタにかけた冗談なのだが、その文化を知らない二人に、理解できるはずもない。二人はとりあえず「は、はぁ……」と無難な相槌を打ちつつ、そのダイアゴン横丁へと足を踏み入った。
しかしそこは、横丁と呼ぶには狭く、殺風景な場所だった。
大型馬車、四台分が入るほどのスペースがあるが、出入り口はない。あるのは部屋の隅に置かれた4つの三脚。そして入口付近に置かれた、軍用ラップトップだけだ。
その部屋を見渡しつつ、ラプチャーが説明に入る。
「前任者のラプチャーが話した通りだ。聖女イヴに科せられた呪いは、現代の魔術では解呪不可能だ。だがそれを解呪しなければ、世界は呪いに汚染され、破滅する。教団にとってイヴとは、政治的に優位に立てる切り札だ。
そこで、イヴにはこの世界からの退場してもらう。
イヴを失えば、教団の強行姿勢を崩し、力を削ぐことができる。――では再度 質問したい。イヴ……君に、その覚悟はできているかな?」
イヴはラプチャーの視線を見据え、強く頷いた。
ラプチャーはその覚悟を見届け、
「うむ、よろしい! では説明に入ろう。この部屋の隅に置かれているのは、時空転移装置だ。そしてこのラップトップが制御装置。分かりやすく例えるなら、異世界から勇者を召喚するのとは逆に、この世界から別の世界へ人を送り込むディメンションゲートだ。イヴ、怖いかい?」
「いいえ。教団の裏の顔と比べたら、こんなもの屁でもありません!!」
「ハハハハハッ! 『屁でもない』ときたか! いいぞ。その意気込みだ。この装置は魔力を一切使用しない。だから君に科せられた呪いに干渉することはない。
向こうの世界には、我々の協力者が待機している。イヴの到着を心待ちにしているはずだ。
君に施された呪いは、魔力回路を破壊、もしくは強制的に改変する力を持つ。この社会を支える魔力が機能不全に陥れば、社会は半身不随になる。まさに、この世界を破壊する力と言っても過言ではない。しかし協力者である彼らにとって、その呪いは世界を救う切り札となるんだ」
イヴは一つだけ疑問を感じ、ラプチャーに疑問を投げかける
「あの……質問していいですか?」
「ああいいとも。なにかな?」
「向こうの世界でなにが? そもそもどうして私の呪いが、その世界を救うことになるのですか?」
「いい質問だ。厳密には違うのだが、これから君の行く世界は、未来だと思ってほしい。その世界では、君に科せられた
魔法を使えるのは、その世界を支配する特権階級のファシストだけ。民衆がそれに反旗を翻したくても、始祖の呪いが魔法詠唱を阻むからね。
なぜ向こうの人が、君を欲しているのか? それは君の呪いが、改良前のオリジナルモデルだからだ。ファシストは始祖の呪いを解読されるのを恐れ、何重にもプロテクトを施し、暗号化によって難攻不落の要塞を築き上げた。
しかし暗号化される前の呪いなら、呪いのコアとなるソースを解読することができる。
それに成功すれば戦局を一気に打壊――ひっくり返せるわけだ。魔法がファシストだけの独占技術ではなくなる。つまり皆が、魔法を使えるようになるんだ」
「――つまりそれは、私という兵器が、教団から、別の人に譲渡されるだけなのではないでしょうか」
そのものスバリな質問に、ラプチャーは口端の口角を上げて『素晴らしい質問だ』と笑った。
「いやはや痛いところを突くね。アダムの疑り深さが移ったかな? それに関しては大丈夫だ。君の人権は保証されている。
なにより魔導解読技術はこの世界よりも優れているし、皮を剥がされてバラバラにされることはない。原祖の解読さえできれば、あとは容易に解呪できるだろう。
いやそもそも、
自信満々にラプチャーはそう言いつつ、ラップトップを立ち上げる。そしてキーボードをカタカタとタイピングし、時空転移のための下準備を開始した。
「どの道、この世界に留まり続ければ、君は歴史に名を残すだろう。世界を破壊した災厄の女神として――。世界を滅ぼすか。世界を救うか。選択はこの二択だ。好きな方を選ぶと良い」
イヴの答えは決まっていた。アダムに手を引かれ、教団を後にしたあの日から……――。
「行きます。その世界が私を必要としているのなら、この呪いが、多くの人々を救えるのなら……」
「じゃあ今度はアダムに質問だ。これで君の任務は終了となる。ここまでの長旅、本当にお疲れ様でした。君は世界を救う手助けをした。その功績は、残念ながら歴史に残らないだろう。
しかし……、しかしだ。二つの世界を救ったこの真実だけは、未来永劫変わることはない。君の育ての親も…… さぞ、誇らしいだろうな」
ラプチャーは彼の苦労を労い、肩に手を置く。
「ご苦労様でした。――で、だ。これからどうする?」
「え? これから……」
そう問われたアダムは、自然とイヴに視線を向けてしまう。
ラプチャーはイヴに聞こえないよう声を落とし、アダムに囁いた。
「ここで臆したら一生後悔するぞ。あれだけの良い娘。そうそう出逢えるものじゃない」
「ま、待ってくれ! 『この任務が終わったら、永遠に分かれることになる』って――」
「前任者のアンポンタンは、んなこと言ったのか? 浪漫のわからん石頭だな。 あー、でもそれって、あれだろ? イヴとの今生の別れではなく、この世界と永遠に分かれることになる、――って意味だろ。ああそうだ。きっとそうだとも。
少なくとも今、この任務の指揮官は俺だ。責任はすべて俺に一任されている。アダム……君はこの世界を救った、功労者だ。その褒美に、美少女と未来旅行の一つでもしたって、バチは当たらんよ」
彼はそう言いながらウィンクし、さりげなくサムズアップする。
アダムはラプチャーに背中を押され、心から感謝する。ここで旅は終わりだと思っていたのだから……
「ありがとう! 行くよ! 俺も…… あの子と一緒に異世界へ!!」
その言葉を聞いた瞬間、イヴは感極まってアダムに抱きついてしまう。
彼女もまた、この旅が終わると同時に、アダムと永遠の別れと思っていたのだ。
「アダム! よかったぁ! また……一緒に旅ができるね!」
「俺がいないと、お前、なに仕出かすか分かんねぇもんな」
「ちょっと! 言ったわね~!!」
アダムとイヴは互いに見つめ合い、笑った。二人は再び新しい旅立ちを迎えたのだ。 追っ手の届かない、未知なる世界……制約のない、自由の大地へと。
――しかし、少年と少女の門出を、邪魔する者が現れる。
教団という隠れ蓑で、禁忌の技術を惜しみなく注ぎ、手塩に手塩をかけて育てた兵器――それを奪還すべく、彼らは現れたのだ。
「残念ながら、その旅は別の機会にしてもらえないかな?」
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