第1話『聖女 逃走せり!』





―――― 巨人襲来より4ヶ月後。 現在。





 薄暗い地下迷宮――唯一の明かりは、魔力を内封した魔光石だけだ。





 それを松明代わりに一人の少年と少女が走る。



 二人は体から肺が飛び出すほど息を切らし、全力で舗装されたダンジョンを駆け抜ける。



 少年は身寄りのない、一匹狼のシーフだ。彼が盗んだモノ――それは手を引いているこの少女である。少女の外見は、子供がする格好とは思えない、あまりに似つかわしくない、荘厳な出で立ちだった。



 神官服――装飾が美しい司教冠ミトラが印象的な、聖女である。



 シーフに拐われの身となった少女。見るからに高位な彼女であるが、逆らおうという意思はない。それどころかむしろ、シーフと共にこの地下迷宮を疾走していた。


 聖女は追っ手が気になるのだろう、時折 後ろを振り返り、追跡者の魔の手をその目で確認する。しかし、それが祟ってしまう。


 かつてこの地下迷宮を探索していた者の名残―― 石畳の上に落ちていた鎧の肘当てコーターを踏みつけてしまい、体勢を大きく崩し、転倒してしまう。


 聖女がシーフの手から離れた。少年は急いで足を止め、転んでしまった聖女へと駆け寄る。




「大丈夫?!」


「ごめんなさい、足を引っ張ってばかりで……」


「気にすんなって。ほら、立てるか?」


「ええ、なんともな――痛ッ?!」




 聖女の脚に激痛が走る。鎧の肘当てコーターを踏んだ際、足首を捻ってしまったのだ。彼女はそれでも、なんとか走り出そうとする――だがしかし、鈍痛を帯びた激痛が、なおも聖女の脚を蝕む。


 シーフはそれに気付き、彼女に背を向けて座り込む。



「その足じゃ走るのは無理だ。さぁ! 担ぐから、僕の背に乗って!!」


 

 聖女を背に乗せ、シーフは走り出す。しかしその速度は大幅にダウンしてしまう。それでも二人は追跡者から逃れるため、ダンジョンの奥へ奥へと進む。




 舗装された通路を抜け、二人は巨大な鍾乳洞へと出る。




 洞窟の天井は、手の届かないはるか先にあった。まるで夜空の星々のように魔光石の結晶が輝き、暗い洞窟を照らしている。


 だが二人にその美しさに見惚れる暇はない。シーフは足元に注意しながら、ジメジメとした鍾乳洞を進んだ。



 しかし唐突に、彼は足を止め、洞窟の真ん中で立ち止まってしまう。


 そんな少年に、何事かと少女は尋ねる。





「どうしたの? ―――ッ?!」





 訊くまでもなかった。少年が足を止めた答えが、洞窟の奥から姿を現したのだ。



 蒼狼――青白き群狼が、少年と少女の行く手を遮っていたのだ。




 それはただの狼ではない。膨大な魔力で創り上げられた、術者の駒だ。死を恐れぬ兵士は、喉を『グルルルル……』と不気味に鳴らしながら、一歩、また一歩と脚を進める。



 少年は聖女を背中から下ろす。担いだままでは戦えないからだ。シーフの少年は、多勢に無勢という不利な状況にも関わらず、聖女を守るために身構えた。




 その勇敢さを讃え、狼が口を開く。




「この私と戦おうというのか? シーフの少年よ」



「当たり前だ! この子を、お前らなんかに渡すわけにはいかない!!」



「渡す? これはこれは…… なんとも、おもしろい冗談だ。私のではなく、返してもらうだけだよ。それにそれを決める権利は、君にはない。そうだな? コーネリアよ」




 聖女ことコーネリアは、首を横に振りながら叫んだ。



「もう私は戻らない! 確かに この身を神に捧げました。――しかし、貴方達の私欲の産物に成り果てるために入信し、剰え、屠るための武器に成り下がるため、神の道を歩んだわけではないのです!!」



 二匹目の狼が女性的な声で、優しく諭そうとする。



「コーネリア、騙されてはなりません。その少年は魔族と手を組むような輩です。あなたを誑かし、堕落の途に誘おうとしているのですから」



「わたしはもう戻らない! あなた達の口車に騙されない!」



「これは信仰心を試す神の試練です。あなたは今、疑念に苛まれ、判断を見誤っているのです。さぁ思い出しましょう。私達の庭で語り合った、『平和な世を創る』崇高なる夢を――」



「都合の良いことを! そうやって何人の信者を誑かし、異教徒を殺させたのですか! その口で平和だなんて……恥を知れ! 神の名の元に行った蛮行! 決して許されるものではありません!」




 聖女は少女とは思えない気迫で叫んだ。



 彼女の脳裏には、ある光景が呼び起こされていた。多くの骸が横たわり、死屍累々が積み重なった、悪夢のような光景を……――だからこそ彼女はシーフと共に抜け出し、異種族であり、人類の敵である魔族に助けを求めたのだ。


 魔族は人間側と一線を画する。肌も目の色も違えば、文化もまったく違う。――だが最大の利点として、修道会の息が掛からない点だ。魔族に教会と繋がる者はいない。人と魔族には完全な隔たりがある。教会の手の届かない場所は、魔族の地下都市『アルトアイゼン』のみ。そこだけは唯一、確かなことだ。



 もちろん、命の保証はない。過去を振り返れば、魔族と人間は報復と怨嗟に満ちている。シーフと聖女はそれを知っていて尚、地下ダンジョンを進む。



 だがそれでも、少年と少女は魔族の都を目指す。なぜならこの脱出を指揮し、シーフを支援していた人物。その協力者が、魔族の中にいるのだ。



 魔族の中でもだけは、信頼できる存在だった。



 しかし、その人物との合流地点は、立ちはだかる群狼の遥か先。この洞窟ではない。


 シーフと聖女は完全に万事休すだった。


魔力で象った群狼――それも、これだけの数を使役できる魔導師と戦うのだ。一概のシーフには、あまりにも荷が重すぎる戦い。そして撤退しようにも、聖女は脚を怪我している。


 魔導師の姿は未だ確認できない。目にするのは、死と終焉の具現化に等しい、青白き狼だけだ。



 もはやこれまで。



 シーフが無謀と分かりながらも、覚悟を決め、強行突破を画策する。そして攻撃しようとした矢先に、世界が白く染まった。



 眩い閃光。そして聴覚を奪う炸裂音が鍾乳洞に響き渡る。



 そしてシーフと聖女の間に、何者かが舞い降りる。その人物は二人を掴みながら叫んだ。




「捕まってろ!!」




 だが二人の耳は閃光手榴弾によって、満足に機能していていない。少年と少女は抵抗するどころか、なにがなんだか分からない状態で、男に抱えられる。そして天井へと上がっていった。



 ロープを使い、鍾乳洞の天井から降りてきた男。彼はカラビナやエイト環などの懸垂下降器を使わず、ロープに昇降機を直接 取り付け、高速で鍾乳洞の天井へと上がる。


 天井に人が通れるほどの穴が空いており、男はそこからラペリング降下を行ったのだ。



 少年と少女を回収した男は、追跡されるのを避けるため、ロープを切る。そして二人の安否を確認した。




「いやぁ~危なかった。間一髪だったな。怪我は? 大丈夫かい?」




 そう問われたシーフの少年。だが閃光手榴弾でまだ視界がボヤけており、耳鳴りが鼓膜を支配していた。遠くから聞こえたその問いに、少年は緊張気味な声で問い返す。


「だ、誰だ!」


「落ち着け。あー、えっと……なんだっけ? あぁそうだ。リンゴ。そのリンゴ、譲ってもらえないか?」


「え?」


「もう一度 言うぞ。リンゴ。欲しいんだけどダメかい?」



 シーフの少年は、男の問いかけになにがなんだか分からなかった。しかし、それが合言葉と気付き、すぐさま返答する。もちろん正しい合言葉を覚えてはいた。だが、視界と耳がうまく働いてない状態で問われると、咄嗟には出ないものだ。



「リンゴじゃない。これは、オレンジだ」



 男はその言葉を聞き、安堵の笑みと共に少年と握手を交わす。




「遠路遥々の長旅、ご苦労。アダム。無事にエヴァを奪還したな」


「じゃあ、あなたが! 魔王に召喚された勇――」


「残念ながら彼は死んだよ。私は本作戦で使用していた彼のコードネーム ラプチャーを引き継いだ代行人にすぎない。つまり私は、二代目のラプチャーだ」




 それを聞いた途端、シーフの少年ことアダムが警戒感を覚え、静かに身構える。


 仄かな殺気を感じたラプチャーは、「よせ、大丈夫だよ敵じゃないから」とボディ・ランゲージで攻撃の意志がないことを示す。



「そうして疑うのは良い兆候だ。いつの世も、油断している お人好しから死ぬもの――。さぁ積もる話はあるが、呑気に くっちゃべってる暇はない。なんせ君たちは、逃亡者だ。奴らが来るぞ」



 敵か味方か分からず、疑いの目を向けられた場合。様々な対処法があるが、この場合、目に見える驚異を示唆するのが懸命な判断だ。


 現に二人は追われる身。捕まれば、間違いなく命の保証はない。口封じに子供を処理することなど、彼らにとって日常的に行使している常套手段。信仰のためなら異教徒どころか、老人や子供、同じ宗派の仲間ですら利用する者たちなのだ。



 魔族の協力者であるラプチャー。彼は道先案内として歩き出す。そして未だ判断を下せず、腰を下ろしたままのアダムとイブに、彼なりのささやかな携挙を告げる。



「なにをしている。私のことを信じられなければ、信じなければいい。だがこれだけは覚えておけ。『ここで死ぬか。それとも後で死ぬか』選択権は君たちにある」



 そう告げられた二人は、互いに見つめ合い、頷いた。



 追っ手は慈悲の心を持たない、信仰に心を病んだ者。それよりか、眼の前にいる自称協力者のほうが、幾ばくか希望は持てる。そもそも彼の言葉は真実で、本当に協力者の可能性が高い



 二人は教団の追っ手を振り切るため、ラプチャーの後を追った。



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